「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「団地、毒饅頭騒動記」

2021年10月19日 | つれづれ噺

           
              イメージ!(ホンモノの写真ではありませぬ)

我が住む爽やか団地?に、よその地区から犬の散歩にやってきたオバチャマの、あまりにも特異な勘違い発想に端を発した「団地、毒饅頭騒動記」である。

団地公園の下の道路で、犬を連れた見慣れぬオバチャマが、何やらぶつぶつ言っているのに気付いた団地住人が「どうしましたか」と訊いたら「ここに毒饅頭が置いてある。犬や猫の嫌いな人が置いたのでしょう」と言う。「そんなバカなことはないでしょう」「でもこれは毒饅頭ですよ」「じゃぁ私が持ち帰って調べてみましょう」ということで、その場は別れたFさん。

それが大笑い!!その毒饅頭なるものは、公園に隣接する住民が「自分の子どもが使わなくなったので公園で皆さんに遊んでもらおう」という善意で持ち込まれた、調理器具や野菜・ハンバーグ・タマゴ焼きなど多数の、プラスティック製の小さなおもちゃである。その中のトウモロコシのおもちゃは、色と言いツブツブ状と言い、ちょっと見には毒饅頭に見えなくもない。

そんなトウモロコシが、公園のおもちゃかごから落ちたのであろう、道路わきに転がっているのを見つけた彼のオバチャマが、「ユウレイの正体見たり枯れ尾花」ならぬ、ご自分のペット可愛さから「毒饅頭、正体見ればプラおもちゃ」。洒落にもならない話だが、まだ続編がある。
この団地に彼のオバチャマの知人が住んでいて、同じようにペット散歩が日常な人であるTさん。そのTさんところに駆け込んで「かくかくしかじか、この団地には毒饅頭を置く人がいる。あなたもペットに気を付けて」とご忠告に及んで話が大きくなってしまった。

あまり名誉なデマではないので、団地住人のTさんを呼んで「とんでもない目の錯覚・大きな大きな勘違い」であることを説明した。彼のオバチャマに忠告をお願いして、取り敢えず「団地、毒饅頭騒動」は、半分笑い話で一件落着。
それにしても、恋は盲目というように、我がペット可愛さの前には道路に転がるおもちゃが毒饅頭に見えるのだ。人間の愚かしさをペットが嗤って見てるんじゃないの。それに彼のオバチャマは、相当に視力が落ちている割には、気持ちだけは強い、人の言うことは耳に入りにくいお人なのかも。

❝人の振り見て吾が振りなおせ❞ 可愛い年寄りになりたいね~ ご同輩。

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「ちょっと褒めすぎた!」

2021年10月18日 | カープ一喜一憂

                                                               

ひょっとしたら・・・などと思ったアタシが甘かった。 ❝ たった一夜の夢枕、冷めてしまえば寒さ身に染む ❞ あ~あ!
でもね、必死で野球に打ち込む孫君を育て上げるには、褒めて、誉めてまた褒めて、いい気持にさせてさらに上を目指させる。これがジジコーチの手腕である。
但しそれは、少年時代の伸び盛り相手の話であって、大金を手にするプロ野球選手とはわけが違う。

借金を7つも8つも抱えて、CS、クライマックスシリーズに臨もうなどという考えが甘かった。
リーグ制覇を狙うチームと、Bクラス4位に低迷するチームの勢いの差。一つ負けたら果てしなく夢は遠のく。「お前さんたちCSは所詮無理だよ」って静かに笑っているどこかのチームの監督の声が聞こえてくる。

兎に角褒めすぎた。過ぎたるは及ばざるがごとし!!褒めるのもほどほどに、叱るのはもちろんほどほどに!!ここにもやはり、物言えば唇寒し秋の風。多くを語らず、経過を静かに見守るのがよろしいようで。

来年のことを言うと鬼が嗤うが、若手の伸びが著しいカープの来年に期待して、今年はお終い!!

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「晩秋の珍事!」

2021年10月17日 | カープ一喜一憂

                 

晩秋と呼ぶには少し早いかなという気がしないでもないが、兎に角今日の冷え込みから言えば、晩秋を通り越して一気に初冬という感じで、ほんと寒さは厳しかった。半袖ではくしゃみが出そうで、長袖に替えて薄いベストをひっかけるほど。北からの風が強かったね~。

ブルルッ!肌寒い。この寒さの中で今さらカープさんの話題がブログになろうとは、書いている本人が「ええんかいねー」と苦笑している。カテゴリーは「カープ一喜一憂」であるが、今年の場合、一憂ばかりでたま~~に一喜。期待もはるか前から消滅していたというのに。晩秋の珍事到来?(笑)
まさに千に一つという奇跡に近い数値ではあるが、CSと呼ばれるクライマックスシリーズの灯が、遥か遠くではあるが見えている。かすかにでも見えている限りはチャンスがある、というか可能性は残されているということ。

ということは、ガチガチの3位本命であるはずの巨人が失速している。巨人ファンにとっては思いもよらぬ秋風の厳しさに目を覆っていることだろう。つい先ごろまでのカープさんの惨状を見るようで同情する。あの巨人が10連敗とはねー。なりふり構わず「勝つために」と補強したはずのあの選手入団の頃から、なんかしら選手同士の足並みが乱れてきたように見えていた。やっぱりね。王者巨人は王者の風格を持ってこその人気NoOneチームである。三流の真似は似合わないよ。

プロ野球は143試合を戦う長丁場。色んなことが起こりうる。選手個々の状態も、チーム全体の浮沈も長丁場故の好不調が付きまとう。早くにサジを投げたカープさんに、いまさら・・・と思いながらやっぱり精一杯熱い声援を送っている。「まだカープを応援しよるん?」という声が背中から聞こえるが。 

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「50年の歳月」

2021年10月16日 | つれづれ噺

  

一口に50年と言ってしまえばそれまでのことだが、家族、親戚一同、そして多くの友に祝福されてスタートした新たな生活。小さいながらも夢も希望もあこがれも持っていた。その反面で「人並みの生活ができるのだろうか」という不安も付きまとうスタートでもあったような気がしている。何しろ貧乏だった。「所帯を持つなら新居を構えてから」という一つの信念みたいなものがあって、そこそこの給与はもらっていたのだが、身の丈を超えた新築のローンを抱えた新所帯。苦しかったという印象が強かった。でもそのローン支払いを家賃だと思いを替えることで、目先を変えて、なんとか乗り越えてきたのだと思う。

そしていま、あれこれ思い起こせば、なんてったって50年の歳月なのだから、ありとあらゆることが凝縮されている。それはそれは大いなるよろこびであったり、互いの両親の見送りなど深い深い悲しみであったり。語りつくすには生涯かかりそうなほど際限なく積み重ねられているものだ。それこそが人生そのものと言える事柄なのであろう。

そうしてこうして今思うみるに、山あり谷ありなどという生易しい起伏ではなかったこの50年を、なんとか繕い、破綻させずにこの日を迎えられたことに、言葉にならない慶びをジワ~っと胸の奥で感じている。
その一つは、互いに健康を保ち、どちらかが病気で欠けるなどという一大不幸に遭わなかったことである。何はともあれ、二人揃っていてこその50年、いわゆる金婚式なのである。格別にこだわることではないかもしれないが、長い人生の一つの通過点として心に刻んでおきたい。

その意味では、記念旅行の一つもコロナ禍で遠慮している私たちを娘が気遣って、岩国のシンボル錦帯橋を見下ろすホテルの豪華食事と一泊をプレゼントしてくれた。ここはひとつ、お言葉に甘えて、秋の紅葉をイメージしてライトアップされた錦帯橋を眺めながら、至福のひとときを味わった。
そしてまた明日からも、これまでと変わらず健康を保ちつつ一歩一歩、確かな足取りで進めることを願っている。

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「その前夜!」

2021年10月15日 | 思い出話

                                                    

1971年10月15日は、我が生涯大切な記念すべき日の前の日であった。
明日の祝い事を控えて、東京から兄・姉が帰省し、近くの親戚も宵の口まで飲んだり食ったりしゃべったりして賑やかであった。
当の私は、遠来の客のもてなしやら、明日の本番に備えて心落ち着かない時間を過ごしていた。

おおよそ近くの親戚が引き揚げ、帰省の兄たちも風呂支度かなとなったところで、明日に備えて早めに休もうと二階の自室に戻った。
しばらくすると、兄・姉。義兄が揃って私の部屋にやってきた。「今からマージャンをやろう」という。「冗談じゃろう、オレは明日があるから寝る」というのを無理やりに「これからやるマージャンに勝ったらお前の人生は明るくなる!」とか、「せっかく遠くから帰ったのにこの時間から寝るのはつれないんいじゃないか」などと、笑いながらではあるが、有無を言わせぬ勢いで迫ってくる。

最後の決め台詞は「明日からこの家にはお前の嫁さんが入ることになる。そうしたら今夜のような水入らずではなくなる。その意味では最後の記念の夜だから気兼ねなく遊んでおけよ」などと、さすが理屈でなりわいをする兄貴だけに、通ったような通らない理屈を並べる。

ろくな兄弟じゃないよねーと思いながらも、議論して時間を取るほどなら早めに始めて早く終わろう、とこっちも計算して始めた。
酒飲み兄弟なら酒を提供しておけば、そのうち眠くなろうというものだが、酒は飲めない下戸兄弟。真面目にマージャンに興じる始末。
おふくろまで「早うやめんさいよ」とか言わずに、お茶や菓子などを持ってくる。その当時は室内禁煙も当たり前。濛々たるたばこの煙に巻かれて何時間たったろう。やっとこさ「しっかり眠って明日は、新郎として粗相がないように」などと立派げなことをのたまう。

マージャンという遊びを一度でも経験されたご同輩には、その気持ちの諸々がご理解頂けるとお思うが、これは一種の麻薬であり、中毒みたいな怪しい要素があって、人数さえそろえばどうしてもちょっとパイを触りたくなる不思議な遊びである。

そんなこんなで大切な日の前夜を悶々と過ごしたあの日から、丸50年がたった。
こんな逞しい兄弟を持った私はともかく、その後長く付き合わされたカミさんは何かと苦労も多かったであろう。が、あまり愚痴などは聞かされなかったと思っている。6人いた姉弟が、今では3人になってしまった。やはり50年の歴史は重いものがある。チャンチャン!!

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「大安吉日!」

2021年10月14日 | つれづれ噺

              

所用の帰り道、なんとはなしにクルマの走行距離メーターの数値に目が行った。
オッ!なんだこりゃ!! 走行距離の合計に「7(セブン)」が五つも並んでいるではないか。家に着く直前で気付いただけに、なんとか家に帰りつくまで変わらないでおくれ。などどと、わけもなく祈るような思いでアクセルをやんわり踏んだ。きつく踏もうとやんわりだろうと走行距離に変わりないことは解っているのに「なんとか家までそのまんまで( ^ω^)・・・」と祈る男の浅はかさ(笑)自分でも笑ってしまう出来事ではある。

しかし、よく考えてみれば、こんな偶然はそれこそ生涯一回こっきりのことである。だって、こんな数字が並ぶほど同じクルマに長く乗るのは、このアクセラ君が最後である。もう新しいクルマに手を出す勇気はどうなんじゃろう、ないよね~。
我が生涯の最後のお付き合いとなる77,777kmの走行距離を誇るこの愛車。我が家にやって来たのは2008年5月と書かれている。まる13年半年、よくがんばってくれたし、飽きもせず大切に乗りこなしたものである。

若い頃にこんな数字を見たら、何はともあれ駆け込んだであろうパチンコ屋さん。フィーバー!!なんて大喜びしたであろうが、今はもうその馬力には欠ける。でもこのこの数字に気付いて家の中で先ず見入ったのは、カレンダーの六輝、つまり友引・赤口・仏滅というあの縁起を担ぐ六輝である。それには今日は大安とあり、まさにいいことずくめの日であったはずである。でも現実は何もなく過ぎた。
ま、これも考えてみれば、何事もなく一日を無事に終えること、これこそが幸せな日々ということなのかもね。

77,778kmの明日からも、そこそこに交通ルールを守り、行きたい場所に確実に安全に行けるよう、もうしばらく仲良くしていきたい。
頼むよ、13年目のアクセラ君!!

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「季節は衣替え」

2021年10月12日 | 季節の移ろい・出来事

                                                       

♬ 更~けゆく~秋の夜~^^♪ 涼しさ肌寒さを少し感じ始めたかな、と思ったらまたまた寝苦しい蒸し暑さに悩まされたり。なんか今ひとつ、爽やかな秋の気配を満喫させてもらえないまま、気が付けば10月半ばを迎えている。
本来ならこの時季、衣替えと言う季節の変わり目を味わい、羽織るものも変わり、気持ちも今年の終盤バージョンに切り替えていくところである。

なのに今年は、夏の終わりも意外な雨続きで季節の変わり目を感じ損ねたように、本当の秋がなかなか感じられない。これは、単にマッタケを味わってない引け目からそう感じるわけでもなさそうだ。
孫君のソフトボール応援も、強い陽射しのもとで暑いのなんの。冷たい氷麦茶を手放せない。熱中症対策に最大限の注意が必要である。
などとウジウジ思っていたら、今週末あたりから6度も7度も一気に下がるという予報。本気で衣替えが要りそうである。

さて、我が国の政界もなかなか正解が見いだせないまま、総理大臣が変わり、国会も衆議院が解散し総選挙によって政局が大きく動く。
政界も季節に合わせて衣替えというところか。ただただ思うのは、衣替えと言うように単に着るものが変わるだけで、中身が変わらないのではどうにもならない。羽織るものが薄っぺらなものから、四十物へそして重厚な冬物へ変わるように、中身も重厚でいて爽やかで、どこに出しても恥ずかしくないセンスと品の佳い装いで、確かな政治を見せて欲しいものである。

労働人口の減少と少子化、その上に高齢者の数は増えるばかり。小生自身も高齢者の一人だから、決して大口は叩かないが、兎に角、生産性を増進させ、企業活動を活発に、雇用の安定と賃金体系の確立による安定昇給。これらを背景に労働意欲をアップする。口先で消費税を下げる、賃金は上げる、など絵に描いた餅のような議論ではなく、労働意欲の湧く社会を今一度取り戻す。そんな衣替えの政治体制になるといいな~。

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「さらなる高みを目指して」

2021年10月10日 | 家族・孫話

令和3年度も早10月半ば。年度初めに計画された色んな年間活動は順調に消化されている、はずである。
ところが、昨年もそうであったように今年も、コロナコロナに席巻されて年間計画は大幅な縮小や中止を迫られて、予定は大きく狂った。
小6孫君がキャプテンを務める少年ソフトボール選抜チームも、県またぎの大きな大会など多くが無残にも中止に追い込まれた。 

そういった子ども達の無念さに報いる計画も進められてきたようである。せっかくここまで、叱咤激励に耐え、流れる汗をモノともせず、積み上げて来た練習の成果を発揮する大舞台を、執行部の皆さんがは考えておられたようだ。
コロナ感染対策緊急事態宣言も解除され、一日の感染者数が減少傾向にある今日。「北九州ー広島・岩国地区親善小学生ソフトボール大会」が、地元同好会引き受けで、岩国市で開かれた。北九州・宮崎・広島そして岩国から強豪16チームが参加した。

野球を愛する子ども達の『さらなる高みを目指す』ためには、市や県を代表するチームと試合をするのが一番の近道である。歯が立たない負け方もするし、意外にも鍛え上げられたチームに勝利した喜びを感じたりする。そんな悲喜こもごもが、雲一つない秋晴れのもと展開された。

          
          試合開始前のキャプテンの大切な仕事。メンバー表交換、先攻・後攻を決めるコイン占い

    
                  打って守って、そして守備のスキをついて、グランドを駆け巡る。

              
         戦いが終われば「気をつけ!礼!最後までの応援ありがとうございました」の号令もキャプテンの大切な役目

全く顔も知らない、初対面のチームとの戦い。お互い、やりずらいだろうが、それこそが大きな大会の魅力である。最初から全力を出し合うことになる。そうして午前中の予選リーグを勝ち上がったら、午後からの決勝トーナメントに進む。
我が孫君のチームは、午後の決勝トーナメント第1戦で惜しくも敗退。今大会の戦い終わりの号令をかけ終えると同時に、キャプテンの責任からか、チームメートの陰に隠れて口惜し涙がほとばしる。たとえ応援団長のジジといえども、その場では何も語らず静かに引き上げるだけ。

改めて2・3日おいて、ジジの目に映った色々の感想を話しながら、もっともっとレベルを上げる方策を語り合うとしよう。

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「大都市を襲う地震!」

2021年10月09日 | ビッグニュース

       
       青いラインの京浜東北線(イメージ)              京浜東北線路線図 

一昨夜10時40分過ぎ。そろそろテレビも終わりにしようかという時間帯に、緊急地震情報のテロップが流れた。
見れば、千葉・東京・埼玉の大都市直下で地震発生。震度5という。さぞかし大混乱であろうと想像する。翌日になって、幅広い被災地の状況が詳しく解るにつれて段々被害の大きさが伝わってくる。

他でもないが、埼玉県が被災地と聞くと、忘れもしない26年前に親戚以上に親身のお世話を頂いた、知人ご夫婦の安否に思いが行く。もちろん、東京在住の同級生や知人の安否も気に掛かる。
埼玉の知人には、何はともあれスマホメールで安否確認を。「揺れるのは揺れたけど何事もなく済みましたよ」と。ひとまず安心。
今日の新聞には、新交通システム「日暮里・舎人ライナー」の先頭車両が脱線し、交通網に大きな障害が出た、とのニュースがあった。

26年前、埼玉南浦和の単身赴任マンションから、東京駅を一つ下った有楽町に通勤したのは京浜東北線であった。話題の日暮里も朝に夕に通過した駅である。その当時は「日暮里・舎人ライナー」は存在しなかった。それに、日暮里と言う駅には一度も降り立った記憶がない。鶯谷は営業の関係で一度だけ降りて仕事したのを覚えている。

それにしても遠い遠い昔の話であるが、我が生涯の中で唯一大都会の生活体験である。たった1年余の短い期間ではあったが、「一度は東京で仕事してみたい」「都会の混雑を味わってみたい」と思い続けていただけに、刺激的であり、やる気を引き起こさせるエネルギーが溢れていたのを思い出す。それだけに色んな記憶が胸の中にいっぱい詰まっている。単身赴任マンションの管理人であったご夫婦への感謝もその一つである。ついでにいうなら、阪神淡路大震災も地下鉄サリン事件も、単身赴任中の都会で味わった。

日本列島至る所に活断層は生きている。地震がいつどこで発生してもおかしくない現状である。南海トラフという不気味な予測もあるが、大都会を地震が襲うとどれほどのことになるのか気が気ではない。地震など発生しないことを祈るかたわらで、物理的にも精神的にも、万一の備えを忘れてはならない。そんなことを思う秋の夜長である。

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「下見!」

2021年10月08日 | 地域活動

          
             約800mに及ぶ長い砂浜。ウーン、結構なマンパワーが欲しいね~

          
            コロナ対策によって規模縮小を求められる中、この漂着ごみの山

私たち現役をはるか前に卒業した、言わばシニア中心の地域ボランティア活動グループ「地区社会福祉協議会」。
その年間事業計画のメインとも言うべき、白い砂浜を守る「海岸清掃」。今年で15回目を数える。毎年思うことだが、今、我々の持てる総力を傾けるに価値のある一大事業である。と、本人は思っている。

コロナなどという集団活動を敵とするウイルス感染が発生する以前は、この活動には優に500人を超える地元住民が積極的に参加してくれていた。大型台風の襲来や高潮などで打ち寄せられる、ありとあらゆる漂着物は半端な量ではない。参加者全員が協力して集める、可燃物不燃物、ビン・カン・プラゴミなど総重量は7トン8トンに上ることもある。

市内でも有数の長い砂浜。集めたごみを集積場に積み上げるには、人の手で運ぶのは至難の業である。そこで活躍するのが地元漁業協同組合所属の漁船6・7隻による強力な協力がある。普段は接岸することもない砂浜に乗り上げるようにして留まる。小さな漁船に人海戦術であふれるほどの漂着物を積み上げ、港の荷揚げ場に3往復4往復して横持作業が進む。

こういった一連の作業をする前に、執行部数人による下見という大切な作業がある。いわゆる段取りを決めるための現場視察である。
ごみの量や散乱状態によって、調達する人手や、給水所の設置場所、漁船の数など、幅広い検討が要る。
今年は11月7日の実施予定。これから地元中学校との参加人数交渉など、コロナ対策で数々課せられる制限をクリアーしながら、無事に、当初の目標に近い結果を残すようプロデュースして、晩秋の青空の下で作業したいなぁ。

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