今日(4月月10日)は「女性の日」
労働省(現在の厚生労働省)では、我が国の女性が初めて参政権を行使した昭和21年4月10日を記念して、昭和24年以来、4月10日に始まる一週間を「婦人週間」と定め、女性の地位向上のための啓発活動を全国的に展開している。(1998(平成10)年から、「女性週間」に改称)その第1日目である。
婦人参政権は1945(昭和20)年12月の衆議院選挙法改正により実現した。第二次世界大戦後、日本に対する一連の非軍事化・民主化の諸改革は、・マッカーサー元帥を連合軍最高司令官とし、彼を政策的に補佐するGHQ(総司令部)を背景に、占領軍の主導によってなされた。そして、すでに、マッカーサー元帥は、同年10月、幣原首相に対して、日本民主化のための「五大改革指令」を発し、その第1に婦人の解放を挙げていた。その意味では、婦人参政権もGHQの民主化政策の一環と見ることが出来るが、一方では市川房枝他の婦選獲得同盟など戦前からの婦人参政権運動の成果でもあった。これらを踏まえ第89回臨時議会で衆議院議員選挙法改正案が提出され、12月15日に成立、17日 に公布され20才以上の男女に平等な選挙権が認められ、翌昭和21年4月10日に戦後第1回総選挙で初の婦人参政権 が行使され、89人の婦人が立候補し、一挙に39人の婦人議員が誕生した。この第1回総選挙の投票率は、男78.52%に対し、女66.97%であった。女性にとって重要なこの選挙の投票率が男性よりも低いのは、この当時、大変な食糧難時代であり、戦争で男手を失って選挙どころではない女性も多かったのであろう。この第1回総選挙では、婦人運動家の市川房枝は、疎開先の登録漏れによって立候補できなかったとか・・・。初代女性議員の中には加藤シズエ、松谷天光光(まつたに・てんこうこう) 、山口シズエ、山崎道子などがいた。
しかし、当時の新聞への投書(5月6日付朝日新聞「声」欄)の中には、「婦人代議士のずらりと並んだ顔の多くが、どうも働く私たちの見方ではないように思えるのです。ある婦人代議士は自家用車で書生2人もお伴にしてあるくとあっては、真に自分たちの見方として1票を投じた勤労女性、生活にあえぐ主婦たちは裏切られたという感じがいたします。どうか私たちの生活の中にとけあって共に感じ、そして戦っていただきたいのです」・・というものがある。雑誌などでは、衆議院議員に当選した加藤シズエの、もんぺに下駄履き姿での選挙活動なども見られるのだが、貧困に喘いでいる庶民が多い中、そのような庶民の気持ちも理解できない議員も多く居たのだろう。その為か、第2回の女性議員の当選者は15人に激減している。
兎に角、新憲法も成立し、衆議院選挙での女性議員の当選他、昭和21年以降、警視庁において初の婦人警察官の採用 (昭和21年4月)、労働基準法の制定(昭和22年4月7日男女同一賃金、女子保護規定の明確化)、教育の機会均等を定めた教育基本法(昭和22年3月31日)及び学校教育法の制定、姦通罪の廃止(刑法第183条が昭和22年法第123号により削除)、 第1回公務員採用試験での女性の合格(30名、昭和24年2月)等々もあり、労働省も婦人参政権の行使の日を記念し、「婦人週間」と定め、女性の地位向上のための啓発活動を全国的に展開してきた。
1946(昭和21)年の東宝映画、「わが青春に悔いなし」は黒澤明監督の戦後第1作であるが、この映画のラスト部分、原節子扮するヒロインの幸枝が世間の冷たい仕打ちに耐え、自立していくくだりは、当時のアメリカの検閲官が絶賛したという。原の演じる幸枝は理知的で意思の強い自己主張にあふれる女性で、それまでの、日本映画に登場していた強い男のかげで健気に生きる従順なタイプの女性とは対照的なヒロインとして描かれていた。当時の女性の自立を促したもので、流石、黒澤監督といったところか・・・。
このヒロインではないが、戦後、靴下と女性が強くなったとよく云われるが、特に、去年のオリンピックなどでの女子選手の活躍等を見ていると本当にそう思う。ただ、政治家としては、目だった活躍をしている女性議員が見られないように思うのだが、これは、永田町のおじいさんたちの女性差別のせいだろうか。それと、女性が、逞しくなったのは良いのだが、その分、女性から女性らしさが薄れたのは、ちょっと、寂しいような気がするが・・・これは、戦後軟弱になった男のひがみ根性かな・・・??m(。-_-。)m
(画像は黒澤明監督作品「わが青春に悔いなし」ポスター画絵葉書。)
参考:
執務提要
http://www.gender.go.jp/danjyo_kihon/situmu1-1.html
解説「占領と五大改革指令」
http://www.geocities.jp/michio_nozawa/gendai1.html
市川房枝年譜
http://www.ichikawa-fusae.or.jp/040/main5.htm
労働省(現在の厚生労働省)では、我が国の女性が初めて参政権を行使した昭和21年4月10日を記念して、昭和24年以来、4月10日に始まる一週間を「婦人週間」と定め、女性の地位向上のための啓発活動を全国的に展開している。(1998(平成10)年から、「女性週間」に改称)その第1日目である。
婦人参政権は1945(昭和20)年12月の衆議院選挙法改正により実現した。第二次世界大戦後、日本に対する一連の非軍事化・民主化の諸改革は、・マッカーサー元帥を連合軍最高司令官とし、彼を政策的に補佐するGHQ(総司令部)を背景に、占領軍の主導によってなされた。そして、すでに、マッカーサー元帥は、同年10月、幣原首相に対して、日本民主化のための「五大改革指令」を発し、その第1に婦人の解放を挙げていた。その意味では、婦人参政権もGHQの民主化政策の一環と見ることが出来るが、一方では市川房枝他の婦選獲得同盟など戦前からの婦人参政権運動の成果でもあった。これらを踏まえ第89回臨時議会で衆議院議員選挙法改正案が提出され、12月15日に成立、17日 に公布され20才以上の男女に平等な選挙権が認められ、翌昭和21年4月10日に戦後第1回総選挙で初の婦人参政権 が行使され、89人の婦人が立候補し、一挙に39人の婦人議員が誕生した。この第1回総選挙の投票率は、男78.52%に対し、女66.97%であった。女性にとって重要なこの選挙の投票率が男性よりも低いのは、この当時、大変な食糧難時代であり、戦争で男手を失って選挙どころではない女性も多かったのであろう。この第1回総選挙では、婦人運動家の市川房枝は、疎開先の登録漏れによって立候補できなかったとか・・・。初代女性議員の中には加藤シズエ、松谷天光光(まつたに・てんこうこう) 、山口シズエ、山崎道子などがいた。
しかし、当時の新聞への投書(5月6日付朝日新聞「声」欄)の中には、「婦人代議士のずらりと並んだ顔の多くが、どうも働く私たちの見方ではないように思えるのです。ある婦人代議士は自家用車で書生2人もお伴にしてあるくとあっては、真に自分たちの見方として1票を投じた勤労女性、生活にあえぐ主婦たちは裏切られたという感じがいたします。どうか私たちの生活の中にとけあって共に感じ、そして戦っていただきたいのです」・・というものがある。雑誌などでは、衆議院議員に当選した加藤シズエの、もんぺに下駄履き姿での選挙活動なども見られるのだが、貧困に喘いでいる庶民が多い中、そのような庶民の気持ちも理解できない議員も多く居たのだろう。その為か、第2回の女性議員の当選者は15人に激減している。
兎に角、新憲法も成立し、衆議院選挙での女性議員の当選他、昭和21年以降、警視庁において初の婦人警察官の採用 (昭和21年4月)、労働基準法の制定(昭和22年4月7日男女同一賃金、女子保護規定の明確化)、教育の機会均等を定めた教育基本法(昭和22年3月31日)及び学校教育法の制定、姦通罪の廃止(刑法第183条が昭和22年法第123号により削除)、 第1回公務員採用試験での女性の合格(30名、昭和24年2月)等々もあり、労働省も婦人参政権の行使の日を記念し、「婦人週間」と定め、女性の地位向上のための啓発活動を全国的に展開してきた。
1946(昭和21)年の東宝映画、「わが青春に悔いなし」は黒澤明監督の戦後第1作であるが、この映画のラスト部分、原節子扮するヒロインの幸枝が世間の冷たい仕打ちに耐え、自立していくくだりは、当時のアメリカの検閲官が絶賛したという。原の演じる幸枝は理知的で意思の強い自己主張にあふれる女性で、それまでの、日本映画に登場していた強い男のかげで健気に生きる従順なタイプの女性とは対照的なヒロインとして描かれていた。当時の女性の自立を促したもので、流石、黒澤監督といったところか・・・。
このヒロインではないが、戦後、靴下と女性が強くなったとよく云われるが、特に、去年のオリンピックなどでの女子選手の活躍等を見ていると本当にそう思う。ただ、政治家としては、目だった活躍をしている女性議員が見られないように思うのだが、これは、永田町のおじいさんたちの女性差別のせいだろうか。それと、女性が、逞しくなったのは良いのだが、その分、女性から女性らしさが薄れたのは、ちょっと、寂しいような気がするが・・・これは、戦後軟弱になった男のひがみ根性かな・・・??m(。-_-。)m
(画像は黒澤明監督作品「わが青春に悔いなし」ポスター画絵葉書。)
参考:
執務提要
http://www.gender.go.jp/danjyo_kihon/situmu1-1.html
解説「占領と五大改革指令」
http://www.geocities.jp/michio_nozawa/gendai1.html
市川房枝年譜
http://www.ichikawa-fusae.or.jp/040/main5.htm