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女子はサヤ・サカキバラ(榊原爽、オーストラリア)が金メダル:2024年8/2 パリオリンピック・BMXレーシング

2024-08-04 01:23:35 | オリンピック問題と話題

サヤ・サカキバラ(榊原爽)



自転車 女子BMXレーシング 豪代表の榊原爽 初の金メダル 五輪 NHK 2024年8月3日 23時34分

パリオリンピック、自転車の女子BMXレーシングに出場したオーストラリアの選手が、事故で競技ができなくなった兄の思いを背負って、初の金メダルを獲得しました。

オーストラリア代表の24歳、榊原爽選手は母親が日本人で、子どもの頃に暮らした東京で「自転車の格闘技」とも言われるBMXを本格的に始めました。

前回の東京大会で3歳年上の兄・魁さんとともに、第2の祖国・日本でのメダル獲得を目指していましたが、魁さんは大会前のレースで転倒し一時、意識不明の重体となり、競技を諦めざるを得なくなったほか、榊原選手も大会本番でほかの選手と接触して転倒し、担架で搬送される不本意な結果となりました。

それから3年後の今大会、雪辱を目指した榊原選手は、かつて魁さんが着けていたのと同じ背番号「77」を着け、兄の思いも背負って臨みました。

8人が出場した2日の決勝ではスタートから力強く加速しトップに立つと、正確な位置取りでコーナーを回り低い姿勢を保ったままこぶを越えてリードを広げました。

そして34秒231のタイムでそのままトップでフィニッシュすると泣き叫ぶように倒れ込み、喜びの涙を流していました。

榊原選手は表彰式でも感情の高まりを抑えられない様子で、表彰台の上で両手を突き上げて跳びはね、首にかけられた金メダルに口づけをしていました。

そして表彰式が終わるとすぐに、会場で応援していた魁さんの元に駆け寄り、抱擁を交わして再び涙を流していました。

“きょうだいで獲得した金メダル”
榊原選手は「東京大会のあと精神的に不安定になり、もう競技は続けられないと考えた時期もあったが、挑戦を諦めたら自分に失望していただろう。私は今も兄の分まで走っているし、今大会、その背番号を着けるのはとても重要なことだった」と話し、きょうだいで獲得した金メダルだったと強調しました。



世界最高峰のBMXライダーとして脚光を浴びる榊原 爽。今後さらなる飛躍が期待できるBMXヒロインの現在までの軌跡。 Written by Daiki Shiroma/ Edited by Hisanori Kato 公開日:2019年11月20日 · 13時48分(UTC+9)

4歳から始めたBMXレース。 19歳で世界ランキング2位に浮上
「5年くらい前まではレースが始まる前から“大体この人が勝つだろうな”っていうのが分かっていたんです。でも最近は、毎回決勝に入る人が変わっていて、誰が優勝するか分からなくなってきているんです」
年々ハイレベルになっていく現在進行形の女子BMXレースについて楽しそうに話をするのは、今最も注目を集めるBMXライダーの1人で、今回のヒロインとなる榊原 爽。

日本人の母とイギリス人の父を持つ爽は、現在活動拠点とするオーストラリアで生まれ、2歳から家族と共に日本へ。その後4歳で、(現在、BMXプロライダーとして活躍する)兄の魁選手が参加していたBMXのプラクティスセッションとレースに参加し、それがBMXライダーの道へ進むきっかけとなった。
以来、2006年6歳で初めて世界選手権大会に出場、2007年には拠点をオーストラリアに戻し、2008年のBMX世界選手権で初めての優勝を手に。その後勢いをつけた爽は、2015年までにBMX世界選手権で4回の優勝。2016年には世界トップクラスも参加するワールド杯のプロクラスで初出場ながら準優勝。2018年にはワールド杯で初優勝を果たし、わずか19歳にして世界ランキング2位という偉業を成し遂げるなど、いつしかその名を世界にまで轟かせていた。
好きじゃなかったBMXレースが 周りの支えと環境でプロ意識に

モデルに引けを取らない175cmある長身のスタイルに、“美人ライダー”と称される端正なルックス。BMXに乗れば大人顔負けの豪快なライディングでファンを魅了する爽も、BMXから離れればまだあどけない表情を見せる普通(二十歳)の女の子。今では世界が認めるトップライダーへと成長し、BMXがライフスタイルの一部となっているが、実を言うと始めた当初はあまりBMXレースが好きではなかったという。
「始めたころは、BMXをやっていない普通の子とかと泥団子を作っていたりしていて。その頃はまだそういう遊びとかの方が興味あって、BMXの練習はやらされてる感じだったんですよ」
当時の爽は学校にも通っていない4歳の少女、さすがにまだBMXに情熱を注げる自分ではなかった。しかし、幼かった爽に早くも宿る能力やモチベーションを把握して、その時に適したチャレンジを用意してくれたのが、父や兄にコーチ陣。周りの温かい支えもあって、次第にBMXレースの本当の楽しさに気がついていく。

「周りのサポートのお陰もあって、色々な大会で優勝できるようになっていったんです。そこから徐々にBMXが面白くなっていきました。それに、最初は小さかったBMXシーンも、いつの間にかみんなが知っているような大きな大会になっていって、そういう大きい大会に出たいなっていう気持ちから、もっとBMXにのめり込んでいくようになりました」
「本当にプロになりたいなって思ったのは、ジュニアエリートクラスっていうチャンピオンシップクラスに入った16歳の頃。それで周りのレベルの高さに刺激を受けて、“もっと真剣にやりたい!” “BMX以外のことはやりたくない!”って思うようになりました」
モチベーションに繋がる 2人の盟友と過去の経験
兄の影響ではじめたBMXだが、いつしか爽も多くのファンを持ち影響を与えている存在になっていた。そんな、注目の次世代BMXクイーンが“憧れの人物”と“尊敬してる人”は、いったいどういう人物なのだろうか?
「憧れの存在は、ニュージーランド出身のBMXライダー、サラ・ウォーカー。私が日本に住んでいた (6歳ぐらいの) 時に彼女が来日していて、その時も声をかけてくれたり、オーストラリアで会った時はライディングを褒めてくれたり、色々教えてくれたりしたんです。サラは自分のパフォーマンスに集中している時でも、周りのことまで気にかけてくれて、みんなとコミュニケーションをとったりしているんです。私もそういう人になりたいなって思いました」
近いようで遠い憧れの存在にいた世界的ライダーのサラ選手が、気づけば友達という存在になり、今では同じ土俵に立つライバルとなっていた。
そしてもう一方の質問“爽の尊敬する人”の答えはやはり、一番身近にいてずっと支えてくれているあの人だった。
「兄ですね。兄はBMXがすごい好きだから、トレーニングもすごい一生懸命やってたし、そういうのをみていると“私ももっと頑張ろう!”って思う。兄はこれまで何回クラッシュしても、どんなにいい結果がでなかったとしても、それでも自分を信じてトレーニングを頑張って続けて、ワールドカップでは2度も表彰されているんです。そういう兄のBMXへの姿勢をリスペクトしています」

そんな尊敬する兄のように、これまで幾度と優勝を手にしている爽にだって、クラッシュした経験や恐怖体験は山ほどあって……。でも、その経験が爽をより一層たくましいライダーへと成長させていった。
「自分のクラッシュしている映像を観て、“なんでこんなことやってるんだろう?”って時々思いますよ(笑)。でもやらないと“I MISS YOU”ってなるし、怖いことを乗り越えることが好きなんですよね」

「今シーズンは4ヶ月間ヨーロッパにいたんですけど、その間に4回もクラッシュしたんですよ。スタートヒルを降りてひとつ目のジャンプでクラッシュして、脳震盪にもなったし。その時はBMXに乗ることにさえ恐怖を覚えました。その恐怖を克服して全力で走れるようになるまでには、思っていた以上に時間がかかりましたね」
「その恐怖を乗り越えられたのは、悔しさが恐怖を上回った時でした。単純にそこで終わるのが悔しかった。もっと自分の中にポテンシャルがあると思っていたので、それを信じてモチベーションを上げて、またゲートに乗るようになりました」
BMXのターニングポイントと 毎年成し遂げたい将来の目標
これまで16年に渡る爽のBMX人生において、数々の優勝経験はもちろんそうだが、先ほど爽が話していたような失敗した経験も大きく成長させる分岐点となるようだ。そこで彼女にBMX人生におけるターニングポイントを聞くと、優勝した大会ではなく、7位になった大会をあげた。
「今年の世界戦ですね。さっき話したように、これまで数々のクラッシュを経験して、コースに出るのが怖くなっていたこともあったんですが、その悔しさをバネに世界戦まで毎日練習をしてきました。だからこそ、その時はいつも以上に自信があったから、予選を1位で通過することができました」
「それで決勝になると自信と余裕を持ちすぎて、ゲートで焦ってクラッシュしちゃったんです。そこで、緊張しすぎるのも良くないし、余裕を持ちすぎるのも良くない。ちょうどいい具合に調整することが大事なんだと気がつきました」

「1つの大会で起こったその2つの出来事が私のターニングポイントですね。その後のワールド杯がアメリカで行われて、予選4位、決勝5位とノークラッシュでフィニッシュして、自分のベストと思えるのパフォーマンスができたんです」
「自分の中でまだまだ引き出せるポテンシャルがあると思うけど、今表彰台に立っている選手は25~28歳のライダー。その人たちとはまだ力の差があるので、そこをもっと埋めていきたいし、全体的にもっと早くなってもっと上手くなって、もっと優勝していきたいです」
最初はやらされている感覚だったBMXレースが、いつしかそれでファンを持ち使命感を担う存在に。今ではもっと上を目指したいという向上心にありふれた立派なプロへと成長を遂げた爽にとって、将来の目標とは?
「将来はレインボージャージを絶対に着たい。それも一回だけじゃなくて、毎年着れるように頑張りたいです」
BMXレースの競技において最も大切な世界大会でもらえる、BMXライダーにとって最高に名誉のある代物と言えるレインボージャージ。それを常に着ていたいという彼女の大きな目標は、近い将来すぐに叶うような気がする。ポジティブマインドにありふれた、二十歳の若き戦士の行く先をこれからも見守り続けていただきたい。
(了)



男子レース 決勝

金 
ジョリス・ドデ
31.422
銀 
シルバン・アンドレ
31.706
銅 
ロマン・マユー
32.022
4
セドリク・ビュッティ
32.124
5
キャメロン・ウッド
32.446
6
マテオ・カルモナガルシア
33.166
7
シモン・マルカル
44.914
8
アイザック・ケネディ
途中棄権



女子レース 決勝


サヤ・サカキバラ
34.231
銀 
マノン・フェーンストラ
34.954

ゾエ・クレセンス
35.060
4
ラウラ・スムルダース
35.745
5
モリー・シンプソン
35.833
6
アリス・ウィロビー
36.171
7
アクセル・エティエンヌ
36.273
8
ベサニー・シュリーバー
36.496
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