女子パークで銀メダルを獲得した開心那(左)。中央は金メダルを獲得したオーストラリアのアリサ・トルー(中央)、右は銅メダルを獲得した英国のスカイ・ブラウン
スケートボード女子パーク 開心那が銀 2大会連続のメダル 五輪 2024年8月7日 6時28分
パリオリンピックのスケートボード、女子パークの決勝が行われ、15歳の開心那選手が2大会連続となる銀メダルを獲得しました。オリンピック初出場で予選3位だった16歳の草木ひなの選手は、3回ともに空中技で失敗し8位でした。
スケードボードのパークはすり鉢状のコースを45秒間滑って、技の難度や構成などを競います。
パリ中心部のコンコルド広場で6日に行われた女子の決勝には予選上位の8人の選手が出場し、3回の「ラン」のうち、もっとも高い得点でメダルを争いました。
このうち前回の東京大会で銀メダルを獲得し、予選トップで決勝に進んだ15歳の開選手は1回目の「ラン」で前輪の車軸部分を滑らせる「ノーズグラインド」など難度の高い得意技を成功させて91.98をマークし、トップに立ちました。
開選手は全員が2回目の「ラン」を終えた時点でもトップでしたが、最後の3回目で、日本人の母親を持つオーストラリアのアリサ・トルー選手が空中で横に1回転半する「540」を2回決めて93.18を出し逆転されました。
また同じく日本人の母親を持つイギリスのスカイ・ブラウン選手も、高さのある空中技を次々と決めて92.31をマークし、ともに開選手を上回りました。
そして最後に3回目の「ラン」を行った開選手は自身の代名詞ともいえる「ノーズグラインド」のほか、空中技も追加し、92.63と得点を伸ばしましたがトルー選手には届かず、2大会連続で銀メダルとなりました。
この結果、オーストラリアのトルー選手が金メダル、イギリスのブラウン選手が2大会連続の銅メダルとなりました。
開「自分の出したいものを出し切れた」
開選手は「メダルを取れてうれしい気持ちもあるが、また銀メダルであと一歩、届かなかったので悔しい気持ちもある」と心境を話しました。
その上で「東京大会の時は最後にミスをして力を出し切れなかったが、今大会は自分の出したいものを出し切れたのでうれしい」と笑顔を見せました。
また、最後の「ラン」を終えてガッツポーズを見せたことについて、「難しい組み合わせを詰め込んでいて、練習でもできていなかったので、滑り終えて安心し、うれしかった」と話しました。
そして「前回の東京大会からの3年は、あっという間でここに来るまでも激しい戦いだった。次のロサンゼルス大会も出場できるように頑張りたい」と話していました。
「自分らしいスタイル」 2大会連続の銀メダル
開心那選手は「自分らしいスタイル」をひたすら磨き続け、パリオリンピックに挑みました。
開選手は12歳で出場した東京大会で、日本選手史上最年少のメダリストとなりました。そのスタイルは派手なエアが主流となっている女子パークの中で、異彩を放っています。
得意とする「ノーズグラインド」をはじめとするコースの縁にボードや車軸を滑らせる“リップトリック”を軸に、コース取りもほかの選手が使わないルートを選ぶなど常にオリジナリティーを追い求めてきました。
このこだわりについて開選手は「動画でも写真でも一目見ただけで『あ、心那だ』と分かってもらえるようなスケーターになりたい」と理想を語っていました。
さらに、12歳だった東京大会からこの3年で身長がおよそ20センチ伸びたことも滑りに好影響を与えました。
開選手は「身長が伸びたことでボードを踏む力が強くなったので、前よりスピードが出しやすくなった」と分析し、国際大会で使われるような高低差が大きいコースでもさまざまな場所で技が出しやすくなったとその変化を説明します。
さらにスピードが出るようになったことで、これまで苦手としてきたエアもより高く飛べるようになり、滑りのバリエーションが増しました。
開選手を小さいころから知る札幌市のスケートボード場の高木啓吾さんは「自分の中で目標を立ててずっと練習を続けているのがすごいところ」と、誰にもまねできない滑りは努力に裏打ちされたものだと証言します。
「スケートボードを知ってる人も知らない人も関係なく『楽しそう』『かっこいい』と思ってもらえるような滑りをしたい」と、オリンピックでの目標を掲げてきた開選手。
自分らしさを貫いた滑りは2度目のオリンピックの舞台でも、ひときわ輝きを放ちました。
地元の恩師や仲間たちも祝福
開選手が通っている札幌市中央区の施設には、指導者や後輩などおよそ50人が集まり競技の様子を見守りました。集まった人たちは手作りのボードを掲げて応援し、2回目の銀メダルに拍手を送っていました。
開選手を指導した高木啓吾さんは「パリに向けて追求してきた心那らしいかっこいい滑りを見せてくれた。『銀メダルおめでとう』と伝えたい」とねぎらいました。
開選手とともに練習している小学5年生の男の子は「すごいプレッシャーの中技を成功させてすごかった。スターのような存在です」と話していました。
草木「悔いはないが、悔しい」
一方、オリンピック初出場で予選3位だった16歳の草木ひなの選手は、3回ともに空中技で失敗し8位でした。
草木選手は「いつもと違う空気ですごく緊張したが楽しかった。自分がやりたかった“攻めること”はできたので悔いはない。でも、悔しいです」と話していました。
「人一倍攻めて、人一倍スピードを出す」
「鬼のようなスピード」からつけられた異名は“鬼姫”。
東京オリンピックのあとに急成長した草木ひなの選手は、常に笑顔で人一倍攻めるという持ち味を初めてのオリンピックの舞台でも十分に発揮しました。
スピードに乗った滑りでコースを疾走し、高さのあるエアから得意の1回転半する大技「540」を繰り出す。草木選手の魅力は、その迫力ある滑りと、失敗を恐れない思い切りのよさにあります。
子どものころからダンスや水泳などさまざまなスポーツに取り組んできた草木選手の持ち味のスピードは、身体能力の高さに裏打ちされています。
ただ、いちばんの成長のきっかけは、小さい頃から通う地元の茨城県つくば市のスケートボード場で、大人たちと一緒に滑っていた経験だといいます。
草木選手が「周りのスケーターたちの滑りがかっこよくて、ああいう風になりたいと思って一緒に滑るのが好きだった。人一倍攻めて、人一倍スピードを出す、今の仲間にかっこよくなったと言われるスケーターを目指したい」とみずからの滑りの原点と目標を語っていました。
しかし、パリオリンピックの選考レースの期間中には、その攻めの気持ちを見失ってしまったこともありました。
ことし5月に中国で行われたパリオリンピック予選シリーズの第1戦、草木選手は準決勝で得意の「540」を温存して得点が伸びず、決勝進出を逃しました。
この時のことについて草木選手は「パリオリンピックに出なければならないという圧を自分自身にかけてしまった。緊張もしてしまい、攻めることができなかった」と振り返りました。
しかし、選考レースの最終戦となったハンガリーでの予選シリーズ第2戦では「自分が1番楽しめればそれでいい」と切り替え、予選から「540」を繰り出すなど、楽しんで攻める自分のスタイルを取り戻しました。
壁にぶつかりながらも力強く乗り越えていく16歳はオリンピック本番に向けて掲げた目標も「かまします」という草木選手らしい言葉でした。
決勝の舞台では3回とも完璧に決めることはできませんでしたが、「人の心に残るスケートボードがしたい」という思いの込もった滑りは、初めてのオリンピックの会場を魅了しました。
健闘たたえ合う姿はパリでも
スケートボード女子パークでは、前回の東京大会に続いて選手どうしがお互いの健闘をたたえ合う姿がたびたび見られました。
スケートボードが初めて採用された東京大会の女子パークでは、メダル獲得を逃したものの難度の高い技にチャレンジし続けた選手にほかのチームの選手たちが駆け寄ってたたえたシーンが注目されました。
今大会でもオーストラリアのアリサ・トルー選手の金メダル獲得が決まったあとライバルたちが笑顔で抱き合って祝福したほか、競技中にもお互いの健闘をたたえあう姿がたびたび見られました。
また東京大会の金メダリストの四十住さくら選手は、今大会の予選で自分の「ラン」を終えたあと、これから滑るほかの選手たちについて「決勝には進みたいが人の失敗は祈りたくない」と話していました。
選手たちはオリンピックの舞台でメダルを競い合う中でもお互いを尊重し、自分のベストを追求するという姿勢を今大会も貫いていました。
日本ルーツの2人も表彰台へ
開選手とともに表彰台に立ったのは、ともに日本にルーツのある2人の選手でした。
金メダルを獲得したオーストラリアの14歳、アリサ・トルー選手は高さのあるエアから繰り出す1回転半する大技「540」が持ち味で、ことし5月と6月に行われたアーバンスポーツのオリンピック予選シリーズで2戦連続で優勝し、パリオリンピックの金メダル候補となっていました。
母親は岐阜市出身の愛子さんで、トルー選手はオーストラリアのケアンズで生まれ、ゴールドコーストに移り住みました。
愛子さんによりますと、小さいころから運動神経がよく「たくさん友達を作ってほしい」という思いから7歳頃からスケートボードを始めたということです。
ゴールドコーストはスケートボード場が多く、楽しみながら毎日のように練習をして実力を高めていったということです。
1年に1回は日本を訪れ、お茶漬けやどら焼きなどの日本の食べ物が大好きで日本語も勉強中。ともに表彰台に立った開選手とも仲がいいということです。
トルー選手は金メダルを獲得したあとのインタビューに対し「パフォーマンスに満足しているし、とてもエキサイティングだった。日本の選手たちとスケートボードをするのはとてもクールで楽しいし、彼女たちの滑りを見るのも大好きだ」と話していました。
“スケートボードは1つの大きな家族”
一方、2大会連続で銅メダルを獲得したイギリスのスカイ・ブラウン選手も母親が日本人です。宮崎県で生まれ、3歳のときにスケートボードとサーフィンを始めました。
3年前の東京大会では13歳で銅メダルを獲得し、イギリスの選手として史上最年少のメダリストとなりました。
16歳になって臨んだ今回のパリ大会は春にけがをしたひざの状態が万全ではない中での出場となり、予選でも肩を痛めるアクシデントがありました。
それでも決勝では高さのあるエアと多彩なトリックで、会場の観客からは一番の大声援を受けていました。
ブラウン選手は「友達と一緒に表彰台に上がれてうれしいし、とても満足している。肩の問題もあり大変だったが、この瞬間は本当に幸せだ。日本のスケーターたちは親友であり、彼女たちはスケートボードのレベルアップに貢献している。彼女たちと同じ世代で戦えてうれしい」と話していました。
そして成功しても失敗しても互いにたたえ合う姿については「私たちはお互いを必要としているし、一緒にレベルアップしている。そのおかげで成長できる。お互いが何をしているかを見ながら一緒に大きくなっていく、スケートボードは1つの大きな家族だ」と、その魅力を語りました。