より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

古代メキシコ、オルメカの起源

2014-11-29 11:08:10 | モルモン書、アメリカ先住民

人物: カルロス・デ・シグエンサ・イ・ゴンゴラ( Carlos de Siguenza y Gongora メキシコ生まれ 1645-1700 クリオーリョ/新大陸生まれの白人 17世紀メキシコの大学者・知的巨人 メキシコ先住民の歴史・言語にも関心を持ち、多くの記録類を収集 )

カルロス・シグエンサ ゴンゴラ
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%B0%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B5+%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%A9&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

彼は、メキシコ(当時、新スペイン)の原住民の起源は、ノアの孫のミツライムの子であるところのナフトの子孫であって、言語の混乱の後にエジプトからやって来た人たちと結論付けたんだそうな。(当時のドイツ人碩学、イエズス会司祭アタナシウス・キルヒャー(1601-1680)の影響も。彼は、世界中の文化はエジプト起源との説)

その資料となる先住民の記録は定かではありませんが、おそらく、後にカトリック司祭らによって異教であり、征服対象の民として、文化破壊、歴史抹消、焚書されてしまったのでしょうと。

「10:1 ノアの子セム、ハム、ヤペテの系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに子が生れた。

10:6 ハムの子孫はクシ、ミツライム、プテ、カナンであった。

10:13 ミツライムからルデ族、アナミ族、レハビ族、ナフト族、

10:14 パテロス族、カスル族、カフトリ族が出た。カフトリ族からペリシテ族が出た。

(創世記10章)

んでですね、ナフト族は、欽定訳で“Naphtuhim”ですが、"nephet”の複数形にあたり、 "nephet"の意味が、ミツバチの巣、したたり落ちる蜂蜜ということで、まさに、モルモン書のエテルの記録に通じますがなぁぁという話・・・・

「03 また、彼らはデゼレトも運んだ。デゼレトとは、蜜蜂という意味である。このようにして、彼らは幾つかの蜂の群れを運び、また地の面にあるあらゆるもの、あらゆる種も携えて行った。

(エテル書)


http://inthecavityofarock.blogspot.jp/2011/08/who-were-jaredites.html
http://search.yahoo.co.jp/search?p=nephet+honeycomb&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt

「King James Bible  Strong's Hebrew Dictionary  5301 (naphach) to 5400 (nasaq)

(5317) nopheth [no'-feth]   

from 'nuwph' (5130) in the sense of shaking to pieces; a dripping i.e. of honey (from the comb):--honeycomb.

       http://www.sacrednamebible.com/kjvstrongs/STRHEB53.htm


「 "he boldly pronounced that the Mexican Indians were the descendants of the Naphtuhim, the son of Misraim, founder and ruler of Egypt," and further asserted that Naphtuhim was a variation on the name Neptune, the ruler of Atlantis, populated by Egyptian colonists.[36] In advocating an Egyptian origin for the ancient Mexicans・・・・」
     http://en.wikipedia.org/wiki/Carlos_de_Sig%C3%BCenza_y_G%C3%B3ngora


「アタナシウス・キルヒャー    アタナシウスは当時のヨーロッパでもっとも優れた古代エジプト研究者であった。   アタナシウス・キルヒャーはヨーロッパにおける中国研究の第一人者でもある。1629年には長上に宣教師として中国に行きたいという希望を出している。  著作の中でアタナシウスは、表意文字はヒエログリフに劣ると考えている。なぜなら彼が漢字は特定の意味しか持たないが、ヒエログリフはさまざまな複雑な思想を表現していると考えたからである。さらにマヤやアステカの象形文字は一つの意味しかもたないため、漢字よりも劣るとしている。ウンベルト・エーコはこのようなアタナシウスの考え方を当時のヨーロッパ人の中国人観およびアメリカの先住民観を反映しているとみた。つまり中国人というのはアメリカの先住民のように征服してもかまわない野蛮人ではなく、ヨーロッパ文明の本流から離れてしまってはいるが、依然として高度な文明を持ち、ヨーロッパへと回帰する可能性のある民族だという考え方である。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%BC

オルメカ
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%AB&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt


黙示録とモルモン書  その2

2014-11-27 20:26:38 | モルモン書、アメリカ先住民

間違えとったとです。黙示録には2箇所言及しとったですかぁぁ・・・・

モルモン書で、新約聖書の最後の書、ヨハネの黙示録についてふれてるのは一箇所だけですかぁぁ・・・・黙示録の解釈で真相に迫って意義を持たしめたい、たまWEBとしては、黙示録とモルモン書を関連付け得る事柄は見ておくのは必須っす。

・・・・27 わたしニーファイは、天使の言葉により、この小羊の使徒の名がヨハネであることを聞き、ここに証する。 ・・・・

 黙示録とモルモン書  2014-09-01 21:44:43 | モルモン書、アメリカ先住民

 

“15 見よ、おお、イスラエルの家よ、あなたがたを恐ろしい邪悪な状態、心のかたくなな状態、思いをくらまされた状態にとどめさせるあの不信仰の幕をあなたがたが裂くとき、世の初めからあなたがたに対して隠されてきた大いなる驚くべきことが明らかにされるであろう。まことに、打ち砕かれた心と悔いる霊をもってわたしの名によって父に呼び求めるとき、あなたがたは、父があなたがたの先祖に立てられた聖約をすでに思い出されたことを知るであろう。
 16 その後、わたしが僕ヨハネに書き記させたわたしの啓示は、すべての民の目に明らかにされるであろう。覚えておきなさい。あなたがたはこれらのことを目にするとき、その啓示が実際に明らかにされる時の近いことが分かるであろう。

(エテル4章)

"書き記させたわたしの啓示"
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E6%9B%B8%E3%81%8D%E8%A8%98%E3%81%95%E3%81%9B%E3%81%9F%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AE%E5%95%93%E7%A4%BA%22&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

書いてますね、御ひと方・・・・

英語だと、

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22have+caused+to+be+written+by+my+servant+John%22&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt

いくつかぁありますかぁぁ・・・・

時が来れば、示されるということなんでしょうけど、こうしてブログ書きであぁでもない、こうでもないと求めれば、それなりに理解が深まるのかもですよね・・・・

 しかしあれでんな、御子イエスは、十字架に上げられ殺され、予言者ジョセフは、カーセージ監獄で殺害され、モルモン書の最後の予言者モロナイは殺され、彼の父予言者モルモンも殺され、こうして主イエスへの証人として死をも厭わず守り抜き、彼らの手によってモルモン書があるわけで、そういったモルモン書が基盤となって福音が回復されて、天の父なる神、その御子である救い主/贖い主イエスそして聖霊といった信仰持ってるとされるモルモン教徒はエライもんだなぁぁって・・・・


サン・ゲージング   その5

2014-11-25 19:55:50 | 知恵の言葉、健康生活の向上

「脳下垂体のホルモンの分泌調整をしているのが、すぐ上部にある視床下部です。そして、これを活性化させる最も重要な機関が「松果体」です。この「松果体」は、脳の一番深い場所に位置した0.1~ 0.2gの小豆大ほどのクリスタル構造をした特別なホルモン分泌腺です。

実は、この松果体は人体の中で最初に完成する器官であり、この松果体が、生命力や若さ、免疫を強化するメラトニン、リラックスのセロトニン、やる気と快楽ホルモンのドーパミン、アセチルコリン、βーエンドルフィン等の脳内ホルモンを活性化させています。

つまり、この松果体が、肉体や意識をコントロールしているのです。

天才脳のメカニズムー間脳と右脳の密接な関係:凝視して見る太陽はきょうも奇蹟が徳になる  2013年10月08日

    http://blog.goo.ne.jp/natu9906/e/769fb634a2f48facf0883ac3b06fea81

「太陽などから受けた光の信号は、視交叉上核を通って松果体に届く。すると松果体はメラトニンを生成し始める.
メラトニンの量が増えると、視交叉上核に伝えられて,眠りが誘発される…。

太陽光線を浴びると、メラトニン(睡眠効果)、セレトニン(ウツが治る)、β-エンドルフィン(気持ちが良くなる)などの脳内ホルモンが活発に分泌されるので,しあわせ気分になるのは当然なのだが…,

    http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-entry-8583.html?sp

「不思議なことに精神、細胞、体質、生活が変わって、私の存在自体が以前とガラリと変わってしまったんですよ。それから大切なことは「太陽凝視は身体にプラスになる!」と思ってやること。

脳のど真ん中にある松果体(第三の目)は、グリーンピースくらいの大きさで、不思議な分子構造になっています。ここで、さまざまなスピリチュアルな働きを促すホルモンが生成されます。これは私の仮説ですが、松果体の細胞構造が、強烈な光のエネルギーを分散したり弱めるのではないかと思います。太陽を見つめる瞬間、人間の瞳孔がカメラのレンズの絞りのように精密に働いて、吸収する光がグッと弱まる。それでも光は細くなった瞳孔から奥に射し込んで網膜に直射します。ところが驚くことに、網膜~視床底部~モンロー官~松果体の各細胞の表皮粘膜構造が、凸面鏡になっている。つまり、拡散作用があるんです。拡散した光が拡散現象を繰り返しながら奥に到達するまでの間に、適度に柔らかくなって、人間の身体に支障を与えない波動だけになっていく。光は波ですから。程よく弱められた効果的なエネルギーを、細胞たちが利用している。これが太陽凝視の秘密なんです。

私がたった2ヶ月でこれだけ変化してしまった太陽凝視の効果は、想像以上に大きかった。生命の根底には太陽があるということを、しっかりと認識することが大切です。日中に働いている人でも、昼食を抜いて空いた時間に、凝視しなくとも、少しの時間太陽を見るだけでもいいと思います。それだけでも精神的な何かを感じ取ることができますから。日常生活のちょっとした時間を活用するだけで、スピリチュアルを実感できてしまう、プチ太陽生活。これから流行るかもしれませんね。

飯山一郎と太陽凝視   2014-02-19  わたしがブレサリアン(不食)を目指す理由

    http://utyuuhosi.blog.fc2.com/blog-entry-247.html


たまWEB的には、これまで太陽凝視、日の出時数分間の、通算、2週間以上になりますか、なんか調子いい感じ、ネクラからネアカに変わりつつあるような。健康法としてオススメで御座候。


ヤレドの民

2014-11-22 07:46:17 | モルモン書、アメリカ先住民

モルモン書のヤレドの民がハムの子孫説にも触れてるビデオです。研究者ウェイン・N・メイという御仁の話。ウィスコンシン州出身、改宗者。
たまWEBの聞き取り能力は低いのであれですが、日本語字幕でもあれば面白いんだろうけどなぁぁ・・・・誰かぁぁ・・・・

「Wayne May — The Jaredites... Who Are They? 1:17:27  MormonEvidence 2014/02/27」
https://www.youtube.com/watch?v=bJOY4OtCj7Y&index=20&list=LLyg1JcY6oTw0YzQNW59CdlA

http://search.yahoo.co.jp/search?p=mormon+wayne+may&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt


ヤレド
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%A5%E4%A5%EC%A5%C9


単独行動のブリガム

2014-11-18 08:54:34 | 教会の歴史 

ある教会員(再組織教会)の少年時の記憶     ...(【】・()内、たまWEB注など)

「私と母の家族は長屋住まいに住んでいました【場所的には英国のとある町】。隣りはエリザベス・メイヤーという名の女性で、彼女の父と兄は、庭師(/植木師)で、夕食時以外は家から遠くに出ていました。彼らが仕事に出た後に、ブリガムは隣りの家にやってくるのでした。すると彼女はきまってドアをロックし、窓のブラインドやカーテンを閉めるのでした。自分にはどうしてそうするのかわかりませんでした。彼ブリガムは、私の家族を一度も訪問したりしませんでした。ほんの数歩もかからないすぐ隣だというのに。彼は、いつも急いで立ち去るのでした。彼女エリザベスはドアまで来て見送るということは一度もありませんでした。

同じようなことはノーブー町でもありました。その女性はグリーナフ婦人といいました。彼女の息子は、私と同い年でした。ブリガムがやって来ると、必ず息子は外に出させられるのでした。そしてドアが閉められ、窓のカーテンは下ろされるのでした。何故彼がそうさせるのか不思議に思ったものです。彼が心の広い人で、真理を教え導く業に従事しているというならどうして少年を追い出すんだろうかと。どうして、すぐ隣りの私の母を訪れたりしないのかと。

       http://restorationbookstore.org/articles/nopoligamy/jsfp-vol1/chp4.htm

それら名前の女性は、ウィキに載ってる女性たち(ブリガムの妻たち)に出てないようだなぁぁ・・・・

     http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Brigham_Young's_wives

ブリガムは人一倍、精力・性欲強かったんでしょうね、 フリー・ラブ的コクラン教団の影響も受けてか?!

コクラン・・・・「多妻婚について  2013-05-09 09:14:12  |」

・英文魚拓・・・・

      " We lived next door to her, under the same roof.... This Elizabeth Mayer had a father and a brother who were gardners; they took their dinners, as they worked a long piece from home. After they had left for work, Brigham would step into the house, she would then lock the door and pull down the blinds and curtains, which to me was strange. He never came to see our folks, although not five steps apart; and when he left he was always in a hurry, and she never came to the door with him when he was leaving.

This same thing occurred in Nauvoo with a woman and Brigham. Her name was Greenough; her son was about my age, was always driven out when Brigham came, the door was shut and the curtains lowered. I was puzzled to know why he acted so, if he had a good heart, and was engaged in the business of teaching the truth, why drive the boy out? Why not come also and see my mother, only a few steps apart?
"


サン・ゲージング   その4

2014-11-17 22:04:31 | 知恵の言葉、健康生活の向上

ここ何度か、雲が多少かかってる時も含め、太陽凝視できた感じ。まぁ、実質3,4分以上になったかも。少し慣れてきたかな。多少とも目を細めなくてもいいような。日の出時にですがね。といっても、周りは林立状態の2階建ての家々。それらの屋根とちょうど30メートル先くらいにある何かいろいろ巻き付いてる電柱にさえぎられたりでより正確には30分後くらいになって日が当たってきますかぁ。それでねぇ、こころなしか、なんか就寝時よく眠れたみたいな、床についてだいたいすぐにぐっつり。夜は夜で、朝日にあたるのが待ち遠しいみたいな。あぁ、やっぱちょいと脚色、気のせいでしょうか・・・・


DNA鑑定

2014-11-15 20:40:00 | 教会の歴史 

以下、NJWindowさんのブログ記事「モルモン教会、ジョセフ・スミスの多妻を公的に認める   2014-11-13 23:25:17  NJWindow(J)」へのコメントです。


確か、教会歴史でわかってたことで、ジョセフの子ではないかとされた人の人数は9人。これらの母親は7人で、それぞれ夫がいた。一人は夭逝のためDNA鑑定不能。2005年から2011年までで、7人が、DNA鑑定の結果、ジョセフの子ではないと判明。残る一人については、比べられる子孫がみつかってないため?、現在まで不明という話。

この鑑定で、夫婦関係の実態はなかったということを補強したことになったんでしょうけど・・・・

んが、なんかで見たんですが、その鑑定した学者/研究者さん、ユーゴ・ペレーゴ博士(Ugo A. Perego)は、イタリア国籍(出身)の教会員で、22歳の時、カリフォルニアで宣教師の召しを皮切りに、その後足掛け18年間のソルトレークシティでの滞米研究生活。その鑑定後は教会のセミナリー・インスティチュート教師に、現在は、イタリアはローマでインスティチュート・プログラムの総括責任者。ということは・・・・なんでは?(買収?教会の職業での生活保障?)という話もあるんだとか。

まぁね、第3者とか、入れないと・・・・いや、何ともわからんです、外野周辺域在、ど素人、完全なる門外漢のたまWEBには・・・・

http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Joseph_Smith%27s_wives#Allegations_of_children_born_to_alleged_polygamous_wives

http://search.yahoo.co.jp/search?p=DNA++%22joseph+smith%22+descendants&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

http://search.yahoo.co.jp/search?p=Ugo+A.+Perego+%22joseph+smith%22+dna&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sfp_as&x=wrt


日本人奴隷

2014-11-13 21:42:43 | 日本/世界の将来は??

渡りに舟とばかりに?、NJさんとこの記事にコメントしたんですが、それをこちらに写しですわぁぁぁ・・・日本の将来ということなんだけど、隠された歴史をしっかと学ぶと・・・・

「[記録] 日曜学校で高山右近について聞く   2014-11-13 00:22:31  NJWindow(J) 」

以下は、コメントの魚拓。

人身売買 (たまWEB)
 
2014-11-13 08:19:48
 
「日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか?

徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。

・・・・

秀吉は準管区長コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ」と命じています。

更に秀吉は、「なぜ伴天連たちは地方から地方を巡回して、人々を熱心に煽動し強制し'て宗徒とするのか。今後そのような布教をすれば、全員を支那に帰還させ、京、大阪、堺の修道院や教会を接収し、あらゆる家財を没収する」と宣告しました。

注目すべきは次の十条で、日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止。十一条で、牛馬をし食料とするのを許さない、としていることである。

 以上の内容からは▽右近が高槻や明石で行った神社仏閣の破壊や領民を改宗させたことを糾弾▽有力武将を改宗させたのはほとんどが右近によってで、右近に棄教をさせることで歯止めがかかると見た▽バテレン船で現実に九州地方の人々が外国に奴隷として売られていること―などが分かる。秀吉の追放令は、ある意味で筋の通った要求だった。

・・・・

現代にたとえれば竹中平蔵などがキリシタン大名として宣教師たちの手先となって働いているのと同じであり、日本の銀行や保険会社などを外資系ファンドなどに売りさばいてしまった。戦国時代に日本の娘を奴隷として売りさばいたのと同じ行為であり、竹中平蔵は高山右近であり、アルメイダのような改宗ユダヤ人が日本乗っ取りを狙っている。

株式日記と経済展望   2006年01月27日

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5a197e856586baf726f6a0e68942b400

「アフリカのコートジボアールは、黒人輸出と象牙の輸出で黄金海岸と言われた。日本は、日本人を奴隷としてがんがん輸出したので、戦国時代のイエズス会士により「白銀海岸」とよばれたそうだ。ローマ法王庁の地図には、有明海の三角湾のところにseaside of silver(白銀海岸)とあるそうだ。当時の日本の有力輸出品は日本人だったのだ。

三角 ”白銀海岸” ”黄金海岸”
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%B8%89%E8%A7%92+%E2%80%9D%E7%99%BD%E9%8A%80%E6%B5%B7%E5%B2%B8%E2%80%9D%E3%80%80%E3%80%80%E2%80%9D%E9%BB%84%E9%87%91%E6%B5%B7%E5%B2%B8%E2%80%9D&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sfp_as&x=wrt

といった話は、やっぱ無かったんでしょうかね??


日本人奴隷 (たまWEB)
 
2014-11-13 21:27:06
 
「1560年代以降、イエズス会の宣教師たちは、ポルトガル商人による奴隷貿易が日本におけるキリスト教宣教のさまたげになり、宣教師への誤解を招くものと考え、たびたびポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を求めていたが、1571年に当時の王セバスティアン1世から日本人貧民の海外売買禁止の勅令を発布させることに成功した。それでも、奴隷貿易は根絶にいたらなかった。

1587年(天正15年)、豊臣秀吉は九州討伐の途上で当時のイエズス会の布教責任者であった宣教師ガスパール・コエリョを呼び、バテレン追放令を発布して、人身売買と宣教師の関わりについて詰問している。

1596年(慶長元年)、長崎に着任したイエズス会司教ペドロ・マルティンスはキリシタンの代表を集めて、奴隷貿易に関係するキリシタンがいれば例外なく破門すると通達している。

やがて日本が鎖国に踏み切り、日本人の海外渡航並びに入国が禁止され、外国人商人の活動を幕府の監視下で厳密に制限することによって日本人が奴隷として輸出されることはほぼ消滅したとされる。

しかし、明治維新後、海外に移住しようとした日本人が年季奉公人として奴隷同然に売り払われることはあった。後に内閣総理大臣になった高橋是清も、ホームステイ先で騙されて年季奉公の契約書にサインしてしまい、売り飛ばされている。

・・・・

秀吉の平和の下で、日本の人身売買が初めて深刻な外交問題として論じられたことになる。その秀吉の言い分を『九州御動座記』がこう代弁していた。伴天連ばてれん ら・・・・・・ 日本仁にほんじん を数百、男女によらず、黒舟へ買い取り、手足に鉄のくさりを付け、舟底へ追い入れ、地獄の 苛責かしゃく にもすぐれ、・・・・・・見るを見まねに、それを所(九州)の日本仁、何れもその姿を学び、子を売り親を売り妻女を売り候由、つくづく 聞召きこしめ し及ばれ・・・・・・

ポルトガルの日本貿易において、奴隷は東南アジア向けの重要商品だったのです。

・・・・

スペイン ポルトガル の宣教師が奴隷貿易により教会は巨万の富を獲得し、世界に日本子女を奴隷として売りさばいた。このとき口之津に集められた日本奴隷は、神の言葉にそむき反乱したことが天草の乱として伝わっている。

・・・・

一五九八年のイエズス会による奴隷売買者破門令の決議は、こう告発していた。日本人が無数の人を捕虜として日本に連行し、ひどい安値で売り払っている、とくに長崎一帯の多くの日本人は、ポルトガル人に転売し巨利をあげるために、日本各地を廻って人を買い集め、またの戦場にも渡って、自ら人を略奪した、と。

 日本の国内で人を買い、外国に転売した奴隷商人やその斡旋人は、戦場で活躍した兵士たちか、長崎の商人たちであった。イエズス会の宣教師が「日本人は計り知れぬほどの人を捕虜にし、彼らを捨て値で売り払った」と書いていたのは、このことであった。

また一五九六年度、長崎発のフロイスの年報も、連行されて長崎に留まっている、多数の男女に布教したが、その数は一三〇〇人以上にのぼった、と記していた。その頃、長崎や平戸は世界有数の奴隷市場として知られていた。

天草の乱と奴隷貿易 2013/11/7(木)   歴史・法律・正義を学ぶ研究会

http://blogs.yahoo.co.jp/honzyou45/37493505.html

「戦国の奴隷狩り・九州

戦国の各地の奴隷狩りの実態です。ます九州の島津藩ですが、著者の藤本さんは島津藩の家臣が書いた『北郷忠相日記』『蒲生がもう山本氏日記』『北郷時久日記』などにみられる戦闘の記録を分析して、次のように書いています。

こうした島津軍の戦闘の記録で、いま注目したいのは、「人を捕る」「生捕る」という記事の多いことである。そのうち「敵三人打取り・・・・・・一人生捕る」というように、同じ戦場で「打取り」(戦闘で首を取る)と対になった「生捕り」は、捕虜になった兵士たち(戦争捕虜)のようでもある。

だが「男女・牛馬、数知れず取る」「人を取ること四百人余り」という数多い男女の略奪、それに「童子一人生捕る」「人三人かどい候」という小さな生捕りは、とても戦争捕虜とは思えない。なお「下々の者(が)壱人取る」とか、「足軽七人、したの者三人取る」というのをみると、戦場の人取りの主役もその犠牲者も、下層の雑兵や人夫に集中していた気配がある。
(18ページ)

同じ九州ですが、肥後の小大名であった相良氏の年代記『八代日記』に記録された戦争の様子も分析されています。

「取る」「生取る」など人取りの表記は島津方の日記によく似ており、累計二一四四人にのぼる。しかも生取りの数は戦死者(打取り)よりも明らかに多い。まるで、敵は殺すよりむしろ生かして捕らえよう、としているかのようである。

 戦場で人といっしょに奪った牛馬の数も多く、また海へ漁に出た者や山で薪取りをする者までも生け捕っている。戦いの規模もみな小さい。「夜討」とか「伏草」というのは、夜の闇にまぎれた忍びの工作をいい、正規軍の正面きった城攻めというより、雑兵たちの仕掛けた、略奪目当てのゲリラ戦、というふうである。
(20ページ)

戦場における人取りが日常的に行われていたことがうかがえます。

・・・・

ヨーロッパにおいて非キリスト教徒のスラヴ民族が奴隷の供給源になった歴史を書きました。最初は中央ヨーロッパ、その次は黒海沿岸のスラヴ民族です。しかし大航海時代を経てヨーロッパ人が世界に拡散すると、奴隷の供給源も世界に拡散していった。非キリスト教徒に満ち溢れていた世界は、キリスト教布教の対象であると同時に奴隷の供給源となった。その一つが、ヨーロッパからみた東の果て(極東、Far East)の日本だった、というわけです。

ポルトガル国王は「日本人奴隷の輸出が布教の妨げになる」というイエズス会からの訴えに基づいて、1570年3月12日(元亀元年)に日本人奴隷取引の禁止令を出します。また、それ以降もたびたび禁止令が出されます。イエズス会も1596年に、日本人奴隷を輸出したものは破門にすると議決しました。

これらのことは裏を返すと、各種の禁令にもかかわらず奴隷貿易が続いていたことを示しています。そもそもイエズス会自身が、もともと日本から少年少女の奴隷を連れ出すポルトガル商人に公然と輸出許可の署名を与えていたのでした。

No.33 - 日本史と奴隷狩り  2011-07-28   クラバートの樹

      http://hypertree.blog.so-net.ne.jp/2011-07-28

「歴史発見シリーズ  戦国九州奴隷貿易の真相に迫る(2)

九州戦国時代に、南蛮の奴隷船がやって来た理由とは! 何故、九州にはキリシタン大名が多いのか?!  戦国九州の奴隷取引の実態を追跡する・その1

一説によると、火薬一樽は日本人の娘50人で取引されたという。(注:6)始めて耳にする者にとってはこれはいささか衝撃的な数字であるが、当時のアジア地域の交易市場ではそれが通用していたということに他ならない。

おそらくこの数字は当時の相対的な取引相場の伝承口伝であって、火薬一樽が20人とか30人、需要が急増すれば最大50人でも交換取引されたということになる。

この件についての信頼できるはっきりした記録そのものは伝承以外に原本史料としてどこかに残されていると推測されるが、いまのところその確認を取ることは困難であろう。

ここらには戦後の占領下で欧米史観一色に塗り替えられた複雑な歴史的経緯が絡んでいる。日本人奴隷についての研究書は戦前はあったが、戦後GHQが出版社や図書館からすべて精査回収した焚書文献については、「総目録・GHQに没収された本」(占領史研究会刊)に紹介されている7,119冊の中にそれらは大方含まれている。

たとえば「アジア侵掠秘史」桑原三郎著 清水書房(昭和16年)などがあげられるが、西洋の侵略の歴史記述や奴隷貿易にかかわる文献そのものが失われれば我々に為す術はない。

いわゆる当時の西洋やキリスト教を批判するといった欧米文化を冒涜する書物はこれによって悉く排除された。戦前出版された徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版での記述では、その出典がフランス人パゼー(パジェス)が著した『日本耶蘇教史』から多くが引用されているが、そのパジェスが集めた膨大な資料の中にも当時記録された根本史料そのものがあった可能性はある。(注・7)

同様にそれらはスペインの歴史資料館に記録文書が残されているとか、インドの文献に記録されているとか、あるいはバチカンの文書保管所に収蔵されているとかの未確認情報がいくつかあるがはっきりしない。


      http://denjiha55.blog.fc2.com/blog-entry-49.html


    口之津 ”八切”
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8F%A3%E4%B9%8B%E6%B4%A5++%E2%80%9D%E5%85%AB%E5%88%87%E2%80%9D&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

ヨーロッパ新教・旧教の対立と戦国・豊臣徳川対立は連動していたの説(八切史観)・・・

連動  http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E9%80%A3%E5%8B%95


デジタル・ミッションなるものに  その2

2014-11-11 20:22:36 | 福音と教会

「「デジタル伝道」ワークショップ感想二句    2014-11-09 23:41:04  NJWindow(J)

東京方面でも、その集会先月、あったでしたかぁ(於 吉祥寺ステークセンター)、たまWEB行かなかったでしたぁ。NJさんは、ほんまに元気いっぱいでんなぁぁ・・・・

前回は、2012年6月でしたかぁぁ・・・・

「デジタル・ミッションなるものに  2012-06-28 08:03:41  」

日本の教会員も、こうやって上からの指導・命令に従順なものが選ばれ出世し力をつけていく、駒として使われ報われていくみたいなことでしょうか??まぁ、背に腹は変えられず、生活のためでもあって喜んでということでしょうか、次世代モルモンの方たちも・・・・

政治の世界ではアメリカの意志に反するようなのは、CIA配下の東京地検(GHQ・連合国軍総司令部によって創られた機関)によってしょっぴかれ殺されちゃうんだよねぇぇ・・・・

cia ghq 地検
http://search.yahoo.co.jp/search?p=cia+ghq++%E5%9C%B0%E6%A4%9C&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
cia 地検
http://search.yahoo.co.jp/search?p=cia+%E5%9C%B0%E6%A4%9C&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

地検にもデジタル班みたいなのあるんだな・・・・

地検  デジタル班
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%9C%B0%E6%A4%9C++%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E7%8F%AD&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

モルモンのオピニオン・リーダーみたいなケント・ギルバートさん、ブログにイライラするアメリカの意思伝えてますかぁぁ・・・・
      http://ameblo.jp/workingkent/


(擬似)英文投稿コメの件

2014-11-08 18:36:40 | たまWEBやブログの紹介

前に、書いてました、(擬似)英文投稿の話ですがぁ、

「最近、約一ヶ月前から、英語のフォーラムに、教会員の、参加するようになって、まぁ、擬似英語/擬似英作文/擬似文法のオンパレードだけど、気にせずにね。ある程度、検索にのせて、どんな用法あるかとか確かめたりしてね。いやぁ、ネットはいいね、そうやって適当に英文こしらえて、ある程度、通じてるみたいだから。んで、例の切り口で、たまWEBの興味あることをぶつけてみたりしてね、たまWEBが始めたスレでは、多くて4,50人でしょうか。たいていは、最初は見るけど、後書いても、続けて見に来る人数は数人くらい、そんなもんですかぁぁ。・・・・これまで、数年間、英語ので見てきて得たネタ、あっという間に無くなってしまう感じだよなぁぁ、如何にたまWEBの情報量少ないかだよねぇぇ、ボキャブラリー量はいざ知らず・・・・
“主よ、それは私でしょうか?”  2014-10-18 08:52:07 | 聖文から・・・

ハンドル(・ネーム、/スクリーン・ネーム)は、たまWEBじゃなくて、“sushi_chef”、掲示板サイトは、“ldsfreedomforum”というところ。

     http://www.ldsfreedomforum.com/

     http://www.ldsfreedomforum.com/search.php?keywords=&terms=all&author=sushi_chef&sc=1&sf=all&sr=posts&sk=t&sd=d&st=0&ch=300&t=0&submit=Search

     これまで76回くらい、投稿したなずら、大部分は舌足らずのコメントだけんど・・・・9月9日から参加したんだなっす。

英語とかって関心ある御仁、ちらっと訪問してやってくださいな、おひまの時でも。まぁ、モルモンのあれだからんね。投稿者の皆さんそれなりに、いろいろ問題抱えてたり、啓発し合ったりで、色々勉強になりますわぁぁ・・・・読んでて残念ながら理解できないのけっこうあるんです、たまWEBには、それでもOK、気にせず、ひたすらわかったつもりになってね・・・・
    

たまWEBが、今多少とも興味あるのは、ヒラ会員の分際で、啓示を受けてあれこれしたということで去年9月、破門になったというデンバー・スナッファさんという御仁に関する情報かな・・・・この掲示板サイトでもたくさん論じられてるんすよ・・・・あぁぁ、日本の会員も関心あれば、同時的に情報わかるんだったらねぇぇ・・・・

     http://search.yahoo.co.jp/search?p=denver+snuffer&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt


噴火男だってぇぇ??!!

2014-11-07 21:54:31 | 人工地震、福島原発、気象兵器、戦争

一体何なんでしょう?? 木曽の御嶽山の噴火は気象兵器で誘引だったのか??

      ““御嶽山の噴火を予言していた「噴火男」  【オカルトネット様】「御嶽山の噴火を予言した人がいると2ちゃんねるで話題に」

yahoo!知恵袋にて、9月20日に「岐阜県御岳山の登山道で今回の噴火で影響がある道は有りますか?」と、maccatney0というIDの人が質問をしています。

それに対し、「最後の噴火は1989年ですよ?今年は噴火していません」というもっともな回答が来ているのですが、それに対し、このmaccatney0さんは、「9月に入って噴火してますよ」と回答。

噴火したのが9月27日です。    世界の裏側ニュース  2014年09月30日(火)
””
       http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11932231866.html
       "噴火男"
       http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E5%99%B4%E7%81%AB%E7%94%B7%22&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt

       
       「白い 2つの物体UFOが旋回しているの見つけた。 ロシアの声:御嶽山噴火上空に米軍最新鋭機TR3-B

       ロシアの声 御嶽山 噴火
       http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%A3%B0+%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E5%B1%B1+%E5%99%B4%E7%81%AB&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

       アメリカ軍 極秘UFO型戦闘機「TR-3B astra」
       http://www.youtube.com/watch?v=Fj9RB_mjHaI
  
       http://search.yahoo.co.jp/search?p=tr3b&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

       「アメリカ国防総省コーエン長官の発言    1997年4月28日にジョージア大学で開催された対テロリズム対策会議において    他にも、あろうことか、気象制御を行ったり、地震を引き起こしたり、電磁波で遠くから火山の噴火を誘発したりする描き環境テロにまで言い及んでいる。多くの優秀な頭脳が、他国を恐怖に陥れる方法を探している。これは現実に起こっていることです。それゆえ、我々も対策を強化しなければならない。これは本当に重要な事柄です。

       気象兵器
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E8%B1%A1%E5%85%B5%E5%99%A8

人口削減発動中??!!

ハロウィンなどといってあほな騒ぎに乗せられてる場合じゃないんでは、秘密のうちにやってくるからなぁぁ・・・・秘密戦争・・・・どうやってあれしたらいいものなのか??もうなるようにしかならない??
  

ま、という話だわさぁぁ・・・・


サン・ゲージング

2014-11-04 21:49:00 | 知恵の言葉、健康生活の向上

そろそろ、太陽が恋しくなる季節に??!! まぁ、北海道は、既に氷点下のところも・・・・

んで、最近、これは!!と思えるのが、太陽凝視というのなんです。

この飯山一郎さんのから知りました。誰か、経験者いませんこと??

    飯山一郎  太陽凝視
    http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%A3%AF%E5%B1%B1%E4%B8%80%E9%83%8E++%E5%A4%AA%E9%99%BD%E5%87%9D%E8%A6%96&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

    「太陽をジッと見つめる健康法(サンゲージング)  2013-02-12 2

    http://ameblo.jp/friends-dc/entry-11468401087.html

    太陽凝視
    http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%A4%AA%E9%99%BD%E5%87%9D%E8%A6%96&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

    http://search.yahoo.co.jp/search?p=sun+gazing&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt


ノーブー・エクスポジター新聞社の破壊  その2

2014-11-03 11:17:16 | 教会の歴史 

前回    2013-04-16 23:48:05 | 教会歴史

「ジョセフ・スミスは、市長として、市警察署長ジョン・グリーンに印刷機を破壊し、活字をまき散らし、『エクスポジター』の残部の廃棄を命じた。この命令は数時間のうちに実行された。・・・・印刷機の破壊は財産権の侵害であった。

     『時満ちる時代の教会歴史 22章殉教』(p275)

はたして、ジョセフは、破壊命令に反対だったんでは、周りの圧力に屈したんだと、前回、書いておったんですが、以下の記録があるということなんです。

「・・・・幾人かの教会指導者は、市議会の、新聞社を公的不法妨害にあたるとした裁定や印刷機の破壊実行について、誤っているとの意見を述べ憂慮・不満を表していた。

しかし、ジョセフ兄弟は、彼の家で集会を開いた時、私らに言いましたんです。神によってあたかも真昼時であるかのようにしっかと示現を見せられたと、それは、もし印刷機を破壊しないなら、教会の聖徒たちが襲撃され町中、流血の惨事になってしまうんだと。それ故、破壊させたと。

      『ジョージ・ローブ(1814-1880)自伝』(BYU、ハロルド・B・リー図書館所蔵 コピー印刷)    当時、ノーブー軍の一員でしょう。


"p.18 - p.19 But Brother Joseph called a meeting at his own house and told us that God showed to him in an open vision in daylight that if he did not destroy that printing press that it would cause the blood of the Saints to flow in the streets and by this was that evil destroyed. And I write what I know and seen and heard for myself;....
"
           "Autobiography of George Laub (1814-1880)"
           http://www.boap.org/LDS/Early-Saints/GLaub-A.html

うぅぅんん、日付とか不明なんだぎゃ、まぁ、それでも、破壊を仕向けるのは一連の策略の筋書き通りだったんでは、もうどうしようもなく陰謀の渦に引き込まれていったんでしょうねぇぇ。暗殺の約2週間前の出来事(6月10日、1844年)。

      ノーブーエクスポジター
      http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BC&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

            ノーヴー  エクスポジター
            http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BC%E3%80%80%E3%80%80%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BC&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt