キュロス大王(クロス)はイザヤ書に予言された、‘油そそがれた’ペルシアの王で、ユダヤの民のバビロン捕囚からの解放者でしたかな。
「
1 わたしはわが受膏者クロスの右の手をとって、もろもろの国をその前に従わせ、もろもろの王の腰を解き、とびらをその前に開かせて、門を閉じさせない、と言われる主はその受膏者クロスにこう言われる、
2 「わたしはあなたの前に行って、もろもろの山を平らにし・・・
4 わがしもべヤコブのために、わたしの選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。
5 わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。
6 これは日の出る方から、また西の方から、人々がわたしのほかに神のないことを知るようになるためである。わたしは主である、わたしのほかに神はない。
12 わたしは地を造って、その上に人を創造した。わたしは手をもって天をのべ、その万軍を指揮した。
13 わたしは義をもってクロスを起した。わたしは彼のすべての道をまっすぐにしよう。彼はわが町を建て、わが捕囚を価のためでなく、また報いのためでもなく解き放つ」と万軍の主は言われる。
」 (イザヤ 45章) 口語訳 https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
「
キュロス2世
前6世紀中ごろ、アケメネス朝ペルシアを建国し、前538年にはメソポタミアの統一を達成。「バビロン捕囚」のユダヤ人を解放した。
「 マンダネの尿で世界が浸ってしまうだとか、股の間からぶどうの木が伸びるという予知夢のモチーフは、日本の藤原鎌足の出生の伝承によく似ている。『多武峰縁起』や『神明鏡』に、鎌足の母がある夜、自分の玉門から藤が生え出て日本中にはびこって花を咲かせた夢を見、後に懐妊して鎌足を生んだ、とある。
また、『編年通録』の高麗の始祖伝説によれば・・・
」 http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/fate/06.html
この鎌足の母の話が近代知られるようになったのは、あの博覧強記の南方熊楠によると・・・
「兼良公の『多武峰縁起』に、鎌足妊まれた時、その母身より藤花生じ、あまねく日域に満つと夢みたとか、『神明鏡』に、その母の玉門より藤生い出て、日本国に蔓延し花さくと夢みて孕んだといい、子孫多く藤を紋章とするは、藤が藤原氏に何の因縁あるか知らねど・・・」
(『南方熊楠全集 3』 1971初版 平凡社、 p448)
参照 ・・・ ”角杯と放尿夢譚 -- 新羅の中の西方文化” 依田千百子 『神話・象徴・文化』 2005 楽浪書院(名古屋) 篠田知和基編 p297~
この放尿譚、まぁ、女系・母系制の伝統が色濃い民族といった意味合いなんでしょうかねぇぇ・・・
藤原氏系の名字といえば、藤がつくだけでも、けっこう大姓も含め、多いほうだな・・・ナンバー1の佐藤、 6位 伊藤、 10位 加藤、 16位 斎藤、 31位 藤田、 33位 後藤、 37位 近藤、 39位 遠藤、 46位 藤原、 53位 斉藤、 71位 安藤、 79位 藤本、 166位 内藤、 187位 須藤、 247位 武藤 ・・・ 『日本の苗字 ベスト10000』 別冊歴史読本 2000 新人物往来社
たまWEBの母方曽祖父に藤田が入りますです・・・(秋田県本荘市だにゃ)・・・父方では江戸中頃、日野氏があって公家の鎌足末孫、日野真夏(774 - 830)の系統らしい・・
日野家 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%AE%B6
藤原真夏 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%9C%9F%E5%A4%8F
さて、この鎌足、誰に比定されるものなのかぁぁぁ・・・
新羅文武王伝説にも・・・
「『三国史記』に対して、ちょうど日本の『日本書紀』対『古事記』のような関係にある『三国遺事』という本には、もう少し違った詳しい話が収録されている。両方を総合したうえで要約してお話ししてみよう。 姉の宝姫が夢をみた。西岳の上で小用を足したところ、それが麓(ふもと)の都に流れて溢れて洪水になったという大変な夢である。それを妹の文姫に話すと、文姫は何を思ったか、「その夢、私が買うわ」という。 「買うって、何を代わりにくれるつもり? 」 「錦の着物なんかどう? 」
「いいわ! 売ってあげる」というので話がまとまり、妹は襟を開いてその夢を受け取った。ところがそれから10日後、金春秋が兄に紐をちぎられ、襟を引き裂いてやってきたのである。そこで金庚信(ユシン)が宝姫に縫うように命じたが、姫は「そんなことで貴公子の側へいくのはいや」といって出ていかない。そこで文姫が代わったところ、あとで皇后になったのである。これは夢を買ったからなのだ、というお話である。ところが『日本書紀』にも、やはり金庚信にあたる中臣鎌子が、金春秋にあたる中大兄皇子に勧めて結婚させるが、その花嫁の妹が姉に代わって結婚したという「姉妹更嫁」の話がある。あの蹴鞠の話が載っているのは[皇極天皇三年春正月]の記事だが、やはりそれに続いて、この姉妹更嫁の話になる・・・」
https://ameblo.jp/publius1903060629/entry-12483731807.html
新羅、金官加羅・・・