goo blog サービス終了のお知らせ 

公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

森山加代子さん死去(東京新聞:2019年3月6日 21時32分)

2019-03-08 04:00:04 | その他
 「白い蝶のサンバ」は民放ラジオにおける『懐メロ』の定番曲。


早口言葉のような出だし、という歌は、白い蝶のサンバと寺尾聰のHABANA EXPRESSが思い出される。




[ 2012年3月4日 06:00 ]


 ★70年3月ランキング★
1 白い蝶のサンバ/森山加代子
2 女のブルース/藤圭子
3 逢わずに愛して/内山田洋とクールファイブ
4 国際線待合室/青江三奈
5 恋ひとすじ/森進一
6 ドリフのズンドコ節/ザ・ドリフターズ
7 恋狂い/奥村チヨ
8 黒ネコのタンゴ/皆川おさむ
9 恋人/森山良子
10 白い色は恋人の色/ベッツィ&クリス
注目老人と子供のポルカ/左ト全とひまわりキティーズ
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。

【白い蝶のサンバ/森山加代子】

 2年間、レコードを出していなかった元売れっ子歌手が再起をかけてこの曲にすべてを懸けた。

 1960年にデビューした森山加代子のメジャーシーン復帰第1弾シングル。出だしの「あなたに抱かれて私は~」の早口言葉のような歌い方が特徴で、オリコンチャート3週連続1位。48万枚のレコードセールスを記録した。作詞まだ駆け出しといっていい時代の阿久悠。初期の代表作に数えられる作品だった。

 16歳でデビューした森山は洋楽カバー歌手としてスタート。「月影のナポリ」「メロンの気持ち」「じんじろげ」などのヒット曲を連発し紅白歌合戦にも4回出場。「かよちゃん」と呼ばれ男性からの人気は高かった。人気のあった坂本九ともコンビを組み、休みなしでスケジュールをこなす日々が続いた。

 ところが、人気も陰りをみせ、ヒット曲も出なくなると、いつの間にか中央のスポットライトが当たらない場所へと追いやられていった。好きなジャズを勉強しつつ、地方などでのいわゆる“営業”活動が中心となっていた69年。森山はかつて所属していたバンドのリーダーで、第1回の日本レコード大賞受賞歌手・水原弘と再会したことがきっかけで、復活の話が持ち上がった。

 水原から「もう一度頑張ってみたら」の声に押されて、レコード会社をコロンビアに代えて心機一転。テレビ、ラジオに積極的に出演する大々的なプロモーションをかけてヒットにつなげた。

 奇跡のカムバックと言われた中で、「これがまぐれではないことを証明したい」と意気込んだが、「白い蝶の…」の後はヒットが続かず、森山かよ子、KAYOなどと改名して、3度目を狙ったが、芸能界はそんなに生易しいところではなかった。

 ただ、曲だけは歌い継がれ、最近では島谷ひとみ、モーニング娘。などがカバーしている。






2019年3月6日 21時32分

 「白い蝶のサンバ」などのヒット曲で知られる歌手の森山加代子(もりやま・かよこ、本名林紀代子=はやし・きよこ)さんが6日午後4時51分、がんのため東京都品川区の病院で死去した。78歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は夫林正和(はやし・まさかず)氏。

 札幌市のジャズ喫茶でスカウトされ、1960年に「月影のナポリ」でデビュー。「メロンの気持」「じんじろげ」「パイのパイのパイ」など、洋楽のカバー曲やコミカルな歌で人気を得た。阿久悠さんが作詞し、早口のような歌い出しの「白い蝶のサンバ」(70年)が大ヒット。NHK紅白歌合戦に4回出場した。

(共同)
















この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三菱重工の韓国内資産:8億40... | トップ | 3/8 日本・アジア主要株式指数 »
最新の画像もっと見る

その他」カテゴリの最新記事