暑さを避けてツバメが9羽、軒下で羽を休める
8月14日は父の祥月命日。
43年前の1973年は、今年と同じように、夕立を待って待っても一粒の雨の恵みもない、暑い暑い夏だった。
「ちょっと風邪を引いたような」と、勝手な自己診断を下し、頑として病院に行かなかった父。
わずか1週間の煩いで一気に衰弱し、往診の点滴注射も手遅れで、足の親指の先から冷たくなっていった。
大げんかをしてでも無理やり病院に担ぎ込めば、快復という道はあったかもしれない。
ただその当時は、今のように救急車を利用する習慣もなければ、救急車そのものもいない時代。
どうかすると、リヤカーに乗せて近くの開業医へ家族の手で担ぎ込む、というのが当たり前のお粗末な救急態勢。
本人が積極的にならなければ、病院搬送も実現はしない。
そんなことで一気に逝ってしまった父は、享年74歳であった。まさに今を生きている小生の歳と同じである。
なんやら尻がくすぐったいような、オレもいつお迎えが来てもおかしくない歳なのか……などとふと思う。
特にこの夏のように、逃げ場のない暑さはもうたくさん、などと思ってしまう。
『明治32年に生まれ、昭和48年8月14日を一期に74歳の生涯を閉じた父。
その時31歳だった私が今、父の享年に並ぶ74歳の夏を迎えている。
同じ74年の生涯でも、生きて来た世界や世の中のありようが大きく異なるので、
同じ土俵での比較はできないと思いながらも、あの旺盛な生活力や波乱に富んだ父の生き様には遠く及ばない気がする。
今のところ病気もないので、生きた長さだけは父を超えるのは間違いなくなった。
今日は祥月命日。こんな倅の生き方の評価を、墓石に尋ねてみるか。それとも自分の胸に手を当ててみるのがいいかな。』
当時は救急という言葉さえ知らなかった、そんな気がします。
ほんと、我々はいい時代に生かされて、幸せに感謝しないとバチが当たるね。
健康で長生き。ピンピコロリを目指そうね。
今は救急体制も整っていて、ある意味幸せない時代ですね。
そういったことにできれば世話にならないよう、元気で長生きできるといいですね。