公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

凋落は当然の話か

2009-03-12 01:24:26 | 競輪

小松島和平さん、今の競輪の衰退をズバリ指摘。だから私から言うことは一切なかった。

やばいぞ」に関するコメント再掲載

2009-03-10 01:23:36

かつて中央競馬が若者や女性ファンの開拓に力を入れだした時に「購買力の無い女子供なんか増やしても無駄」と、笑っていたのは競輪ファンと競輪マスコミ。

中央競馬や競艇やパチンコが施設をどんどん綺麗にしている時に「鉄火場は汚いのが当たり前だ」と、施設どころか客のマナーの悪さをずっと放置してきた施行者・ファン・マスコミ。

競技規則改訂や新種目の導入にも「そんなもの、やる前から結果は見えてる。何が何でも反対だ」とテストケースすらさせようとしないファン・マスコミ・選手会。


ところで、整理していたら、野呂さんが2001年初頭に三恵書房から出した、「競輪革命」という本が出てきた。少し読んでみたが、「昔の競輪万歳!」みたいな内容で、ある意味うんざり。

そもそも、前にも書いたけど、今、中央競馬は旧八大競走時代の体系に戻せ!なんていうファンが果たしてどれだけいるのか?競艇にしたって、野中、彦坂、北原がいた頃の競艇だったらなぁ、なんていうファンはいないよ。

むしろ、「昔の競輪」に拘るあまり、将来の競輪像を無視し、ひいては今や、風前の灯火といってもいいような状況を作り上げてしまったのではないか。小松島さんのコメントはまさに、その部分を的確に突いている。

確かに、「昔の競輪」はなぜか、開催日はどこも満員だった。潰れた西宮にしたって、5万、6万と入った時代があったというから、今思えば信じられないほど。

ただひとつだけいえることは、「昔の競輪」はおそらく、軸といえる選手がそれなりに期待に応えてきたといえるのではないか。このことはヒラ開催でも共通していえたこと。ところが今の競輪といえば、軸となりうる選手はG1でさえいない。

さらに、神山雄一郎が以前、ケイリンは単純に速くて強いものが勝つといっていた。速くて強い者が勝つ、ということであれば、果たしてギャンブルとして成り立たないものなのだろうか?はっきりと軸が存在するのであれば、その選手から買えば間違いない、ということはいえないか。

ところで、11日の大阪日刊を読んでいたところ、コメントを出すのが怖い、という内容の記事があった。大阪日刊のその記事は加倉正義に関することだったが、今年の大宮記念でも確か、平原康多が勝って人気に応えたというのに、事前の並びと違う走りをしたからという理由で、客からボロカスにやじられたという例があった。

こうしたことを何年も続けている限り、競輪に取り組もうと考える人間はほとんどいないだろうね。「変わること」を恐れていては、何事も第一歩が進めないじゃないか。

多くの競輪ファン、マスコミ、関係者は一度、「チーズはどこへ行った」という本を読んだほうがよさそう。

コメント (14)
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