「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「山の日」

2023年08月11日 | つれづれ噺

                     
8月11日、今日は「山の日」。
四面を海に囲まれて、海からの資源に助けられてきた歴史から考えても「海の日」は必要だと、早くから国民の祝日に制定された。
ならば、山の恩恵は豊かな海を創り出すことに始まって、資源の恩恵という意味では海に勝るとも劣ってはいない。それゆえに国民の祝日に制定される前から、国内の幾つかの県や自治体で「山の日」は制定されてきた経緯があるという。

山高きゆえに尊からずとはこの頃よく耳にするが、高かろうと低かろうと山が山であることに何の間違いもないことから、海の日に少し遅れて山の日が制定されて以来今日で8回目の山の日を迎えたことになる。
高い険しい山は信仰の対象になったり、低くても近隣の地形に特色があれば、地方豪族や戦国時代の武将の居城地として重宝された身近な歴史は今もはっきりと残されている。

故郷の山、住む町に連なる山、我が国土の67%、つまり3分の2は山林と言われる我が日本。
生活の資源化や国力増強に、国土の3分の2の山林をもっともっと活用することはできないのだろうか。
製紙や木綿繊維が隆盛を極めた頃はその原材料となる木材が重宝され、製紙会社などは競って山林を買い集めた時代もこの目で見てきた。それも時代の流れと共に根本的に見直され、地球埋蔵資源一辺倒になってから山林は荒れる一方となった。山師と呼ばれる職人さんもいなくなった。

河川の氾濫や土石流を作り出すのも、地球温暖化による海面温度上昇による異常気象が原因と叫ばれているが、今一つ山の管理不足、山の放置もその原因の一つになっていることは疑いない。ハワイ・マウイ島では森林火災から住宅地火災に広がり多大な損失が報じられている。
今日の山の日を契機に、国内産業の見直しの声が上がってこないものかと、淡い期待をかける日でもある。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい