より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

元教会歴史家D・マイケル・クイン(1944-)

2015-07-31 07:52:41 | 人物・人名

教会歴史家D・マイケル・クイン氏、本人が言うには、教会歴史家の地位にあって悩み事があって祝福を求めた時、故スペンサー・W・キンボール管長( 1895 – 1985)から頭に手をおいての祝福を受けて、そこには、将来、使徒に召されるでしょうとの言葉が発せられ聞いたということだ。1973年12月のこと(12使徒定員会長時)。衝撃が大きく感じられ、キンボール管長に尋ねたところ、必ずそうなることではないとしても、特別な証人といった意義を深く考えるようといったアドバイスを受けたらしい。・・・・このことは、以前から、クイン氏が話していたこと、書いていたことで人々に知られていて、インタビュア-からの質問に答えてであった。


まぁ、教会歴史には、神権の職(執事、祭司、長老など)のひとつであるところの使徒の職に召され聖任されても、12使徒定員会には属さなかったというのも数ケースあるようだ。

http://www.mormondiscussionpodcast.org/

本人、同性愛者とのこと。息子さん、同性愛であることで悩んでいて、自殺とのことだ。22歳、96年頃。

NJさんの、“同性愛に関するパッカー長老の説教、論争を引き起こす”   モルモン教関連 / 2011-03-19 21:58:28


 モルモン 同性愛 自殺
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%20%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B%20%E8%87%AA%E6%AE%BA


クイン
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%A5%AF%A5%A4%A5%F3

クイン
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/s/%A5%AF%A5%A4%A5%F3


デトックス

2015-07-30 07:17:56 | 知恵の言葉、健康生活の向上

夏場のデトックス兼暑さ対策、たまWEB的には、効いてそうは・・・・効果抜群かもの・・・・一袋20グラム、91円、ほとんど売り切れ・・・・普通のデトックス・サプリだったら値段は10倍、20倍以上でしょうか、で効果はいまいちみたいな?!・・・・


これっ!  
激辛 七味 ハバネロ
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%BF%80%E8%BE%9B%20%E4%B8%83%E5%91%B3%20%E3%83%8F%E3%83%90%E3%83%8D%E3%83%AD


本社、大阪でんな・・・・  
ハチ食品
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%8F%E3%83%81%E9%A3%9F%E5%93%81


えぇぇっ、ハバネロ以上に辛いものがぁぁっ・・・・  
ハバネロ
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%8F%E3%83%90%E3%83%8D%E3%83%AD


あと、体が涼しぃぃくなるのが、ココナッツ・ジュース100%の・・・・180円くらい、これも売れてそう、棚にある10数本、二日くらいで回転でしょうかぁぁ・・・・     

ココマックス
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9


やはり、夏場、一番のデトックスは、どくだみ茶でしょうかぁぁ・・・・    

どくだみ茶
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%81%A9%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%BF%E8%8C%B6


シオンに住む  その2

2015-07-29 10:09:38 | 福音と教会

前回     2013-04-06 08:58:22   福音と教会

末日聖徒として、日の栄えへの候補者としてスタートしたとしても、主の再臨で、羊とやぎとに分けられる時の、やぎのグループにふさわしいと裁かれたんでは、全くの残念ということでしょうか。シオンの住民になれないということにもなろうかと。

んで、この羊とやぎを分ける基準とはいったい何なんでしょうか??

この羊とやぎのたとえ話のあるマタイ25章ですが、それら聖句での言葉使いに似た表現が、教義と聖約には、ひとつだけ見られます。それは・・・・

最初に、奉献の律法について明らかにされた、1831年2月、カートランドでの啓示、42章の

「37 また、罪を犯して悔い改めない者は、教会から追い出されなければならず、彼がわたしの教会の貧しい者と乏しい者のために奉献したもの、言い換えれば、わたしにささげたものを、再び受けることはない。
 38 あなたがたがこれらの最も小さい者にするのは、すなわち、わたしにするのである。 
 39 わたしの預言者たちの口を通してわたしが語ったことは成就する。わたしは、異邦人の中でわたしの福音を心から受け入れる者の富を聖別し、イスラエルの家に属するわたしの民の貧しい者に与えるからである。

(教義と聖約42)

38節になりますかぁぁ・・・・

で、たまWEBは、この“最も小さい者”とは、“貧しい者”、“乏しい者”のことであると看破するわけです。

貧しい者に対し、どう個人的に対処したか、貧者への態度、基本姿勢、そういった事柄で、人生トータルでどれだけ取り組んだかといったようなことが、その人のふさわしさへの判定基準となるんではというのが、たまWEBとしては、今現在に至っての到達し得た理解で、そしてそれが正解かなぁぁと・・・・

 

「25:31 人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。

25:32 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、

25:33 羊を右に、やぎを左におくであろう。

25:34 そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。

25:35 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、

25:36 裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。

25:37 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。

25:38 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。

25:39 また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。

25:40 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。

25:41 それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。

25:42 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、

25:43 旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。

25:44 そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。

25:45 そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。

25:46 そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。

(マタイ伝)・・・・’永遠の命’とも。

 

「52:40 また、貧しい者と乏しい者、病気の者と苦しんでいる者を、すべてのことにおいて思い起こしなさい。これらのことを行わない者は、わたしの弟子ではないからである。

(教義と聖約)

とも、ありますな。


救いと贖い  パート2

2015-07-24 19:51:39 | 福音と教会

前回   2015-07-22 03:55:08  | 福音と教会

「19 しかしながら、父に栄光があるように。わたしは杯を飲み、人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。
」(教義と聖約19)

たまWEBは、この教義と聖約19:19の、“終えた”は、使命のひとつである贖い主として、備えを単に終えた、完了させたといったばかりではなく、(地獄の苦痛を身と霊とに経験しその使命を果たし得て)贖い主として完全となった、霊的な死をもたらす地獄の枷・かせから人類を解き放てるに至ったといった勝利宣言ふうにも解されると見るわけです。うぅぅんんと、インスティチュート・テキスト『教義と聖約』のその箇所・19章のをのぞいてみたんだが、そういった解説は、皆無でんな。

たまWEB風、オリジナルか???(  ~~  肉体的死からの勝利宣言は、十字架上の死を経ての復活が相当しますかぁぁ)   検索してみれば、あらら、けっこう多いじゃん・・・・あぁらぁぁ、そんでもってヨハネ19:30で、ですかぁぁ。まぁ、一般キリスト教のだから、それはそれで、むべなるかなですかぁぁ・・・・教義と聖約19章ので、たまWEBのオリジナル風だんべがや??(先にネット上、書き込んだもんがぁぁ)・・・・

         贖い主  ”勝利宣言”
                http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E8%B4%96%E3%81%84%E4%B8%BB%20%20%E2%80%9D%E5%8B%9D%E5%88%A9%E5%AE%A3%E8%A8%80%E2%80%9D

         

で、19節に対応する原参照欄には(『教義と聖約』 p40)、ヨハネ伝から二つの聖句を挙げてますね、これはですねぇぇ・・・・・そのひとつに「19:30 すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。」(ヨハネ)が、ありますね。・・・・・これはですね、贖いの業は、十字架上で最終的に終わったということを意味しているという把握、理解、解釈の上に立って、参照欄に入れたのかもですが、たまWEB的には、イエス・キリストのゲッセマネの園で贖い主として準備は、そこで完結した、万全、用意万端、整った、贖い主の使命はそこで果たされたでいいんだと。その観点に立たないなら、キリストを贖い主として完成せしめたその大いなる犠牲、その結果の贖いの効力といったことに焦点が当たらなくなってぼやけさせ救いをおろそかにする危険が生じてしまうんではと。

‘備えを終えた’という語感では、何か将来に向けてという意味合いがあるわけですが、それは何か??ですが、十字架上の死とかではないんだと。ここでは贖いの効力、贖いの個人に及ぼす救いの力を未来永劫、人の続く限り、発揮できるように準備は整った、贖い主として完全となった、完成されたといったことが、その意味になろうかと。罪の結果としての罰であるところの、すべての毛穴から血の汗を流すほどの、超々激烈な苦痛を人が味わわなくても済むように、身代わりとなってキリストは、その苦痛を自身の身と霊にに引き受けられた結果、贖いの効力をば、キリストを信じ悔い改める者には誰にでも生じさせ、発揮せしめることを可能にしましたよ、準備万端ですよぉという贖い主としての使命を完全に果たし得た、父なる神の御子、神であるイエス・キリストの宣言・地獄に対する勝利解放宣言ですよ~ということでしょうね。(事実上の勝利は、人が贖いの効力を得て、永遠の命を受け継ぐ時点でということになりましょうか)そういった意味合いが込められているんだと。

将来、信仰をもってキリストのもとにやってくるどんな人にでも、悔い改めイエス・キリストに従うことを条件に、罪からの赦しへの力が実際に働くように、キリストは自らを大いなる犠牲として備えを終え万全としたんだと。信じ悔い改める人には、その効力は現実のものとなって、赦されることを出発点とし、永遠の命へと続く道を歩ましめるようにされたんだと。この効力が人に及ぶことを贖いの業の定義に当然含まれ、贖い主キリストを信じ悔い改め従い行く人が続く限り、その業には終わりがないみたいになろうかと。

人により千差万別の罪の状態があるわけですが、あらゆる、一人々の状況に応じて罪から清められ赦されて贖いの効力を得させるところの力を獲得すべく、キリストは、罪のない、神の御子であったにもかかわらず、万人の霊的な救いのために身代わりとなって、ゲッセマネの園で、罰としての、人であれば必ず死なねばならぬほどの身と霊を苦しめる地獄の経験をしたことで、その救う能力、権利、権能を、主なるキリストは得られたんだと。それが贖い主の所以であり、そのようにして未来永劫、贖いの業が発揮、続行されるよう、神であるキリストは、贖い主として完成されましたと。(救い主としての使命の完成は、十字架上の死でもって) かくして、今日、悔い改める者やふさわしい者には、罪からの赦しやイエスがキリストであると知り、キリストは復活して生きておられるといった証をする力を与えられる等、第一の慰め主である聖霊の種々の影響力が及んだりし、キリストの教えを受け入れ従い、永遠の命へと続く道を歩ましめられてるんだということになろうかと。人の悔い改めキリストに従うところの信仰に応じ、贖いの業は今日も効力を発揮し現在進行形であり、かつキリストに従う人と共に、未来にわたって続いていくんだと。

               贖い  効力
               http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E8%B4%96%E3%81%84%20%20%E5%8A%B9%E5%8A%9B

               ”贖い主”  悔い改め
               http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E2%80%9D%E8%B4%96%E3%81%84%E4%B8%BB%E2%80%9D%20%20%E6%82%94%E3%81%84%E6%94%B9%E3%82%81

こうして見ますれば、まずは贖いと救いの意義を分けて説きおこし、そのうえで悔い改めという必須条件付きでの贖いの業の普遍性を解き、さらにその条件としての悔い改めの重要性に、人には弱点がそもそも与えられていて、キリストに信仰を持つ者には、その弱点を認めることに始まって、へりくだり悔い改めへとさとされるといった言及がなされ、そして、贖いの業の効力が及ぶことには終わりがないといったふうなのが、回復された福音での主要な観点になろうかと・・・・

関係する聖句としては、

「40 また、神の御子は御自分の民を贖うために、将来この世に来られ、御自分の御名を信じる人々の背きを負われる。これらの人々は永遠の命を得る人々であり、これ以外の人々に救いは与えられない。
 41 したがって、悪人はあたかも贖いがなかったかのような有様であり、ただ死の縄目からの解放だけがある。見よ、すべての人が死者の中からよみがえって神の御前に立ち、自分の行いに応じて裁かれる日が来るからである。
 42 さて、肉体の死と呼ばれる死がある。そして、キリストの死は将来この肉体の死の縄目を解き、すべての人がこの肉体の死からよみがえる。
 43 霊と体は再び結合して完全な形になり、手足も関節も、ちょうど今のわたしたちのような、その本来の造りに回復される。そして、わたしたちは今持っている知識を保ったまま、神の御前に連れ出されて立ち、自分のすべての罪をはっきりと思い出す。
 44 さて、この復活は、老いた人にも若い人にも、束縛された人にも自由な人にも、男にも女にも、悪人にも義人にも、すべての人に与えられる。そして、髪の毛一筋さえも失われることはなく、すべてのものが今あるような、その完全な造りに、すなわち体に回復される。それから、自分の行いが善いか、それとも悪いか、行いに応じて裁かれるために、一つの永遠の神である御子なるキリストと御父なる神と聖なる御霊との法廷に連れ出され、罪の有無を問われる。
 45 さて見よ、わたしは死すべき体の死について、また死すべき体の復活についてあなたに語ってきた。わたしはあなたに言う。この死すべき体は不死不滅の体によみがえる。死から、すなわち第1の死から命に移り、すべての人がもう死ぬことはあり得ない。彼らの霊は体と結合して、決して分離しない。このように相合したものは、霊的な、不死不滅のものとなり、彼らはもはや朽ちることがない。」

(アルマ11)

「11 そして神の御子は、あらゆる苦痛と苦難と試練を受けられる。これは、神の御子は御自分の民の苦痛と病を身に受けられるという御言葉が成就するためである。
 12 また神の御子は、御自分の民を束縛している死の縄目を解くために、御自身に死を受けられる。また神の御子は、肉において御自分の心が憐れみで満たされるように、また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように、彼らの弱さを御自分に受けられる。
 13 さて、御霊はすべてのことを御存じである。にもかかわらず、神の御子は御自分の民の罪を負い、御自分の解放の力によって彼らの背きを取り消すために、肉において苦しみを受けられる。さて見よ、これがわたしの内にある証である。
 14 さて、わたしはあなたがたに言う。あなたがたは悔い改め、再び生まれなければならない。再び生まれなければ天の王国を受け継ぐことができない、と御霊が言われるからである。したがって、自分の罪から洗い清められ、神の小羊を信じる信仰を持てるように、やって来て、悔い改めのためのバプテスマを受けなさい。神の小羊は世の罪を取り除く御方であり、人々を救い、すべての不義から清める力を持つ御方である。
 15 まことに、あなたがたに言う。来なさい。恐れてはならない。たやすくまとわりつき、あなたがたを束縛して滅亡に至らせるすべての罪を捨てなさい。まことに、来て、罪を進んで悔い改める気持ちのあること、また、神の戒めを守るという神との聖約に進んで入ることを、神に示しなさい。そして、今日バプテスマの水に入ることによって、神にそのことを証明しなさい。
 16 だれであってもこのように行い、その後、神の戒めを守る人は、わたしがその人に言うことを覚えているであろう。まことに、わたしの内で証する聖なる御霊の証によって、わたしがその人に永遠の命を得るであろうと語ったことを、その人は覚えているであろう。

(アルマ7)

「27 もし人がわたしのもとに来るならば、わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜にするために、人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して、わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり、わたしを信じるならば、そのとき、わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。

(エテル12)

「15 それゆえ、わたしは、悔い改めるようにあなたに命じる。わたしの口の鞭によって、わたしの憤りによって、またわたしの怒りによって打たれて、つらい苦しみを被ることのないように、悔い改めなさい。これらの苦しみがいかにつらいか、あなたは知らない。いかに激しいか、あなたは知らない。まことに、いかに堪え難いか、あなたは知らない。
 16 見よ、神であるわたしは、すべての人に代わってこれらの苦しみを負い、人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。
 17 しかし、もしも悔い改めなければ、彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。
 18 その苦しみは、神であって、しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が、苦痛のためにおののき、あらゆる毛穴から血を流し、体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。そしてわたしは、その苦い杯を飲まずに身を引くことができればそうしたいと思った。
 19 しかしながら、父に栄光があるように。わたしは杯を飲み、人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。
 20 それゆえ、わたしは再びあなたに命じる。悔い改めなさい。そうしなければ、わたしは全能の力によってあなたをへりくだらせよう。また、あなたの罪を告白しなさい。そうしなければ、あなたはわたしが語ったこれらの罰を受けて苦しむであろう。わたしが御霊を取り去ったときに、あなたはその最も小さなもの、まことにその最も軽度なものを味わったことがある。

(教義と聖約19)


救いと贖い

2015-07-22 03:55:08 | 福音と教会

うぅぅんんとぉ、30いくつものコメントが入ってるNJさんとこの記事に触発されて、ネットから勉強し、何か書けるかな??(たまWEB、コメントしようとも思ったけど、いまいち、わからん、みたいな。コメント群で、何がどう論点に??みたいな。そこでですねぇぇ・・・・)

     NJさんの・・・・「ゲツセマネの園と十字架    モルモン教関連 / 2015-07-16 00:25:15

救いとは?贖いとは?ということで、たまWEBの理解を表現してみたいなと。どれだけ単純明快かは保障なしですが。えぇぇぇっと・・・・まずはぁぁ・・・・全人類の救いの計画なんですが(この救いの計画には、贖いの計画というのも含まれているという理解です)、この計画の中心に位置するイエス・キリストの救い主、そして贖い主としての役割、使命ですよねぇ。彼なくしては、救いの計画が成り立たなかったわけで。この救いの業・わざ、福音の教導の業・わざを推し進めるにあたり、父なる神により愛され選ばれた、父なる神の御心にかなう、御子、主イエス・キリストの生涯における、特筆すべき偉大なその二つの使命とは??人の救いへの道が開かれることとなった、それら使命の達成の意義といったことへの解説にトライしてみましょうと。

         ”救いの計画” モルモン
        http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E2%80%9D%E6%95%91%E3%81%84%E3%81%AE%E8%A8%88%E7%94%BB%E2%80%9D%20%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3

基本、たまWEBは、救いの計画で必須であるところのそれら二つの使命は、それぞれ別物であっても、補完しあっているようもあり、なおかつ、贖いは救いの上部に位置するといったような理解でありまして、二つの使命(/役割)を区別しての、聖文・聖句に基づいた説明ということになりましょうか。(贖いの計画は、救いの計画上に、乗っかっている)

まずは、スタートは、永遠の世界への影響力を端的に示してそうな「人の不死不滅と永遠の命を もたらすこと,これがわたしの業であり,わたしの栄光である。」(モーセ 1:39) という聖句ですかぁぁ。二つの使命遂行の結果もたらされる不死不滅と永遠の命とを並列させていることに注目でしょうか。救い主の面では全人類の初穂として死より復活し、無条件にあらゆる人たちに不死不滅の体を与えるという復活のさきがけとなったと。で、贖い主としては、悔い改めを条件に罪からの罰を乗り越えさせ、永遠の命に至らしめる道を示し与えたということに。

次に、救い主として、十字架に上げられた理由なんですが、

「13 見よ、わたしはあなたがたに、わたしの福音について告げた。わたしがあなたがたに告げた福音とは、次のとおりである。すなわち、父がわたしを遣わされたので、わたしは父の御心を行うために世に来た。
14 父は、わたしが十字架に上げられるようにと、わたしを遣わされた。十字架に上げられた後で、わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。わたしは人々によって上げられたが、そのように人々は、父によって上げられてわたしの前に立ち、自分の行いが善いか悪いかによって、行いを裁かれるのである。
15 このために、わたしは上げられたのである。それで、父の力によってすべての人をわたしのもとに引き寄せ、彼らが各々の行いに応じて裁かれるようにするのである。
」(第3ニーファイ27)

と復活したイエス・キリストは、アメリカ大陸のニーファイ人に語ったとモルモン書にあります。永遠の世界での、復活後の裁きのためすべての人を引き寄せるんですかぁぁ・・・・キリストは、救い主としての使命を果たしえた結果、各人への裁きが可能としたということでしょうねぇぇ。で、裁きの結果には、贖いの影響力が及ぶということですよねぇ。罪から清められていないために罰となる(永遠の命を受け継がないこと)のか、贖いの使命遂行がもたらし得るところの、イエス・キリストに信仰を持ち、悔い改めてイエスに従う者として、罪から解放されての永遠の命を受け継ぐ可能性ということになりましょうかぁぁ。

ちょいと、コメントをば、お借りしましてぇぇ、““Unknown (YM)   2015-07-21 07:10:38   疑問があります

教義と聖約19.19では「わたしは杯を飲み、人の子らのためにわたしの備えを終えたのである」と書かれていますが、この「終えた」と言う意味がこれはヨハネ19.30のことを言っていると教えてもらったことがあります。改宗したての頃の話ですが。・・・・
 ””


「19 しかしながら、父に栄光があるように。わたしは杯を飲み、人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。
」(教義と聖約19)

この19:19の、“終えた”は、使命のひとつである贖い主として、備えを終えたという意味。

 

「19:30 すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。
」(ヨハネ)


この‘すべてが終った’は、マタイ伝27:50にもあるように、(ゲッセマネでは贖い主としての使命を終え、)そして今や十字架上で死ぬという救い主としての最後の使命をここに終えることで、父なる神のみこころにそって、生涯にわたって最後まで、この世でのすべての使命を果たしてきたといった意味になろうかと。

「27:50 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
」(マタイ)

「50 イエスはもう一度大声で叫んで、「父よ、終わりました。あなたの御心が行なわれました」と言われ、ついに息をひきとられた。
」(ジョセフ・スミス訳マタイ)

      “新約聖書(ジョセフ・スミス訳) 以下は、『欽定訳聖書』のジョセフ・スミス訳を抜粋した・・・・”
      http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/lds/nt-jst/nt.htm


卵がアンチ・エイジングにいいらしい

2015-07-17 22:14:08 | 知恵の言葉、健康生活の向上

ということで、鶏卵、毎日一個分でも食べるようにしているよ・・・・

『卵を食べれば全部よくなる』 佐藤 智春 2014/12/4 マガジン ハウス

“脳の老化防止に始めた一日卵3個の生活で、
 髪も肌もよみがえりました。
 脳科学コメンテイター 黒川伊保子”

卵を食べれば全部
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%8D%B5%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8C%E3%81%B0%E5%85%A8%E9%83%A8


先任順位のリスト・アップにて御座候

2015-07-15 05:58:01 | 福音と教会

今現在の使徒会および管長会の教会中央幹部トップ15名の長老たちを先任順位(日付は、使徒に聖任)で見てみますれば、

トーマス・S・モンソン現管長 (1927.8-)     10 Oct 1963

故ボイド・K ・パッカー (1924-2015.7.3)      09 Apr 1970

故L ・トム・ペリー (1922-2015.5.30)         06 Apr 1974

ラッセル・M・ネルソン (1924.9-)         12 Apr 1984

ダリン・H・オークス (1932.8-)           03 May 1984

M・ラッセル・バラード (1928.10-)         10 Oct 1985

リチャード・G・スコット (1928.11-)        06 Oct 1988

ロバート・D・ヘイルズ (1932.8-)         07 Apr 1994

ジェフリー・R・ホランド (1940.12-)         23 Jun 1994  

ヘンリー・B・アイリング第一副 (1933.5-)     06 Apr 1995

ディーター・F・ウークトドルフ第二副 (1940.11-)  02 Oct 2004

デビッド・A・ベドナー (1952.6-)          02 Oct 2004

クエンティン・L・クック (1940.9-)          06 Oct 2007

D・トッド・クリストファーソン (1945.1-)       05 Apr 2008

ニール・L・アンダーセン (1951.8-)          04 Apr 2009

となりますです。

来る10月3、4日の総大会で、新しく召されるであろう使徒たちへの支持の挙手がとられ、ほぼ6年半ぶりの補充ということになるんでしょうねぇぇ。で、ま、会社にたとえれば今は昔の?終身雇用・年功序列となりましょうか、この使徒職への聖任日時による順位付けというのがありんして、先に召され聖任された先輩長老がご臨終を迎えることによってのみ、後輩長老は、順繰りに、管長の方へと繰り上がれるという仕組みになっておりますんですねぇぇ(副管長の召しは、管長による選択・好みがメインでしょうかぁぁ)。

んでもって、次期管長に一番近いのは、使徒会長の席でして、9月で91歳のネルソン長老《 ~ この15日、来月88歳の高齢者モンソン管長から、使徒会長に指名され任命されたとのこと ~ 》、ひとたび、管長、ご崩御!!とでもなろうものなら、シュワッチ、いざ鎌倉とばかりにはせ参じ、上がりでんがな!新管長でっせでっせ、ほな、皆の衆、おおきにでっせ!ということになるんかいのぉぉ。まぁぁ、奥様とは再婚(2006年 B・バイか ウェンディー・ワトソン・ネルソン女史 2015-06-06 12:07:50 )、この3月には夫妻で来日、東京広尾?から国内向け衛星放送されて、老いてなお矍鑠・かくしゃくとはいえ、アメリカンの平均寿命が81歳とのこと、いつ逝ってもおかしくないご高齢なわけで、今後数年内で、半数は物故され更新でしょうかぁぁ。

この春、総大会欠席の寡夫スコット長老は胃腸内出血で入院後、自宅で静養とのこと。新陳代謝の意味でも、老齢に見合わずの激務?からの解放の意味でも、七十人の幹部同様、70歳~定年、名誉の引退導入もありでしょうかぁぁ?!

さてさて、今回、はたしてあれら予言の成就を目の当たりにするのかどうか??!! 

48年の年月を経て、ついに日本人の使徒が誕生する??!!、それはあの名誉幹部の現役復帰だったりして?!( 1967年、大阪は阿倍野支部で   2015-06-07 15:39:18  )

そしてそれから、この秋の補充、あの世へもう御一人お旅立ちになってぇぇ、なぁぁんてことになったれば・・・・

まぁ、しかし、彼ら幹部は、人生での成功、(教会内外での)社会的地位や権威、経済保障( 推定基本年収 2014-07-15 22:03:50  支給金100万ドル 2014-06-24 20:30:10  )、愛情、繁栄といったことで十分に恵まれて完成への道を歩み続け、過半数は、ようやくご高齢となり、どうせいつかは逝く道へとさしかかるほどの者も。ここでこの期に及んで、運命的にもう一人どなたかの寿命と重なってるとしたならば・・・・

5月、7月と二人の幹部が逝った今、あの、多くが高齢になってきて、3人の幹部がそれほど間をおくことなく物故す時にある事が起こるという予言に、どうしても注目してしまうわけでして、その成就となったれば、これは、長の間、このブログ訪問したかいもあったりかもの皆々様への建前をも鑑みれ、かつ予言関係というブログ記事の妙趣ともなれるものと勝手に想像するで御座候。

かくして、予言好きのものとしては、これは、もぉぉぉ、千載一遇の機(ジョン・H・コイルの予言、7月4日記事のコメント参照。 2015-07-04 08:48:35    2004年の補充、連続的に逝ってた二人だったんですかぁ、ニール・A・マクスウェル/7月21日没-享年78、デビッド・B・ヘイト/7月31日没-享年97と、両人欠員のためでしたかぁぁ)!

あな畏れ多し!! またひとつ、ミスることなく、予言成就とや成りならむ。

末日も、終わりのほうにてで御座候・・・・

はたして??

          http://www.ldsfacts.net/apostle1.htm
          http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=seniority%20mormon%20apostle
                   https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_members_of_the_Quorum_of_the_Twelve_Apostles_(LDS_Church)


パッカー使徒 葬儀ライブ中継

2015-07-11 07:06:26 | ニュース??!!

ライブ中継があったと、英語、スペイン語、ポルトガル語。

http://www.mormonnewsroom.org/article/funeral-services-on-temple-square-honor-president-boyd-k-packer

38:39 までは、タバナクル合唱団 58:00くらいから司会者が。

ユーチューブでライブ配信あったんですかぁぁ・・・・

    “President Boyd K. Packer's Funeral Service  Mormon Channel   2015/07/10 にライブ配信”
    https://www.youtube.com/watch?v=k5LeNcBmwrc#t=3483  

ダイジェスト版(2:37)・・・・"Funeral Services on Temple Square Honor President Boyd K. Packer  Mormon Newsroom   2015/07/10 に公開  Thousands filled the Tabernacle....
    https://www.youtube.com/watch?v=sfND8_oHDJo

ユタ州内テレビ・ニュースでは、

    “President Monson: President Packer 'diligent, devoted disciple of Christ' | Posted Jul 10th,  2015 @ 5:33pm
    http://www.ksl.com/?sid=35435797&nid=148&fm=home_page&s_cid=toppick1

    “LDS church says goodbye to Elder Boyd K. Packer  |Saturday, July 11th 2015
    http://kutv.com/news/local/lds-church-says-goodbye-to-elder-boyd-k-packer

    “‘He lived as he taught': LDS Church leaders speak at funeral of President Boyd K. Packer  Posted 7:12 pm, July 10, 2015
    http://fox13now.com/2015/07/10/he-lived-as-he-taught-lds-church-leaders-speak-at-funeral-of-president-boyd-k-packer/

    http://www.usnpl.com/tv/uttv.php


“第二の慰め主”  その5

2015-07-10 06:34:23 | 福音と教会

前回  “第二の慰め主”  その4   2015-07-01 04:48:45 

あらまぁぁ、1996年のモルモン書や教義と聖約の改訂版以降、教会出版物はすべて、英語の“eternal life”の訳語は、聖書口語訳にあるような“永遠の生命(せいめい)”から“永遠の命(いのち)”に変わったんでしたかぁぁ、知らんかっとったん・・・・聖書共同訳(1978~)では、“永遠の命”でしたかぁぁ・・・・(今日使用の末日聖典2006年版で、96年版と比べ、ほんのちょっとだけ変わったのがあるけど、わかる人いるかなぁぁ?? ヒント: モルモン書)

「132:24 永遠の命とは、唯一の、知恵あるまことの神と、神の遣わされたイエス・キリストを知ることである。・・・・」(教義と聖約)とあります。

これまでの第二の慰め主の説明で、第二の慰め主が、父なる神を紹介されるといったのが抜けてましたかぁぁ、その‘紹介される’とは、これ、受身じゃなく謙譲・ていねいの‘れる’ね、んで、慰め主の訪れの後に父なる神が訪れるということで、父なる神の訪れは、イエスの紹介があって初めて成り立つみたいなそんな感じでしょうかぁ・・・・そのへん、もうちょい読んでみてから・・・・


おかげさんで、5年目に突入

2015-07-08 02:28:26 | たまWEBやブログの紹介

ブログのスタートは、2011年6月30日で、その前は、たしか2006年半ばくらいに、旧モルモンの泉掲示板にお邪魔しだしてのネットデビューでしたかぁぁ。はぁぁぁ、歳月人を待たず で、たまWEBのネット書き込み、もうかれこれ9年の月日が経・たってしまったとです。十年一昔とはいいますが、2005、1995、85、75・・・・と遡・さかのぼってみれば、さらに頭を過・よぎるものがあるにはあるで御座候。この10年は、はたしてどうだったかぁぁ??ネットの影響が超大きいですかぁぁ、ばってん、おかげさんで、たまWEBなりにがんばって続けてこれましたぁぁ、感謝で御座候・・・・

はからずも、ブログのタイトルの真意は、主イエスを知ること、そしてその知ることの質の向上を求めているということなんだと、今になって教わっているような次第で御座候。主イエスを知るのは、第一の慰め主(聖霊)を通じてであり、しかしながら、そこにとどまるままに置かれるのではなく、試練を経るなどして、続けて主イエスを信ずる信仰生活を求め続けていくと、その先にさらなる大いなる喜びをもたらす祝福が待ち受けているといいましょうか、究極の光と知識であろうところの、第二の慰め主(御子キリスト)の臨在を受けるということですかぁ、いいかえれば、召しと選びを確かなものとするよう求めて、喜び励んで信仰生活を強めていけれるんだといった教えですかぁぁ。

ま、今後とも、記事内容は、タイトルとはつり合わずの、名前負けの傾向が続くかとは思いますが、そのへん、あまりかしこまらず、気張らず、へこまらず、極々自然体で行くでよと・・・・

ほな、皆々さま、ご機嫌よろしゅう・・・・

光と知識   http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%B8%F7%A4%C8%C3%CE%BC%B1   (ブログ内検索)  


ボイド・K・パッカー使徒会長、ご臨終

2015-07-04 08:48:35 | ニュース??!!

http://www.mormonnewsroom.org/article/president-boyd-k-packer-dies-at-age-90

http://www.ksl.com/?nid=148&sid=33350763&title=president-boyd-k-packer-dies-at-age-90&fm=home_page&s_cid=topstory

7月3日金曜、午後2時(日本時間だと、今朝の5時ですかぁぁ)、自宅で老衰のため。90歳。(1924.9-2015  十二使徒補助61、使徒70、使徒会長代理94、使徒会長08)、大会社役員並みの報酬、長年にわたって得てたんですかぁぁ、生命保険も億単位でしょうかぁぁ、えらいもんだなぁぁ・・・・息子娘が10人、孫60人、ひ孫110+人・・・・葬儀は、10日金曜午前11時って。日本にいる幹部も招集でしょうかぁぁ・・・・


“第二の慰め主”  その4

2015-07-01 04:48:45 | 福音と教会

前回  “第二の慰め主”  その3   2014-12-24 21:16:25 


第二の慰め主についての解説をば、セミナリーおよびインスティチュートで用いられてる、新約聖書に関しての、生徒用テキストと教師用ガイドから見つけましたので、メモりますです。
http://ldschurch.jp/gospel-library/manuals/seminary からPDFファイルで)

この第二の慰め主についての教えは、末日聖徒特有のもので、すなわち、予言者ジョセフによって教え、解き明かされたのでありました。今日、日曜学校のテキスト類やシリーズ歴代管長の教え『ジョセフ・スミス』には、どういうわけか、出てまいりません、省かれちゃってるわけですかぁぁ。教会幹部説教でも、引用や言及はゼロでしたかぁぁ。まぁ、たまWEB的には、この教えこそは、教会員信仰生活に大いなる活気や喜びをもたらすものと確信してる感じではありまして、全くもって一世紀近くもでしょうか、そういった場で、教えられてないのは、たいへんな損失、もったいないことなのではと思ったりするわけです。

今週の日曜学校では、ヨハネ伝14章が含まれていたわけですが、

「14:16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

この‘別に助け主を’というのは、欽定訳では、‘another Comforter’とあり、もう御ひと方であるところの慰め主といった訳になろうかと。この‘another’は、まぁ、文脈にもよりましょうが、最初に、ひとつの物事が説明されて、次に同種の2番目の物事を示す時に用いられるわけで、全部で二つあるみたいな。

         http://www.studylight.org/desk/index.cgi?sr=1&search_form_type=general&q1=john+14&s=0&t1=en_kjv

で、教会が版権所有してる、英文欽定訳聖書ですが、このヨハネ14:16の‘another Comforter’には、原参照欄への指標マーク(a, b, c...、 日本語モルモン書等は、1、2、3・・・)が付いていて、そこには、イエス・キリスト、第二の慰め主とあり、さらに関連聖句へと続くわけですね。

いつから変わったのでしょうか、教会サイトの聖文だと、指標やら参照欄等、全部カットされちゃってるね・・・・前に教会サイトにあった、教会発行の印刷された聖典と同じのは、ここで。

         ここ:  http://classic.scriptures.lds.org/

         http://classic.scriptures.lds.org/en/john/14/16a

“TOPICAL GUIDE    Jesus Christ, Second Comforter

John 14: 16 Father . . . shall give you another Comforter. 
D&C 67: 10 privilege, and a promise . . . veil shall be rent and you shall see me. 
D&C 130: 3 appearing of the Father and the Son . . . is a personal appearance. 

See also Heb. 12: 21-24; 2 Pet. 1: 10-11, 19; 2 Ne. 31: 14-21; D&C 76: 53-54, 67; D&C 88: 3-4; D&C 93: 1; D&C 131: 5.
”        http://classic.scriptures.lds.org/en/tg/j/63

この第二の慰め主のことをよく説かないと、教義と聖約84にある危険性を冒すことにと危惧する人たちもいるような・・・・

        「23 さて、このことを、モーセは荒れ野の中でイスラエルの子らに分かりやすく教え、その民が神の顔を見ることができるように、彼らを聖めようと熱心に努めた。
 24 しかし、彼らは心をかたくなにし、神の臨在に堪えることができなかった。そのため、主の怒りは彼らに向かって燃え、主は激しく怒って、彼らは荒れ野にいる間神の安息に入れないと誓った。この安息とは、主の完全な栄光のことである。
」(84章)

         第二の慰め主
         http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%C2%E8%C6%F3%A4%CE%B0%D6%A4%E1%BC%E7
       http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E3%81%AE%22%E6%85%B0%E3%82%81%E4%B8%BB%22&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&x=wrt

以下、セミナリー・インスティチュートのテキスト類からの引用・・・・

“ヨハネ14:16-26――二人の慰め主とは
預言者ジョセフ・スミスは次のように話しています。
「キリストを信じ,自分の罪を悔い改め,罪の赦しのための
バプテスマを受けて,按手によって最初の慰め主である聖霊
を受けたならば,次に神の前にへりくだり,飢え渇くように義
を求め,神の言葉一言一言によって生活しなさい。……そうす
ると,……その人は,主が聖徒に約束された別の慰め主を受け
る特権を得る。……さて,この別の慰め主とはどなたであろう《‘the other Comforter’となってますかぁぁ》
か。それは主イエス・キリスト御自身にほかならない。」
(Teachings of the Prophet Joseph Smith,150-151)

p94、セミナリー生徒用テキスト
http://ldschurch.jp/bc/content/Japan/gospel-library/manuals/seminary/NT-Student-Manual.pdf

「いわゆる二人の慰め主が存在する。一人は聖霊である。
これはペンテコステの日に授けられたと同じ聖霊である。信
仰を持ち,悔い改め,バプテスマを受けた後に,聖徒たちは
だれでも聖霊を授けられる。この第一の慰め主すなわち聖霊
の働きはまさに純粋な英知によるものである。それは心を開
き,理解の目を開き,今持っている知識に知性を増し加える
ことにおいて,なおいっそう大きな力を持つ。……
いわゆるもう一人の慰め主は,多くの関心を集める主題
であるが,現代においてこれを正しく理解している人は,
ほとんどいないであろう。キリストを信じ,自分の罪を悔
い改め,罪の赦しのためのバプテスマを受けて,〔按手に
よって〕最初の慰め主である聖霊を受けたならば,次に神
の前にへりくだり,飢え渇くように義を求め,神の言葉一
言一言によって生活しなさい。そうすればやがて主が,
『息子よ,あなたは昇栄するだろう』と告げてくださるで
あろう。主は徹底的に人を試して,どんな苦難に遭っても
主に仕える決心が揺るがないことを知ると,その人に召し
と選びが確かなものになったことを告げられる。そうする
とヨハネ1 4:1 2-2 7の聖ヨハネの証にあるように,その人
は,主が聖徒に約束された別の慰め主を受ける特権を得る。
1 6-1 8,2 1,2 3節に注目しよう。……
さて,この別の慰め主とはどなたであろうか。それは主
イエス・キリスト御自身にほかならない。これが全体の総
括となるものである。この最後の慰め主を受ける人は,イ
エス・キリスト御自身の訪れもしくは顕現を受ける。さら
には御父の顕現をも受けるであろう。そして御父と御子の
臨在のもとに天の示現は開かれ,主が顔と顔を合わせてそ
の人にお教えになる。したがってその人は,神の王国の奥
義に関して完全な知識を受けることができるのである。古
代の聖徒たちが栄光あふれる示現を受けたときの状態は,
そのような状態であった。イザヤやエゼキエル,パトモス
島でのヨハネ,3つの天界における聖パウロ,それに長子の
教会と総集いと交わりを持ったすべての聖徒たちがそうで
ある。」(Teachings of the Prophet Joseph Smith,(“予言者ジョセフ・スミスの教え”未邦訳)1 4 9-1 5 1)


“ヨハネ1 4:1 5-2 6;1 6:7-1 4。第一の慰め主は聖霊で
ある。聖霊は慰めと平安をもたらし,また教えと証を与え,主の
教えを心に留められるように助け,罪人を叱責される。第二の慰
め主はイエス・キリストである。キリストは御自分を愛し,仕え
る人々に,いつの日かその御姿を示される。(25-30分)
生徒たちに以下の質問をする。「皆さんが子供時代に経験した
いちばん恐いことはどんなことですか。」何人かの生徒に彼らの
体験を話してもらい,次の質問をする。「その体験の後で,心に
慰めや平安を感じることがありませんでしたか。」
生徒たちにヨハネ1 4:1 5-2 6を読ませ,救い主が弟子たちに与
えられた慰めの約束を確認させる。以下の質問をする。
弟子たちに慰めが必要だったのはなぜでしょうか。
わたしたちには,聖霊のように慰めを与えてくれる特別な存
在を必要とするときがあります。それはどのようなときでし
ょうか。
聖霊を受けることができるのは,どのような人でしょうか。
聖霊は第一の慰め主と呼ばれる場合があることを説明する。生
徒たちにヨハネ14:18-21,23を読ませる。
この聖句によると,第二の慰め主と呼ばれるのはどなたでし
ょうか。(キリスト)
第二の慰め主の約束はだれに授けられるのでしょうか。(主の
戒めを守り,主を愛する人々。21,23節参照)
教義と聖約9 3:1を読み,第二の慰め主の祝福はすべての聖徒に
約束されているが,実際にそれを受けるには,あらゆる努力をして,
自分が忠実であることを証明しなければならないことを説明す
る。以下の二つの引用文を用いて,二人の慰め主について教える。
ブルース・R・マッコンキー長老は,ヨハネ1 4:1 5-2 6に関連
して,次のように述べている。
預言者ジョセフ・スミスは二人の慰め主について次のように述
べている。
わたしたちは第二の慰め主に対して自らを備えなければならな
いが,キリストは「神自身の時,神自身の方法で,神自身の思い
に従って」(教義と聖約8 8:6 8)御自身を現される,ということ
を生徒たちに指摘する。わたしたちは第一の慰め主を受け,心に
留めることを重視しなければいけない。それはわたしたち一人一
人が,今できることだからである。
生徒たちにヨハネ1 4:2 6とヨハネ1 6:7-1 4を読ませ,聖霊の
賜物を通してどのような助けが得られるかを確かめさせる。それ
らを黒板に書き上げ,その内容について話し合う。
次の質問をする。「わたしたちは幸福と永遠の命を求める旅に
おいて,いつも孤独で,頼るものがないという気持ちでいなけれ
ばならないのでしょうか。」聖霊がもたらす平安,喜び,慰めに
ついて証する。
ヨハネ1 5:1-8。救い主は真のぶどうの木であり,わたした
ちはその枝である。わたしたちは救い主から養いを受け,救い主
がおられなければ何もすることができない。(15-20分)
電気器具と植物を用意する。プラグをコンセントに入れない状態

「この二人の慰め主についての説教は,神の子の教えの
クライマックスとなるものである。主の言葉として記録さ
れているものの中で,これほど完全に永遠の幕を取り去り,
忠実な人々に神の栄光の示現を与えてくれるものはない。
従順から生じる愛を土台として,イエスは聖徒たちに,今
この地上で聖徒たちが以下のものを得ることができると約
束しておられる。
(1)伴侶である聖霊とその賜物。聖き御霊より与えられ
る慰めと平安。人が後に神々や天使たちとともに働くに必
要な啓示と聖めの力。
(2)第二の慰め主すなわち主イエス・キリスト御自身,
復活し完全な状態にある御方で,高き御座で御父とともに
生活しておられる御方からの直接の訪れ。
(3)……父なる神が直接人間のもとを訪れ,人間をみも
とにお呼びになり,王国の隠れた奥義を啓示してくださる
こと。」(Doctrinal New Testament Commentary,第1巻,
7 3 5)
わたしたちは第二の慰め主に対して自らを備えなければならな
いが,キリストは「神自身の時,神自身の方法で,神自身の思い
に従って」(教義と聖約8 8:6 8)御自身を現される,ということ
を生徒たちに指摘する。わたしたちは第一の慰め主を受け,心に
留めることを重視しなければいけない。それはわたしたち一人一
人が,今できることだからである。
生徒たちにヨハネ1 4:2 6とヨハネ1 6:7-1 4を読ませ,聖霊の
賜物を通してどのような助けが得られるかを確かめさせる。それ
らを黒板に書き上げ,その内容について話し合う。
次の質問をする。「わたしたちは幸福と永遠の命を求める旅に
おいて,いつも孤独で,頼るものがないという気持ちでいなけれ
ばならないのでしょうか。」聖霊がもたらす平安,喜び,慰めに
ついて証する。

p128、セミナリー教師用ガイド
http://ldschurch.jp/bc/content/Japan/gospel-library/manuals/seminary/sinnyaku.pdf


“(24-4)ヨハネ14:16-24二人の慰め主とはだれと   《テキストでは、16ではなく18節に、ミスプリント》
だれか
「この二人の慰め主についての説教は,神の御子の教え
のクライマックスとなるものである。主の言葉として記録
されているものの中で,これほど完全に永遠の幕を取り去
り,忠実な人々に神の栄光の示現を与えてくれるものはな
い。従順から生じる愛を土台として,イエスは聖徒たちに,
今この地上で聖徒たちが以下のものを得ることができると
約束しておられる。
(1)伴侶である聖霊とその賜物。聖き御霊より与えられ
る慰めと平安。人が後に神々や天使たちとともに働くに必
要な啓示と聖めの力。
(2)第二の慰め主すなわち主イエス・キリスト御自身,
復活し完全な状態にある御方で,高い住まいで御父ととも
に生活している御方からの直接の訪れ。
(3)ピリポが指摘しているように,父なる神が直接人間
のもとを訪れ,人間をみもとにお呼びになり,王国の隠れ
た奥義を示してくださること」(マッコンキー,Doctrinal
NewTestamentCommenta〃「新約聖書教義注解」l:735)

p188、インスティチュート生徒用テキスト
http://ldschurch.jp/bc/content/Japan/gospel-library/manuals/institute/Life_and_Teachings_of_Jesus_and_His_Apostles.pdf

“進歩の階段の絵を書く。次いで,御二方の慰め主につい
て説明する。(「教え」pp.149-50参照)

p54、インスティチュート教師用ガイド
http://ldschurch.jp/bc/content/Japan/gospel-library/manuals/institute/Life_and_Teachings_of_Jesus_and_His_Apostles_Instructors_Guide.pdf

‘Teachings of the Prophet Joseph Smith'「予言者ジョセフ・スミスの教え」ジョセフ・フィールディング・スミス編。邦訳なし。
マッコンキー,DoctrinalNewTestamentCommenta〃「新約聖書教義注解」、邦訳なし。