今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

花祭り

2005-04-08 | 行事
今日(4月8日)は、「花祭り」
花祭りは釈迦の降誕を祝して行う法会。潅仏会(かんぶつえ)また仏生会(ぶっしょうえ)といい、灌仏会を花祭りと呼ぶのは一般には浄土宗・浄土真宗系のお寺が多いようだが、元々はこれは仏教の灌仏会と、民間行事の花祭りとが合体してできたのではないかとも言われており、明治後期頃から「花祭り」と呼ばれるようになったようである。
各地の寺ではお堂を花で一杯に飾り、花御堂(はなみどう)を設け金属製の釈迦の立像を中央に安置し、参詣者が御像に竹の柄杓で甘茶を潅(そそ)ぐ行事なので「潅仏会」といわれる。花御堂は釈迦が生まれたところルンピニ園の花園を表している。昔、子供の頃、花祭りになると、おじいさんに連れられてお寺へ行ったのを思い出す。その時は、たしか、作り物の白い象の上に花で飾った輿にのせた誕生仏を乗せてパレードし、その行列の後をついて回った記憶がある。この象は、お釈迦様のお母さんの麻耶夫人が白い象が体内に入る夢を見てお釈迦様を妊娠したという伝説にもとづき作られたものと聞いている。又、参拝の後で、甘茶も飲ませてもらった。味はよく覚えていないがちょっと甘かったことだけは覚えている。甘茶をかけるのは、釈迦の誕生の時9つの龍が天から清浄の水を注ぎ産湯を使わせたという伝説に由来するものだそうだ。関西では月遅れの5月8日に行われる。
しかし、私の家は、もともと儀祖父とは、宗派も異なり、お寺で、このような「花祭り」の行事はしない。
釈迦の誕生の像として、花祭りで使われている童子の釈迦像は、一方の手で天、もう一方で地を指す姿は、釈迦が誕生したときに、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊 (Wikipedia)」と言ったという逸話から出てきたものであり、しばしば釈迦を崇める言葉として使われる。
しかし、誕生仏は、形式的には、両手垂下と片手挙げの2種類が存在しているらしいが、実際には、2形式とも誕生そのものを表したものではないそうだ。詳しくは知らないが、誕生仏の2形式の内、両手垂下形式像は、5世紀を下らない時期に早くも作られなくなり、片手挙げ形式像は、5世紀後半以後に、中国、そして、多くは、朝鮮、下っては、日本で作られたそうである。(以下参考の釈尊の図像より)
私は、何かの本で読んだ記憶はあるのだが、「釈迦」は死に際して、弟子達に「私の姿を具現化し、それを崇めることをしてはならない」と言い残したと言われているそうだ。そして、釈迦が入滅したのは、今から約2500百年前,その後、仏像が造られ始めたのは約2000年前、ギリシャなどとの交流により、神々を具現化し信仰の象徴とする様になり、元来インドには存在しない神(ギリシャの神々)をも取り入れ、釈迦の像も造られてしまったとのことである。釈迦(Wikipedia)は修行ののち,悟りを開いてブッダ(Buddha)になった。ブッダとは「悟りを開いた人」という意味である。これが、中国に入り、「ブッダ」を中国語訳せず,「ブッダ」という音から「仏陀」という漢字を当てた。この「仏陀」が省略されて「仏(ぶつ,ほとけ)」という言葉になった。そのため作られた「仏像」は、「ほとけの像」,狭い意味では悟りを開いた釈迦のことを指すようになった。
だから、仏像と言えば、「仏」、「釈迦」のはずが、次第に、仏になるための修行をするもの(菩薩)の像も出来てきて、今では、非常に多くの種類の仏像が出来ている。この、仏像の数の多さには西欧人も驚いているのではないだろうか。
「釈迦」悟りを開く為に修行をした人、言い換えれば、菩薩のはずである。その釈迦の仏像を作り、崇めることを許さなかったからこそ、お釈迦様は偉かったのだと思うのだが・・・。
(画像は花祭りの釈迦の立像)
参考:
仏教
http://www.city.ogaki.gifu.jp/johokobo/whatsnew/info_107/mmkon/hp/06/bukyo.htm
花見と花祭り
http://www.ffortune.net/calen/hana/
釈尊の図像(イメージ)
http://museum.city.fukuoka.jp/je/html/191-200/191/191_02.html
年中行事再考8 甘茶を仏像にかける「花祭り」って何だ?
http://deva.aleph.to/documents02/event08.html