今回、三人の新たに召された使徒が、皆白人であったわけですが、有色人種の教会員(ヒスパニック・ラテン系、アフリカ、アジア、先住民、南洋系など)にもそれなりにふさわしい人がいただろうに、みたいな意見にちょいと注目です。
たまWEBとしては、少なくとも異邦人の時満ちるまでは、異邦人の教会なわけで、相変わらずの白人主体のリーダーシップでかまわないんじゃないかと。召されたとしても、白人が多数占めてる中で、こびへつらってるようなのは、かえってマイナス・イメージかも。今回の人たちの、異邦人の救いの業のため、召しの成功的遂行を祈念しますといった感じでしょうか。三人の名前が、モンソン管長に絶えざる啓示によって主イエスから告げられたとのことでしょうし・・・・
大方の白人にあるとされる、特に保守的とされるモルモンにあっての、有色への抜き難い偏見、恐れ、不信感、蔑視、排除といった差別観、白人至上主義的と見られる状況は、人間ですもん、教会上層部にも、程度の差こそあれ大なり小なり存在するのは、厳然たる事実(引き続き将来にわたり)、致し方ないんだと。・・・・
「1956年頃、私ら家族の住んでいた地区には【ソルトレークシティの中心部西寄り】、衰退現象がみられました。ハロウィンの時に、近所の子供がやってきてわかるわけです。徐々にマイノリティ【ヒスパニック系移民者】に住みつかれて来たわけで、既に、だいぶ前から、近隣の保守的な家族の多くは、他の地域へと引っ越して行きました。
私はどうしたらいいものかと、当時の親会社デセレト・ニュース社の総支配人であったマーク・E・ピーターセン【長老、使徒】に相談に行きました。【監督といった地区での教会の責務もあって】引越しするのははたして公正なことなのか??
あっさりと言われてしまいました。‘地区でのあなたの勤めを十分果たし終えたでしょう。私のワードの地域に家を建てて引っ越して来なさいよ。’」(『主の使い、トーマス・S・モンソンの回想・略伝』自・共著 デゼレト出版 1985、p184)
「1993年のこと、アロン神権者用テキストの改訂に携わった一会員の話・・・・新テキストの内容は、OKとなったが、表紙の写真にあるヒスパニック系人物写真は、白人のに差し替えさせられた。トップ命令は、モンソンさん。」
トップ命令といっても、他の上層部の意見を取り入れ協議あってのことでしょうけど、まぁね、いろいろあるんでしょ。・・・・たまWEB自身は、これまで積極的に交わってるとかの経験はあまりありませんが、他人種への偏見といったのからは解放されてるほうでしょうか・・・・生まれ、育ち、環境、先祖代々の伝統、教え、歴史など鑑みて、そういった白人さんらも理解できる感じが・・・・
「Was Monson the barrier? Author MsJack Wed Oct 07, 2015 」 http://mormondiscussions.com/phpBB3/viewtopic.php?f=1&t=39376
https://runtu.wordpress.com/2010/12/16/why-the-aaronic-priesthood-manuals-suck/
教会が背教となるんであれば、どうなのかぁぁ、教会幹部という職に召されてさらにたいへんなことになるんだとしたら・・・・一教会員として試練となるのか、はてまた、前向きにとらえれるのか・・・・