「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「運命の7月」

2018年07月12日 | スポーツ・観戦

               

野球の発祥がアメリカであることは、先ずは誰でも知っている。
そしてアメリカのプロ野球をMLB(メジャーリーグベースボール)と呼ぶのも大方ご存じの通りである。
MLBの傘下には、マイナーリーグと呼ばれる、3A・2A・A・ルーキーという4段階のリーグがある。日本にやって来るアメリカ選手の多くは、メジャーのすぐ下の3A(スリーA)からやって来る人が多い。中にはメジャーでバリバリ活躍中の選手もたまにいる。

日本プロ野球(NLB)に目を向けると、一軍選手、二軍選手、そして独立リーグの三層に大きく分けられる。
2004年以降に設立された独立リーグは、地域密着を図ると共に、NPBを目指す選手の受け皿として選手育成を前面に打ち出しているところが多い。その逆に、NPBの選手契約を打ち切られた元選手が、仕方なく一旦独立リーグに身を置き、どこかのチームからお呼びが掛かるのを待つ、いわゆる捲土重来を期す人もいる。そんな一人が、巨人からお払い箱となった村田修一その人である。

彼が今年中にプロ野球選手として復帰できるのは7月31日が期限という。言い換えれば、日本プロ球団が新たに選手を獲得できる期限が7月31日ということ。つまり勝負の7月。これを逃したらまた来年、38歳の挑戦ということになる。正直言って難しいだろう。

かつては、今の横浜DeNAベイスターズが横浜ベイスターズであったころ、彼は押しも押されもせぬ横浜の4番バッターであり、日本球界を代表するスラッガー村田修一であった。何を血迷ったのか、6年前に巨人に移籍した。
その当時巨人は、他球団から4番バッターや看板選手をいっぱい集めていた。ソフトバンクから小久保、オリックスから谷、そして村田。

この様に4番バッターばかりを揃えても現代野球は勝てない。小久保はソフトバンクに復帰してもう一花咲かせた。
谷に至っては、オリックスの4番の座を捨てて巨人に行って、何のことはない、たまに指名のかかる代打要員。村田は一時期華やかな活躍をしたがすぐに落ち目となって、結局は本人の意思とは関係なく契約更改無し。哀れである。

入団から世話になり、一人前に育ててもらい、球界を代表スラッガーになりながら、なんで元の球団に簡単におさらばするのか。
こんな素人が考えるほど簡単なことでもなかったろうし、悩みもあったろう。しかし、巨人以外のファンの目には、お金で勝った選手というイメージはぬぐえない。もしも横浜にそのまま在席していたら、37歳の若さでお払い箱はなかったのではなかろうか。

巨人も、よそのチームで出来上がった既製品で強くなるのではなく、ドラフトで合理的に獲得した、若いいい素材を磨き、鍛え上げて強くならないと、あれほど多かったファンが逃げていくのではないか、心配する7月である。

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