
未知のウイルスを探せ!ウイルスハンターにNHK取材班が同行 NHK 2025年5月20日 16時00分
世界的な大流行を引き起こし、多くの感染者、死者を出した新型コロナウイルス。
野生動物にルーツのあるウイルスが何らかのきっかけでヒトで広がり、「パンデミック」につながったと考えられている。
ヒトに感染するリスクのある未知のウイルスを見つけ出し、先回りしてワクチンや治療薬を開発することで次のパンデミックに備えようと、日本の研究者が中心となったプロジェクトが始動している。
研究者たちが向かったのはベトナム北部。
調査チームに同行したNHKの取材班が「ウイルスハンティング」の現場を追った。
(科学文化部 記者 三谷維摩)
クローズアップ現代(5月21日放送予定)ネクスト・パンデミック 新たな感染症にどう備える
中国国境に行きたい
今回、調査チームが訪れたのはベトナム北部・ラオカイ省。
中国南部・雲南省と国境を接する山岳地帯だ。
調査チームを率いるのは、東京大学医科学研究所の佐藤佳教授。
全国各地の若手研究者をまとめて新型コロナウイルス研究のネットワークを立ち上げ、「デルタ株」、「オミクロン株」など次々に出現した変異ウイルスの性質を解明。
科学雑誌の「ネイチャー」や「セル」に次々と論文を発表し、世界から注目を集めたウイルス学者だ。
なぜ、ベトナム北部なのか。隣接する中国・雲南省を中心とした地域では近年、新型コロナウイルスに近縁の新種のコロナウイルスが多く見つかっている。
2000年代の初頭、中国や東南アジアなどで8000人以上が感染し、700人を超える死者を出した重症急性呼吸器症候群=「SARS」も、同じコロナウイルスの仲間だ。
佐藤教授
「中国で調査ができれば一番いいのですが、現状では非常に難しい。ラオカイ省は中国国境に接しているので、次のパンデミックにつながる可能性のある未知のウイルスが見つかる可能性もある」
野生動物を捕まえるといっても、手当たりしだいに捕まえるわけではない。
ターゲットとなるのはコウモリ、中でも「キクガシラコウモリ」という種類だ。
キクガシラコウモリは自然状態でコロナウイルスを持つ「宿主」で、SARSのウイルスも新型コロナウイルスも、このコウモリの持っていたウイルスにルーツがあると考えられている。
ベトナム・サパの洞窟へ
ラオカイ省の観光地として知られるサパの町は石灰岩の山に囲まれ、コウモリが生息する洞窟が数多く存在する。ウイルスハンティングの場所として重要な条件がそろったところなのだ。
5月12日。調査チームがサパに到着した。
佐藤教授とともに調査・研究にあたるのは、ベトナムにある長崎大学熱帯医学研究所ベトナムプロジェクト拠点と、地元ベトナム科学技術アカデミーの研究者たち。
チームは早速、自然公園の中にある大量のコウモリが生息するという洞窟に向かった。
佐藤教授はウイルスの専門家だが、コウモリの専門家ではない。
コウモリ捕獲のプロフェッショナルとして調査に協力してくれたのは、25年以上コウモリの研究をしているベトナム科学技術アカデミーのブー・ディー・トン博士だ。
コウモリは日中、洞窟などにいて、夕方になると餌を求めて外に飛び出してくる。
ブー博士の「コウモリ捕獲作戦」は、洞窟の入り口に網をしかけて、飛び出してくるコウモリをひっかけて捕まえるというもの。
網の縦糸がハープのように見えることから「ハープトラップ」と呼ばれている。
午後5時、地元の当局の許可を得て、洞窟の入り口に2メートル四方ほどの網を設置し、隙間を草木で覆ってコウモリが網に飛び込むようにする。
コウモリ捕獲に成功
この日は4時間で6匹のキクガシラコウモリを捕獲することができた。
佐藤教授らは捕まえたコウモリの肛門から綿棒を入れて検体を採取したり、周辺のふんを回収したりした。
これまでの研究から、新型コロナに近いウイルスは口やのどの粘膜ではなく、腸管のほうが検出されやすいことが分かってきたためだ。
検体を採取したあとのコウモリはもとの場所で逃がし、検体はドライアイスで冷やして保管。
今後、ベトナム国内にある長崎大学の拠点で分析し、データを共有して詳しく研究を進める方針だ。
佐藤教授
「初日としては上々じゃないでしょうか。コウモリはちゃんと捕まったし、ベトナムの洞窟がどんな感じかということも分かったので。未知のウイルスの発見は、こうした泥臭い研究から始まると思うので、あすも頑張りたいと思います」
人とコウモリ 距離の近さを実感
翌日に向かったのは、さらに山奥に位置するバンバンという町。
事前に、大量のコウモリが住む洞窟をブー博士が見つけてくれていた。
急峻な斜面の中腹にあるこの洞窟の中を多くのコウモリが飛び回っていたという。
きょうは多くのコウモリを捕獲できるのではないか。
ところが。
佐藤教授
「想定外です!キクガシラコウモリがいない」
洞窟の中のコウモリの数が大幅に減っていて、わずかに捕獲できたコウモリもキクガシラコウモリとは違う種類だったという。
実は、きのうの洞窟も、もっとたくさんのコウモリが住み着いているはずだった。コウモリはどこに行ってしまったのだろうか。
ブー博士に聞くと、この地域の住民にはコウモリを捕まえて食べる文化があるという。
ブー博士
「地元の住民たちにとって、コウモリを捕まえるのはヘビなどほかの小動物を捕まえるのと同じようなことで、特別なことではありません。野生動物保護の観点から、コウモリを捕まえて食べることは禁止されていますが、当局は大型の野生動物の保護に注力していて、コウモリは規制対象としてあまり重要視されていません」
ヒトと、コウモリをはじめとした野生動物との距離が近づいていることをうかがわせる風景は調査地のそこかしこでも見ることができた。
森を切り開いた大規模なインフラ工事や道路の整備。初日に訪れた洞窟では、観光客が探検しやすいよう、手すりやはしごもあった。
経済発展に伴い、こうしたことはベトナムだけでなく、アジアそして世界中で進行していくだろう。
佐藤教授も、今回の調査を通じてスピルオーバー(動物からヒトへの感染)の可能性が高まっていることを実感したという。
佐藤教授
「見た目はすごい山ですけど、すぐ横を幹線道路が通っていて『山奥の人と接点がない場所』じゃなくなっていて、人間の活動が野生動物の生活や生態に影響を与えている。こうしたところからウイルスが何かしらの方法で人間社会に持ち込まれてパンデミックにつながるっていうことを考えると、現場を自分の目で見ることができたのは、すごくよかったと思います」
現地研究者へのリスペクトと連携が大切
取材班は翌日、佐藤教授らの「ウイルスハンター」チームと別れ、日本に戻った。
佐藤教授によると、その後は洞窟ではなく森の中で捕獲を試みたところ、24匹のコウモリを捕獲できたという。
コウモリの生態を熟知したブー博士のアイデアで、木の間にわなを仕掛けて、餌の虫を狙って飛び回るコウモリを捕まえたのだそうだ。
佐藤教授はブー博士のような現地の研究者との信頼関係がなければ、ウイルスハンティングは成立しないと強調する。
新興国や発展途上国に先進国から研究者が訪れ、動物や患者からサンプルを採取し、研究成果を持ち帰ってしまうスタイルは、先進国による収奪だと批判されてきた。
長崎大学のベトナム拠点はおよそ20年前に開設され、ベトナム国立衛生疫学研究所の施設内にラボを持つ。日本人の研究者や職員も常駐している。地道な関係構築があってこそ、こうした共同調査が実現したのだ。
佐藤教授はことしからシンガポールの大学でも研究拠点を開設する予定だ。ベトナムだけでなく、タイやマレーシア、カンボジアなどアジア各国の研究者とネットワークを築き、研究を加速させたいと考えている。
そして、新しいウイルスを見つけるだけでなく、そのウイルスの性質を理解し、創薬やワクチン開発に役立てるところまでつなげていきたいと強調する。
佐藤教授
「感染症も災害と同じで、新型コロナのパンデミックという有事があったのだから、どうすれば次のパンデミックでは被害を減らすことができるのか考えるのは自然なことだと思います。未知のウイルスを探しておいて、それを理解しておくことが大事。それが僕の考えている、次のパンデミックに備える研究です」
人間と野生動物が交わる最前線
取材班が帰国した数日後。佐藤教授も共同研究の打ち合わせのため、ベトナムからインドネシアのジャカルタに移動した。
到着した佐藤教授から送られてきたメールにはジャカルタにある野生動物の市場の画像が添付されていた。
壁一面に並ぶ鳥かご
檻に入れられたサル
野生動物とヒトが接近する場所は、大都市にもあった。私たちは、病原体のスピルオーバーの危機と共に生きている。
世界的な大流行を引き起こし、多くの感染者、死者を出した新型コロナウイルス。
野生動物にルーツのあるウイルスが何らかのきっかけでヒトで広がり、「パンデミック」につながったと考えられている。
ヒトに感染するリスクのある未知のウイルスを見つけ出し、先回りしてワクチンや治療薬を開発することで次のパンデミックに備えようと、日本の研究者が中心となったプロジェクトが始動している。
研究者たちが向かったのはベトナム北部。
調査チームに同行したNHKの取材班が「ウイルスハンティング」の現場を追った。
(科学文化部 記者 三谷維摩)
クローズアップ現代(5月21日放送予定)ネクスト・パンデミック 新たな感染症にどう備える
中国国境に行きたい
今回、調査チームが訪れたのはベトナム北部・ラオカイ省。
中国南部・雲南省と国境を接する山岳地帯だ。
調査チームを率いるのは、東京大学医科学研究所の佐藤佳教授。
全国各地の若手研究者をまとめて新型コロナウイルス研究のネットワークを立ち上げ、「デルタ株」、「オミクロン株」など次々に出現した変異ウイルスの性質を解明。
科学雑誌の「ネイチャー」や「セル」に次々と論文を発表し、世界から注目を集めたウイルス学者だ。
なぜ、ベトナム北部なのか。隣接する中国・雲南省を中心とした地域では近年、新型コロナウイルスに近縁の新種のコロナウイルスが多く見つかっている。
2000年代の初頭、中国や東南アジアなどで8000人以上が感染し、700人を超える死者を出した重症急性呼吸器症候群=「SARS」も、同じコロナウイルスの仲間だ。
佐藤教授
「中国で調査ができれば一番いいのですが、現状では非常に難しい。ラオカイ省は中国国境に接しているので、次のパンデミックにつながる可能性のある未知のウイルスが見つかる可能性もある」
野生動物を捕まえるといっても、手当たりしだいに捕まえるわけではない。
ターゲットとなるのはコウモリ、中でも「キクガシラコウモリ」という種類だ。
キクガシラコウモリは自然状態でコロナウイルスを持つ「宿主」で、SARSのウイルスも新型コロナウイルスも、このコウモリの持っていたウイルスにルーツがあると考えられている。
ベトナム・サパの洞窟へ
ラオカイ省の観光地として知られるサパの町は石灰岩の山に囲まれ、コウモリが生息する洞窟が数多く存在する。ウイルスハンティングの場所として重要な条件がそろったところなのだ。
5月12日。調査チームがサパに到着した。
佐藤教授とともに調査・研究にあたるのは、ベトナムにある長崎大学熱帯医学研究所ベトナムプロジェクト拠点と、地元ベトナム科学技術アカデミーの研究者たち。
チームは早速、自然公園の中にある大量のコウモリが生息するという洞窟に向かった。
佐藤教授はウイルスの専門家だが、コウモリの専門家ではない。
コウモリ捕獲のプロフェッショナルとして調査に協力してくれたのは、25年以上コウモリの研究をしているベトナム科学技術アカデミーのブー・ディー・トン博士だ。
コウモリは日中、洞窟などにいて、夕方になると餌を求めて外に飛び出してくる。
ブー博士の「コウモリ捕獲作戦」は、洞窟の入り口に網をしかけて、飛び出してくるコウモリをひっかけて捕まえるというもの。
網の縦糸がハープのように見えることから「ハープトラップ」と呼ばれている。
午後5時、地元の当局の許可を得て、洞窟の入り口に2メートル四方ほどの網を設置し、隙間を草木で覆ってコウモリが網に飛び込むようにする。
コウモリ捕獲に成功
この日は4時間で6匹のキクガシラコウモリを捕獲することができた。
佐藤教授らは捕まえたコウモリの肛門から綿棒を入れて検体を採取したり、周辺のふんを回収したりした。
これまでの研究から、新型コロナに近いウイルスは口やのどの粘膜ではなく、腸管のほうが検出されやすいことが分かってきたためだ。
検体を採取したあとのコウモリはもとの場所で逃がし、検体はドライアイスで冷やして保管。
今後、ベトナム国内にある長崎大学の拠点で分析し、データを共有して詳しく研究を進める方針だ。
佐藤教授
「初日としては上々じゃないでしょうか。コウモリはちゃんと捕まったし、ベトナムの洞窟がどんな感じかということも分かったので。未知のウイルスの発見は、こうした泥臭い研究から始まると思うので、あすも頑張りたいと思います」
人とコウモリ 距離の近さを実感
翌日に向かったのは、さらに山奥に位置するバンバンという町。
事前に、大量のコウモリが住む洞窟をブー博士が見つけてくれていた。
急峻な斜面の中腹にあるこの洞窟の中を多くのコウモリが飛び回っていたという。
きょうは多くのコウモリを捕獲できるのではないか。
ところが。
佐藤教授
「想定外です!キクガシラコウモリがいない」
洞窟の中のコウモリの数が大幅に減っていて、わずかに捕獲できたコウモリもキクガシラコウモリとは違う種類だったという。
実は、きのうの洞窟も、もっとたくさんのコウモリが住み着いているはずだった。コウモリはどこに行ってしまったのだろうか。
ブー博士に聞くと、この地域の住民にはコウモリを捕まえて食べる文化があるという。
ブー博士
「地元の住民たちにとって、コウモリを捕まえるのはヘビなどほかの小動物を捕まえるのと同じようなことで、特別なことではありません。野生動物保護の観点から、コウモリを捕まえて食べることは禁止されていますが、当局は大型の野生動物の保護に注力していて、コウモリは規制対象としてあまり重要視されていません」
ヒトと、コウモリをはじめとした野生動物との距離が近づいていることをうかがわせる風景は調査地のそこかしこでも見ることができた。
森を切り開いた大規模なインフラ工事や道路の整備。初日に訪れた洞窟では、観光客が探検しやすいよう、手すりやはしごもあった。
経済発展に伴い、こうしたことはベトナムだけでなく、アジアそして世界中で進行していくだろう。
佐藤教授も、今回の調査を通じてスピルオーバー(動物からヒトへの感染)の可能性が高まっていることを実感したという。
佐藤教授
「見た目はすごい山ですけど、すぐ横を幹線道路が通っていて『山奥の人と接点がない場所』じゃなくなっていて、人間の活動が野生動物の生活や生態に影響を与えている。こうしたところからウイルスが何かしらの方法で人間社会に持ち込まれてパンデミックにつながるっていうことを考えると、現場を自分の目で見ることができたのは、すごくよかったと思います」
現地研究者へのリスペクトと連携が大切
取材班は翌日、佐藤教授らの「ウイルスハンター」チームと別れ、日本に戻った。
佐藤教授によると、その後は洞窟ではなく森の中で捕獲を試みたところ、24匹のコウモリを捕獲できたという。
コウモリの生態を熟知したブー博士のアイデアで、木の間にわなを仕掛けて、餌の虫を狙って飛び回るコウモリを捕まえたのだそうだ。
佐藤教授はブー博士のような現地の研究者との信頼関係がなければ、ウイルスハンティングは成立しないと強調する。
新興国や発展途上国に先進国から研究者が訪れ、動物や患者からサンプルを採取し、研究成果を持ち帰ってしまうスタイルは、先進国による収奪だと批判されてきた。
長崎大学のベトナム拠点はおよそ20年前に開設され、ベトナム国立衛生疫学研究所の施設内にラボを持つ。日本人の研究者や職員も常駐している。地道な関係構築があってこそ、こうした共同調査が実現したのだ。
佐藤教授はことしからシンガポールの大学でも研究拠点を開設する予定だ。ベトナムだけでなく、タイやマレーシア、カンボジアなどアジア各国の研究者とネットワークを築き、研究を加速させたいと考えている。
そして、新しいウイルスを見つけるだけでなく、そのウイルスの性質を理解し、創薬やワクチン開発に役立てるところまでつなげていきたいと強調する。
佐藤教授
「感染症も災害と同じで、新型コロナのパンデミックという有事があったのだから、どうすれば次のパンデミックでは被害を減らすことができるのか考えるのは自然なことだと思います。未知のウイルスを探しておいて、それを理解しておくことが大事。それが僕の考えている、次のパンデミックに備える研究です」
人間と野生動物が交わる最前線
取材班が帰国した数日後。佐藤教授も共同研究の打ち合わせのため、ベトナムからインドネシアのジャカルタに移動した。
到着した佐藤教授から送られてきたメールにはジャカルタにある野生動物の市場の画像が添付されていた。
壁一面に並ぶ鳥かご
檻に入れられたサル
野生動物とヒトが接近する場所は、大都市にもあった。私たちは、病原体のスピルオーバーの危機と共に生きている。