「鮮魚列車」がラストラン。初代は抑速電制にクセがあって、連続下り勾配の運転時には気を使ったものでした。車掌時代はまだトイレが付いてなく、ホロの部分が匂った記憶も(笑)行商人の方は気のいい人ばかりで、通過列車の退避中にご馳走になったことも(昭和の話) 「302」が鮮魚のスジ(2002年) pic.twitter.com/pnB2kKwteE
— 一岡浩司/いちおかこうじ (@daikokusya) March 13, 2020
近鉄「鮮魚列車」半世紀の歴史に幕:日本経済新聞 2020/3/13 21:06更新 https://t.co/ioJUcP5NQY
— 佐野 直哉 (@pxbrqnaZJT1917W) March 15, 2020
近畿日本鉄道が運行し、三重県伊勢志摩地方と関西を結ぶ行商人専用列車が13日、ダイヤ改正に伴い半世紀の歴史に幕を下ろした。ラストランの始発・大阪上本町駅(大阪市天王寺区)には鉄道ファンや一般客らが集まり、昭和から平成、令和と東西の海の幸を運んだ雄姿を見送った。
近鉄などによると、鮮魚列車は伊勢湾周辺の水産業者らのために1963年に誕生。日曜・祝日を除く毎日、上りは宇治山田―大阪上本町、下りは大阪上本町―松阪の間を朝夕1本ずつ運行してきた。関東の京成電鉄や旧国鉄にも同様の列車が存在したが、利用者減などで順次廃止した。近鉄はダイヤ改正後、一般車両に1両を接続する形へと規模を縮小する。
40年以上利用してきた三重県内の60代男性は「寂しいけどしょうがない。(規模縮小後も)伊勢の魚介を届けに来たい。お客さんが待っているからね」と話す。
この男性は大阪府東大阪市内で鮮魚店を営む。三重県内の自宅を出て、午前4時には地元の市場へ。買い付けたアワビなどを列車で運び販売してきた。駆け出しの頃は100人ほどの同業者で車内は活気にあふれていた。「商売敵というより、心強い仲間だと思っていた」と懐かしむ。魚の汁でぬれた床、車内を満たす臭いも慣れたもの。雑談したり、シートで眠ったり、思い思いの片道3時間弱を過ごした。
ここ20年で利用者はひとり、またひとりと姿を消し、今では数人に。「昔は持ってきた魚が飛ぶように売れたけれど、今は大きなトラックで仕入れた新鮮な魚を扱うスーパーも増えた。売り上げが落ち、みんな子どもに継がせられない」と視線を落とした。
新鮮な海産物を求めて買い物客や訪日外国人が集まる大阪市の黒門市場。「魚菊」の二代目店主・刀根正博さん(55)と陽子さん(55)夫婦も列車への思い入れは深い。「知り合いと一緒に荷積みをしたり、お弁当を食べたり。楽しかったなあ」と陽子さん。より早く積み荷を運べる特急列車を利用するようになった今も「思い出の詰まった列車がなくなるのは残念」とつぶやいた。
一部の行商人らは鶴橋駅で途中下車し、瀬戸内や九州沖から魚介が集まる鶴橋の鮮魚市場で商品を買い付ける。総合卸「カネト尾上」の尾上英二社長(66)は「今は2~3人の付き合いだが、全盛期は毎日30人ほどで店内はごった返していた」と往時をしのんだ。
(佐藤諒)