(2023-08-01)訂正入れたとですぅぅ・・
「33 さて、前に話したように、あなたがたにはすでに非常に多くの証拠があるので、最後まで悔い改めの日を引き延ばすことのないように切に勧める。永遠に備えるためにわたしたちに与えられている現世の生涯を終えると、見よ、もしわたしたちが現世にいる間に時間を有益に用いなければ、後から暗闇の夜がやって来る。そして、そこでは何の働きもできない。
」 アルマ34
「5 前者は幸福を望んだことによって幸福に、すなわち善を望んだことによって善によみがえり、後者は悪を望んだことによって悪によみがえる。後者は終日悪を行うことを望んだので、夜がやって来ると、報いとして災いを受けるからである。
6 もう一方も同様である。罪を悔い改めて、生涯の最後まで義を望む者は、義にかなう報いを与えられるであろう。
」 アルマ41
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「20 したがって、あなたがたはこれからもキリストを確固として信じ、完全な希望の輝きを持ち、神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。そして、キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み、最後まで堪え忍ぶならば、見よ、御父は、「あなたがたは永遠の命を受ける」と言われる。
21 さて、わたしの愛する同胞よ、これが道である。そして、このほかには人を神の王国に救う道も名も天下に与えられていない。見よ、これがキリストの教義であって、限りなく一つの神である御父と御子と聖霊の唯一の真正な教えである。アーメン。
」 2ニーファイ31
“最後まで耐え忍ぶ”の『最後』の意味は普通、人生の終わり、この試しの生涯を終わるまでの意と解されていると思われますが、実は、そうではなく、もうひとつの意味合いがあるんだにゃ。20世紀前半は初めくらいまで、『信仰に関する講話』が、『教義と聖約』の書に含まれていた時期【1921年版以降除外されてしまった・・教義と聖約 序文6ページ】に重なってて、おそらくそれまでは、ジョセフが、その講話で説いたように、神によりあらゆる試しに会っても忠実と認められ、「あなたが永遠の命を受けると聖約する」と、いっそう確実な言葉を受ける時が、その“最後”の意味と解するほうが主流であったみたいな。(モーサヤ26:20、教義と聖約131: 5,6, 聖句ガイド「召しと選び」)
召しと選びを確実なものにする、或いは、第2の慰め主として主イエス・キリストの顕現・訪れを受けるといった時がその最後ということに・・
ブルース・マッコンキー使徒・長老(1915 – 1985)は、19801981年版(欽定訳と英文末日合本の出版)発刊の際、聖典合本編集委員会に、『信仰に関する講話』を復刻し組み入れるよう提案・要請したが、却下されたという・・
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