今日(4月12日)は「パンの日」
パン食普及協議会が1983(昭和58)年3月に制定。
1842(天保13)年、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍(坦庵=たんなん)が軍用携帯食糧として乾パンを作った。これが日本で初めて焼かれたパンと言われている。
パンは,16世紀に、ポルトガル人によって初めて日本(種子島)へ伝来した。そのためパンはポルトガル語の“Pao”に由来している。その後切支丹禁教令によってパンの製造が禁止され,長崎の出島だけに伝承されてきた。天保年間に、隣の清国ではイギリスとの間でアヘン戦争が起こり,次は日本かと緊迫した中で、ヨーロッパ式陸軍を研究していた江川坦庵は、ヨーロッパ陸軍の兵糧パンも作り,採用しなければならないと考えた。幸い師に当たる高島秋帆門人で,長崎のパン職人であった作太郎の出府を知った坦庵は,作太郎を伊豆韮山の江川太郎左衛門宅に呼び寄せ、パン焼き窯を作り、その第一回の兵糧パンの試験焼きを行ったのが,1842(天保13)年4月12日である。このことによって、江川坦庵が「パン祖」と言われる由縁であり、この韮山製のパンは,保存食・非常食としても重宝で,韮山塾の門人を通じ全国に広まっていったということだそうだ。
江川坦庵は、江戸幕府の世襲代官江川家の36代目で、代官として活躍しただけでなく幕末期の黒船来航に象徴される国難の中、徳川幕府の中にあって、広い意味での「技術官僚」と言うよりは、技術に明るい行政官であり、開明的で、早くから開国と、海防体制の充実を主張していた人物のひとりで、西洋式産業技術の導入に積極的で、洋式砲、洋式銃を製造し、高性能の溶鉱炉「反射炉」を築造した。1853(嘉永6)年、ペリーの来航と開国要求は、鎖国を続けてきた幕府にとって大きな衝撃であったが、中でも、大砲を備えた黒船は軍事的に非常な脅威であった。これに対して、お台場(砲台)の設計や、築造の指揮に当たったのが江川坦庵であった。財政難のために途中で一部工事を中止したり、未着手に終わったものもあったが、坦庵の尽力により短期間に5つの台場を完成させた。坦庵は非常に多くの事蹟を残しており、本所の江川邸にやってきた佐久間象山やジョン万次郎らさまざまな人物との交流もある。代官所は韮山(現・静岡県田方郡韮山町)にあったが、役所を兼ねた江戸屋敷が本所(現・亀沢一丁目)にあり、また、坦庵が過労のため最期(1855=安政2年)を迎えたのも本所の地である。
坦庵は、当時最新の西洋式砲術を習得し、その教授をも行っているが、パンの製造も野戦の際などに用いるための携帯食としてのものであった。実際には、坦庵以前に日本におけるパン製造の例もあり、厳密な意味では坦庵を「パン祖」と呼ぶには、無理があるかも知れないが、、全国パン協議会により、坦庵に「パン祖」の称号が贈られ、韮山の江川邸内には「パン祖江川坦庵先生邸」と書かれた碑が建てられ、その功績が讃えられているのでここではその説に従っている。
1854(嘉永7年・安政元)年に鎖国が解かれると、横浜、神戸など港町を中心に、パン作りが広がった。徳川幕府が軍隊の洋式訓練と造船所建設をフランスに依頼したこともあり、フランスパンがまず登場した。その後、明治政府を支持したイギリスの影響により、イギリスパンが主流となる。また、外国人向けホテルの建設により、主食用のホテルパンが作られたが、パンが大衆に親しまれるようになったのは、現存するパン屋でもっとも古い「木村屋総本店」が銀座に開業し6年後に売り出した日本独特の「あんパン」が発売され、人気商品になった。この木村屋のあんパンのことは、先回私のBlog「あんぱんの日」に書いてるのでそこで見てください。第二次世界大戦後は、食生活の洋風化が進み、パンは米に次ぐ主食としてすっかり定着。今では、日本の製パン技術・パンの種類と品質は、恐らく世界のトップクラスにあると言われている。私なんかも、朝食は毎日パン食と決めている。神戸は、パン屋さんが多く、私の住んでいる小さな町でも犬が歩けばパン屋あり当たるじゃないけど、これらのパン屋が味を競っている。同じ食パンなどでもこんなに味が違うのかと思うほどに特徴がある。だから、毎朝パンを食べている私たちは、絶えず異なる店で買ってそれぞれの味を楽しんでいる。パンに紅茶・・・それが神戸の一般的な家庭の朝食スタイルではないだろうか・・・。
参考:
パンの話(パン食普及協議会)
http://www.fsic.co.jp/food/pan/default.htm
日本のパンの歴史
http://www.joho-kyoto.or.jp/~teramuch/machikado/taunshi/zuihitu/zuihitu010.htm
作家・佐々木譲氏の集英社新書WEBコラム
幕末・技術官僚の系譜 1(江川太郎左衛門英龍 早すぎた男)
幕末・技術官僚の系譜 2(第二回 逸材、江川太郎左衛門英龍)
ガイドプロフィール - [パン]All About・・・パンのことなら何でも・・
http://allabout.co.jp/gourmet/bread/profile/mbiopage.htm
今月の視点9911b/砂糖とパンについて
http://sugar.lin.go.jp/japan/view/jv_9911b.htm
パン食普及協議会が1983(昭和58)年3月に制定。
1842(天保13)年、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍(坦庵=たんなん)が軍用携帯食糧として乾パンを作った。これが日本で初めて焼かれたパンと言われている。
パンは,16世紀に、ポルトガル人によって初めて日本(種子島)へ伝来した。そのためパンはポルトガル語の“Pao”に由来している。その後切支丹禁教令によってパンの製造が禁止され,長崎の出島だけに伝承されてきた。天保年間に、隣の清国ではイギリスとの間でアヘン戦争が起こり,次は日本かと緊迫した中で、ヨーロッパ式陸軍を研究していた江川坦庵は、ヨーロッパ陸軍の兵糧パンも作り,採用しなければならないと考えた。幸い師に当たる高島秋帆門人で,長崎のパン職人であった作太郎の出府を知った坦庵は,作太郎を伊豆韮山の江川太郎左衛門宅に呼び寄せ、パン焼き窯を作り、その第一回の兵糧パンの試験焼きを行ったのが,1842(天保13)年4月12日である。このことによって、江川坦庵が「パン祖」と言われる由縁であり、この韮山製のパンは,保存食・非常食としても重宝で,韮山塾の門人を通じ全国に広まっていったということだそうだ。
江川坦庵は、江戸幕府の世襲代官江川家の36代目で、代官として活躍しただけでなく幕末期の黒船来航に象徴される国難の中、徳川幕府の中にあって、広い意味での「技術官僚」と言うよりは、技術に明るい行政官であり、開明的で、早くから開国と、海防体制の充実を主張していた人物のひとりで、西洋式産業技術の導入に積極的で、洋式砲、洋式銃を製造し、高性能の溶鉱炉「反射炉」を築造した。1853(嘉永6)年、ペリーの来航と開国要求は、鎖国を続けてきた幕府にとって大きな衝撃であったが、中でも、大砲を備えた黒船は軍事的に非常な脅威であった。これに対して、お台場(砲台)の設計や、築造の指揮に当たったのが江川坦庵であった。財政難のために途中で一部工事を中止したり、未着手に終わったものもあったが、坦庵の尽力により短期間に5つの台場を完成させた。坦庵は非常に多くの事蹟を残しており、本所の江川邸にやってきた佐久間象山やジョン万次郎らさまざまな人物との交流もある。代官所は韮山(現・静岡県田方郡韮山町)にあったが、役所を兼ねた江戸屋敷が本所(現・亀沢一丁目)にあり、また、坦庵が過労のため最期(1855=安政2年)を迎えたのも本所の地である。
坦庵は、当時最新の西洋式砲術を習得し、その教授をも行っているが、パンの製造も野戦の際などに用いるための携帯食としてのものであった。実際には、坦庵以前に日本におけるパン製造の例もあり、厳密な意味では坦庵を「パン祖」と呼ぶには、無理があるかも知れないが、、全国パン協議会により、坦庵に「パン祖」の称号が贈られ、韮山の江川邸内には「パン祖江川坦庵先生邸」と書かれた碑が建てられ、その功績が讃えられているのでここではその説に従っている。
1854(嘉永7年・安政元)年に鎖国が解かれると、横浜、神戸など港町を中心に、パン作りが広がった。徳川幕府が軍隊の洋式訓練と造船所建設をフランスに依頼したこともあり、フランスパンがまず登場した。その後、明治政府を支持したイギリスの影響により、イギリスパンが主流となる。また、外国人向けホテルの建設により、主食用のホテルパンが作られたが、パンが大衆に親しまれるようになったのは、現存するパン屋でもっとも古い「木村屋総本店」が銀座に開業し6年後に売り出した日本独特の「あんパン」が発売され、人気商品になった。この木村屋のあんパンのことは、先回私のBlog「あんぱんの日」に書いてるのでそこで見てください。第二次世界大戦後は、食生活の洋風化が進み、パンは米に次ぐ主食としてすっかり定着。今では、日本の製パン技術・パンの種類と品質は、恐らく世界のトップクラスにあると言われている。私なんかも、朝食は毎日パン食と決めている。神戸は、パン屋さんが多く、私の住んでいる小さな町でも犬が歩けばパン屋あり当たるじゃないけど、これらのパン屋が味を競っている。同じ食パンなどでもこんなに味が違うのかと思うほどに特徴がある。だから、毎朝パンを食べている私たちは、絶えず異なる店で買ってそれぞれの味を楽しんでいる。パンに紅茶・・・それが神戸の一般的な家庭の朝食スタイルではないだろうか・・・。
参考:
パンの話(パン食普及協議会)
http://www.fsic.co.jp/food/pan/default.htm
日本のパンの歴史
http://www.joho-kyoto.or.jp/~teramuch/machikado/taunshi/zuihitu/zuihitu010.htm
作家・佐々木譲氏の集英社新書WEBコラム
幕末・技術官僚の系譜 1(江川太郎左衛門英龍 早すぎた男)
幕末・技術官僚の系譜 2(第二回 逸材、江川太郎左衛門英龍)
ガイドプロフィール - [パン]All About・・・パンのことなら何でも・・
http://allabout.co.jp/gourmet/bread/profile/mbiopage.htm
今月の視点9911b/砂糖とパンについて
http://sugar.lin.go.jp/japan/view/jv_9911b.htm