昨日はNJさんのとこにコメして勝手に舞い上がってしまってぇぇ・・・・
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ついでだからぁぁ、この際・・・・
ルカによる福音書6章(1 - 14)の不正な管理人(口語訳では家令)のたとえ話の解釈に、たまWEBなりにチャレンジしてみたで御座候、
んだら、こうなっちゃったぁぁ・・・・
「6:1 イエスはまた、弟子たちに言われた、「ある金持のところにひとりの家令がいたが、彼は主人の財産を浪費していると、告げ口をする者があった。
2 そこで主人は彼を呼んで言った、『あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから』。
3 この家令は心の中で思った、『どうしようか。主人がわたしの職を取り上げようとしている。土を掘るには力がないし、物ごいするのは恥ずかしい。
4 そうだ、わかった。こうしておけば、職をやめさせられる場合、人々がわたしをその家に迎えてくれるだろう』。
5 それから彼は、主人の負債者をひとりびとり呼び出して、初めの人に、『あなたは、わたしの主人にどれだけ負債がありますか』と尋ねた。
6 『油百樽です』と答えた。そこで家令が言った、『ここにあなたの証書がある。すぐそこにすわって、五十樽と書き変えなさい』。
7 次に、もうひとりに、『あなたの負債はどれだけですか』と尋ねると、『麦百石です』と答えた。これに対して、『ここに、あなたの証書があるが、八十石と書き変えなさい』と言った。
8 ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。
9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。
10 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
11 だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。
12 また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。
13 どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。
14 欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。」
主人の財産・・・・
「07 富を求めずに、知恵を求めなさい。そうすれば、見よ、神の奥義はあなたに明らかにされ、そのとき、あなたは豊かにされる。見よ、永遠の命を持つ者は豊かである。」(教義と聖約6章)とありますが、永遠の命に至らしめる道において最も大いなる業は、ゲッセマネの園での主の贖いとなるわけですが、その贖いの効力が発揮されて救いを受け継ぐであろう人々こそが、主にあっては大いなる真に豊かなる財産であると形容しているんでしょうかね。
「10 人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。
11 見よ、主なるあなたがたの贖い主は、肉体において死を受けた。それによって、すべての人が悔い改めて自分のもとに来ることができるように、主はすべての人の苦を引き受けた。
12 そして、悔い改めを条件として、すべての人を自分のもとに導くことができるように、主は再び死者の中からよみがえったのである。
13 人が悔い改めるとき、主の喜びはいかに大きいことか。
14 あなたがたはこの民に悔い改めを叫ぶために召されている。
15 あなたがたはこの民に悔い改めを叫ぶことに生涯力を尽くし、1人でもわたしのもとに導くならば、わたしの父の王国で彼とともに受けるあなたがたの喜びはいかに大きいことか。 」 (教義と聖約18章)
悔い改め信仰を持ち、主のもとに来て聖霊を受け主を知る、主へのあかしをもったといったそういった人々が増えることは主の財産(主の目に大いなる人の価値)が増えていくことになるんではと。
主人への負債・・・・
まぁ、教会員だったら、悔い改める対象の罪ということに。そして負債には、ゆるし・赦しと愛あわれみという側面がつきもの。たとえば、マタイ伝18章(23 - 35)。ルカ7章(41 - 47)。
「18:23 それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。
24 決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。
25 しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。
26 そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。
27 僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。
28 その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。
29 そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。
30 しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。
31 その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。
32 そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。
33 わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。
34 そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。
35 あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。」
「7:41 イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。
42 ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。
43 シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。
44 それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
45 あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。
46 あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。
47 それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。」
負債に伴うあわれみやゆるしへの洞察・・・・
理想的には、教会員としては、互いに重荷を負い合い互いに大いに価値あるものとの理解に立って助け合い、この世にあって正しく道を歩み努めれるよう、主人の愛とあわれみの大いなる、罪の赦しをもたらすであろう贖いの効力を、よく理解しているといったふうなことが望ましいのではと。たとえば主の贖いの記念である聖餐の祈りには、あなたがたへのくびきを共に負うという主からの約束の意味にもなりましょうところの、聖霊の働き・助けが共にあるようにとの文言がありますが、そのような事柄への理解や感謝の念とかを持っているとか。
拮抗しあう正義とあわれみ(贖い)・・・・
神の正義の要求を満たせるのは神による贖いでありますが、正義によればその要求するところは、人々各自に対し、罪の結果は罰であって、その耐え難い罰を受けさせることに。しかしながら神の大いなるあわれみによりその耐え難い罰を回避させる方法が神により用意されたわけです。神の御子に身代わりの犠牲となって罪がないにもかかわらずその耐え難い罰を受けさせました。ゲッセマネでの苦悶。それは人々がこの試しの世にあって神の御子に信仰をもち悔い改め戒めにそって正しく道を歩み救われるようにと。そして主がこの準備を成し遂げたことで、人は復活して神の裁判を受け各自報いを受けれることになったわけです。
そして、その贖いの効力が発揮される条件に悔い改めがありまして、その条件が満たされることで初めて罪が赦され主に喜ばれる状態となるわけです。
不正な管理人の利口な・抜け目のないやり方・・・・
そこで、この、将来の人々、全人類個々人が信仰を持って悔い改めを成す以前に、ゲッセマネの園での贖いが行われ準備・用意されたという観点に立ちまして、未だ贖いの効力が発揮され得ずで、及ぼしえない状態、中途半端な状態、正義の要求を贖いを通じては満たし得ずの状態にあることという意味合いを、不正の語義に付け加えましょうよと。
不正な管理人或いは不正を取り扱う管理人としましては、人々が悔い改め信仰を持ち、主人である贖い主の贖いの効力が人の子らへ及んで、その大いなる愛への理解が広まるようにというのがその勤めとなるのでしょう。
で利口(抜け目のない)というのであれば、その辺を主の御心をよくよく知って行うということになるのかなぁぁと。
不正の富で友を得る・・・・
大いなる贖い主の愛を覚え、そのような愛をもって贖いの効力が生じることを期待しつつ人に接するみたいな。