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時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

(彼の)見張り人【イザヤ56:10】

2023-09-17 08:48:16 | 聖文から・・・・

「9 野のすべての獣よ、林におるすべての獣よ、来て食らえ。
10 見張人らはみな目しいで、知ることがなく、みな、おしの犬で、ほえることができない。みな夢みる者、伏している者、まどろむことを好む者だ。
11 この犬どもは強欲で、飽くことを知らない。彼らはまた悟ることのできない牧者で、皆おのが道にむかいゆき、おのおのみな、おのれの利を求める。
12 彼らは互に言う、「さあ、われわれは酒を手に入れ、濃い酒をあびるほど飲もう。あすも、きょうのようであるだろう、すばらしい日だ」と。
」 イザヤ56章

「9-12節 この部分で使われている特別な比喩はそれぞれ何を指しているのか
9-12節で使われている「獣」「見張人」「犬」「牧者」という語句の意味につい
ては、学者の間でも一致した見解はない。獣は食らい、見張り人は目が見えず、
犬は口を閉ざして強欲で、牧者は悟りを得ないでいる。あくまでも推測の域を出
ないが、末日のこの四者は福音を紹介されたときにそれを拒み、ほかのものを探
し求める異邦人のことを指していると考えることもできる。また、この聖句はす
でに福音を受けていながら(羊の群れを見守る)、それをほかの人々に分かち与え
ようとしない人々のことを指しているとも考えられる。

「キムキは次のように考えている。この見張り人たちには『羊の群れを守護する
役目がゆだねられていた。しかし、野の獣は来るが、この犬はほえず、ついに野
の獣たちはこの群れを食べてしまう。つまり、見張り人たちはこの群れにとって
何の役にも立たず、むしろ、害になるだけである。羊の所有者たちはこの見張り
人たちを信頼して、羊の群れを忠実に守ってくれるものと期待しているのに、
実態はまったくそうではないのである。この見張り人たちは偽教師であって、
愛情のない羊飼いなのである。』」

この4つの言葉は終わりの日におけるキリスト教界の状態を適切に表現している。
現代の諸教会についてのニーファイの言葉を読み(2ニーファイ28:3-9)、モロナイの言葉(モルモン8:31-33;37-39)と比較する。
」 インスティチュート教科書『旧約聖書』から・・

( 「lds インスティテュート 生徒用旧約」の検索結果 - Yahoo!検索(画像)
  インスティチュートの教科書をどう見るか - NJWindow(J) (goo.ne.jp)
  ”ダヴィド・キムヒ(David Qimchi(Qimhi, Kimhi), 1160年 ナルボンヌ - 1235年 同地)はフランスのユダヤ教徒のヘブライ語学者・聖書学者である。”
ダヴィド・キムヒ - Wikipedia )

末日聖徒教会の中央幹部や他指導者たちは、この“見張り人”には含まれないというのは本当だろうか???
“見張り人”の英文・欽定訳では、
“His watchmen”で、彼の、主イエスのと指定されてる見張り人だよね・・
ジョセフスミス訳イザヤでは56章は何もなし・・

旧約聖書翻訳委員会訳(岩波)だと、そのイザヤ56:10は、”彼の見張り人”だにゃ・・
で、註は、彼とは・・8節のイスラエルを指すと解す・・って。
イザヤ ”旧約聖書翻訳委員会”
「イザヤ ”旧約聖書翻訳委員会”」の検索結果 - Yahoo!検索(画像)

教義と聖約では1か所だけ、”見張り人”が・・日の栄の原則に沿わずでは、シオンは物を共有しないと築かれないみたいな感じの所で出てくるんでは・・
つまりは末日教会はそこを乗り越えないと長子の教会へと変われないみたいな・・


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