動物の気持ちがわかる人に その2 2013-03-02 21:21:04
以下の引用は、『動物はすべてを知っている 』(J・アレン・ブーン (著)、上野 圭一 (翻訳) ソフトバンククリエイティブ 2005 /”Kinship with All Life”, by J. Allen Boone(1882 – 1965) Harper & Row 1976 原題は、”すべての生命体と同族”の意)からです。
"動物はすべてを"
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%AF%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%82%92%22++&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
http://www.library.georgetown.edu/dept/speccoll/i/63/barn18.jpg
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ガラガラヘビのほんとうの気持ち
異種の生き物とコンタクトする場合、自分の「想念」と「動機」を注意深く見守るという技術が大いに役立つ。とくに相手がガラガラヘビのような動物のときにはそれがいえる。その猛毒と必殺の護衛術とがわざわいして、知能が高いわりには実体が知られていないこの友人は、「想念」の放射、とりわけ人間が発するそれを正確に感知することにかけては第一級の名手である。
白人や先住民が、よくガラガラヘビと鉢合わせする西部の一帯を初めて訪れ、自分でも実際にそれに出くわしたときは、本当に身もすくむ思いだった。とぐろを巻き催眠術にかかったような目つきで鎌首をもたげ、電光石火の早わざでいまにも毒牙をふるいそうな気配のヘビは、文字通り恐怖の殺し屋に見えた。ところがある日、生まれたときからガラガラヘビと隣人関係にあるという、探鉱業者の老人から意外な話を聞いた。
ガラガラヘビは白人の肌に牙を沈めることに格別な喜びを感じ、先住民にはまず害を及ぼさないというのである。理由を聞いてみた。知らないし、知ろうとしたこともないというのが、彼の返事だった。旅を続けていくうちに、その老人の話が本当であることがわかってきた。確かにガラガラヘビは襲う相手を選んでいた。調べてみると白人には噛み付くが先住民を襲うことは皆無といっていいくらいなかったのである。様々な「ヘビ博士」たちにその理由を尋ねてみたが、残念ながら満足すべき答えは得られなかった。誰ひとりとして、あの獰猛なヒシモンガラガラヘビの選り好みの謎について知っている人はいなかったのだ。
その一帯では、どこに行っても白人とガラガラヘビとの悪意に満ちた非情な戦争が起こっていた。ヒトが死ぬかヘビが死ぬかの全面戦争だった。しかし、先住民とガラガラヘビとの間には、そんな戦争の話は絶えて聞かれなかった。彼らの間には、どうやら紳士協定のようなものがあるらしいのだ。砂漠、草原、山岳と、色々な風土の土地を歩いてみたが、防衛のためであれ攻撃のためであれ、いきなり出くわした先住民に対してガラガラヘビが鎌首をもたげる姿は一度も見たことがなかった。
「イヌがヒトを訓練する」授業でストロングハートから学んだのは、動物との接触時にはまず最初に、目に見えない心の力が働くということだった。それを考えれば、ガラガラヘビと白人との間にある戦争が、先住民との間では事実上無に等しいことの理由は容易に理解できる。ヒトとヘビの間で起こっているその奇妙な関係のずれは、ストロングハートが辛抱強く私に教えようとしていたことの正しさを裏付けている。
すなわち、人間の「想念」は動物から見れば丸裸であり、心の中で思ったことは常に言葉や行動の先を行き、その人の正体や本音を、そのまま周囲に映し出しているということである。こうして私は、イヌの教えによってヒトとガラガラヘビとの間の謎を解くことができた。答えはその人の心の状態に、周囲に拡散されている気配に、「想念」という物質、または力の投射にあったのである。
ガラガラヘビは自分に向けられた特定の想念をすばやく検知し、正当に評価する。そして、その想念の発信源である人間の体に向かって、すぐさま敵か味方かの意思表示をするのだ。
平均的な白人とガラガラヘビがいきなり出くわすとき、そこに何が起こるのだろうか? ヘビはすべて忌まわしい敵であり、地上に生きる価値はないと教えこまれている白人は、ヘビを見たらまず殺そうと考える。野蛮で暴力的な感情がこみあげ、嫌悪と恐怖と警戒心でいっぱいになる。同時に、彼の内部に眠っていた、ありとあらゆる悪意が目覚め、めらめらと燃えあがって、こころを毒素で充満させる。殺意をもった人間が、その見えない武器である破壊的な想念物質をガラガラヘビに向けるのである。
想念による攻撃を敏感に察知し、その発信源をつきとめたガラガラヘビは、自らの心も毒素で満たしながら、同等の悪意をもってその白人のほうに鎌首をもたげる。その時点までは、ヒトとヘビの衝突も精神的、感情的なものにとどまっている。一種の想念による血の復讐、隙あらば殺してやろうと言うにらみあいの状態である。その白人がたまたま本物の武器を持っていて、首尾よく使うことができたら、ヘビを殺すことになる。だが、ヘビが白人の一撃を避け、うまく射程距離内に入ることができたなら、相手の体のどこかに猛毒の牙を繰り出し、その白人は永久に死とのランデブーを続けることになる。
ヘビは確かに白人の体に毒牙のジャブを見舞いはしたが、本当に攻撃したのは、ヘビの体に火をつけた反社会的で破壊的な人間の想念なのだ。白人に汚染されていない先住民とガラガラヘビとの遭遇場面に立ち会った人は、まったく別の光景を目撃することになる。人間の側にもヘビの側にも、恐れとか憎しみといった感情のきざしがまったく見られないのだ。一人と一匹とが至近距離で出くわすと、彼らはそこで動きを止め、数分間、互いにごく親しい者同士のように静かに見つめあい、やがてそれぞれの目的の方向に動き始める。自分には自分の仕事があり、相手も同じであることを互いに認め合っているようなのである。静かに見つめ合っている間、海上を行きかう大型客船と小舟が友好の合図を交わすように、彼らは相手と交信し相手を理解するらしい。
もし先住民の心の中を窺い知ることができたら、そこに単純な秘密が隠されていることがわかるはずだ。というのも、彼は自分の意識のリズムを、彼らが敬虔な気持ちで「大霊」と呼んでいるものと合わせることに集中しているからだ。「大霊」とは万物を創造し万物に息を吹き込み、常に万物を通じて知恵の言葉を語っている、あらゆる命の根源的な原理のことである。万物に働きかけているその原理に意識のリズムを合わせた先住民は、凶悪な「ヘビ」としてではなく、ほめ讃えるべき可愛い「弟」として、自分とまったく同じように命と自由と幸福を味わい、尊敬と思いやりの気持ちを持っている「弟」として相手に接し、無言のうちに友好的な想念を送り続ける。「弟」も同じように反応するというわけだ。
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(p134~)
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・・・・映画のロケでフェアバンクス一行とアフリカのジャングルに踏み入ったとき、アレンが護身用の銃を持つのを拒否したことがあった。たとえ猛獣であっても、ジャングルに住むすべての動物は、こちらが友好的な心をもっていれば決して襲われないと固く信じていたのだった。アレンはアメリカ先住民を愛し、生き物と仲良くする彼らの能力に敬意をはらっていた。彼は先住民が発散する精神の波動は異種生物との目に見えない友好的な握手と同じであると信じていた。
アフリカでは、オランダの輸出会社の社長にこういわれたこともある。「あなたが書いた『動物はすべてを知っている』を読むまでは、なぜ猛獣が現地人を襲わずに白人ばかりを襲うのかがわかりませんでしたよ」アレンはこう答えた。「先住民は動物たちと心を通わせるコツを知っているんです。そのコツをつかんでしまえばヒトと動物との間の垣根がなくなって、ひとつになれるんですよ。そこまでいくには、こちらの心を研ぎ澄ませておかなければなりませんがね」
アレンが書いた動物に関する著作は変わっている。ほとんどの動物本は客観的な立場で書かれ、訓練の話を始め、人間が一方的に動物に働きかけるという態度に終始している。ところがアレンは、「ヒトが放射する想念はブーメランのように返ってくる」という「往復運動の法則」について書く。動物は人間がその動物に対してどう思っているかを感じとることができると彼は信じていた。より良い社会にしたいのなら、ヒトはまずその往復運動の法則を理解すべきだと信じて疑わなかった。その超感覚的な法則は文明人には理解しがたいが、野性的な文化では容易に受け入れられる。
・・・・映画界での豊かな経験の持ち主らしく、ある時、彼は聴衆の前でこう語ったことがあった。 「ごく少数の例外を除けば、カメラや観客の前で演技するイヌに勝てる人間の俳優や女優はまずいません。最高の名優たちを配役しても、舞台に一頭のイヌが出てくると、名優たちの演技がかすんでしまう。なぜでしょう? それは、太陽に顔を向ける花のように、私達の内部の何かが、本物のほうにひきつけられるからです。イヌは自分がもっているものを百パーセント他者に与えます。人間に同じことができると思いますか? もしできるならば、世界が変わっているはずです。だからこそ、イヌは世界中で人気があるのです。イヌは自分自身を他者に惜しまず与え、心で正しい関係をつくりあげるのです」 「・・・・わたしが学んだのは、あらゆる生き物、すべてのいのちには同じ一つの無限の知性が流れているということでした。四本足の哲学者、六本足の哲学者、足のない哲学者たちみんな、その知性を私に分け与え、私と共有することができます。どんな姿をした生き物でも、人と出会う生き物はすべて宇宙の大いなる『全一性』のなかで、そうした意思の疎通が可能なのです。」
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(p6~ 巻頭 著者J・アレン・ブーン より)
ヒトは、動物から癒される存在なんでしょう・・・・アメリカ白人社会が、先住民のように近づいていったら、価値観などが、そうなったとしたら、それはすごくいいことなんでは・・・・
ふぅぅんん、聖フランシスコ(1182-1226)は動物と話せたというのがあるんですかぁぁぁ・・・・
聖フランシスコ 動物と会話
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%81%96%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3++%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%A8%E4%BC%9A%E8%A9%B1&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt