「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「復活の白い花」

2020年04月19日 | つれづれ噺

    
              どこにでもある、何でもない単なる「平戸ツツジ」なのだが・・・

主に似て、気まぐれというか辛抱が足りないというか、年々思うようにはなかなかきれいな花を見せてくれない我が家のツツジ。
咲いたり咲かなかったり咲かなかったりと、咲かない年の方が多いのに、一旦咲く気になったらこのようにいっぱいの花を付けて、主を驚かせる、ちょっと不思議な花ではある。

かつて、こんなどこにでもある、何でもない平戸ツツジに思いを込めて、大げさにもこのペーにアップしたことがある。
それも、この拙い勝手気ままブログをスタートさせた2008年4月30日から一夜明けた、5月1日第2編目として取り上げた、言うなれば記念すべき「白い花の咲くころ」の復活版みたいなところか。
そのときのURLを記録として残しておきたい。  https://blog.goo.ne.jp/yok1sioka/e/3d2d9ef3515186d907f4159ce30a53e4

世はまさにコロナコロナで八方塞がり。
「外に出るな」「人と会わないように」「県外へ出かけるな」「密室・密閉・密着を避けよ」等々息が詰まりそうな言葉が並ぶ。
でも、そうすることが自分の命を守ることになる、という保証付きなのだから守るしかない。
いま、調子に乗って勝手な振る舞いをすることは、自殺行為であるだけでなく、関係のない赤の他人を巻き込んで死に至らしめることにもなりかねない。

そんな無自覚者や無責任論者と指さされないように、じっとガマンしてヤモリの如く、我が家にへばりつくことが大人の見識というか、人間の見識なのだから、ひたすら守るしかない。小5の孫さえ、ジジと二人きりの山登りさえ「外に出ん方がええじゃろう」と言う。
そんな気持ちを察したわけでもあるまいが、普段あまり咲かないツツジがこれほど見事に咲いたことは、何か佳きことの予兆か・・・?
などと、いい方に解釈してみたくなるような、純白、ところどころ紅色の混じる花である。

古い奴だとお思いでしょうが、「花が咲く」という言葉には否応なしに「幸先よし」と受け止めたがるのである。
やはり、世界中を震え上がらせる現状では、何かにすがってでもいっときも早く、希望の持てる日がくることに全てをかけたい思いがある。

コメント
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