より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

教会奥の院に闇??!!

2011-11-29 13:30:00 | 世の権力、秘密結社、教会、富

さてはて、あれから紆余曲折の苦節云十年のうち、2005年にはインターネットにつながり、2006、7年くらいから、風の吹くまま気の趣くまま、浅学寡聞はもとより毀誉褒貶をもものともせず?知識欲を満たす千載一遇の好機とばかりに、おもにネット逍遥から様々のモルモン関連情報かじりつつ、旧掲示板に延々と自己スレ投稿してきたわけですが、そんな中からですね、教会奥の院に漆黒の闇の陰謀が働いてきたとするならば・・・・まぁ、例によって、たまWEBのですね、生来のですね、空前絶後/前代未聞/大胆不敵/唯一無二的、カン・勘をですね、働かせて参ってきたこれまでの方針に則ってですね・・・・真相究明としての光を射し込めれる鍵となるかものですね、謎に満ちた超々々衝撃的、奇妙奇天烈/奇怪千万/摩訶不思議/奇想天外/吃驚仰天的、トップ3をですね、緊褌一番、セレクトさせていただくとすれば、たまWEBがですね、以下の通りと、相成り御座候。


1.
”ジョセフ・スミス(1805-44)が、カーセージの牢獄で襲撃された時、ウィラード・リチャーズ(1804-54、40年、使徒に。医師、教会歴史書記。)も、ジョセフを拳銃で撃っていた。”


choi訳-part4 。WEB・ - 2007/06/22 19:45  

さらに「ほんとかよシリーズ」ともいうべき、元教会員で別の教会をつくったような人のサイトみつけ、霊感・示現を見た、ジョセフは部屋でウイラードリチャーヅ医師・使徒に撃たれたのだと主張…
          http://www.geocities.com/eleazarbenyair/carthageconspiracy-99.htm 

新しいURLは、こちらに: http://www.toddjumper.com/enoch144/carthageconspiracy.htm

”別の教会をつくったような”というのは、間違いでした。現在40代?くらいの、名前は、トッド・ジャンパーという御仁かな、1997年6月27日に、そのような示現、見せられたと主張。

多くの教会員は、こういったものを避けてしまうんでしょうけど、何故か、たまWEBは、いまだに、”ウソだろう”みたいな気持ちはないんだよねぇぇ・・・・まぁ、これが本当とすれば、超、大変なこっちゃ・・・・

たまWEBも、1982年だったか、教会歴史バス・ツアー参加し、カーセージの牢獄、見ました・・・・あの時は、今以上に、英語もわかんなかったし、インターネットももち、なかったわけで・・・・


2.
”特にイザヤ書研究で、その世界で知られてる学者さん、アブラハム・ギレアデ氏(1940-、オランダ生まれ、ユダヤ系。20代後半、イスラエルに移住、ユダヤ教徒に。図書館でモルモン書手にし、バプテスマを受け教会員に。BYU留学後、博士号取得。ユタ州在住)。彼は、イザヤ書は、末日の教会の背教を予言してると主張。”


パート33で、御座ぁますでそうろう・・・。WEB---- - 2010/07/17 14:43  

当時のスーパー・パワー、アッシリアとエジプトは、現代のロシアとアメリカに置き換えて予言してるって・・・・シオンは、再臨の直前に、回復という話だ・・・・モルモン書には、イザヤ書を研究せよってあるのに・・・リアホナなんかに載らない・・・・・教会が背教って結びつくような説、それは、載れないか・・・・
   http://www.isaiahexplained.com/isaiah_ch_1.html  

パート33で、御座ぁますでそうろう・・・。WEB---- - 2010/07/24 14:07  

ギレアデ氏のイザヤ書に関する一つの解釈では、かつて、偶像崇拝の異教信仰者に対するモーゼのように、ユダヤ人のパリサイ人らに対する主イエスのように、キリスト教界に対するジョセフ・スミスのように、将来、背教に陥った末日聖徒に対し、悔い改めを叫び、正す、”一人の力ある強い者”が、現れるというもの。・・・・

http://search.yahoo.co.jp/search?p=+Avraham+Gileadi+&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


3.
”ジョン・ハイラム・コイル(1864-1949、ユタ州セイラム町、ワードのビショップ。3人のニーファイ人の指示で鉱山開発したと主張。)は、教会の秩序をただし整えるため使わされるであろうところの『一人の力ある強い者・ONE MIGHTY AND STRONG』(教義と聖約85:7)は、将来、復活したジョセフのことだと主張。”


ーーーーパート17です 。WEB--- - 2009/02/27 16:34 

コイル ビショップは、1945年8月12日のミーティングで、「将来、教会を整える『一人の力ある強い者・』が誰だかわかったよ、それはジョセフ・スミスだ。それほど遠くない前のある夜、半分近くの夜の間、ジョセフと会って話してたんだ。その時ジョセフは、主がこの地上に設立するよう命じられたことが、二度と取り去られないよう、より強固に力強く再設立されなければならないと言ったんだ・・」と、この後に、前のスレ・レスで書きましたところの、ジョセフが次から次へと使徒たちを解任していくのを見せられたという話が続いてます・・

コイル ビショップやリリーフ・マイン(お助け鉱山)を信じた人たちを、分派のひとつに分類する人もいるようですが、コイル ビショップは教会に忠実であろうとし、説明する機会を求めていたが、与えられず、亡くなる前年、管長会から差し向けられたマーク・E・ピーターセン使徒のトリック的取引の結果、破門という形に。実際は、第二の油注ぎを受けた人には破門とか背教とかは無いという教義のあった時代なわけで、それを受けていたので破門ではないのだけれど・・

とすればよぉぉ、イザヤ書28章、1から数節は、サマリヤのアッシリア(口語訳では、ひとりの力ある強い者、英語聖書では、MIGHTY AND STRONG ONE)による征服と解説されてますが、27章の終わりは「その日」と出てて末日の様相であり、28章5節にも「その日」が、で、「エフライムの酔いどれの」は、高慢になったアメリカ人の教会(末日聖徒)ととれるのでは・・サマリアには「肥沃な谷」があるようですが、ユタ州に住む人たちで、自分たちの所を、ハッピー・ヴァレー/幸せな谷間なんて呼んでましたが・・・・

    http://search.yahoo.co.jp/search?p=john+hyrum+koyle&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


まぁ、上記3人とも、破門経験者だったか、ギレアデ氏は、後バプテスマ受けてる・・・・以上の3つ、次回以降いつか、もうちょい、詳しく見てみなくっちゃですね。どれか、一つでも真実となれば・・・・まぁ、福千年の直前くらいにならないと、本当のところは、わからないものなのかも・・・・


「結婚がもたらす永遠の祝福」

2011-11-25 13:15:34 | 先祖、系図、臨死、あの世、神殿

たまWEBの所属してるワードでは、今月のホーム・ティーチングのメッセージとして、ビショップリックから、4月の総大会のスコット長老の説教、「結婚がもたらす永遠の祝福」が提案されてます。(リアホナ、2011、5月号 p94~)

スコット長老は、寡夫なんですね。亡くなった息子や妻のことを語り、神殿で約束された永遠の祝福を受けられることについて説いてます。

ワードの会員や家族の方々が、そういった神殿での経験等から、大きな愛を感じて、ワードに貢献するということなんでしょうか・・・・

まぁ、現実は、厳しい面も・・・・望み謙るという忍耐を試されるということなんでしょう、配偶者がお休み、教会員じゃない、別居中、病気・・・・

「妻はいつも喜びにあふれていました。それはたいてい他の人への奉仕の結果でした。病状が重かった時でさえも、妻は朝の祈りの中で、だれか自分が助けられる人のところへ導いてくださいと天の御父に願い求めていました・・・・」
いやぁぁ、すごぉいもんですねぇぇ・・・・まことの聖徒という感じか・・・・

神殿といえば、たまWEBも、身代わり儀式を受けた時、喜び、感じたりします。やはり、霊界とつながってるというか、亡くなった先祖の方々にも、喜ばれてるということですかぁぁ・・・・


抗老化対策・・・・断食はどぎゃんね??

2011-11-24 21:13:03 | 知恵の言葉、健康生活の向上

たまWEB、抗老化対策として、断食が正解と見てるんですが、意思薄弱で、三日と続かないのですよ~~~たちけてぇぇ~

~~

ほんと、ヨガとかやってて、瞑想や断食をすんなりできる人とかって、えらいもんですねぇぇぇ・・・・・

    http://samidare.jp/kakinotane/lavo?p=log&lid=40037
    http://www.geocities.jp/poultry0455/gp.htm
    http://seishoku.at.webry.info/200910/article_4.html
    http://www.honmono-ken.com/honmonohiroba/100/post_3.html#top
    http://www.rupot.com/rp/fk/dannsyoku.htm
    http://ameblo.jp/kazukttk/entry-10772626894.html
    http://www12.plala.or.jp/Harisi/kenkoho2.htm


”大いなるエホバの楽しい法廷”

2011-11-21 22:52:02 | 福音と教会

昨日、日曜は、『福音の原則』の第46章、「最後の裁き」からレッスンでした・・・・

聖文から、たまWEBが思い浮かんだのは、「・・・・しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。」(ヨハネ伝4:15)と言う場面でした。この現世での人生で、永遠の命を確約されたような人もいるんだろうなって・・・・

”ひときわ確かなる予言・・・・”というのも思い出し、ググってみると、1977年4月のロムニー長老(1897-198)の「キリストの光」と題する説教がみつかりました。いくつか引用すると・・・・

「聖霊の証と力によって,私たちは神が御父であり,その愛する御子イエス・キリストが私たちの救い主,贖い主であることを知り,かつ福音が真実であるという個人的な証を得るのである。
しかし,そうした聖霊の賜を得られるにもかかわらず,手を伸ばせば届くところにいながら全くそれを無視している人がなんと多いことだろうか。」

「人は,聖霊の賜に内在する光と力を実際に受け,経験することによって,新たに生まれ変わるのである。」

「私は,忠実な末日聖徒であればだれでも「このひときわ確かなる予言の言葉を望み,天において結び固められ神の王国で永遠の生命の約束を得たいと願うことだろう」(History of the Church「教会歴史」5:388)と考えている。 」

「また,誰でもみたまのささやきに従って信仰を育み,バプテスマを受け,権能を持つ者から按手によって聖霊を受ける者は,福音の教えに従うことにより,聖霊の賜と力を受けることを知っている。
さらに証する。このようにここまで到達したすべての人々は,予言者ジョセフ・スミスの勧告に従って「神の前にへりくだり生活し,飢えかわくように義を求め,神の言葉一言一言によって生活」すれば,ひときわ確かなる予言の言葉を得るであろう。」

    http://www.japanconf.familyhist.org/197704/197704-473.htm

なるほど、”永遠の生命に至る水がわきあがる”というのは、そういうことなんだぁぁ・・・・そうすると、楽しい法廷ということなんでしょうね。(モロナイ10:34)


七十人  VS  大祭司  その2

2011-11-19 21:00:00 | 教会の歴史 

教義と聖約107章36節に、”シオンのステークにおける常任高等評議会は、教会の諸事に関する彼らのすべての決議において、大管長会の定員会、あるいは巡回高等評議会と同等の権能を持つ定員会を構成する。 ”とありますが、この1835年、カートランドでの啓示では、少なくとも、管長会に次いで、巡回高等評議会(十二使徒定員会)と同じくらいの権限のあった常任・常駐高等評議会というのがあったわけですよね・・・・その後どうなったのか??
続きは、来週・・・・


福音 ≠ 教会 ??!!

2011-11-19 09:00:54 | 世の権力、秘密結社、教会、富

うぅぅぅむむ、何なんだろう、文芸春秋誌・・・・大型企画 アンタッチャブル事件史??

    文芸春秋 尾崎
    http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%96%87%E8%8A%B8%E6%98%A5%E7%A7%8B+%E5%B0%BE%E5%B4%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111118-00000007-pseven-int
    http://www.news-postseven.com/archives/20111118_71059.html

前に、掲示板で書いてました・・・・・まぁ、たまWEB、教会員が、(教会が)、関与してない(してなかった)ことを、もち、望んでいますです。

 

「パート32で、御座そうろう・・・   。WEB---- - 2010/05/17 23:00
  
ひとつには、  「「「   福音 ≠ 教会   」」」

  「救いをもたらす完全な福音が回復され、現在にも及んでいる、しかしながら、教会(組織、プログラムなど)は、完全ではない。(福音と教会は、別物である。)」という観点に落ち着いてきたかと思われ候・・・・

既出の、ロナルド・E・ポールマン七十人の改ざんされてない、オリジナルの話が、いえてる感じか・・・・鋭意、解読中・・・・

    http://otd9.jbbs.livedoor.jp/915374/bbs_thread?base=17397&range=1&disp=17527  
     (ふぅぅむ、ちょうど今晩あたり、金星と海王星が120度のアスペクトで、御座候・・・)

    http://puremormonism.blogspot.com/2010/02/best-conference-talk-you-never-read_13.html  

    文・テキスト・・・・ http://www.lds-mormon.com/poelman.shtml 
    オリジナル、前半  http://www.youtube.com/watch?v=QcM7koDc-jg


不完全な人の集まりである、不完全な教会なんだけど・・・・

某巨大掲示板より・・・・
”・・・・「破門にすべし」なんて声も出始めて、間髪を 入れず十二使徒が日本の芸能会員を集めて食事会をやったでしょう。 ・・・・機関紙に写真付で紹介された。 それで破門すべし論はウソのように消えてしまった。”

(聖徒の道、1991年3月号、ローカル・ページ p7、)。あやしいといえばあやしい・・・・

  http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&q=%E2%80%9D%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%B1%8A%E2%80%9D%E3%80%80CIA%E3%80%80%E3%80%80%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=  

以下のようなのは、ちょっと難しくなりますね・・・・オウムの人たちがCIAと言ってるすが・・・・モルモン・CIA、一枚かんでるかも?!・・・・日本に来た使徒が、あの3億円事件の件でも訪日、面接にやって来てた、元CIA・コネクション、元教会教育部局長のニール・A・マクスウエル使徒(1926-2004)・・・・

日本人の悪い癖というか、教会員が、騒ぎ始めたので、それを沈静すべく・・・・教会へのダメージを極力抑えるため???なんという傲慢、殺処分、企図、指令??・・・・教会員皆が、騒がずに、誤りは誰にでもあるものと、我関せずとした態度であったら、こんなCIAなんかにつけこまれずに済んだ??・・・・

第3ニーファイ30章、ぴったりか・・・・
「・・・あなたがたすべての異邦人よ、あなたがたの悪い道を離れなさい。あなたの悪事、偽り、欺き、みだらな行い、秘密の忌まわしい行い、偶像礼拝、殺人、偽善売教、ねたみ、争い、あらゆる悪事と忌まわしい行いを悔い改め、わたしのもとに来て・・・」

文芸春秋は、昔、こんなのも載せてたと・・・・・

    http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84%E7%A0%94%E7%A9%B6%EF%BD%9E%E3%81%9D%E3%81%AE%E9%87%91%E8%84%88%E3%81%A8%E4%BA%BA%E8%84%88++%E6%96%87%E8%8A%B8%E6%98%A5%E7%A7%8B&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=
    http://www.asyura2.com/11/senkyo122/msg/349.html


七十人  VS  大祭司 

2011-11-16 11:00:12 | 教会の歴史 

”「パーリー・P・プラット(1807-1857、1835 使徒に)は、幾人かの教会幹部の兄弟たちと神殿の日の栄えの部屋(当時、ノーブー神殿は、完成間近で、同年5月奉献、屋根裏部屋であったと)で、神権の職と教会における権威・権限について話した。彼の語った要点は以下の通り。

もしも十二使徒定員会が、何らかの理由で解散・崩壊(全員が、資格剥奪やら死亡)となれば、世界中のどこに教会があろうと、教会を管理する管長会としての権限、権威は、七十人たちの上に移行する。それでは、大祭司は、どうなのかと言えば、そのような事態になった場合、大祭司は、現状のままでの義務を果たすだけにとどまるが、一方、全教会に対する管長会としての権限、権威は、七十人たちに属することになる。さらには、たった一人を除いて、他のすべての七十人が次々と殺されていった等とした場合、その生き残った七十人は、その権威、権利を保持しているのであるから、教会の管長の立場にある者として、その義務を果たさねばならないことになる。

予言者ジョセフは、カートランドで、幹部たちに、この神権における秩序を確立すべく説いたが、大祭司たちの間に妬みの心が生じてしまい、彼らから反対された結果、ジョセフは未決議のままとした。

結局、七十人と大祭司との権威・権能における違いは何か: 大祭司は大祭司の神権を持つ、一方、七十人は、大祭司の神権を保持すると同時に(休止状態、未発動の)使徒職をも持っている。この使徒職は、地上において、また、教会内において、最高の権威・権限である。人は、予言者、聖見者であって、なおかつ、教会に所属していない、バプテスマをも受けていないということはあり得る。ジョセフ自身、バプテスマを受ける前に、どの神権を受ける以前、予言者、聖見者、啓示者であったわけで。が、しかし、彼は託された事柄に忠実であったために、神は彼をアロンの神権の祭司に聖任するため、バプテスマのヨハネを送り、しかるべき時に至って、全能者は、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを送って、彼を教会で最高の権威であるところの使徒、教会の最初の長老に聖任した。

このお話での出席者は・・・・・、ヒーバー・C・キンボールは、同日午後、一般集会で、同じ様な内容のことを話した。」
1846年1月25日、日曜、ジョン・D・リー、記す。『七十人の記録』巻B
”    ()内は、たまWEB。

さてと、パーリー・P・プラット長老は、予言者の塾で、塾長でもありましたが、たまWEB、彼のこの話の趣旨が、あるべき姿として全面的に正しいとみなしましてですね モルモン・ウィキの「七十人」等の説明と比較、参照しますれば、現況との違いがいくつか見られるのかな??と・・・・

1960年になって、七十人は、大祭司であるようにお達しがあった・・・・プラット使徒の言ってたことに近づいたととれるのかな??

「ブリガム・ヤングはこの問題を認知しており、彼が死ぬ前にこれを変更しようとしました。ジョン・テイラーがそのようにした形跡もあります。 」とありますが、このプラット使徒の話の事を指してるんでしょうか??

まぁ、これ大げさに言えば、当時の大祭司のグループが、プライドと嫉妬で、既得権者として?抵抗勢力になってしまったのが原因で、100年以上も過ぎてから、やっとジョセフの示したところに近づいてきたということなのか?? やはり、予言者は故郷では敬われない??

このへん、また、ネット情報、もうちょい仕入れてですね・・・・

http://www.millennialstar.org/priesthood-restoration-document-71/

http://www.mormonwiki.com/Seventy
http://ja.mormonwiki.com/%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%BA

七十人  大祭司
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%BA%E3%80%80%E3%80%80%E5%A4%A7%E7%A5%AD%E5%8F%B8&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


日本の将来は??  その2

2011-11-12 08:29:13 | 日本/世界の将来は??

日本の将来は???

こんなの読んでました・・・・

「ただちに危険だ! 原発通信】№21
福島に災害派遣された大阪のレスキュー隊員
7月に内部被曝判明後何度も吐血 
10月26日腎不全で死亡!」
     http://akiba1.blogspot.com/2011/11/21.html
     http://www.asyura2.com/11/genpatu18/msg/288.html


「“世界の人民3分になるぞよ”という開祖はんのお筆先は今後必ず到来するぞ。日本は3分どころか2分より残らん。・・・・今までの世界の人民の苦しむ大戦争を喜んで、結構な事になりて金銀を積んで高ぶって居りた人民は気の毒ながら、 真っ逆様に地獄のどん底に落ちて苦しむぞよ。」
      http://www5.hp-ez.com/hp/johntitor777/page31


イエズス会、ナチス、CIA、松下政経塾
    http://ameblo.jp/don1110/entry-11074995040.html


ブリガムの変貌  2/3

2011-11-10 21:00:33 | 教会の歴史 

前回は、(すべて真実なこと・・・・ 1/3  2011-11-08 12:25:32  )

うぅぅぅんんんんとですねぇ・・・・よくよく読んでみると、たまWEB、やはり、ブリガムの変貌はあったのだという感じに変わりましたで御座候。

前回、”何年も後に書かれた、自伝等に、出てくる話”と書きました。しかしながら、より正確には、1857年になって、"目で見"、"耳で聞いた"とする経験を語った教会員が現れたんだそうで、それ以前では、1844年11月15日付けの、ある教会員の手紙や、その5日後のある会員の日記等には、それとなくほのめかしている文章があるということです。例えば、その集会で、”ジョセフの外套がブリガムの上に降りた”、”ジョセフの霊が、ブリガムの上に留まった”みたいな。

ここの、当時、その集会に参加してたという約50数人くらいの、ジョセフの声や姿を見聞きした証言、日記、体験談を集めたもの読んだんですが(誰が、どういう設定で、証言の聞き取りを行ったか、日記等、どのように収集したか等、不明ですが)・・・・エリヤの外套がエリシャに落ちてきたという、予言者の職?の継承のしるしとしての出来事の目撃者たち・・・・彼らが全員、作り話として、口裏合わせをしていた、或いは、裏で、工作・演出されてた等ということはまず、ないというのが、たまWEBの感想です・・・・・

  ここ: http://scottwoodward.org/brighamyoung.html

  うぅぅぅんんと、このウィキだと、3つ,4つ、集会参加者の言葉の引用が、註・出典リストに・・・・
   http://en.wikipedia.org/wiki/Succession_crisis


聴衆は、2千人もいたんだろうか、全員とはいわないにしても、まぁ、不思議なことに、その中の信仰ある人たちに与えられた示し、危機的状況の中で、一般教会員に与えられた天よりの恵み、助けだったんだと。

そして、たまWEB的に注目すべきは、おそらく、ブリガム当人は、その時点で、気付いてなかったと推測されることです。これまた、不思議というか。他の使徒らも同様だったんでしょう。それは、彼らの当時の日記には、何ら触れられてないことからも・・・・

聴衆の一部にジョセフの姿や声が、見えた、聞こえたとする話を後から聞いて、それを利用した、便乗したみたいな面もあるようです。

例えば、実際、オルソン・ハイド使徒(1805-1878)は、総大会の話で、2,3度、1844年8月8日(木)のその集会の出来事について触れています。

「・・・・ヤング管長が、使徒たちと共に、ノーブー町に帰ってきた時のことを覚えています。彼は、私ら使徒たちに、各自、集まった聴衆の中に分散して混じるよう、そして、彼が壇上に立って話をする間、聴衆の反応、感想を探っていてほしいと言いました。そして、彼が、話を始め、彼の言葉を聞いた時、あたかも、私の体を電気が走ったかのようでした。『あれれっ、本当にジョセフ・スミスの声??』と思わず口走ってしまいました。

私は証しします、それは、ジョセフの声であっただけでなく、ジョセフの仕草や姿が、ブリガムの前に現れたのでした。人は、ヤング管長が、物まねの才能があってそうしたんだというかもしれません。ならば、瞬時に自分より12、3センチも背を高くする、そんな物まね見てみたいものです。あの集会で、皆は、主のみたまで霊感された人は皆、それを確かに感じました。確かに、知ったのです。・・・・私は聴衆の只中に座っていました。・・・・」
   
(説教集13:181、題「教会を導く権利」、1869年10月6日)
 http://en.wikisource.org/wiki/Journal_of_Discourses/Volume_13/The_Right_to_Lead_the_Church,_etc.

んが、しかし、ハイド使徒が、ノーブーに着いたのは、五日後の13日であったと判明してるとのことです。これは、リチャード・S・ヴァンワゴナー氏(1946-2010、アマチュア歴史家、ユタ州、先祖から5代目モルモン。著書の『モルモンの一夫多妻』、1992、は、事実を公正に扱っていると、好評の書評。他多くの論文、モルモン歴史教会から受賞)の研究・論文で明らかに。

・・・・人の褌で相撲を取るのもありなのかなぁぁ?? 清廉潔白、独立自尊のイメージとは異なるような・・・・事実を曲げての、便乗、作り話とは情けなし・・・・まぁね、中には、そんな御仁もいるわけでしょうから・・・・

つづくで御座候。


日本の将来は??

2011-11-09 21:20:56 | 日本/世界の将来は??

へぇぇーーえ、知らんかっとんたん、いやはや、日本の将来は???

    http://alcyone.seesaa.net/article/234043741.html
    http://mayo.blogzine.jp/blog/2010/06/post_f24e.html
    http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%90%89%E7%90%83%E3%80%80%E3%80%80%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%9B%BD&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=
    http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=541
    http://surouninja.seesaa.net/article/224969478.html
    http://www.asyura2.com/0601/idletalk20/msg/715.html

 


ブリガムの変貌  1/3

2011-11-08 12:25:32 | 教会の歴史 

さてと、今週、日曜学校で、ピリピ人への手紙4章の聖句「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」から学びました。これは、信仰箇条の「わたしたちは,正直,真実,純潔,慈善,徳高くあるべきこと,またすべての人に善を行うべきことを信じる。・・・・」の元になるものです。

んで、やや、たまWEB的には、困ったというか、まぁ、困ることもないか、ともかくに、作り話みたいなのが、教会歴史にあってはなぁぁと・・・・それは、教会歴史関係のテキストやクラスとかで、学べることですが、1844年8月の屋外集会での説教中、ブリガム・ヤングの姿、声が、ジョセフそのものに変わった、変貌したという話です。 どうやら、これがですね、当時の日ごとに書いていた様々の教会員の日記には、何一つ見られず、何年も後に書かれた、自伝等に、出てくる話なんだそうな・・・・

一応、教会発行の『わたしたちの受け継ぎ』というテキストから、それにあたるところを、引用してみますと・・・・

「十二使徒定員会会長のブリガム・ヤングがノーブーに戻ったのは,1844年
8 月6 日になってからのことだった。ヤングは,だれが教会を導くかについ
ては,「神がどう言われるか」だけを知りたいと語った。そこで1844年8 月
8 日木曜日に,十二使徒会は集会を開いた。午前の会ではシドニー・リグド
ンが1時間以上話をしたが,支持はほとんど得られなかった。

次にブリガム・ヤングが短く,聖徒たちの心を慰める話をした。そのとき
の様子をジョージ・Q・キャノンはこう回想している。「あれはジョセフ自身
の声でした。人々の目には,まるでジョセフ自身が皆の前に立っているよう
に映ったと思います。」ウィリアム・C・ステインズはブリガム・ヤングが
預言者ジョセフのような声で話したと証する。「わたしは彼〔ジョセフ〕だ
と思いました。声を聞いた数千人の人たちもそう思ったことでしょう。」
ウィルフォード・ウッドラフもこの驚くべき出来事をこう振り返る。「もし
もこの目でブリガムを見ていなかったら,『あれはジョセフ・スミスではな
かった』と言われても,とうてい信じられなかったであろう。この二人と面
識のある人であれば,皆このことを証できるはずである。」 この奇跡的な現
れは大勢の人々に目撃され,ジョセフ・スミスの跡を継ぐ教会の指導者とし
て,主がブリガム・ヤングを選ばれたことが明らかになったのである。

午後の会ではブリガム・ヤングが再び話をし,ジョセフ・スミスが使徒た
ちを,全世界の神の王国の鍵を持つ者として聖任していたことを証した。そ
して彼は,十二使徒会に従わない者は栄えないこと,神の王国の建設に当
たっては使徒だけが勝利を収めることを預言したのである。
ブリガム・ヤングは自分の話の後でシドニー・リグドンに話の機会を与え
たが,シドニーは辞退した。そこで,ウィリアム・W・フェルプスとパー
リー・P・プラットの話の後でブリガム・ヤングがもう一度話をした。ブリ
ガムはノーブー神殿を完成して,荒れ野に旅立つ前にエンダウメントを受け
るように命じ,聖文の大切さについて話した。また,ジョセフ・スミスへの
愛と預言者の家族への思いを述べた。その後聖徒たちは,全会一致で十二使
徒会を教会指導者として支持したのである。・・・・」
(第5章、P60)

1856年8月までに、まとめられ発刊された『ジョセフ・スミスの歴史』や、1857年、殺害されたパーレイ・P・プラット使徒の、自叙伝には、その”変貌”に関しての話がないということだ・・・・まぁ、パーレイ・P・プラット自伝が、お勧めというところになるのかなぁぁ・・・・他の使徒の日記にも、その話はなかったのも・・・・たまWEB的には、”変貌はなかった”説に傾いているけれど、或いは、聴衆の中に、本当に、そのような経験をした人がいたのかも???

これについては、もっと情報を得てみたいと・・・・

     http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22brigham+young%22+++transfiguration&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt


黙示録の14万4千人 

2011-11-04 08:39:27 | ジョセフ // 語録・予言・示現・夢等

「パート36で御座候 。WEB--- - 2011/02/05 14:50  

前に、黙示録14章の、”14万4千人”について、書いてましたんね・・・・彼ら14万4千人の人たちは、本当の指導者なんでしょう・・・

『パート33で 。WEB---- - 2010/07/31 12:54

黙示録7、14章にある、14万4千の印を押された人たち、彼らこそは、義人、期待されるリーダーなんでしょう、きっと・・・・・はてまた、大方は、地球人というよりは、失われた十支族の人たちなのかどうか・・・・・しかしながら、その時には世界の人口は、新世界秩序の手によって、三分の一くらいまで、減らされてしまってるのか???

ともかくに、ジョセフは、”七十人が、14万4千となるまで召されるであろう・・・・シオンの山に、14万4千の救い手がいるであろう・・・・おぉぉ、進み進んで、召しと選びを確かなものとするよう、強く勧めたい。”みたいなこと説教してます。

    http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%22they+set+apart+seven+times+seventy%22&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=

    http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&q=%22saviors+on+Mount+Zion%22++%22Oh%21+I+beseech+you+to+go+forward%2C+%22&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=  

将来、復活して14万4千の一人になるというような、祝福師の祝福が、教会初期の頃には、あったようだ・・・・・

   http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&q=144000+++%22patriarchal+blessing%22++%22joseph+smith%22&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=

 

こちらの、ハーストさんは、その一人になると、約束を受けた人のようです・・・・

フレデリック・ウィリアム・ハースト(1833-1918)の日記より(1890、9月)

”以下の事実を、記録にとどめたい。まずは、ニュージーランドにいた時の事です。

8歳のある日、家族の皆は、教会の集会に行ってて、私は、家の留守番でした。聖書を読むのが大好きで、部屋の真ん中に座り、ひざの上において読んでいました。ヨハネ黙示録14章にさしかかり、”新しい歌を歌い、女にふれたことのない、純潔な者”たちという選ばれた14万4千人の人々にすごく興味がそそられました。永遠の福音を携えた御使いなど、子供心の純真さで、一字一句を心底信じました。そして、聖書から目を離して、見上げるかっこうで、『おぉ、その栄光ある群れの一人になりたい!』と叫びました。

すると、口がきけなくなるくらいたいへん驚いたことに、部屋中が、神の栄光のあふれる御霊に満たされ、はっきりと天からの声を聞きました。『あなたは、その数字の一人になるだろう、もしも、けがれのない生涯を送るならば』と。私は言い尽くしがたい喜びでいっぱいに満たされました。そして、戒めを守って、神を愛し、主からの憐れみと恵みにふさわしくあるよう、自分の力の限り、全力を尽くそうと子供心に決意しました。この経験は、両親にも話しませんでしたが、いわば、心の中に深くいかりをおろしたかのように、私の生涯の道しるべとなりました。

次にその栄光ある約束に関係したある驚くべき事について・・・・1857年、4月6日、サンフランシスコでの集会で、他の若い長老たちとともに聖任された時のことです。私はジョージ・Q・キャノン副管長によって聖任されましたが、彼の言葉に全く驚いてしまいました。『フレッド、あなたが、子供の時に、主はあなたを召されました。その時に、あなたは、シオンの山にあって新しい歌を歌う14万4千人の一人になるという約束を受けました。さて、聖なる神権の権能と権威により、この約束をあなたの頭の上に確認し結び固めます。』

おぉ、その時にはっきりと、子供の時のその経験が思い出されました。主にどんなに感謝しても感謝しきれない気持ちでいっぱいになりました。飢え、渇き、その他、どんな苦しみを受けるとしても、たとえ、福音のために命を差し出さねばならないとしても、その偉大な約束と比べたら、それらが、何だというのでしょう。大海と比べた一滴のしずくにも及びません。

・・・・そしてさらに、1875年のことですが、私はある夢を見ました・・・・かつて見たどんな建築物も及ばないくらいの荘厳な建物の前に私はいました。正面入り口は、開放感あふれるかなり広々とした造りになっていて、たくさんの柱で支えられてました。そしておよそ12段のステップのある階段の先は、中庭に通じていました。兎にも角にも、荘厳で、光輝いた建物でした。その階段を上がった所には、フロント・デスクがあって、二人の人が立っていて、なにやら、開いた書物に目を通しているふうでした。

その階段を上がるべく、右足で第一歩を踏み入れようとした時、『はたしてこのような栄光あふれる荘厳な所に入るのに自分はふさわしいだろうか』という思いが心に浮かびました。でも、ちょうどその時、彼ら二人(どちらも、背の高い、見栄えのよい人たち)は、私を見ていて、そのうちの一人が(パーリー・P・プラット兄弟)、階段を駆け下りてきて、私の右手を取り、そのデスクへと案内しました。そして、彼は、両手を、私の両肩に置いて、その本のページに目をやるようにしました。

もう一人は、じっと立ったまま、そのページに記された名前の列を、人差し指で、中くらいまでなぞってゆき、私のフル・ネーム(Frederick William Hurst)を指差しました。プラット兄弟が言いました、「ハースト兄弟、私たちが見ていたこの名簿は、14万4千人のリストです。あなたがやって来るのが見えた時、ちょうど、あなたの名前にさしかかったのです。」 私は、喜びで涙があふれました。彼らは、私に他にも何か話しましたが、その内容は、記憶から消されてしまったようです。

その荘厳な建物から、親しかった一人の幹部の兄弟が出てきました。私たちは、互いに走りより抱き合って喜びました。彼は言いました、「今、話しをしていた二人の兄弟たちは、誰だかわかりますか?」「一人は、パーリー・P・プラット兄弟ですよね。」と答えると、「そうです。もう一人は、黙示録のヨハネです。」 そこで、目が覚めました。

英文魚拓

英文魚拓
“TESTIMONY OF FREDERICK WM. HURST AS RECORDED BY HIMSELF UNDER DATE OF SEPTEMBER 1890

I felt like I would like to leave the following facts on record. What I am about to relate transpired in New Zealand. I was about eight years of age and entirely alone, as all the folks were to meeting, and I was left to mind the house.

Being very fond of reading the Bible I took it on my lap and sat down in the center of the room, and I read the beginning of the 14th Chapter of Revelations. I was deeply interested in the one hundred and forty-four thousand men chosen for their virtue and purity, not being defiled with women, etc. They sang a new song, etc. In my childlike simplicity I fully believed every word of it. Also the Holy angel having the everlasting Gospel. I raised my eyes from the sacred book and exclaimed aloud: "Oh! I would like to be one of that glorious throng." To my utter and unspeakable astonishment the Spirit and Glory of God filled the room where I was sitting and I distinctly heard a voice from Heaven saying: "You shall be one of that number if you will live a pure life." I was filled with joy that I cannot describe, and though a mere child I resolved to love God and keep His commandments, and to do all in my power, through the mercy and blessing of the lord, to be worthy of so great a blessing. I never told my parents but kept the circumstances locked up in my heart, but I have never forgotten it. It has been a beacon or guide to me through life.

I will now relate something very remarkable in connection with that most glorious promise to me. Please bear in mind, I had never told a single soul of this heavenly manifestation to me. I attended the conference of this Church in San Francisco, April 6, 1857. Being set apart with some other young Elders, President George Q. Cannon was mouth, I was very much astonished to hear him say: "Brother Fred, the Lord called you when you were a child, and you received a promise that you should be one of the one hundred and forty-four thousand that should stand upon Mt. Zion and sing a new song, and now by virtue and authority of the Holy Priesthood, I seal and confirm that promise on your head. Oh! how vividly everything was brought to my mind. I felt like it would be impossible for me to thank the Lord enough for all of His blessings to me. Hunger, thirst, hardship of any kind, even my life if necessary for the Gospel's sake should not be withheld, and then how could that compare with such a great promise. Not a drop in the bucket compared with the vast ocean.

Still farther I had a dream in 1875 as follows: I found myself in front of one of the grandest buildings I had ever seen. The front was open to quite an extent, supported on immense columns or pillars, and about twelve steps to ascend to the open court. Altogether the building was magnificent and glorious.

I saw two persons standing by a desk upon which lay an open book they were looking at. As I raised my right foot to ascend the steps the thought occurred to me, "Am I worthy to enter such a glorious and beautiful place"; upon which they both looked at me (they were both tall fine looking men). One of them (Brother Parley P. Pratt) ran down the steps, took me by the right hand and led me up to the desk, then took me by the shoulders with both his hands, immediately facing the book. The other person still stood with the forefinger of his right hand nearly half way down the column of names, pointing to my name in full, FREDERICK WILLIAM HURST. Brother Pratt said: "Brother Hurst, we were looking over the list of the one hundred and forty-four thousand and had just got to your name when we saw you." I was so full of joy I was moved to tears. They talked to me for a short time, but what passed between us passed from me.

There was one of the Brethren that I was well acquainted with came out of the building. We ran up to each other and embraced, throwing our arms around each other's necks, filled with a joy more than I can tell. He said: "Do you know these brethren you have been talking with?"

I replied: "I judge one to be Brother Pa P. Pratt.

He said: "Yes, and the other is John the Revelator". I then awoke.

     http://joyceholt.4t.com/FWHurst/part35.html
     https://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%22Frederick+William+Hurst%22++mormon&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gws_rd=ssl#hl=ja&q=%22Frederick+William+Hurst%22++parley

 ((ソースは、ここの、文中の下線部「彼の記録(英語)」をクリックして、(The Diary of Frederick William Hurst)の下へスクロール、NEXT をクリック。

  ここ: http://liahona.weblogs.jp/liahona_blog/2010/08/post-9aff.html 
  
  http://joyceholt.4t.com/FWHurst/part35.html 

  http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%22Frederick+William+Hurst%22++mormon&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq= ))


戦国城主

2011-11-02 21:35:21 | その他

系図調べてて、戦国城主(切支丹・伴天連ではない)につながるのがわかって、たまWEBにもDNA的に、残酷・非情さ、あるかもな等と否定的な面に囚われがちだったすが、ここら見てて、より大きな見方をすれば、日本人に対するイエズス会戦闘教団の侵略・支配の目論見から、間接的に、抵抗、防御に貢献したのかなぁなんてね・・・・やっぱ、先祖は偉かったんだと・・・・

      http://chinachips.fc2web.com/repo2/04501.html

      切支丹   残虐な犯罪行為
      http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%88%87%E6%94%AF%E4%B8%B9+++%E6%AE%8B%E8%99%90%E3%81%AA%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%A1%8C%E7%82%BA&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


予言者は故郷では敬われない・・・・ 

2011-11-01 19:34:37 | 教会の歴史 

まぁ、教会とは、規模も時代も異なりますが、これ、これですよね、毎度の陰謀説的ですが、紛争があるところには、必ずといっていいほど、常套手段として、裏からのサポートがあったんだと・・・・

   ”ハマス=ユダヤ金融資本の手先・・・・ハマス・・・・の成立には、パレスチナ最大勢力PLOに対抗させるためにイスラエルが育成してきたという証言がある。・・・・ハマスの装いは反ユダヤの最強硬派ながら、実際にはテロによりイスラエルによる報復を正当化する役目と推定される。現実に、自爆テロやロケット弾攻撃の強行は、イスラム勢力への偏見と恐怖をかきたて、中東和平を阻害している。”

      http://jbbs.livedoor.jp/news/2092/#1

   ”ボルシェビキ革命は平等主義者の反乱として描かれていた。 実際には、イルミナティ・ユダヤ人銀行家たちは、ロシアの産業を没収するために、それに融資した。”

       http://satehate.exblog.jp/17035395/ 

       http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20051228


たまWEBの推測なんですが、教会歴史で、モルモンとミズーリ州民との間のあつれきや迫害が激化していった等の背景に、教会内にそういった暴力を引き起こさせる一派(その目的のゆえに送り込まれた??)、不満分子等が入り込んでいて、州民に対し暴力を働き、州民らが、報復することへの正当化につながった面が少なからずあるんではと・・・・まぁ、血の気の多い人も多かったでしょうが、ミズーリ州への、シオンのキャンプ・行軍で、最後、戦いは、無しということになって不満の人もいたわけで・・・・


ジョセフは、1843年7月の説教で、

”先週の月曜の朝、幾人かの兄弟たちが、私のところにやって来て、ハイラムを予言者としては、全く支持できない(副管長としてのことか)と、そして、私については、管長の職から辞退するよう要求してきました。私は。彼らに言いました。「あなたたちの信仰が、試されているんだよ。それにしても、変な話じゃないかい、あなたたちは、長い間、教会員であるのにメルケゼデク神権について、全く理解していないんだ。」

この件については、近い将来、またの機会に。”

       http://www.boap.org/LDS/History/History_of_the_Church/Vol_V

       ”Last Monday morning certain brethren came to me and said they could
hardly consent to receive Hyrum as a prophet, ・・・・”

などというのが。  いやはや、教会内で、公然と乗っ取ろうとしていた??ということか・・・予言者は、故郷では敬われない・・・・