今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

発明の日,特許制度執行記念日

2005-04-18 | 記念日
今日(4月18日)は「発明の日,特許制度執行記念日」
発明協会が1954(昭和29)年に制定。
特許庁では、1885年(明治18)年4月18日に現在の特許法の前身である「専売特許条例」が公布されたことを記念し、この日を「発明の日」と制定し、産業財産権制度の普及と啓発をおこなっている。
「専売特許条例」は、今からちょうど120年前に高橋是清らの尽力により公布された。明治維新後、欧米諸国に遅れ近代化の道を歩み始めた我が国にとって、殖産興業政策をとるなど産業の近代化は急務の課題であり、そのためには発明者の権利を保護する特許制度の整備は必要不可欠であったからだ。
事実、公布される約20年前、福沢諭吉もその著書「西洋事情」において特許制度を紹介し、発明者の権利を保護することによって、発明に対する更なるインセンティブを与えることが我が国の発展につながると説明している。
我が国の特許第1号は、専売特許条例が公布された1885(明治18)年、京都府の堀田瑞松(ほったずいしょう)による「堀田式さび止め塗料とその塗法」であった。その後、1890(明治23)年、豊田佐吉が木製人力織機の特許を取得した。佐吉の後は息子の豊田喜一郎が継いでトヨタ自動車を創業している。
第二次世界大戦以降、アメリカの工業製品は世界でもっとも人気の高い商品であったが、1970年代後半から日本やドイツなどの技術力向上と製品の人気が高くなり、アメリカの製品が世界の中で売れなくなり、貿易収支が赤字となり、経済の低迷が続いたことがある。このとき、第40代大統領レーガンは、経済の原動力である科学技術を支援しようと、発明者の権利を強く保護する政策(特許重視政策)を打ち出し、推進。そして、技術力を回復させ、国際的な産業競争力を回復した。
1980年代以降、ロシア、中国などの国々が自由主義経済の市場に参入、また、東南アジアをはじめ、発展途上国の工業化も進んでいる。これらの国々で働く人々の賃金は非常に安く、日本の10分1にも満たない。
もう、日本は、単なる価格競争で勝てる時代ではなく、これからの日本は、今までにも増して世界に通用する技術力、そして特許が求められている。
知的財産を保護するため、対象にあわせて色々な法律が定められているが、特許権、実用新案権、意匠権、商標権の4つは、産業の発達を図るための権利(産業財産権)として、特許庁が所管しているが、著作権は文化の発展を目的とする権利で、文化庁が所管している。
産業財産権の中でも、とりわけ、特許権が重要であるが、過去日本は、この特許が少なく、実用新案権が多かった。この専門的な違いなどは、知的財産権についての良くあるご質問:特許又は実用新案を参照して欲しい。特許の基本的な発明に、対し、実用新案には、発明といってもちょっとした個別アイデアといったものが多い。
私が東京で仕事をしていた若い頃、1965(昭和40)年11月6日からテレビ東京で、『アイデア買います』 という番組の放送を始めた。素人のアイデアを審査しいいものは企業がそのアイデアを買って商品化するというものである。物好きな私は、東京タワーで行われていた公開番組をよく見に行った。その時、「三角パンティー」なるものが入賞したのを覚えている。何のことはない女の人の胴と太腿はほぼ同じだと言うので、胴部分も腿の部分も皆同じサイズの三角のパンティーである。観衆は大笑いであったが、このアイデアが買われて、商品化されたのである。これが、面白くて、私は、発明協会に入会し、物好きな仕事仲間と毎日仕事が終わると喫茶店に入り浸って、アイデアを考え、発明協会の指導を受けて、一応、特許庁へ出向き膨大な量の資料の中に、自分が提出すると同じようなものが既に提出されていないか調査をし、3つ位、実用新案特許を出したことがある。つまらぬものばかりで商品化されたものはない。兎に角東京では独身でひとり住まいのため住まいに帰ってもしょうがないのでそんなこをしていた。当時、落語家の柳家金五郎が特許好きで、私と同じようにつまらぬ実用新案を次々と多く出していたので有名であった。同様に多分売れたものはないのではないか。当時でも、私や金五郎のように遊び半分で出すものもあるため年に30万件以上の申請があるといっていた。これでは、少ない人数で審査をするのは大変だったろう。だから、なかなか審査結果は出ない。だから、商品化して売ろうと考えている人は、申請しただけで、販売する。その商品には、「PAT.P(パテント・ペンディング)」などと表示していることが多い。要するに、特許申請中ということだ。
このような申請件数の多い実用新案制度は、平成5年の法律改正により、平成6年より、特許権のように審査を通ったもののみが、特許として登録されるのと異なり、このような審査は行われずに、そのまま登録される。つまり、単なる受付制度に変わったようだ。
物真似日本などとアメリカなどから、批判されていた時期がある。どこかの良いと思うものを部分的に少し改良して売っていたからである。今は、もう、そんなことは許されない。基本的な問題を解決する特許に力を入れなければならないだろう。
数年前、カルフォルニア大学サンタ・バーバラ校教授の中村修二氏が青色発光ダイオードの特許に関し、勤めていた日亜化学工業に200億円の支払いを求めた裁判が、大きな社会的反響を呼んでいた。従業員である(あった)発明者の職務発明に対する「正当な対価」(特許法35条)に対する提議だ。
これから、日本が世界を相手に発展するためには、発明者の育成が大切であるし、企業も研究開発に係わる社員のやる気を起こさせるためにも優れた成果に対しては、正当な代償を払っていかねばならないだろう。
(画像は、『ベンチャービジネスと特許戦略ー独創技術をいかに活かすか』
富田 徹男・豊田 正雄(共著)ダイヤモンド社)
参考:
日本化工塗料株式会社 > 日本特許第一号
http://www.nippon-kako.co.jp/tokkyo.html
先駆者たちの大地-株式会社豊田自動織機 始祖 豊田佐吉翁
http://manabow.com/pioneer/toyota/
特許電子図書館 -
http://www.ipdl.ncipi.go.jp/homepg.ipdl
発明・工夫と特許の国
http://www.hkd.meti.go.jp/hokig/student/j06/index.html
特許の歴史を旅しよう
http://www.hkd.meti.go.jp/hokig/student/j07/cont7.html
特許制度の始まりを演出したヒーローたち
http://www.zoomin.co.jp/patbank/inaba/inaba01.html