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ついに邪馬台国現る!! 越前で決定だにゃぁぁ!!!

2019-05-07 12:10:23 | わかってみたいな、日本古代史

すっ~~~~ごぉぉい、邪馬台国は越前にありって!!とうとう見つかったかぁぁぁ・・・・まだ全部のユーチューブ・ビデオとかって見てないですがぁ、たまWEB脳内では超納得・わかるんですよぉぉみたいな・・・とりあえず記事メモっておきやすぅぅ・・・

‘八俣遠呂智’さんのご研究・紹介、すばらしいですぅぅ、ありがたいこってすぅぅぅ・・・

 

「弥生時代末期に存在した大国、邪馬台国を研究しています。

畿内説・九州説・出雲説など、いろいろな説がありますが、いずれも決定打がありません。 なにが問題なのか・・・?

当ホームページでは、超大国出現の基本である農業の視点から調査を進め、交易品の鉱工業や、商業活動にも着目して、邪馬台国の場所を特定しました。・・・

農業の視点

 畿内説・九州説・出雲説・・・色々な説がありますが、いずれの説も、これまでは農業の視点が欠落していました。現代のように、日本全国どこでも水田稲作が出来て当たり前と、論者達は、思い込んでいるようです。弥生時代末期の日本列島は、湿地帯・淡水湖・密林地帯がほとんどで、水田稲作が出来る場所は限られていた事を、まずは認識しなければなりません。

そして、その時代に超大国が出現するには、それに見合うだけの農業生産の必要がある事を、大前提にすべきでしょう。

   畿内説 → 淡水湖や湿地帯だらけで農耕地が少ない。

     九州説 → 筑紫平野は密林地帯で、三日月湖跡しか農耕できない。

     出雲説 → そもそも平地が少ない。

という風に農業生産の視点から見ると、弥生時代末期に超大国になる要素はありません。

そこで私は、魏志倭人伝から場所を特定するのではなく、弥生時代末期に大国となるための条件を考察しました。 

大国出現には必然性があります。食料(農業生産)と、働く場所(農耕地)がなければ超大国は生まれません。そんな当たり前なことを調査して行くと、ある場所が弥生時代末期の有力な超大国だった事が分かりました。

その大国は、偶然にも魏志倭人伝の場所と一致していました。・・・・

邪馬台国の都は、現在の福井県福井市を中心とした平野です。勢力範囲は、北陸地方から山陰地方、九州北部にまで及んでいました。

弥生時代末期、この平野一帯が、日本で最も農業生産が優れていました。

弥生時代中期までは淡水湖だったこの一帯が、弥生時代末期には、水稲栽培に最適な土地となったからです。驚くほど平坦で、極端に水はけの悪い沖積層から成っており、こまごまとを作る必要のない大規模水田稲作が可能な土地でした。

必然的に、爆発的に人口が増え、邪馬台国の基盤が出来上がりました。・・・・

 邪馬台国の勢力範囲

 

狗奴国・・・ただし、冬場の悪天候という日本海側ゆえの欠点がありました。

そのため、常に近畿地方への南下を目論んでいました。その当時の近畿地方は、『狗奴国』です。『邪馬台国』と『狗奴国』が常に対立していたのは、魏志倭人伝にも書かれている通りです。

卑弥呼が世を去ってから250年後の五世紀末、ついに邪馬台国は狗奴国を征服しました。これが、第二十六代天皇の継体天皇です。ヤマト朝廷という名前は、ヤマタイ勢力が支配した朝廷という事です。

・・・・

邪馬台国は、日本の古文書には全く記されていない事になっています。しかし、古事記にヒントが隠されていました。『やまたのおろち』。八俣遠呂智は、年に一回、出雲の収穫期に現れます。

     さて、どこから現れるでしょう?

     弥生時代末期の農業大国を調査していましたら、高志(越前)が浮かび上がりました。

     意外過ぎる場所で、ここが邪馬台国だとは思いませんでした。さらに、翡翠の加工場や、鉄器の出土、継体天皇の出現など、越前に非常に興味を惹かれました。

     とどめは、記紀のヤマタノオロチ伝説でした。古事記に「高志之八俣」(越のヤマタ)とあり、越前が邪馬台国だと確信しました。

」  https://www.xhimiko.com/ 八俣遠呂智

 

継体天皇といえば、あの小林惠子女史の著書では、エフタルがどうのこうのと・・・

「第1部 西アジア系遊牧民エフタル(継体朝)の到来(継体朝に投影している新羅にわたったスサノオ 中央アジアのオアシス都市亀茲から来た加羅国王 ほか)・・・第3部 列島・半島を支配した継体の子供たち(百済王・聖王は欽明天皇だった 欽明・宣化、三国で覇をきそう ほか) 第4部 空白の倭国(倭国に侵攻した新羅・真興王 敏達は百済の地に追われた ほか)」

継体 小林 エフタル  https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E7%B6%99%E4%BD%93%20%E5%B0%8F%E6%9E%97%20%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%BF%E3%83%AB

おっとっとっとぉぉ、『継体朝とサーサーン朝ペルシア』(現代思潮社 2012)、連休中、図書館から借りてて、積ん読になっとったですかぁぁ・・・

「新羅王・智証は継体天皇だった」(p. 62)とありますかぁぁ・・・この小林女史の、もうちょい簡単になったの教科書にしたらいいねぇぇ・・・

 

邪馬台  https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E9%82%AA%E9%A6%AC

欽明    https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E6%AC%BD%E6%98%8E


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Thank you (八俣遠呂智)
2019-05-08 14:03:38
ご連絡ありがとうございます。
また、私の稚拙な動画を評価して頂きまして、ありがとうございます。
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なんも なんもっす (たまWEB)
2019-05-09 07:58:28
おそらくは真相ついてるんだと・・・

‘おおまに’さんとこで取り上げ記事にしてくれるかなとコメしたんですが、

「3. たまWEB   2019年05月07日 14:53
記事とはあれですが、

邪馬台国 越前説 のホームページみつけました。真相っぽいんでは?!ご高覧あれかし・・・みたいな・・・
https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/0df7a254c4f5cc017037e6560bf2e736
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2105833.html
残念ながら、ならずでしたかぁぁ・・・
何しろ江戸時代?からの論争ですかぁぁ
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