このシリーズ、その5(2013-04-15 22:35:52 )での訳情報、「ブリガムは、手車隊には、まぁ、秘密裏にでしょう、蒸気エンジンと酒樽(バーボン ウイスキー: トウモロコシとライ麦製の米国産のウイスキー)を運ばせていたということで、息のかかった救助隊の一部にでしょうか、そのことを伝え、無事に、運んでくるよう指示したという裏話があるようで・」の資料元は、在野のモルモン歴史家として著名なウィル・バグリー氏(1950- ソルトレーク生まれ 父親は80年代、カリフォルニア州オーシャンサイド市長)によるものですね。今週水曜、ソルトレークシティ公共図書館で、『(モルモン開拓者の)苦難の旅の真相』と題する手車隊に関しての講演(無料、オープン)があったということです。
http://www.mormonsandtrek.com/
うぅぅんん、どんな内容だったんでしょ??たまWEB、英語リスニングあれですけど、ソルトレークにいたとしたら行ってたでしょうか・・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Will_Bagley
ふぅぅんん、彼は歴史家としてのキャリアが始まったのは1995年、それまでは、大卒後(カリフォルニア大学サンタクルズ校)、いろんな仕事してたんだぁ、大工、高級家具師、カントリーミュージシャン、IT企業のテクニカル・ライター等。マウンテン・メドウ虐殺事件を扱った著作では、だいぶブリガムが、首謀者だとして追い詰めたとされるんだが・・・・
シリーズその4では(2013-04-01 08:28:59 )、ジョセフのブリガムについての予言がありましたね。「ブリガムが、万が一にでも、教会を導くことになれば、教会を地獄へ導くことになる・・・・ここにブリガム兄弟がおります。彼が、もし、教会を導くということになれば、彼は地獄へと導くでありましょう」。
いやぁぁ、マウンテン・メドウの虐殺は、まさにこの予言成就の一部だったのでは?? たまWEBの脳内では、そう思ってしまうぜよ!!!
そもそも、血の贖罪という教義は主の御旨ではないのじゃないか??ブリガムが秘密結社からの使命者として見た場合、フリーメイソン或いはイルミナティ秘密結社による権力掌握・維持のための手段としての殺人につながってしまうのでは??ごまかしの教義??
例えば、モルモン書に「11 しかし、アルマは彼に言った。『御霊が、手を伸べてはならないとわたしを制されます。まことに、主はこの人々を栄光のうちに御自分のみもとに受け入れられるからです。主は彼らがこのことを行うのを、すなわち人々が心のかたくななままにこの人々にこのことを行うのを黙認しておられます。それは、主が怒って彼らに下される罰が公正なものとなるためです。罪のない者の血は彼らを責める証拠となり、終わりの日に彼らを非難して激しく叫ぶことでしょう。』」(アルマ14章)とありますし、たしか、ジョセフは、迫害者が霊界で受ける悲惨な状態を被迫害者が見ると、同情の涙を流すとかって言ってませんでした?!
「13 わたしはこれまで3度、民を敵の手から救い出したが、彼らは自分たちの罪を悔い改めなかった。
14 そして彼らが、わたしたちの主であり救い主であるイエス・キリストによって禁じられていた、すべてのものにかけて、自分たちは敵のところに上って行って戦い、同胞の血の報復をすると誓ったとき、見よ、主の声がわたしに聞こえてこう言われた。
15 「報復はわたしのすることである。わたしが報復する。この民はわたしによって救い出された後に悔い改めなかったので、見よ、地の面から絶たれる。」
16 さて、わたしは敵に向かって上って行くことをきっぱりと断り、主から命じられたとおりにした。わたしは、将来起こることについて証をされた御霊の示しのとおりに、自分が見聞きしたことを世の人々に明らかにする証人になった。」(モルモン書3章)ともありますです。 『復讐するは我にあり』 2012-04-01 21:25:14
「テルマ・ギアーが語る「マウンテン・メドウの大虐殺」 淑徳大学 教授 高橋 弘 4.虐殺事件後のヤング
マイケル・クインの研究では、当時、教会史家であったウィルフォード・ウッドラフ(後の第四代大管長)の記録には次のような記述がある。「マウンテン・メドウの大虐殺」の後、その虐殺現場を始めて訪れたとき、大管長ヤングは記念碑に掲げられる碑文には次のように記されるべきだと語ったという。「復讐は我(神)にあり。私(ヤング)はその(復讐の)ほんの僅かを実行したに過ぎない」と。
その五日後、虐殺に加わった多くの信徒たちが集まった集会で、ヤングはつぎのように演説したという。『大管長ヤングはこのように語った。マウンテン・メドウズで虐殺された一行は、(モルモン教会の)預言者たち(ジョセフ・スミスや使徒プラッツ)を殺害した者らの父親、母親、兄弟、姉妹、あるいは血縁の者たちであったのだ。だから虐殺はやつらが甘受すべき運命だったのだ。唯一、ヤングの心を悩ませていることは、女たちや子どもたちの生命が奪われたことである。しかし、当時の状況を考慮に入れればそれ以外に(虐殺する以外に)方法はなかったであろう』。」
http://garyo.or.tv/kakure/meadows_takahasi.htm
「勇気と真実の会 電子会報 2005.7.15発行 第6号 2003年1月、この虐殺事件について画期的な本を著した歴史家であるバグリー氏(註4)は、南ユタ大学での講演でこう語った。『この虐殺にかかわった者たちは、その事件以降とほうもない苦悩に悩まされるようになり、そのためモルモン教会大管長ブリガム・ヤングにこの苦しみをどう解決すべきか何度も助言をお願いした。しかしヤングはこれに対し、嘲笑、恫喝、沈黙で応答した』。 ****************
註4 高橋はこれまで、ジュアニタ・ブルックスの『マウンテン・メドウの虐殺』(1962)をもっとも信頼できる研究として参考にしてきたが、つい最近になって、今まで知られていなかった記録を丹念に検証し、ブルックスの説をさらに推しすすめ、「マウンテン・メドウの虐殺」を新しく書き直した研究があることを知った。それはジョン・クラカワーが『信仰が人を殺すとき』にも参考にしているウィル・バグリーの『預言者たちの血-ブリガム・ヤングとマウンテン・メドウズの虐殺』(2002)である。Will Bagley, Blood of the Prophets: Brigham Young and the Massacre at Mountain Meadows, University of Oklahoma Press, (2002). またSally Denton、American Massacre; The Tragedy of Mountain Meadows, September 1857, Alfred A. Knopf, 2003 が出版され、その中でデントンは、虐殺はヤングの指示と承認の下に行われたことを当時の資料と虐殺に加わったモルモン教徒の子孫からの聞き取り調査によって明らかにしている。この結論はバグリーとも一致する。
註5 ブルックスは『マウンテン・メドウの虐殺』で、ヤングがファンチャー隊を妨害せずそのままユタを通過させるよう手紙を書いたが間に合わなかった、と述べ、ヤングは虐殺に関わっていなかったばかりでなく、虐殺はヤングの意図ではなかったと述べた。しかし同時にブルックスは、新たな証拠が見つかれば、こうした記述は書き換えられる蓋然性が高いことを指摘している。2000年に入ってから出版された、ジャーナリストや歴史家の手になる「マウンテン・メドウの虐殺」にかんする本(デントン、バグリー)は、40年前のブルックスが叶わなかった新しい資料や証拠を用いたもので、これらの本は虐殺が教団トップが関与する組織的事件であったことを明らかにしている。クラカワーのみが、この点ではブルックスの説をそのまま継承している。━━━
」
http://garyo.or.tv/mm/backnumber/kaiho06.pdf
まぁ、しかし、ブリガムが、虐殺を命じたとする完璧な証拠は、無いということだ、が、しかし、しかしですよ、ジュアニタ・ブルックス(1898-1989)は、これじゃぁ、(ブリガムが)確実に有罪になってしまう、だから、その記録資料を焼却したと友人に語ったということだ。いやぁぁ、彼女、先祖は虐殺事件で間接的に関与してたんですが、完全に正直にはなれなかったかということかぁぁ、学者が証拠もみ消しすると・・・・その資料は何であったのかぁぁ???
http://en.wikipedia.org/wiki/Juanita_Brooks
マウンテン・メドウ
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%89%E3%82%A6&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
血の贖罪については
「モルモン教と暴力 ―アメリカ西部開拓時代における新宗教の形成― 高橋 弘 1994年8月 ICU比較文化26より
・・・・血による贖罪(Blood Atonement) モルモン教の初期の教えのなかに「血の贖罪」と呼ばれるものがある。「血の贖罪」とは,自らの血を注ぐことなくしてはけして赦されない罪があるとする教えで,二代目の指導者ブリガム・ヤングの教説に由来する。この教えは内部粛清のための教理であり,指導者がその指導に従順でない信徒にたいして適用された冷酷無慈悲な慣行であった。」
http://garyo.or.tv/takahashi/boryoku.htm
「権力の掌握」 2012-05-29 06:03:34
『ユタ州とブリガム・ヤング』(高橋弘 新教出版社 2007/04 )の最終章(”ブリガム・ヤングの暴力的文化”)は、ウィル・バグリー氏の発表論文を著者が訳したものですね。
ユタ州とブリガム・ヤング
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%A6%E3%82%BF%E5%B7%9E%E3%81%A8%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=
この本のこと、少々、書いてましたかぁぁ・・・・約6年前だぁぁ、たまWEBの能力では、6年経っても、この程度っつうことなんだけど、まぁね・・・・
「超私的訳part2 WEB… - 2007/05/18 15:22
ふむふむむ…この本『ユタ州とブリガムヤング』読もうかな?!…目にとまったのは、年表のところで'1857.6.28大管長ブリガムヤングが使徒ウイルフォードウドラフに占星術は真実だと思うと語る。ヤングはお守りとして血石のお守りを身に着けていた'(出典ソースがないけど、おそらくはウイルフォードウドラフ日記か) これからすると殉教の時予言者ジョセフスミスがポケットに持っていたとされる'jupiter talisman'/木星のしるしのある護符メダル・お守りの話は作り話ではなかったんでしょうかね。このメダルの表(裏?)には、ヘブル語アルファベットの16文字からなる表(アルファベットは数字にも対応し魔方陣にもなる、このような表はフリーメーソンでもあるらしい、)とヘブル語の文、意味は、'父、父なる神、エホバは神の代弁者'、裏側?は、木星に関するしるしとラテン語文で、意味は'全能の神よ、私を支え、助け給え'…古代ヘブライ語では、ジュピターとはzadocとか呼んで真東に昇るモーニングスター・明けの明星をさし正義を意味したとか。東の星というのはフリ-メーソンの持つシンボルでもあるらしい、ジュピターはエジプト神話ではアンモンと呼ばれ、ギリシャ神話ではゼウス。古代ギリシャ人にとってゼウスは偉大な守護神でありまた誓約や同盟、結婚に関係してるという…占星術では木星は、高位の者を示す、週のうち木曜日が木星が支配する日…教会歴史で最初の60年間断食証会は木曜日に開かれた、今日教会幹部の定例の集会も毎週木曜だとか…直径1&9/16インチ、銀か錫製…弁護士によるジョセフの所持品リストには無かった、エマスミス(1804-1879)と2番目の夫ルイスビダモンとの子チャールズ(母エマが亡くなった時15歳)が、母エマが父にこれはジョセフがポケットに入れてた物だと言ったと父から聞かされたと主張、1930年に売りに出したのをコレクターのウイルフォード・C・ウッド(教会員)が購入。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4400221202.html
レプリカ http://cgi.ebay.com/JOSEPH-SMITH-JUPITER-TALISMAN-MORMON-MEDAL-GOLD-CHARM_W0QQitemZ300110750225QQihZ020QQcategoryZ3454QQcmdZViewItem
http://www.renaissanceastrology.com/barrett.html
http://www.answerbag.com/q_view/270184
・・・・
『ユタ州とブリガムヤング』をながめて・・・・
19世紀は暴力・戦争の世紀、諸国家が出来る過程で多くの戦争が行われ血が流された、例えば明治維新(1868)にしても、南北戦争(1861-65)で使用された銃がセコハンとして売買され使われた、昔の識者はイギリスに英というかっこいい文字をつけた、これなんかも、’…1843年ノーブー神殿地下室での神権会でジョセフスミスが予言した、グレートブリテン島の国、英国が降参するのは一番最後となるだろう、かの国は他の国々を、この合衆国をさえも含め、屈服させていく手段となるだろう、そしてかの国を打ち倒すのは北からの十支族のみだろう、かの国は決して国として聖徒達を迫害しないだろう、また金塊を非常に多く集めるだろう、かの国の支配下で保護を求めるべきだ。チャールズカード日記1887.1.21 ’にあるよういわば大英帝国の支配下だったんでしょう…・・・・・
今日のモルモン教会のトップ指導者のうち…血縁・親戚・姻戚関係にある者は72.3パーセントに上るそうだ'とあり…どの国においても大方、閨閥(けいばつ)なるものが存在すると思われ…江戸時代では皇族と大名クラス同士でつながったりして、その子孫が明治期には華族となり、その華族が今日大会社や政治家など姻戚関係で結びつけるように…このような地球上に、ピュアに回復された福音の教えや戒めから離れず何世代にも渡って続き繁栄するためには多妻婚が必要であったと…」