「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「自治会の活動」

2022年06月05日 | 地域活動

         

6月の第1日曜日は、原則として我が住む自治会の清掃作業日となっている。この作業が習慣化し定着してからさて何年になるのだろう。
自治会長さんが輪番制で毎年変わる自治会が多い中で、我が自治会も輪番制で1年こっきりの会長制度が長く続いた。それがようやく昨年度の役員会の中で、高齢化や独居家庭が増える自治会の将来を見越して、画期的な改革が提案された。それが自治会長任期の複数年化。つまり再任を妨げないという会則に変更され、自治会体制として半歩前進したと思いたい。

そんな自治会で今年も清掃作業が行われた。各自の敷地に沿う道路にある土砂やゴミの溜枡のどぶさらえ。そして団地公園と自治会館建設用地の草取り。いわゆる環境美化の二つがメイン作業である。

そもそも自治会っていったい何者なの?
明快な答えも持っていないし、当っているかどうかさえ不安であるが、少しだけ考えるところはある。
但し、考え方はそれぞれだから、個人的見解は先ず置いといて、ごく一般的な風潮を見ると、自治会・町内会という最も身近な組織は、若い人たちからは敬遠される存在みたい。それが子育てを経験して、学校に通い始めたりすると、周囲の助言や手助けなどが徐々にわずかな有難味として感じる人が多くなる。それでも必要性を感じない人は必ずいる。

逆にお年寄りにとっては、遠い親戚より近くの他人と言われるように、互助組織であり、気持ちをほぐすご近所さんということになるようだ。これも人それぞれ、一切関わりを持たない生き方を望む人もいるので、一概には言えないが一般的にはそんな感じかな。
若い人たちだって、親御さんの住んでいる場所に自治会や町内会があって、周囲の人たちと互助の精神でゆったり暮らしてもらう方が、孤独な一軒家暮らしより安心していられのではないか、などと余計なことを思ったりする。

いずれにしても、飽くまでも世間一般の感じとして受け止めた極めて個人的な見解なので、強制するものでも同調を求めるものでもないことを強調しておきたい。ただ、どこで生きても何をしても協調する気持ちを僅かに持つことは無駄ではない気がする。協調を忘れてヘタな口を滑らせて孤立する不如意を何度繰り返してきたことか。反省すべき半生ではある。

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