「三年目」と言えば何を思い起こすか。コミック歌謡で「3年目の浮気」という歌もあった。「ここで会うたが3年目」と父の仇に撃ちかかる芝居もある。
凡人の小生などは、三年目と言われて一番に頭に浮かぶのは、古典落語に出てくる人情噺であろうか。圓生落語で聞いたことがある。
落語の「三年目」は、愛し愛された若い夫婦の嫁さんが若くして病死。残された亭主は「後添えは要らない」というのに周囲の世話焼きが、新しいお嫁さんを連れてくる。亡くなった先妻は「再婚したら化けて出る」と言い残しているので、亭主は先妻の幽霊が今日は出てくるか、明日は出るかと、怯えながらも待っている。丸2年たって3回忌を迎えた晩にやっと幽霊として現れた。「随分遅かったじゃないか」「だって、坊主頭じゃみっともなくて出らりゃしない。髪の毛が伸びるまで待ったら3年目の今夜になっちまったんだよ」という夫婦愛のお話し。仏になったら、男も女もお坊さんによって髪の毛を剃られたことに引っかけてある。
そんな話はともかく、小生にとっての3年目は、蓄膿症手術という、それはそれは痛い目にあってなんとか無事退院したあの日から、今日が丸3年目である。
医術の進歩で、蓄膿症という鼻の奥の手術も、鼻の穴からカメラとメスの2本のチューブを突っ込んでやる。但し、入室から術後の退出までかれこれ4時間かかったのは覚えている。
6月の朝日は5時に顔を出す。日の入りは夕方7時を過ぎる。朝が早くて一日が長いな~と感心しながら毎朝日の出に柏手打ったのを思い出す。その後、確かに蓄膿症状は治った。完全治癒と言っていい。ただ、丸3年過ぎた今も、鼻詰まり感があって、時としてしゃべりにくいことがある。「あーたにとって、しゃべりにくいくらいがちょうどいいよ」などという友はいないと思うが、出来たらこの鼻詰まり感から開放されたい。
まあ鼻で息が出来ないほどの重症ではないが、執刀医の腕前をちょっと疑いたくなったりする。まだお若くて、これから経験を積んで名医として出世する、という段階であったのかもしれない。その意味ではこの鼻も世のため人のためになったのか、と善意に解釈して、3年目を通り越して4年目、5年目の鼻詰まり感完治を待つことにしよう。