英語のサイト見てて思うんですが、教会内での意見の対立というのは、教義と聖約84章にある、全教会にあるとされた“罪の宣告”が、今日も引き続きあるんだというのと、いや、そうではないという二つの見方に収束・落ち着くといっていいでしょうか???
教会に批判的な見方は、どちらかと言えば、前者で、教会中央幹部の観点は、後者に近い??
たとえば、シオンに関しても、ミズーリ州ジャクソン郡の地とすると、ユタのソルトレークだとする観点が・・・・
「49 全世界は罪の状態にあり、暗闇の下で、また罪の束縛の下でうめいている。
50 そして、彼らが罪の束縛の下にあるのは、これによって分かる。すなわち、彼らはわたしのもとに来ないからである。
51 だれでもわたしのもとに来ない者は、罪の束縛の下にあるのである。
52 また、だれでもわたしの声を受け入れない者は、わたしの声を知らず、わたしにつく者ではない。
53 これによって、あなたがたは義人と悪人の違いを知り、また今まさに全世界が罪と暗闇の下でうめいているのを知ることができるのである。
54 また、不信仰のために、また自分の受けたものを軽々しく扱ったために、あなたがたの思いは過去に暗くなることがあった。
55 この虚栄と不信仰は全教会に罪の宣告を招いた。
56 この罪の宣告はシオンの子ら、まことにすべての者のうえにある。
57 彼らが悔い改めて、新しい聖約、すなわち『モルモン書』と、わたしが彼らに与えた以前の戒めを思い起こし、そしてただ口にするだけでなく、わたしが記してきたものに従って行動するまで、彼らは依然としてこの罪の宣告の下にある。
58 これによって、彼らが父の王国にふさわしい実を結べるようにするためである。そうでなければ、シオンの子らのうえに注がれる懲らしめと裁きが残る。
」
(教義と聖約84章)
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