今年もあっという間に大晦日に、ほな、皆々さま、謹んでよいお年をおむかえなはれぇ~と申し上げで御座候。
日本古代史を探るということで、今週、大塚ひかり女史の本、いくつか借りてきたとです。・・『愛とまぐはひの古事記』、『女系図でみる驚きの日本史』等々。
女系制の日本列島、そこここに女王国の縄張りがあったんでしょうかぁぁ・・
❝大事なのは、胤(たね)よりも腹(はら)だった!
「平家って滅亡してないんですよ」著者の大塚ひかりさんが、趣味の「系図作り」について語った際に、楽しそうにそう仰った時、目からウロコが落ちました。
平清盛の娘たちは生き延びていて、しかもそれなりの身分にみな嫁いでおり、子孫をたどると、後醍醐天皇や、後伏見天皇、はては今上天皇にまでたどりつくのです。
大塚さんが中学生の頃から作っているという母系の系図、つまり「女系図(おんなけいず)」をたどると、女性皇太子が誕生したのはなぜか、当時移民の町だった京が都になった理由、はたまた、ある武将が自分の死後、妻を息子にゆずったのは……等々、これまで見えにくかった日本史の驚きの「真実」が、次々と姿を現します。
父系図だけでは、歴史の半分しか見えていなかったことを痛感しました。
❞
https://www.shinchosha.co.jp/book/610735/
乙巳の変(いっしのへん)で、蘇我馬子の子蝦夷の子である、入鹿暗殺で、御簾の向こうにしっかり十二単の後ろ姿・皇極天皇が描かれておったんでしたね。
多武峰縁起絵巻 入鹿
https://search.yahoo.co.jp/image/search ... F&ei=UTF-8
「乙巳の変 江戸時代、住吉如慶・具慶の合作によって描かれたもの。左上は皇極天皇。 談山神社所蔵『多武峰縁起絵巻』(奈良県桜井市)
」
藤原不比等の最初の正室となる蘇我娼子は(‛天武朝末期頃に藤原不比等に嫁ぎ、武智麻呂、房前、宇合の三男を儲けた’)、蘇我稲目 - 馬子 - 倉麻呂 - 連子(‘名は連、武羅自、牟羅志とも書かれる’)の系だにゃ。
蘇我娼子(父は連子)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87 ... C%E5%AD%90