今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

チャップリン

2005-04-16 | 人物
今日(4月16日)は、「チャップリンの誕生日」
1889(明治22)年のこの日、20世紀最大の映画監督であり、喜劇俳優であったチャールズ・チャップリン(Charles Chaplin)がイギリス・ロンドンの芸人の家庭に誕生した。アメリカのハリウッドに渡り、映画界に入る。そこで彼は独自の小さな浮浪者というキャラクターを創り出し、彼の「口ひげ、帽子、ステッキ、だぼだぼのズボン、大きなブーツ」という独特なスタイルを作り上げ、1915(大正4)年からお馴染みの「チャップリンの○○」シリーズが制作された。彼は、創造性豊かであり、又、自らの映画の脚本を書き、監督、プロデュース、音楽、出演を器用にこなした。そして「ライムライト」で1972年度アカデミー音楽賞と特別賞を4月16日の誕生日に受賞。1975年にはエリザベス女王より爵位(ナイト)の称号も受けている。1977年12月25日、スイス ヴヴェイで安らかに永眠する。<88歳>
映画は見れば分かるものだから音は不要とずっとパントマイムとサイレントにこだわって来たが1931(昭和6年)年製作の「街の灯」で初めてテーマ曲だけをサウンドで流した。 当時は「西部戦線異常なし」など次々にトーキーで公開され、サイレント映画は終焉の時期を迎えていたが、そんな中で「街の灯」は世界中で大ヒットとなる。この映画完成後、チャップリンは1年4ヶ月間にわたる世界一周の旅に出、各国で歓迎を受ける中、政界をはじめ各界の要人に会い世界の抱える問題について意見交換を重ねている。
この世界一周旅行も終わりに近い1932年(昭和7)に、チャップリンは日本を訪れている。1932年年5月14日7時45分、神戸港に到着した照国丸からチャップリンが神戸港に降りたったことを翌日の大阪朝日新聞は一面トップで大々的に報じている。数千人の歓迎を受け、女優夏川静江から花束を受取った一行は車で,神戸市のビジネスセンター,居留地などを抜けて料亭「菊水」で一服する。ここで、仲居10人が余興に「酋長の娘」などを三味線伴奏で和風ジャズ舞踏として踊ったところ、チャップリンはいたく喜んでアンコールを所望したという。この後、昼の12時25分神戸発の燕号に乗り、東京駅に入り、帝国ホテルに宿泊。翌15日、相撲見物の帰りに、2日後に会う予定だった犬養毅首相が暗殺されたことを知る。5.15事件の勃発だった。この事件では、首謀者の古賀清志海軍中尉が、後日の軍法会議でアメリカの「有名人であり資本家どものお気に入りである」チャップリンを殺すことで「アメリカとの戦争を惹き起こせると信じた」と陳述し,チャップリンも犬養首相とともに暗殺する計画があったことを暴露している。6月帰国。この旅の中で次作「モダン・タイムス」、「チャップリンの独裁者」、「ライムライト」などのヒントを得たという。
私が、中学生の頃だったと思うが、学校から団体で、「モダン・タイムス」を見にいった記憶がある。不況の時代を生き抜く人々の姿を面白おかしく描きながら、機械化時代への警告と風刺を込めて製作したチャップリン最後のサイレント作品であるが、ラスト近く、レストランの給仕が即興で歌う場面があった。何語ともつかぬ即興の言葉での歌が非常におもしろかった。『モダンタイムズ』の撮影を終えたチャップリンは、共演したポーレット・ゴダードとシンガポールで結婚し、アメリカへ帰る途中の1936年3月6日、客船クーリッジ号で又、神戸に立ち寄っている。「お忍び」の旅行だったため、新聞報道はなかったが、映画解説で有名だった神戸の淀川長治さん(当時、ユナイテッド・アーチスツ社大阪支社の社員)が、船上デッキで面談したという。
この後、「チャップリン独裁者」で戦争そのものを否定し、また、戦争の名のもとに大量殺戮を正当化する国家を批判したこの作品で、チャップリンは非米活動委員会から共産主義支持者とみなされる。そして、自分に対するアメリカ国家や大衆の厳しい批判の中、63歳の時に、この作品を生涯最高かつ最後の作品にすることを意識して製作、事実、ハリウッド最後の作品となる「ライムライト」を製作。この映画ではメークアップせず殆ど素顔のままで出ている。この素顔のチャップリン・老芸人が、自殺未遂の踊れぬ踊子・・・人生に絶望し、生きていくことが信じられず、世の中のすべてが無駄で、花を見ても音楽を聴いてもなにもかも無意味に思う・・・少女テリーをさとしながら力づける場面がすばらしく感動を呼ぶ。この映画のプレミアショーをロンドンで10月にする予定で、チャップリン一家は9月に、ニューヨークを発つが出航2日後、船に無線で再入国許可の取り消しが伝えられ、帰米できなくなり、スイス、レマン湖に近いヴヴェイに住み着くこととなる。 翌年1月に「ライムライト」がアメリカで封切られたが、多くの国民の激しい阻止運動によりたちまち上映中止になったという。「ライムライト」上映へのアメリカ国民の阻止運動が続く中、ハリウッド外国記者協会はこの作品を高く評価し、功労賞を授与、父の代理でチャールズ・チャップリンJr.が受け取る。 しかし、チャップリンは2度とアメリカへは戻らない決心を固めて、再入国許可申請を放棄した。 
チャップリンは映画のなかで、数々の名言を残しているが、私の好きな台詞が、『ライムライト』のなかに出て来る以下の台詞である。
「人生を恐れてはいけない。大切なのは勇気だ、想像力だ。」
「人生には、死よりも苦しいことがある。それは生きつづけることだ。人間が生きるためには少しばかりの勇気と、少しばかりのお金があればいいんだよ。」
この映画でチャップリンは、老いた売れない喜劇役者。酒びたりで、人生を捨てたような暮らしをしていた。それでも足に障害を負った若いバレリーナと知り合い、自身のバイオリンを質に入れてまで、彼女の舞台復帰を助けようと奮起する。そして、ついに彼女は舞台に復帰してスターに。そのエンディングでは、彼女が用意した舞台の上で、老いた喜劇役者はライトを浴びて輝いた。この映画の「ライムライト」とは、主役に当たる、当時の舞台用照明ライトのことなのである。
お金がなくても、勇気と想像力をもって努力さえすれば、必ず、自分の人生が切り開けるものだ。そう、チャップリンは言いたいのだろう・・、私もそう思う。
(画像は、映画「ライムライト」パンフレットより抜粋)
参考:
照 国 丸
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19391121terukuni/terukuni.htm
チャップリンと会う! その1
http://homepage1.nifty.com/Kinemount-P/yodogawa-meetschaplin.htm
よーさんの我楽多部屋の神戸のこといろいろ「No61チャップリン、映画発祥の地神戸へ上陸」
http://www.geocities.jp/yousan02/kobenokoto-013.htm
絶対価値・相対価値
http://www.kachijiten.com/kachi/kachi2/absolute_value/absolute_value2.htm