さぁて、今は昔、あれは、1975,6年くらいかなぁ、日曜学校で使用された、教会発行の生徒用手引き、10センチ X 15センチくらいの白い表紙のがあったんですよ。それには“第二の慰め主”という言葉があったんですよねぇぇ。
・・・・バプテスマ(71年)を受けて数年間、同じ支部に所属してまして、当時の日曜学校での場景で多少ともぼんやりと目に浮かべれる三つくらいのうちのひとつなんですが、クラスにいた人がその生徒用手引きにあったバプテスマに関しての引用を含め、何やかやと発言してたのを思い出したんで御座候。
数年前、使用された『ジョセフ・スミス 歴代管長の教え』のテキストの、“もし罪の赦しと聖霊を受けることを考慮せずにバプテスマを施すのであれば、人に施すのも砂の袋に施すのも同じです・・・・『だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない』(ヨハネ3:5)”(p95 7章)というのがその引用とダブるわけなんです。まぁ、全く同じ訳文ではなかったでしょうが、砂袋だったかのバプテスマといったのはかろうじて記憶にはあるんで御座候。・・・・誰か、その手引き持ってる人いないかなぁ??見せてもらえたら嬉しいんだぎゃ・・・・いやぁぁ、40年近くもなって、こうしてブログ書きで思い出すことになるとは。このためにその時の場景が印象付けられたんだったりして??!!いやぁぁ、それもあるのかもにゃ?!まぁ、それは兎も角・・・・
んで、その“第二の慰め主”というの、日曜学校やテキスト、教会幹部の説教等々に、それ以来、ずーっと聞いないなぁ、見てないなぁと思ったりしたこともあったんですが、聖句ガイド(96年~)にちゃんと出てたんでしたかぁぁ。
「慰め主;助け主 「イエス・キリスト」 ; 「聖霊」
聖典には慰め主として御二方が挙げられている。聖霊(ヨハ14:26-27;モロ8:26;教義21:9;42:17;90:11)と,主イエス・キリスト(ヨハ14:18,21,23)である。ある人が第二の慰め主を得ると,イエス・キリストは時々その人に現れ,御父を現し,顔と顔を合わせて教えを授けられる(教義130:3)。
」
https://www.lds.org/scriptures/gs/comforter?lang=jpn
ばってん、繰り返しですけど、教会で、第二の慰め主のこと・・・・(第一の慰め主を受けて後に、アブラハムのように信仰を試され、確固としてるとみなされた人に、主ご自身が、個人的に訪れられ、いわば永遠の生命(永遠の命)に結び固めて、そして御父である神に紹介されるべく、連れてってもらうといったこと)・・・・語ってた人、たまWEB的には、見たこと、聞いたことなしですよぉぉ・・・・ある程度、古参の人に話したら、初耳みたいな・・・・
うにゃまぁ、1851年から、現在までの総大会説教で、“第二の慰め主”という言葉は、たった2回だけっすな(1906年、1963年)。・・・・もっと、読んでみますかぁ・・・・
「LDS GENERAL CONFERENCE CORPUS 10,000+ TALKS / 25 MILLION WORDS /1850s-2000s」
http://www.lds-general-conference.org/
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22second+comforter%22&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22bag+of+sand%22+baptism&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
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