より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

高句麗問題

2023-12-25 21:34:20 | わかってみたいな、日本古代史

高句麗問題・論争なんてのもあるんすね・・

高句麗史の帰属をめぐる韓国・朝鮮と中国の論争があります。
 日本人は、一般に、高句麗も高麗も韓国・朝鮮国家と考えていると思います。
 中国における高句麗史の帰属問題と「東北プロジェクト」というのがあります。

 1 高句麗は中国の中原王朝の統治秩序の中で建国された。
 2 高句麗は独立国家ではなく、中国の中央王朝の地方政権である。
 3 高句麗民族は中国の古代の一民族である。
 4 隋・唐と高句麗の間の戦争は中国における国内戦争である。
 5 王氏高麗は高句麗を継承した国家ではない。
 6 朝鮮半島の北部地域も中国の歴史に属する。

 だからといって、どうなるものではないような気がするのですが、逆にいえば、韓国・朝鮮としては昔「中国大陸東北部(満州南部)から朝鮮半島の大部分を領土とした」ということになり「中国大陸東北部(満州南部)も韓国・朝鮮の歴史に属する」ということになるのでしょうか。
 チベット、内モンゴル、ウィグルなどとは違って、中国が韓国・朝鮮を弾圧できるわけではありません。
 逆に、韓国・朝鮮が、満州南部を「自国の固有の領土」と主張するわけでもありません。
」 高句麗と高麗 (nishino-law.com)

「高句麗問題」の検索結果 - Yahoo!検索

ま、泉蓋蘇文は、日本列島では天武天皇なんですよねぇぇ・・
 「泉蓋蘇文 天武天皇」の検索結果 - Yahoo!検索


藤原鎌足の娘が則天武后

2023-12-12 23:45:34 | わかってみたいな、日本古代史

中国と戦争しちゃダメだ、親戚だったよー、藤原鎌足の娘は唐の皇帝の后、武周の皇帝だって。能『海人』 飯岡助五郎 (asyura2.com)

藤原鎌足の娘、すなわち藤原不比等の妹が、唐の第三代皇帝・高宗の后になったと、能【海人】の台本に書いてある。また、香川県さぬき市の志度町には同様の物語が【海女の玉取り伝説】として遺っている。

金春秋、金庾信らが唐王室に工作できたということなんでしょう・・


毗曇(ひどん)の乱

2023-11-30 22:57:37 | わかってみたいな、日本古代史

毗曇(ひどん)の乱が新羅の歴史上の事であったということは、乙巳の変は実は列島では起こってなかったということに。

乙巳の変〔大化改新〕と毗曇の乱の相関関係について|abemanabu (note.com)
「乙巳の変 "毗曇"」の検索結果 - Yahoo!検索

法隆寺移築という説も・・
「法隆寺移築説」の検索結果 - Yahoo!検索

本当の所、実は、異なった地域で起こっていたということか??列島古代史は東アジア古代史・・・


卑弥呼(八倉比賣)は阿波に

2023-08-12 10:09:18 | わかってみたいな、日本古代史

35,559 回視聴  2023/06/24  
古代史では圧倒的人気の卑弥呼。その墓が記されている200年前の古文書が唯一残っているのに、何故世に知らされず、無視され続けられているのでしょうか
テレビ番組(邪馬台国の女王・卑弥呼の墓が徳島に
」 ㉒『卑弥呼の墓は古文書に記されている』 - YouTube

「八倉比賣 大国主」の検索結果 - Yahoo!検索

55,003 回視聴  2023/07/08  
阿波から日本が始まったという考えを持たれているYouTube発信者リンク ・・
」 ㉔『研究者も学者もこの謎をなぜ語らない?』 - YouTube 


“天照大御神は卑弥呼である ”

2023-06-26 19:57:32 | わかってみたいな、日本古代史

『天照大御神は卑弥呼である -真説・卑弥呼と邪馬台国- (Shinkosha Selection―日本を識る) 単行本(ソフトカバー) – 2009/12/20
安本 美典 (著) 心交社』
図書館から借りてきたとですぅぅ・・

佐賀の吉野ヶ里遺跡の統治者の・・2023-06-21 ・・
これは古墳の中心軸を導き出し、それを矢印として延長していくと、線上に複数の情報が見えるという「前方向法則」を適用してみたわけですが。
 ・・
するとその矢印の27km先には、福岡県筑前町の「大三輪山(小鷹城山)」と「大巳貴(おおなむち)神社」があったりするんですよね。27km離れてるのに、寸分の狂いもなかった。
三輪山といえば、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)のエピソードで知られる山ですけども。

奈良県にある三輪山というのは、大物主神を祀る大神神社(大神神社)の神名備、御神体だったりします。大巳貴命といえば古来より、大物主神と同一視されたりもするんですよね。
筑紫にも三輪山があったということは?

いま三輪山は奈良盆地にありますが。実はそれ以前には、筑紫にも大物主神を祀る三輪山があったということ。その名残りが筑前町の大三輪山ではないか?と思うわけなのです。
それは邪馬台国がもともと筑紫平野にあって、後に奈良盆地に邪馬台国が移っている証拠だと思われます。

筑紫平野の地名と奈良盆地の地名はそっくり同じであることは、「天照大御神は卑弥呼である」(安本美典著書)に解説されていました。
この筑前町の大三輪山のそばには、おあつらえ向きに「奈良」という地名(小字)までありますし。筑紫に加えて佐賀の平野部も、邪馬台国だったんじゃないですかね。
 ・・
佐賀の吉野ヶ里遺跡の統治者の信仰対象は、三輪山の大物主神だった証拠 - たっちゃんの古代史とか (hatenablog.com)

わかってみたいな・・


鎌足は誰か???

2023-02-04 20:53:23 | わかってみたいな、日本古代史

(2023-02-07) 金春秋 金庾信の両者共に、お隣南北朝鮮では、歴史上の英雄視されてるみたいで、知らない人がいないくらい・・ま、系図探求上はあちらで活発になされてるんでしょう・・

P8. 南北で真逆の評価?(金春秋と金庾信) | 韓国朝鮮 歴史のトリビア (ameblo.jp)

「金春秋 金庾信 英雄」の検索結果 - Yahoo!検索

しかしまぁ、小学生時、大化の改新習ってから、半世紀以上経てやっと光さしたというこってすかぁぁ・・

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素晴らしい、ついに藤原鎌足は金庾信であると解明された! たまWEB的には大いに納得で御座候。

「地名が語る日本のルーツ 60 天智天皇は倭国政権を奪った新羅武烈王こと金春秋と同一人
地名が語る日本のルーツ
2019/07/21
前回は阿倍比羅夫は新羅王で天智天皇と同一人、更に孝徳天皇の倭国政権を唐と手を結んで滅ぼした人物であると、その証拠を示しながら紐解いて来たが、天智天皇が新羅王であるのなら、自ずとその皇統譜上に載っていなければならない。その人物こそ新羅29代目の「武烈王」で、その在位中に百済を滅ぼした事実が三国史記にも確かに記述されている。当然この時の戦争が、663年における「白村江の戦い」である事は言うまでもないが、記紀には中大兄皇子が百済を救援した記述はあっても、百済が登場するのはその時の戦闘状況を説明するだけに終わったもので、百済王が誰であったか判る名前はもちろん、百済を滅ぼしたなどとは間違っても触れてはいないので、決して記紀の情報を鵜呑みにしない事が肝心と言えようか。
武烈王は別名「金春秋」とも呼ばれるが、この人物は百済に人質として送り込まれており、同じ様に人質となって送り込まれた日羅(ニチラ=ヒラ)と事績がかぶる事、あるいは金春秋の金(キン=チン)は天(チン)と当て字可能で、阿倍比羅夫の阿倍(アベ=アメ)の姓が天(アメ=アマ)と共通している事、それに阿倍比羅夫のヒラ王=新羅王と名前がかぶる事も理由になるが、間違いなく金春秋=武烈王は天智天皇と同一人で、しかも日羅=阿倍比羅夫とも同一人という事になるのである。つまり百済の人質となっていた天智天皇の気持ちを思えば、常に百済を滅ぼす計画が頭の中にあったという事で、それが結果的に中臣鎌足と手を結び、更に大国「唐」と手を結んだ事に繋がったと考えられるのである。
この金春秋は、陰陽師として余りにも有名な、後の阿倍晴明(アベノセイメイ)=アメノセイメイにも関わって来る事になるが、ここでこの人物の簡単な名前の紐解きを行えば、名前の春秋(シュンジュウ)は「ハルアキ」とも読める、ただし晴明も「ハルアキ」と読めるのである。先に触れた金を天(アメ)に置き換えれば、金春秋は阿倍晴明と当て字こそ全く違うが、「チンハルアキ」で同じ官名という事が判るのである。もちろん両者の活躍した時代が異なる事から、同一人という事は有り得ないが、間違いなくこの名前は時代を越えた官名である事がはっきりするのである。ここで何故新羅王と阿倍晴明の官名が共通しているのか、単純に疑問が残るが、この後に続く藤原鎌足の謎を突き詰めれば自ずと理解出来る筈である。
 ・・・
」 地名が語る日本のルーツ 60 天智天皇は倭国政権を奪った新羅武烈王こと金春秋と同一人 | 闘城賛歌 (fc2.com)

「地名が語る日本のルーツ 61 阿倍晴明は新羅王金春秋(=天智天皇)から繋がる官位名
地名が語る日本のルーツ 2019/08/02
今回は「地名ルーツ、、60」で、阿倍晴明(アベノセイメイ)は新羅王金春秋(キンシュンジュウ)=天智天皇と繋がる人物であると述べた事の根拠を述べながら、更にそれを掘り下げて行く事になるが、阿倍晴明は陰陽師として余りにも有名な人物である。大阪の阿倍野で10世紀(921年)に生まれたとされるが、これが官位名であるのなら、この生年は全く当てにならない事が判る。 ・・・

地名が語る日本のルーツ 61 阿倍晴明は新羅王金春秋(=天智天皇)から繋がる官位名 | 闘城賛歌 (fc2.com)


「地名が語る日本のルーツ 62 藤原鎌足の本当の正体は倭国を裏切ったウマシマジ(蘇我馬子)
地名が語る日本のルーツ 2019/08/14
今回は天智天皇(=中大兄皇子)と並んで古代史上最も有名で、全国に展開される藤原姓の始祖ともいえる、藤原鎌足の謎に迫ってみたいが、この人物はその出生も含めて、未だ解明されていない闇の部分も多く、亡くなる直前に天智天皇から大織冠と内大臣の称号、更に藤原姓を賜った事は、学校教育における歴史で学んだ事でもある。
この人物の姓「藤原」は、百済(フジ)と倭国(ワラ)を指したもので、鎌足の鎌(カマ)は高(コマ=クマ=熊)国、足(タリ)は一般的には王の事であるともいわれているが、足はショク~ショカと読める事から、蘇我(ショカ)を指し示したものであるといった事は、今まで解き明かした通りである。それ以前の名前は中臣(ナカトミ)鎌足なのであるが、更にそれ以前は中臣鎌子で、その中臣の名を紐解けば、「中」は以前解き明かしたように百済の国名を示したもの、「臣」はトミ=トビで豊日之国(トビシマ~テシマ)=天万(テンマ)=秦国を指した国名、これを最初から漢字で表せば、中臣鎌足が示す官名は百済、天之国(テシマ)、高句麗、蘇我を指したもので、鎌子の方は蘇我が省略された高国皇子という事が判る。前者は間違いなく倭王ニギハヤヒ(孝徳天皇)における名乗りと同一という事も判るのであるが、後者は倭王の立場からみれば、実の息子か入り婿(義息子)の可能性を含んだ、倭国皇子(ウマコ=馬子)に該当する人物、しかもこの官名は天智天皇に協力した金の鳶(トビ=豊日)=ウマシマジ=歴代蘇我馬子と全く同じもので、この政権交代における勝者が敗者の官名を譲り受ける形こそ、古代史を紐解く上で一番厄介な部分なのである。結果的に何代もの鳶(トビ=豊日)彦や馬子が、この時代における歴史を更に混乱させているのであるが、もちろんこの謎があるからこそ、未だに「大化の改新」における真相が解明されていないし、更に倭国を二分した戦争ともいえる「白村江の戦い」が、未だに朝鮮半島での戦争であると間違って認識されているのである。
これからその謎に迫っていく事になるが ・・

地名が語る日本のルーツ 62 藤原鎌足の本当の正体は倭国を裏切ったウマシマジ(蘇我馬子) | 闘城賛歌 (fc2.com)


「地名が語る日本のルーツ 63 中臣鎌足の妃は敗戦国家女王「鏡王女」の分身「斉明天皇」
地名が語る日本のルーツ 2019/08/30

地名が語る日本のルーツ 63 中臣鎌足の妃は敗戦国家女王「鏡王女」の分身「斉明天皇」 | 闘城賛歌 (fc2.com)


「地名が語る日本のルーツ 64 中臣鎌足は高倉下と同一人で、更に新羅の英雄金庾信とも同一人
地名が語る日本のルーツ 2019/09/11
前回は天智天皇(=阿倍比羅夫)による蝦夷討伐が神武天皇東征に反映されたもので、この天皇に協力した「金の鳶」こそ中臣鎌足で、それと同時に倭国を裏切ったウマシマジ=百済王子豊璋も、その名前を紐解く事によって歴代馬子の一人である事が判明したのである。
 ・・
まず「金」はコンとも読めるが、ンの当て字は存在しないのでコ、「庾」は一般的にはユと読まれているが、クラと読む事も可能、「信」は普通に読めばシンと読むが、当て字としてのンは存在しない事からシ(信)と当て字可能、これを通して読めば間違いなくコクラシン~コクラジという事になる。つまりここでコクラジ(コクラシン)=金庾信=高倉下=倭蘇我の図式が成立するのである。これを以前から触れて来た、歴代蘇我馬子とウマシマジが同一人である事を重ね合わせれば、歴代蘇我馬子=ウマシマジ=百済王子豊璋=金の鳶=倭速日=高倉下=金庾信=中臣鎌足の図式が完全なものとなるのである。自ずと高倉下が馬子である以上、百済の神剣を所有していた事も充分納得出来るし、天智天皇に協力(帰順)した「金の鳶」ことウマシマジは、高倉下における神剣を献上(帰順)した事と全く事績も共通しており、その二つの帰順した話の結果が、最終的に百済王子豊璋が主君(鬼室福信=倭速日)を処刑した話に結び付くのである。それと同時に金庾信の「金」は、暗に「金の鳶」をも指し示していた事になるのであるが、この時代における記紀の情報は、その官名の鳶(トビ=豊日)も含めて、暗示めいた部分が数多く見受けられ、これは真実を描きたくても描けなかった、記紀における僅かな良心と捉えればよいのかもしれない、、、

結果的に倭国を二分した「白村江の戦い」は、新羅が大国「唐」と絡んだ事によって、倭国にとっては最初から勝ち目のない戦いであった事を頭の切れる鎌足は既に予知しており、無駄に戦死者を出さないが為、あるいは戦争を早く終わらせる為に、最良の策を帰順とした形で示したのかもしれない。倭国にとっては最大の裏切りともいえる行為が、結果的には律令制度へのきっかけとなり、更に言語が漢字に統一された事も含めて、日本にとっては最高の形で実を結んだのである。このウマシマジ=中臣鎌足の判断によって、その後における日本の未来は確定され、更に中国と同化されずに済んだのであるが、もちろん大国「唐」が、その後運よく滅んでくれた事も理由の一つといえようか。この金庾信は、韓国でも銅像が立つほどの英雄であるが、その妹が天智天皇(=金春秋)に嫁いでいる事からすれば、二人は義兄弟の関係にあったという事になるし、自ずと二人が手を組んだ事も理解出来るのである。金庾信は新羅始祖王に当たる壱與=歴代卑弥呼から繋がり、更に昔(=ジャク=邪久)氏を名乗ったスサノオから繋がる金氏一族の一人で、基本的には七世紀における茅淳王(天王)にまで繋がる天孫の一人なのである。だからこそ天智天皇が東征の際、既に天孫(=茅淳王)が先に降臨していた話も納得出来るのである。
地名が語る日本のルーツ 64 中臣鎌足は高倉下と同一人で、更に新羅の英雄金庾信とも同一人 | 闘城賛歌 (fc2.com)

ありがたし!!ついに東アジア古代史のなかの日本が判明だにゃ!!


隋は琉球(沖縄)に侵攻していた

2022-12-28 10:37:34 | わかってみたいな、日本古代史

「市民の古代第15集 1993年 市民の古代研究会編
 ●研究論文
『隋書』にみえる流求国
建安郡の東・水行五日にして至る海島
流求の名があらわれる最古の文献史料は『隋書』である。『隋書』の帝紀・列伝は唐の貞観一〇(六三六)年魏徴の主編により成り、志は顕慶元(六五六)年長孫無忌が監修して成った。流求についての記事は、煬帝紀上(巻三・帝紀第三、大業三年三月癸丑条・大業六年二月乙巳条)、食貨志(巻二四・志第一九、煬帝即位条)、陳稜伝(巻六四・列伝第二九)、流求国伝(巻八一・列伝第四六・東夷)の四ヵ所にみえる。
 『隋書』流求国伝は、「流求国は海島の中に居す。建安郡の東に当り、水行五日にして至る」という方位・行程記事ではじまる。
 わが国においては、この琉求とは、流球国最初の歴史書『中山世鑑』(羽地朝秀、慶安三年・一六五〇)をはじめとして、琉球(現在の沖縄)であると考えられ、誰人もこれを疑うことはなかった。
 ところが、明治七(一八七四)年フランス人サン・デニーが、『文献通考』(元・馬端臨、延祐四年・一三一七)四裔考の一部を翻訳し、その琉球条を根拠にして、隋代の流求とは台湾・琉球を含む島彙の総称であるが、『隋書』の流求は台湾であるという説を発表し、流求=沖縄という通念はゆらぎはじめた。ついで、明治二八(一八九五)年オランダ人グスタフ・シュレーゲルは、元代以前の琉球は今の台湾に限り、明(みん)初にはじめてその名がいまの琉球に遷ったという説を発表した。 ・・・
 」

『隋書』にみえる流求国 ーー建安郡の東・水行五日にして至る海島 増田修 (furutasigaku.jp)

「隋 琉球 侵攻」の検索結果 - Yahoo!検索


わかってみたいな墨家の兼愛

2022-08-06 14:26:15 | わかってみたいな、日本古代史

「卑弥呼の鬼道は・・道教の教法としてみられ、道教の古典である『墨子』の“迎敵祀”条に、城郭の四方を守る軍将として‘大率’がみえ、“一大率”がそれに由来するなど、関連を指摘している。」 p136 『ここまでわかった! 卑弥呼の正体』 歴史読本・編集部 2014 中経出版

「魏志倭人伝の「一大率」
『古代国家と道教』 重松明久 著 吉川弘文館 昭和60年
P35‐末から4行目
「大率」 の言葉は 墨子 第六十八 迎敵祠篇 にある。
『韓非子 墨子』 中国古典文学大系 平凡社 1968年
墨子 P499‐末から8行目 に「大率」(方面軍の大将) の言葉がある。・・・

墨子  大率 神社 尚同: 邪馬台国 下関 (webry.info)

「墨 大率 迎敵」の検索結果 - Yahoo!検索

「 けん‐あい【兼愛】 の解説
自他・親疎の区別なく、平等に人を愛すること。 中国古代の思想家、墨子 (ぼくし) が唱えた。

」 「兼愛」の検索結果 - Yahoo!検索

 


飛鳥は阿達羅 百済は満州語kundurumから

2022-04-12 14:49:39 | わかってみたいな、日本古代史

「平城京と韓国の首都・ソウル 2007年12月21日 / 小松格の『日本史の謎』に迫る 日本史驚天動地の新事実を発表

錦(にしき)は新羅の王号「尼斯今(ニシクム)」、奈良の都は「楽浪(ナラ)」、明日香は古朝鮮の「阿斯達(アシダル)」、平城京のある郡名「所夫(そふ)」は都(みやこ)を意味する新羅・百済語からきている。

平城京と韓国の首都・ソウル - 小松格の『日本史の謎』に迫る (goo.ne.jp)

「明日香村はなぜ飛ぶ鳥という漢字を振付けたのか? 21/05/28 

代表的には檀君朝鮮という神話がある。天神の息子壇君は民衆を連れて、阿斯達(漢字の発音があすだ、朝鮮語の発音があさだる)で首都を作って民衆と平和な生活を暮らしていたものである。阿斯達は明るい国、平和な国という意味である。この“阿斯”はアルタイ各民族の言葉で朝、太陽を意味している。これは日本語と全く一緒。またこの“達(だる)”は高句麗語の山という言葉から来たのである。・・

伯族の言葉には幾つか現代日本語と近い言葉もある。その中にはasha(あすは)という言葉がある。ashaの意味は鳥の翼だった!また、あと調べて分かったのは満州語も同じでashaという言葉がある。これはあすかを飛鳥になる理由である。・・

突厥語の中には“日”をkunと発音する。シボ語及び満州語はkundurumと発音する。くだらと凄く似ている。古代の中国は朝鮮半島地域、百済地域を日本と呼んでいたことを合わせて、くだらは日の国、太陽の国となる。

明日香村はなぜ飛ぶ鳥という漢字を振付けたのか? - るいネット (rui.jp)

「”阿斯達” 明日香」の検索結果 - Yahoo!検索

ま、そういうことなんですね・・


古代史解明は人物比定での小林説

2021-12-24 10:42:13 | わかってみたいな、日本古代史

日本古代史はアジア史のうちで人物比定に詳しい小林惠子女史の解明なくしては、ある意味半永久的に闇に葬られたままだったのだったった・・


「2020-06-05
小林惠子説古代天皇の年表 再喝
2020.3.24に載せた小林惠子(やすこ)元岡山大学教授説の年表、1年ほど前から50回くらいは書き直し、時には表ごと消えてしまって1からインプットし直したこともありました。ここに再喝します。

先生は、三笠宮崇仁殿下から50年ほど前に日本オリエント学会に誘われ、本を書くように言われてから数十冊を上梓されましたが、80代の方なので、日本語が独特で難解に感じます。また読み慣れない、中国大陸の苗字と名前は、読んでいるうちに、誰が誰だかわからなくなってしまうので、わかりやすい一覧表が欲しかったのです。遊牧騎馬民族の草原の帝国の方が、実は中国よりも広くて強かったことは、小林先生の一連の本や栗本慎一郎氏の本などで徐々に知りました。2019年「大化改新の黒幕」のあとがきで、三笠宮殿下が講談社と学生社に先生の原稿を持ち込まれたが却下され、先生が現代思潮社に持ち込み最初の本「白村江の戦いと壬申の乱」を出版することができたと書かれています。三笠宮殿下公認の歴史書の印象です。

私は30年近く前に「聖徳太子の正体」を初めて読んで以来、珍しい説だと思い、追って読んできました。大王が大王を殺し、次期天皇が前天皇を殺害して簒奪した歴史を書かれていますが、小林先生のあとがきによれば、三笠宮殿下からは、一切のクレームはなかったそうです。
・・・

https://meinfavorit.hatenablog.com/entr ... /05/184101

小林惠子 昆支 雄略
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5 ... 5&ei=UTF-8


こちら、toshihak.lolipopさんは、小林女史説のファンというこっちゃな・・
“ 雄 略 (草原から来た天皇4)”
http://toshihak.lolipop.jp/sohgen/s3170.html

こちらさん、まぁ、最低限いくつか小林女史の著作読んでるのかどうかぁ?!・・
“【日本史16】古墳時代−倭の五王 後編− 南北朝時代の成立、武の上表文、倭の五王人物比定など
1,224 回視聴2021/12/23
歴史倶楽部
今回は、「倭の五王 後編」ということで、済・興・武の朝貢と冊封や、当時の国際情勢、宋滅亡後の中国王朝との関わり、倭の五王の人物比定について解説しています。ぜひ、最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=p3-lOFq0UiY


古代史解明は人物比定から??!!

2021-12-15 19:58:45 | わかってみたいな、日本古代史

日本古代史わかってみたいな、たまWEBなわけですが、

いろんな方々が、推論含め論じられてますですね・・もう何十年もの時が費やされて・・

『全国邪馬台国連絡協議会 /歴史に残る国民的プロジェクト

/私の「邪馬台国論」・「古代史論」

https://zenyamaren.net/%e4%bc%9a%e5%93% ... %e3%80%8d/

たまWEB的には、目下のところ、東・西アジア・中国古代史での人物比定をするなど、
また古代オリエント史学会主催の故三笠宮さんからねぎらいの言葉を受けたという
小林惠子(やすこ)女史の研究書をして、日本古代史解明の先生として勝手に
自称生徒になっておりますので御座候・・

小林惠子日本古代史シリーズ
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5 ... A&ei=UTF-8

"小林惠子" 三笠宮
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%22 ... E&ei=UTF-8


倭人の源流 東海姫氏の国

2021-11-23 20:21:28 | わかってみたいな、日本古代史

ついに古代日本史が紀元前478年までさかのぼることになるというこっちゃな!!

「前478年 中国・越王句践(こうせん)に敗れて自殺した呉王・「姫の夫差(ふさ)」の王子らが船に飛び乗り、
黒潮を利用して熊本県菊池市の山門(やまと)に上陸、住み始める。
『新撰姓氏録』『松野連(マツのムラジ)姫氏系図』『通鑑前篇』他

https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/ent ... 16407.html

https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/ent ... 85083.html

"東海姫氏" 魏略
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%22 ... 5&ei=UTF-8


「古代九州王朝と呉国
6,275 回視聴2019/05/20

https://www.youtube.com/watch?v=mBGIFWKxIoA

「講演番号35番 講師:内倉武久 安閑天皇らも豊前にいた。
925 回視聴2021/11/12

https://www.youtube.com/watch?v=QgHVb3edSV0

内倉武久
https://search.yahoo.co.jp/image/search ... 5&ei=UTF-8

『熊襲は列島を席巻していた』『卑弥呼と神武が明かす古代 』『太宰府は日本の首都だった』
図書館から借りて来まして読んでますぅぅ・・


❝カグヤ姫は[赫夜=赫居世=鹿児壹與=鹿児の斎き女王]であり、壹與のこと❞

2021-08-14 13:30:57 | わかってみたいな、日本古代史

  ❝ 「赫夜姫と壹與は同一人物?」

カグヤ姫は[赫夜=赫居世=鹿児壹與=鹿児の斎き女王]であり、壹與のことです。

彼女は『三国史記』に

「①13歳で、②徐那伐で、③即位した、④初代、⑤新羅王」と記録されています。

この5つもある限定条件には、他人では体験できなかった非常に多くの史実がからんでいて、彼女だけがもっている「身分証明書」になっています。

それが『竹取物語』『魏書倭人章』『三国史記』という、これまでバラバラだった「記録」を接続し、接着して、復元し、互いに不足を補いあって、永い間「忘却の闇」の中に隠されていた歴史の真相を、はっきりと私たちに詳細に教えてくれたのでした。

それだけでなく、その即位の場所が「徐那伐」だったことが大きな証拠を形成しているのです。

この地名は従来は朝鮮半島のどこかだろうとされてきましたが、『魏書倭人章』との関連から考えると、どうしても沖縄でなければ話が合いません。「伐」の字は朝鮮語で「パル・バル」なので「徐那伐」は「ヨナバル」と読めるのです。


これに、ぴったりの地名が沖縄にあります。那覇市に近い島尻郡の「與那原(よなばる)」がそれです。

・・・
古代史の画像・日本人のルーツ  "2011年5月18日水曜日 「かぐや姫」という名の誕生"

http://matmkanehara.blogspot.com/2011/05/blog-post_18.html

”赫居世”  ”赫夜姫”
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E2%80%9D%E8%B5%AB%E5%B1%85%E4%B8%96%E2%80%9D%20%20%E2%80%9D%E8%B5%AB%E5%A4%9C%E5%A7%AB%E2%80%9D&ei=UTF-8