犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

同じことが無理なら似た体験を欲しているのだ

2016-02-04 07:29:13 | 日記


 7時10分前に犬の散歩に出掛ける。今日は木曜日。

 となりの駅の近くまで行きヘアピンカーブを回るコースを歩く。曇り。

 木曜日のコースは火曜日や土曜日や日曜日と似て大体が住宅地を歩くことになる。そして自然が甚だ少ない。自分で決めたコースなのに、だから勝手に変更できるのにずっと続けているのはどうしたことだろう。思うにこれは年齢から来る変化を厭う気持ちが強いからだろうと思う。何でもかんでも変えるのが嫌なのだ。同じことを続けたいのだ。だが、実際には同じことをやっている訳ではない。それは日々違うので出来ぬ相談だ。同じことが無理なら似た体験を欲しているのだ。

 7時20分に帰着。朝の散歩にしては激しすぎる運動でくたくたになる。犬もくたくたになっているはずなのだが。案外に平然としている。向こうの方が私より若いのだろう。




 昨夕の散歩について

 3時20分に犬の散歩に出掛ける。

 何時ものように公園、グラウンドを通って海岸に向かう。

 海辺のカフェの駐車場の横から浜に下りる。

 しばらく浜を北に向かうと2羽のトビが浜から飛び立った。飛び立った跡を見ると猫の死体があった。突堤の根元にいる猫の集団の1匹だろうか。もしそうだとしたら、罪を人が作ったとしか言いようがない。
 生は喜びであるし苦しみでもある。生きている以上、その何れかの可能性の追究を終始迫られる。
 人間の一時的な気分で、可愛い、可哀想で餌をやる。猫は生理的な空腹を満たし喜ぶし人間も自分も意義あることをしたような気持ちになって、実は不幸な生を世代を超えて続行させるのだ。何という残酷なことだろう。生まれなければ良かったのにと思わせる生を与えるのは神のみであろう。

 突堤の先端から戻ると先程の猫の死体にカラスが1羽乗っていた。先のトビは淡泊なのか、既に猫の死体は餌に値しないのか遙か上空を舞っていた。



 4時に帰着。バスタオルで犬のお腹と足回りを拭う。


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