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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「何かと多忙な・・・」

2022年06月27日 | 地域活動

     

何かしらやたらと多忙に感じられる日があるものだ。
最近ではそんな日がだんだん少なくなっていたのに、今日に限っては珍しく色んな事が重なった。単なる偶然なのだろうが、色々あったね~。
カレンダーの予定欄には1件だけの予定が書かれている。それは午後1時前の、近くの小学校の学習サポートだけであった。

のんびり新聞に目を通して、まだパジャマを着替えていないうちにピンポーン、来客である。
地域活動の中でも今一番力を入れている大切な用件の打合せであった。カレンダーに書き入れるのを忘れていたのと、訪問時刻の確たる約束をこちらがいい加減に思っていて、午後からだろうくらいに軽く考えていた。いや~な話だが、最近こんなウッカリがよくあるようになった。気を付けなくっちゃ。

社会福祉協議会当地区担当の若い女性職員さんで、きわめて前向きな姿勢が見えることもあって応援したり、色んな質問に答える形で結構長話になった。朝イチの対応がこうなってくると、その日一日の要件がどれも似たように長くなるという連鎖反応を起こすようだ。なんでそうなるのか分からないが得てしてそういった傾向にある。

午前中がほぼつぶれてしまったので午後は少しゆっくり出来るかな・・・などと思ったのは大きな間違い。今度は訪問ではないが電話がかかった。これは長かった。スマホを耳に当てる腕が苦るほどである。高齢者ゆえの病があるので、あまり性急な会話にもならず、ゆっくり聞いてゆっくり答えを導いて、やんわり納得させる。これも地域活動の延長である一種のボランティみたいなものだ。

そして今日の締めくくりもやはり電話であった。こちらは、久しぶりに声の交換となる昔のPTA仲間のお一人であった。ある人からこの「やぶにらみブログの話を聞いたので開き方を教えて」という、小っ恥ずかしいご依頼であった。これもお断りするのも大人げないという判断から、見てもらうことを承諾し、少しの思い出話や昔の仲間でのOB会が開けるといいね。など他愛ない話を楽しんだ。

これで終わりか。いやまだ他に、返答を求められるメールも入っていた。
何にもすることがなくて時間を持て余すことにはあまり慣れていないのは確かだが、あり過ぎるのもね~。でも考えてみれば、一日の回転がうまくいって、いろんな人と色んな話をして、気持ちが和んだり考えたりさせられることもまた、生きていることの証なのだ。ある意味、贅沢な一日であったのかも。

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「自治会の活動」

2022年06月05日 | 地域活動

         

6月の第1日曜日は、原則として我が住む自治会の清掃作業日となっている。この作業が習慣化し定着してからさて何年になるのだろう。
自治会長さんが輪番制で毎年変わる自治会が多い中で、我が自治会も輪番制で1年こっきりの会長制度が長く続いた。それがようやく昨年度の役員会の中で、高齢化や独居家庭が増える自治会の将来を見越して、画期的な改革が提案された。それが自治会長任期の複数年化。つまり再任を妨げないという会則に変更され、自治会体制として半歩前進したと思いたい。

そんな自治会で今年も清掃作業が行われた。各自の敷地に沿う道路にある土砂やゴミの溜枡のどぶさらえ。そして団地公園と自治会館建設用地の草取り。いわゆる環境美化の二つがメイン作業である。

そもそも自治会っていったい何者なの?
明快な答えも持っていないし、当っているかどうかさえ不安であるが、少しだけ考えるところはある。
但し、考え方はそれぞれだから、個人的見解は先ず置いといて、ごく一般的な風潮を見ると、自治会・町内会という最も身近な組織は、若い人たちからは敬遠される存在みたい。それが子育てを経験して、学校に通い始めたりすると、周囲の助言や手助けなどが徐々にわずかな有難味として感じる人が多くなる。それでも必要性を感じない人は必ずいる。

逆にお年寄りにとっては、遠い親戚より近くの他人と言われるように、互助組織であり、気持ちをほぐすご近所さんということになるようだ。これも人それぞれ、一切関わりを持たない生き方を望む人もいるので、一概には言えないが一般的にはそんな感じかな。
若い人たちだって、親御さんの住んでいる場所に自治会や町内会があって、周囲の人たちと互助の精神でゆったり暮らしてもらう方が、孤独な一軒家暮らしより安心していられのではないか、などと余計なことを思ったりする。

いずれにしても、飽くまでも世間一般の感じとして受け止めた極めて個人的な見解なので、強制するものでも同調を求めるものでもないことを強調しておきたい。ただ、どこで生きても何をしても協調する気持ちを僅かに持つことは無駄ではない気がする。協調を忘れてヘタな口を滑らせて孤立する不如意を何度繰り返してきたことか。反省すべき半生ではある。

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[新年度スタート!]

2022年05月20日 | 地域活動

              

毎年5月に行われる地域活動の定期総会を、3年ぶりに対面による会議方式で開催した。
過去2年間は対面形式では開かれず、年間事業報告、活動報告、会計報告、それに新年度に向かう事業計画、予算案などの総会議案書は作成した。それを役員さん全員に配布して、賛成・反対の書面による議決方式を取ってきた。
今年度は、コロナ感染拡大の様子を見ならがの苦しい決断ではあったが、可能な限りの時間短縮形式で実行する判断をした。

会場の作り方にも様々な工夫を凝らした。テーブルを極力少なくして、椅子席にして間隔を広げたソーシャルディスタンスの確保。窓の解放による空気の入れ替えなどなど。そんなこんな何かにつけて事務局長さんの仕事は増えるばかり。しかもこれまでにないやり方も取り入れて時間の短縮を図る。
基本的にはシャンシャンの賛成多数で全ての議案が可決承認となるのだが、問題は今日から本格的に始まる新年度の活動の内容である。

高齢化はとどまることを知らず、日々の生活の中でご近所のちょっとした気遣い、支え合い思いやる心が大切となってくる。そういった雰囲気を醸し出す役割が地区社会福祉協議会の基本線である。という私自身も紛れもない高齢者である。老々助け合いは笑い話になりそうだが、笑ってばかりはいられない。独り暮らしのお隣さんから簡単な買い物を頼まれればお手伝いをする。ときには傾聴ボランティアも。
出来ることを、できる人が手を貸してあげる。言うは易し行うは難し。

何はともあれ新年度はスタートした。何が出来るのか、何が求められているのか。目を開き、耳を澄ませて周囲を見回す。具体的な活動につなげていく。もうひと踏ん張りだろうか。出来るといいね。

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「5月を前に・・・」

2022年04月28日 | 地域活動

           

5月を目の前にして俄然忙しくなった。所属する地域活動の定期総会が迫って来た。
過去2年間はコロナ感染対策のため、対面での総会は開かず、書面議決という方法でなんとか凌いで来た。未だ完全なコロナ収束と言える状態ではないが、敢えて3年目となる今年の総会は、市役所出張所の集会室を会場として対面で実施することにした。ある意味苦渋の選択である。

完全な任意によるボランティア集団である地域活動は、現状維持は退歩であると言われる通り、何か目新しい活動を模索したり、個人の志気を高める動きが常に求められる。まして、自主財源を持たない否営利団体ゆえに、地域の皆さんから預かる浄財が運営資金となっている。このため、実際の活動の足跡や成果を目に見える形で地域住民に知らしめる義務を負っている。

そんなことをあれこれ考えると、役員さん全員に一度ご足労頂いて、活動実績の報告や資金の活用状況などをみんなで周知し、共通認識のもとで新たな年度をスタートしたい、活気のある地域活動にしたいなどと、少し肩にリキが入る季節なのである。事務局としては総会議案書の原稿作りが急がれる。大空を悠然と泳ぐ鯉のぼりをゆっくり眺めてなどいられない。

3年振りとはいえ、志気を高めるためとはいえ、50~60人を集めての会合は「コロナ対策に万全を」というもう一つの大きな課題をクリアしなければならない。「なんでそこまでして総会を開くのか」「そこに困った高齢者がいて、支える手を待っている人がいるから」ということかな。
乗りかかった船ならば、体力が続く間はがんばってみっか、などと思ってはきたが、ここにきて急激な衰えを感じるようになった。そろそろ後任探しを。これがまた厄介。さていつまで出来るのやら。
悩ましき5月病の一つみたいだねー。

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「チラシの効果?」

2022年04月25日 | 地域活動

  

造成から27年の歴史が流れた我が住む小さな団地。かつては子ども会活動も活発で、小学校の登校班を組んで、上級生が下級生を指導するという、どこにでも見られる普通の団地の姿があった。
高齢化や少子化はこの団地も例外ではなく、今や子供の数は極端に減り、子ども会も解散し登校班も組めない自主登校のありさま。当然ながら定年退職者や自営のリタイア組など、高齢者があふれる団地へと様変わりした。団地公園にあふれていた子どもたちの遊び声が消えて久しく、その代わりに公園は誰も使わない、草取りに追われる、言うなれば無駄な広場になりかかっていた。

公園を活用して何か和みのある活動が出来ないだろうか。
そんな思いが高じて、3年前のこの季節に思い切って始めたのが、小さな公園の小さなグラウンドゴルフ同好会の立ち上げであった。
スタート時の会員は、3夫婦と個人4人の合計10人。最高齢者は当時82歳男性。次が79歳女性。最も若い人で69歳という、平均年齢では他の先輩同好会に負けてはいなかった。

この10人で和気あいあい楽しくやってきた。残念ながら一人の男性が心臓発作でリタイア。目下実質9人で間もなく4年目に入る。そろそろ本気で若い人の入会を誘ってみようということで、「お試し会」を企画してチラシも作成。各班毎に回覧版として案内を流した。その第1日目が今日であった。市の運動施設から6人分の用具を借り受け、新人名簿も書き込めるよう周到な準備で公園に出向いた。普通の練習日より気持ちはハイテンション!!

残念、約束の時間が来ても、顔ぶれは今までと変わらず新人の顔は見えない。心臓発作でリタイアした元の仲間でさえ杖をついて来てくれたというのに、新人さんの参加はゼロ。気持ちの半分は「誰も来ないだろうな」ではあった。それでもこうしたお誘いを1年に1度は出しておかないと「勝手に仲間を集めて勝手にやっている」というやっかみは必ず出てくる。そんな野暮をいう人の対策としてのパフォーマンスの意味もある。そして公園を使うという負い目もあるし。
一つのことを何かやろうとすると、八方目配り気配りをしてこそやっと活動出来るという側面はある。これが人間社会でもある。

ただ、結果的にはまた向こう1年同じメンバーでやることになる。それはそれでいい。気の置けない仲間同士が「今日は調子がでなかった」「今日は最高じゃった」と互いを評価しながら、気持ちも身体も少しの運動も楽しんでやってりゃ、そのうち「やってみようか」という物好きがあらわれないとも限らない。要は続けることに意義を求めて。
写真入りで念入りに仕上げたチラシに、お茶を引かせたのは少し残念ではあるが。

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「ちむ どんどん」

2022年04月11日 | 地域活動

                  

日本全国おおむね一斉に小学校入学式が行われた4月11日。実に可愛いかわいい入学式。夢も希望も無限に広がる子どもたち。

また、NHK朝ドラは新たに「ちむどんどん」が4月11日、沖縄を舞台に華々しくスタートした。
この「ちむどんどん」とは、沖縄の言葉で、ちむ=肝(気持ち・ハート)どんどん=ワクワクする(気持ちがハイになる・興奮する)という説明を聞いた。
ということは、今日入学式を終えた新1年生の気持ちそのままに、ちむどんどんがスタートしたことになる。なんかちょっとヤラセみたいじゃね(笑)

ピッカピカのランドセルを背負う子どもたちもそうであるように、手を引く親や保護者の気持ちもまた同じで、新たに始まる学校生活には大きな希望や夢や楽しさがある。その反面の不安も結構大きいものがある。

そこで、私たち学校周辺のお暇な住民による地域活動の出番である。
校長先生の諮問機関的存在の学校運営協議会。難しく言うと「コミニュティスクール」の活動の一環で「1年生生活サポート」が始まる。
入学直後の学校生活に早く馴染めるように、慣れるように、そ~っとそ~っとそばで見守り、担任の先生の言葉を理解させたり、体操服への着替えに手を貸したり。どうかすると、ガマンできずにトイレへ立つ子もいる。ちゃんとトイレを済ませて迷いなく教室に戻れるかを見守る。

そんな生活サポートを一クラス3~4人で約2週間続ける。担任の先生からも喜ばれる効果のある活動なのだが、コロナには勝てない。ワクチン接種3回の証明を持ってはいても、こればかりは如何ともし難い。早くコロナを追い払って、こういった地道な協働で子どもたちの気持ちに安らぎを与えられると、我々地域住民も安らげるのだが。今のところ、この春もお呼びが掛からない。

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「3年ぶりの一仕事」

2021年11月07日 | 地域活動

3年ぶり15回目を数える「瀬戸内海環境保全大作戦」と銘打った海岸清掃が今日行われた。
地区の社会福祉協議会という、任意の社会福祉団体が毎年1度行っている大がかりなボランティ活動の一つである。

何故3年ぶりなのか。一昨年は予定当日台風襲来で危険回避のため中止とした。昨年は、コロナコロナに圧倒され、感染拡大防止の観点から中止とした。
では今年はどうする。早くから執行部は悩みに悩んだ。元々、この海岸清掃は「海の日キャンペーン」という大義名分で始めたことから、7月の海の日に実行してきた。今年も当初は7月の予定で来たが、コロナの状況を考えて秋まで待つことにした。
幸い、コロナも当面落ち着きを見せていることから、3年ぶりに思い切って実行しよう。但し従来の500人規模から150人規模に縮小することにして、やっとの思い出で今日の実施にこぎ着けた。

  
    密を避けて間隔開けた開会式           中学生の作業指導

   

  
     最終的に集められた可燃物            特殊ごみ
100人に及ぶ地元中学校の生徒と教職員の絶大なる協力をはじめ、地元高校や医療センター看護学校生。それに我々社協の仲間や自治会からの任意参加など、総勢220人を数えるに至った。
3年ぶりの海岸清掃は、それはそれは見事な漂着物の山である。人手はいくらあっても余ることを知らない。
従来は、集めたごみはチャーターした漁船で荷揚げ場所まで運搬していた。今日はあいにくの秋風に見舞われて漁船の砂浜接岸が不能となり、漁船運搬をあきらめ、ひとり一人の手運びに頼った。

そんなこんな、周到な計画や予想通りに行かないことも多々あるが、そこは「地元の海岸を守る」という共通意識の下、大過なく、事故も無く、可燃物・不燃物合わせて約2トンを回収した。
流木等大物の回収や焼却などは、改めて漁協との相談に委ねることで一件落着。

兎に角懸案の事業を一つ終えたことでホッと一息。
コロナの完全終息を待って、その他の計画事業・活動を実行に移さなければ。
こんな田舎でもというか、田舎だからこそ「互いにちょっと手を貸そうや」という人の優しさが生きている。それこそが住みやすい社会環境の原点なのだと思うから、つい手が、脚が抜けない。

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「下見!」

2021年10月08日 | 地域活動

          
             約800mに及ぶ長い砂浜。ウーン、結構なマンパワーが欲しいね~

          
            コロナ対策によって規模縮小を求められる中、この漂着ごみの山

私たち現役をはるか前に卒業した、言わばシニア中心の地域ボランティア活動グループ「地区社会福祉協議会」。
その年間事業計画のメインとも言うべき、白い砂浜を守る「海岸清掃」。今年で15回目を数える。毎年思うことだが、今、我々の持てる総力を傾けるに価値のある一大事業である。と、本人は思っている。

コロナなどという集団活動を敵とするウイルス感染が発生する以前は、この活動には優に500人を超える地元住民が積極的に参加してくれていた。大型台風の襲来や高潮などで打ち寄せられる、ありとあらゆる漂着物は半端な量ではない。参加者全員が協力して集める、可燃物不燃物、ビン・カン・プラゴミなど総重量は7トン8トンに上ることもある。

市内でも有数の長い砂浜。集めたごみを集積場に積み上げるには、人の手で運ぶのは至難の業である。そこで活躍するのが地元漁業協同組合所属の漁船6・7隻による強力な協力がある。普段は接岸することもない砂浜に乗り上げるようにして留まる。小さな漁船に人海戦術であふれるほどの漂着物を積み上げ、港の荷揚げ場に3往復4往復して横持作業が進む。

こういった一連の作業をする前に、執行部数人による下見という大切な作業がある。いわゆる段取りを決めるための現場視察である。
ごみの量や散乱状態によって、調達する人手や、給水所の設置場所、漁船の数など、幅広い検討が要る。
今年は11月7日の実施予定。これから地元中学校との参加人数交渉など、コロナ対策で数々課せられる制限をクリアーしながら、無事に、当初の目標に近い結果を残すようプロデュースして、晩秋の青空の下で作業したいなぁ。

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「わが町の1枚」

2021年09月25日 | 地域活動

          
            やがて新たな姿に変わる、わが町の魚市場

昭和40年代後半。誰もが汗を流して働きかつ消費して、景気を底上げし活気に溢れていた。瀬戸内海の漁業も盛んで漁獲量も先ず先ずであった。
そんな時代を背景に建設された地域の魚市場。出入りの便もいい漁港に面しており、仲買人さんも多く、漁師さんたち張り切っていて賑わいを見せていた。
当時としては建物も斬新で、二階には多目的広場もあり、PTAや子供会活動など地域の交流会場として重宝した記憶もある。

時代は流れ地域漁業も衰退傾向にある。さらには漁業専業の難しさなどもあって、魚の水揚げも減り市場としての賑わいは往時とは比べるべくもなくなった。
それでも、我が住む地域には、この漁港も含めて6カ所に及ぶ「船だまり」がひしめいている。漁業権をを持った漁師さんも健在である。なので老朽化したとは言え、この魚市場を無にすることは出来ない。色んな事情がある。

そこで、いわゆる漁港としての機能・利便性を高めるための様々な岸壁整備をした上で、今の市場に変わる新たな市場建設が具体化し、近々改修工事が始まる。新市場は二階に緊急避難場所の機能も備えるという。長い年月、我々ととも生きた市場が生まれ変わる。

地域広報紙の編集担当として、現状を広報する意味においても四方八方からの写真を残す必要に迫られてカメラに納めた。そんな現状の1枚である。
時代の流れの生き証人として、わずかなことではあるが地域の現状を未来に残す、という作業。考えてみれば、ホンの少しではあるが夢のある話にも聞こえる。

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「小さな使命を抱えて」

2021年09月16日 | 地域活動

                                                               
                      年3回発行される、地区社協広報紙

現在はどこの町でもそうであるように、住民生活の小さな部分で、行政を頼りにする「公助」が期待薄である自治体が多いようだ。その分、自治会・町内会などが主体性を持って、自主的に住民同士の助け合いを推進する「共助」が、じんわり浸透しつつある。そして自分のことは出来る限り自分で処理する「自助」も多く見られる。

我が住む町も多くの自治体と似たようなもので、自助努力を支える共助体制の充実を目指して、色んな地域活動が展開されている。
その中の一つ地区社会福祉協議会に誘い込まれてから何年になるのだろう。知らず知らずのうちにベテランと呼ばれる域に達した。これは自慢話でもなんでもなくて、ただ見様見まねで長くやって来た分、アウトラインや輪郭が少し見えてきて、オタオタすることが少なくなったのかな。
逆にその分、愚痴をこぼしたくなるときもあるということかも。

年3回発行している地区社協広報紙の、明年1月1日発行第53号の広報委員会をスタートさせた。例年に比べると約1か月早い。何故か。一つはコロナ禍、今ひとつはこのところの天候不順である。
8月~12月の間は、地域の環境対策事業、高齢者福祉事業、青少年育成活動、住民の健康増進などなど、広報紙の格好のネタとなる事業・活動がひしめいている。これらが順調に行われれば何の問題もなく広報誌は出来上がる。

ところが、事業・活動によってはコロナ感染対策の観点から「中止」に追い込まれ可能性は十分にある。また海岸清掃など屋外活動の数々は、雨や台風襲来で、直ちに「中止」になる可能性大。つまり、紙面を割り振り、事業・活動のはめ込みなど完璧な準備をしても、中止を予測して多くの活動の代替記事を考えておかなければならない。これは大変な苦労である。などと、勝手な愚痴をこぼしたくなる広報委員会でもある。

社協活動の原資は住民皆様の賛助会費という寄付金が全てといっても過言ではない。原資を頂く住民の皆様に、資金の使途や活動実績を報告しなければならない使命が広報紙にのしかかっている。だからこそ遣り甲斐というエネルギーに背中を押されるのではある。小さいながらも我らの使命を果たすためにも、コロナよ、邪魔しないでおくれ。雨よ台風よ、屋外活動が出来る程度におとなしくしておくれ。と祈りたい。

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