1934(昭和9)年の今日(4月月21日)は、渋谷駅前の「忠犬ハチ公像」が完成した日。
秋田で誕生した子犬が、東京・渋谷に住む大学の先生、上野英三郎に貰われ、ハチと名づけられて、一緒に寝起きするほど可愛がられた。そんな上野博士が帰らぬ人となった後も、毎朝決まった時間に渋谷駅で主人を待つハチ公がいた。・・・いつしかそんなハチ公の噂が広まり、1932(昭和7)年10月4日の朝日新聞紙上に忠犬として報道された。新聞には「いとしや老犬物語 今は亡き主人の帰りを待ちかねる7年間東横電車の渋谷駅、朝夕真っ黒な乗降客の間に混じって人待ち顔の老犬がある。」という大きな記事が載ったそうだ。この記事で、ハチ公が一躍有名になったという。
そして、1934(昭和9)年の今日渋谷駅前に銅像が立てられ、上野博士の未亡人をはじめ各界の名士が参加し、除幕式が盛大に行われたが、この序幕式にはハチ公も参加し、自分の銅像を眺めていたそうである。一体、ハチ公は、どのような気持ちで、自分の銅像を眺めていたんだろうね~。
ハチ公は、その翌(昭和10)年3月8日死亡。当時11才というから、人間なら7~80才位になるんだろうね~。死後は、上野科学博物館に剥製が保存され、遺骨は青山墓地の上野博士の脇に埋められているそうである。太平洋戦争の中、昭和19年には、金属の不足から金属回収令が公布され、ハチ公の銅像も回収され姿を消したが、戦後の昭和23年には、再び渋谷駅前に2代目ハチ公像が再建されている。
この忠犬ハチ公の生涯を描いた映画「ハチ公物語」が1987(昭和62)年だったか、神山征二郎監督によって作られ、映画を見て涙した人もいるかと思うが、ハチ公が渋谷駅前にまで毎日出かけていたのは、主人の帰りを待つというのが目的だけじゃなく、その後、帰りに、駅前の飲み屋で焼き鳥などを貰えるという理由があったようだ。主人の死後も渋谷に出かけたのは、もちろん焼き鳥目当てであったと思う。ハチ公の死後一人歩きをはじめた忠犬物語は、しだいに戦争へと突き進む中で軍部によって、「主人に忠義を誓う」という美談にしたてて利用されていくことにもなる。ハチ公の死んだ翌(昭和11)年には、「恩ヲ忘レルナ」と題して尋常小学校の修身の教材になっているからね~。
ハチ公に主人の恩に報いるなどという気持ちがあったとは思わないが、犬には、本来、自分を可愛がってくれた主人への従順な気持ちは共通してあるようだね。太古の昔から、人間と一番長い期間共生してきた動物だから・・。だから、今は、ペットブームと言われているが、ペットの中でも犬は人間と一番親しい動物であると言える。
ハチ公は、秋田犬(あきたいぬ)で、国の天然記念物に指定されている6つの日本犬種のうちの大型犬種である。しかし、もともと、秋田犬の祖先犬は、「秋田マタギ」と呼ばれるマタギ犬(山岳狩猟犬)で、元来日本犬には大型犬は存在せず、秋田マタギも中型の熊猟犬であったようだ。それが、、昔、秋田地方で闘犬が盛んになり、体が大きく強い犬を望む人々の手によって、マタギ犬と土着犬又、後には、外国種犬などとのの交配が行われ大型犬となったようだが、大正時代に入って以降の再作出努力の結果日本犬種として天然記念物に指定されることになったと言う。犬は犬種によって、性格も異なり、色々と向きがあり、秋田犬などは、番犬に向いているんだろうね。最近は、家の中で飼う人が多く小形の外国の犬種が多く飼われているようだね~。私も家人も犬は大好きなので、飼いたいとの話はよくするのだが、毎日の散歩など世話をする自信がないので、残念ながら、結局、飼うのを諦めている。
ところで、余談だが、『忠犬ハチ公』という唱歌があったの知っている・・・おもちゃのマ-チ」などを作曲している小田島樹人氏作曲だと言うよ。下参考の『忠犬ハチ公』の歌があったってほんとう……?を見てみて・・。
(画像は、20世紀デザイン切手シリーズ第7集の「忠犬ハチ公」)
参考:
秋田犬 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%8A%AC
忠犬ハチ公と秋田犬
http://odate-machikyo.com/odate/akitainu.html
『忠犬ハチ公』の歌があったってほんとう……?
「忠犬ハチ公」を知っていますか?
http://www.jsidre.or.jp/hachi/hachi-ex.html
秋田で誕生した子犬が、東京・渋谷に住む大学の先生、上野英三郎に貰われ、ハチと名づけられて、一緒に寝起きするほど可愛がられた。そんな上野博士が帰らぬ人となった後も、毎朝決まった時間に渋谷駅で主人を待つハチ公がいた。・・・いつしかそんなハチ公の噂が広まり、1932(昭和7)年10月4日の朝日新聞紙上に忠犬として報道された。新聞には「いとしや老犬物語 今は亡き主人の帰りを待ちかねる7年間東横電車の渋谷駅、朝夕真っ黒な乗降客の間に混じって人待ち顔の老犬がある。」という大きな記事が載ったそうだ。この記事で、ハチ公が一躍有名になったという。
そして、1934(昭和9)年の今日渋谷駅前に銅像が立てられ、上野博士の未亡人をはじめ各界の名士が参加し、除幕式が盛大に行われたが、この序幕式にはハチ公も参加し、自分の銅像を眺めていたそうである。一体、ハチ公は、どのような気持ちで、自分の銅像を眺めていたんだろうね~。
ハチ公は、その翌(昭和10)年3月8日死亡。当時11才というから、人間なら7~80才位になるんだろうね~。死後は、上野科学博物館に剥製が保存され、遺骨は青山墓地の上野博士の脇に埋められているそうである。太平洋戦争の中、昭和19年には、金属の不足から金属回収令が公布され、ハチ公の銅像も回収され姿を消したが、戦後の昭和23年には、再び渋谷駅前に2代目ハチ公像が再建されている。
この忠犬ハチ公の生涯を描いた映画「ハチ公物語」が1987(昭和62)年だったか、神山征二郎監督によって作られ、映画を見て涙した人もいるかと思うが、ハチ公が渋谷駅前にまで毎日出かけていたのは、主人の帰りを待つというのが目的だけじゃなく、その後、帰りに、駅前の飲み屋で焼き鳥などを貰えるという理由があったようだ。主人の死後も渋谷に出かけたのは、もちろん焼き鳥目当てであったと思う。ハチ公の死後一人歩きをはじめた忠犬物語は、しだいに戦争へと突き進む中で軍部によって、「主人に忠義を誓う」という美談にしたてて利用されていくことにもなる。ハチ公の死んだ翌(昭和11)年には、「恩ヲ忘レルナ」と題して尋常小学校の修身の教材になっているからね~。
ハチ公に主人の恩に報いるなどという気持ちがあったとは思わないが、犬には、本来、自分を可愛がってくれた主人への従順な気持ちは共通してあるようだね。太古の昔から、人間と一番長い期間共生してきた動物だから・・。だから、今は、ペットブームと言われているが、ペットの中でも犬は人間と一番親しい動物であると言える。
ハチ公は、秋田犬(あきたいぬ)で、国の天然記念物に指定されている6つの日本犬種のうちの大型犬種である。しかし、もともと、秋田犬の祖先犬は、「秋田マタギ」と呼ばれるマタギ犬(山岳狩猟犬)で、元来日本犬には大型犬は存在せず、秋田マタギも中型の熊猟犬であったようだ。それが、、昔、秋田地方で闘犬が盛んになり、体が大きく強い犬を望む人々の手によって、マタギ犬と土着犬又、後には、外国種犬などとのの交配が行われ大型犬となったようだが、大正時代に入って以降の再作出努力の結果日本犬種として天然記念物に指定されることになったと言う。犬は犬種によって、性格も異なり、色々と向きがあり、秋田犬などは、番犬に向いているんだろうね。最近は、家の中で飼う人が多く小形の外国の犬種が多く飼われているようだね~。私も家人も犬は大好きなので、飼いたいとの話はよくするのだが、毎日の散歩など世話をする自信がないので、残念ながら、結局、飼うのを諦めている。
ところで、余談だが、『忠犬ハチ公』という唱歌があったの知っている・・・おもちゃのマ-チ」などを作曲している小田島樹人氏作曲だと言うよ。下参考の『忠犬ハチ公』の歌があったってほんとう……?を見てみて・・。
(画像は、20世紀デザイン切手シリーズ第7集の「忠犬ハチ公」)
参考:
秋田犬 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%8A%AC
忠犬ハチ公と秋田犬
http://odate-machikyo.com/odate/akitainu.html
『忠犬ハチ公』の歌があったってほんとう……?
「忠犬ハチ公」を知っていますか?
http://www.jsidre.or.jp/hachi/hachi-ex.html