猪の子もちをつく地区の子どもたち
穏やかな小春日和に、木枯らし吹き荒れる寒さも混じる冬の初め。
いよいよ11月も晦日を迎えた。一晩眠ったら師走のあわただしさを迎えることになる。
伝統的な祭りを保存しようという社会福祉協議会や自治会連合会、さらには子ども会連合会などが一緒になって、町には亥の子餅をつく音が響いた。
隣接する孫の住む町では、数々の伝統芸能が保存されており、四季折々に各地を巡回しながら、子どもたちに日本の旧き佳き昔を身をもって伝授している。
今回は「亥の子祭り」が行われた。
亥の子用槌に見立てた丸い石に、八方に分かれるように荒縄を括り付けた亥の子石と、それを打ち付ける畳半畳を、軽トラックに載せて、町内10数か所の集落を巡回する。訪れた集落の子供も大人も集まってきて、軽トラのスピーカーから流れるお囃子に合わせて、みんなで協力して石を畳に打ち付ける。
『旧暦十月、亥の日の亥の刻に行われ、亥の子の祝い、単に亥の子、また亥猪(げんちょ)とも言います。稲の収穫祭として亥の子の神を祭る西日本に多く分布する行事です。
猪の多産にあやかり、亥の月(十月)の初めの亥の日の亥の刻(午後九時から十一時)に、新穀でついた亥の子餅を食べ、無病と子孫繁栄を祈る年中行事でもあります。
また「亥の子節供は夕節供」という里諺があるとおり、子供たちの行事もすべて夜行われました。江戸時代、市中では、この日に炉や炬燵を開き、火鉢を出し始める習慣があったそうです。』
と言われるように、いろんな意味を込めた亥の子祭り。
亥の子石をつき終わると、集まった全員にお菓子が配られる。そのお菓子目当てに集まってくる子どもたちではあるが、地区のお年寄りが「亥の子祭りの由来を・・・」と、短めに上手に説明する。
子どもたちには今は理解できないかもしれないが、もう少し大きくなってパソコンでも開くことになれば、亥の子祭りの説明も納得いくように記されている。
このような行事の積み重ねが、子どもたちの心に、故郷の良さを感じさせるきっかけになれば幸いである。
何事によらず、何もしないよりは何かを仕掛け、長く続けることで伝統というものが生まれていくのであろう。