1971年10月15日は、我が生涯大切な記念すべき日の前の日であった。
明日の祝い事を控えて、東京から兄・姉が帰省し、近くの親戚も宵の口まで飲んだり食ったりしゃべったりして賑やかであった。
当の私は、遠来の客のもてなしやら、明日の本番に備えて心落ち着かない時間を過ごしていた。
おおよそ近くの親戚が引き揚げ、帰省の兄たちも風呂支度かなとなったところで、明日に備えて早めに休もうと二階の自室に戻った。
しばらくすると、兄・姉。義兄が揃って私の部屋にやってきた。「今からマージャンをやろう」という。「冗談じゃろう、オレは明日があるから寝る」というのを無理やりに「これからやるマージャンに勝ったらお前の人生は明るくなる!」とか、「せっかく遠くから帰ったのにこの時間から寝るのはつれないんいじゃないか」などと、笑いながらではあるが、有無を言わせぬ勢いで迫ってくる。
最後の決め台詞は「明日からこの家にはお前の嫁さんが入ることになる。そうしたら今夜のような水入らずではなくなる。その意味では最後の記念の夜だから気兼ねなく遊んでおけよ」などと、さすが理屈でなりわいをする兄貴だけに、通ったような通らない理屈を並べる。
ろくな兄弟じゃないよねーと思いながらも、議論して時間を取るほどなら早めに始めて早く終わろう、とこっちも計算して始めた。
酒飲み兄弟なら酒を提供しておけば、そのうち眠くなろうというものだが、酒は飲めない下戸兄弟。真面目にマージャンに興じる始末。
おふくろまで「早うやめんさいよ」とか言わずに、お茶や菓子などを持ってくる。その当時は室内禁煙も当たり前。濛々たるたばこの煙に巻かれて何時間たったろう。やっとこさ「しっかり眠って明日は、新郎として粗相がないように」などと立派げなことをのたまう。
マージャンという遊びを一度でも経験されたご同輩には、その気持ちの諸々がご理解頂けるとお思うが、これは一種の麻薬であり、中毒みたいな怪しい要素があって、人数さえそろえばどうしてもちょっとパイを触りたくなる不思議な遊びである。
そんなこんなで大切な日の前夜を悶々と過ごしたあの日から、丸50年がたった。
こんな逞しい兄弟を持った私はともかく、その後長く付き合わされたカミさんは何かと苦労も多かったであろう。が、あまり愚痴などは聞かされなかったと思っている。6人いた姉弟が、今では3人になってしまった。やはり50年の歴史は重いものがある。チャンチャン!!
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