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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「汗の地域活動」

2016年07月19日 | 地域活動


                  海浜清掃に汗を流す地元の皆さん            集めたごみを漁船で集積場所へ海上輸送

梅雨明けも宣言されて、本格的な暑さとなった7月18日海の日。
午前6時半からおよそ2時間、瀬戸内海に沿って走る山陽本線海側の1kmに及ぶ真っ白い砂浜の清掃活動をおこなった。
名付けて「瀬戸内海環境保全大作戦」。毎年この時季、海の日キャンペーンとして実施しており、今年が10回目となった。
地元社会福祉協議会の呼びかけに応じて、集まってもらった650人が炎天下、ゴミ拾いボランティアに汗を流した。

海の日にちなんだこの海岸清掃は、『自然・環境・生物、守るも人、滅ぼすも人』というスローガンを掲げている。
4つの山が連なる通称灘山を背にして、前には洋々と広がる瀬戸の海。自然豊かな農家と漁師さんの町として栄えた。
そんな歴史から、山を守り、川を汚さず、海をきれいに、という当たり前の生活がごく自然に身についているようだ。

そういった背景のもと、積極的に集まった650人の内訳は、なんといっても地元灘中学校の生徒教職員が290人。
毎年生徒会が呼びかけ、クラブ活動の仲間も誘い合って参加してくれる。これは有り難い。戦力の中心的な役割を果たしている。
総合高校からもバレー部女子がチームで参加。二つある小学校からも高学年の児童や保護者が100人ばかり。
そして、連合自治会や、民生委員協議会など一般参加が250人ばかり。まさに地区を挙げての一大イベントである。

             
                                                集めた漂着物は7トンに及ぶ

少子高齢化が叫ばれる中で、地区社協の年間活動にこれほどのパワーが結集されるのは、ある意味嬉しい誤算である。
このように、マンパワーを必要とするボランティア活動といった、ハード面に協力を頂く半面、我々社協を運営する側も心しなければならないことも山ほどある。独り暮らしを余儀なくされた高齢者との交流など、気持ちのつながりといったソフト面の対応も欠かせない。

極めて困難な内容を秘めていることも確かだ。ガードの堅い独居高齢者のガードを緩めるのは至難の業のような気がする。
そこには、自治会、民生委員、福祉員など地域のあらゆる団体の連携プレーは必要不可欠であろう。
それぞれに、経験やポリシーを抱えて排他的になりがちな各種団体を、同じ方向にかじを切らせる旗振り役は誰か。

それが地区社協の仕事の根幹となるのかな~、などと考えると、汗の地域活動以上に熱くなりそうだし、アタマ痛くなってきそう。
兎に角、多くの方に参加していただいて、一つ大仕事ができたことを感謝したい。

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「神ってる・・・?」

2016年06月26日 | 地域活動

 
 8連勝を飾った25日(土)、デーゲームをこの位置から観戦      9連勝の瞬間をを喜ぶ26日(日)9回裏(テレビ拝借)

どうなってるの?? 今年の広島カープ!
半分は冗談、半分本気で、カープの強さを喜んで「今のうちに笑っておこう」を拙ブログにアップしたのがちょうど1カ月前。
交流戦が終わってみれば、「やっぱり元のカープか」と嘆くことになるだろう……そんな例年を予測して、半ば自虐的な心境を吐露したものである。『交流戦に入る前に、取り敢えず笑っておかなけれ……』と。、

ところがどうだ!あの5月26日から今日6月26日までの1か月間。まさに神がかった勝ち方で首位をひた走っているではないか。
この世のものとは思えない、神がかっている状態のことを、舌足らずの現代の若者流に言うと「神ってる」となるのだそうな。
まあ今はそんな言葉の乱れをとやかく言うのではなく、鳥肌が立つようなカープ快進撃の現実に目を向けたい。

先ずは交流戦の最終盤、西武ライオンズとオリックスとの6連戦が、地元マツダスタジアムで行われたというラッキーがある。
少し調子に乗りかかったチームに、6連戦すべてが実施されるというお天気が味方してくれたラッキー。
ちょっと調子が良くなったら必ず
「雨天中止」という水を差されてきた例年とはえらい違いである。

そんな中でも、特に交流戦最後のカード、オリックス戦は鈴木誠也という高卒4年目21歳の若い選手が脚光を浴び、お立ち台で水を浴びた。
こんな若い力を、首脳陣がいち早く目を付けて抜擢し6番バッターとして固定した眼力。これは単なるラッキーだけではなさそうだ。

そんな打力に助けられ、ローテーション谷間の先発投手が期待に応え踏ん張った。
単なる偶然やラッキーだけではない「強さ」を感じさせる戦いぶりが面白い。
取り敢えず今9連勝、これは18年ぶりという。その前の、15年ぶりとなる8連勝目の試合は、この目で確かめてきた。
外野バックスクリーン横の「バーベキュー席」で生ビール片手に声援を送りながらの観戦。気持ちよかった。

これほど神ってる状態が長くは続かないだろうが、大きく負け越さない限り、秋の大笑いが期待できそうである。
エースの登板試合は絶対に勝つという信念は欠かさず戦って欲しいものである。
カープの好調に乗せられるように、少年野球に精出す悠雅君と、もう何回かマツダスタジアムに出かけることになりそうだ。

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「PPK」

2016年06月21日 | 地域活動

                        

地域の活動を通して、いろんな講演会や研修会と称する集まりにお呼びがかかる。
正直なところ、中には員数合わせのため「お願い!ちょっと顔貸してよ」などという場合もないことはない。
逆に、誰から言われなくても、自ら見つけた講座などで「将来役に立つかも」と思うものには積極的に?出かけてもいる。

このお話は、「『人生90年時代』の生きがいさがし」という、いかめしいテーマの会合に参加したひとくさりを。

平成26年現在、男性は80,50歳、女性は86,83歳という平均寿命の統計がある。
つまり、いまや日本人は男女ともに平均寿命が80歳を超えたということになる。
となれば、定年退職を65歳とすれば、そこから15年の生きがい探しが、その人の幸不幸を分けると言っても過言ではない。

そこで出てきたのが『PPK』である。何の頭文字なのか?
PKOは、内閣府国際平和協力本部事務局であり、TTPは環太平洋戦略的経済連携協定で、少し違うなー。
PTAはお馴染みの、Parent-Teacher Association)の略で、各学校で組織された、保護者と教職員による社会教育関係団体のことである。

さてPPKとは、早い話が『ぴんぴんころり』の略という、人を小ばかにしたような話である。
とはいうものの、これは人間が如何なる終末を迎えるか、言うなれば人間の尊厳にかかわる一大事であるかもしれない、ということ。
「1週間前まであれほど元気じゃったのに、なんでまた急に・・・」などという話を耳にする。
確かに残された家族にとっては、あっけない幕切れで心配するいとまもなかった、と嘆くかもしれない。

でも一足お先に旅立った本人にとっては、これほど幸せな人生終着駅はない、というくらい値打ちのあることである。
つまり、このPPKこそが人生究極の幸せということではなかろうか。
そこで、このPPKをモノにしようと思えば、老後をどのように生きるか、という話になる。

色んな方法があるようだ。
少なくとも自分の殻に閉じこもって、外界との接点を持たない生き方はどうかな?ということになるようだ。
具体的な例は幾つもある。ここではすべてを述べるには時間がかかりすぎる。またいつか折を見て・・・。   

 

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「サイコーでーす」

2016年06月18日 | 地域活動

昨日のしめやかな話の筆あともまだ乾かぬうちに「サイコーでーす」のタイトルは如何なものか。
あまりにも軽薄ではないか……とのひんしゅくを買うかもしれないことを予測して、先ずもって一言お断りを申し述べておきたい。
『なにとぞお許しを』。そしていまひとつ弁解がましいことを言わせていただくと……。

今回の叔母さんの逝去に当たっては、悲しみであることにもちろん異論はない。
ただ、母の時と同じように100歳という長きを生きたということは、そんな人にこそ贈られる「天寿を全うした」という称賛に値する快挙でもあることを忘れてはいない。
そんな快挙を成し遂げて大往生を遂げた叔母さんの葬式は、もちろんお弔いではあるが、お祝いの側面もあると確信している。
そんな意味からも葬儀から一日開けた今日、気分よく大きな声で叫んでみたい、サイコーでーす、と。

『2試合連続でサヨナラ弾を放った広島カープの鈴木誠也外野手(21)が連日上がったお立ち台で再び吠えた。サイコーでーす、と』
1―3で迎えた9回裏、1死一、三塁で迎えた鈴木の打席は、打った瞬間にそれとわかる左中間への逆転サヨナラ3ラン。前日のお立ち台で5度も叫んだ「最高で~す!」をこの日も繰り返し絶叫し、カープファンで埋まったマツダスタジアムを沸かせた。(ネット記事より)

高卒3年目にして一軍切符を手にした若きスラッガー。
カープでは、菊池・丸のキクマルコンビの陰に隠れそうな人気度ではあるが、その実力たるや目を見張るものがある。
そんな彼の偉業を追いかけるわけではないが、ひょっとして瓢箪から駒かも???などとジジが勝手に胸膨らませている。

孫三男坊の悠雅君が1年生ながらソフトボールチームの一員として練習に参加させてもらっている。
いわば野球選手入門編をひもといているといったところか。今日も真夏日の陽ざしの中、延々4時間、練習を見守った。

 
監督やコーチの優しいまなざしの中、みんなとほぼ同じメニューの練習をこなしている


何度もある水分補給タイム。両手に余るほどのボトルから冷たいスポーツドリンクをゴクゴク。


広いグランドをランニング、ダッシュの繰り返し、トスバッティング、シートノック守備練習、シートバッティング、
果てはベースランニング、スライディング ・・・
付いていくだけで大変なように思うのはジジの方だけ。本人はやる気満々。指導者も上手に褒めたり叱ったり。

今日は背番号をもらった。12番である。ということは11人のチームに悠雅君が12番目に入ったということ。
その中に6年生が4人いるという。来年6年生が卒業したら、たちまちどこかよそのチームと合流しなければ存続しない。
そんなきわどいチーム事情はあるが、兎に角1年生で野球デビューできる下地を、このジジが鍛え上げてきたことを、単純に喜んでいるのである。

持ち前のやる気と、鋭い観察眼を忘れず、野球に親しむ楽しい少年時代を過ごしてくれたら、それこそ「サイコー!!」

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「後輩4人」

2016年05月18日 | 地域活動

             

誘われるままに入った地域活動の一つ「男性料理教室」。
入会後1年にも満たないが、今年度4人の新入会員があった。お蔭で新兵さんではなくなった。
一気に4人の後輩に指導??出来る立場になった。

と思っていたら、実に包丁さばきのいい後輩がいるではないか。そいつには少し厳しく当たろうと思っているのだが・・・。
ただまあ、顔の広さという点では・・・?どうなんかな~。中にはえらい人懐っこいのもいたような。
まあ指導に当たる「食生活改善推進協議会」のおばさまたちとは、こっちは古い古い顔なじみなのだ、ということにしておこう。

今日のメインメニューは「ジャージャーうどん」。
これから暑くなる季節に向けて、手軽で食べやすくて、夏バテ防止に役立ちそうな一品であった。
復習を兼ねて、自分でも作れそうな気はするのだが・・・。材料の調達から調味料の在りかを確認する事前の準備がね~。
そうは言いながらも、ご飯を炊く手間は要らないし、お惣菜だってそれほど多いわけではない、と頭では理解しているのだ。

炒めたひき肉に長ネギやえのきダケのみじん切りを混ぜ合わせ、みそ・しょうゆ他で味付けする。
それを茹でたうどんの上に乗せる。それにキューリの千切りや茹で卵とか、トマトにお湯をかけて皮を向いたものをトッピングして彩りを添える。
手の込んだトッピングなどは、よく考えてみれば、要するに付け足しみたいなものではないか。
茹で玉子なんか使わなくてもいい、トマトも皮ごと切って使えばいい・・・。
などと、やりもしないうちから手抜きを考え、愛情もこまやかな気配りも混ぜ込まない淡白な料理作りを考えてしまう。

やはり、人に食べさせるものを作るには、相当の料理修行が要るようだ。
いやいや、料理修行の前に、人間修行が求められそうである。人間修行の方はもう先が見えているというのに。
それらを考えると、やはり男は気楽。山の神の大変さが少しだけ解るような。

まあいい、料理修行も人間修行も置いといて、先ずは目の前のジャーッジャーうどんをレシピ通りに復習することが原点となりそうだ。

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「あかしろきいろ」

2016年04月23日 | 地域活動

  
       岩国吉香公園牡丹園に咲く乱れる、あか しろ きいろ の見事な牡丹

定期的に里帰りする2歳10ケ月になる孫娘ののぞみさん。じいちゃんとのお散歩が大のお気に入りである。
ようやく歩き始めたころからお手々つないで、田んぼの広がる田舎道を歩くと、いろんな花が咲いている。
「ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ・・・~」から「さいた さいた チューリップのはなが・・・~」まで、いろんな歌を歌いながら歩いた。最後の「あか しろ きいろ」というフレーズが特にお気に入りだったようで、何度か繰り返し歌ったりした。

時や良し、最高に咲き乱れているであろう岩国吉香公園の牡丹鑑賞に足を運んだ。
あのころ、のぞみさんと手をつないで歌った通りの光景が広がっていた。まさに、あか しろ きいろの牡丹が満開。
約850㎡という、決して広くはない「吉香牡丹園」ではあるが、50品種500株が大輪を競う様は見応えがある。

それぞれ一株ごとに特殊な名前が付けられていて、とても覚えきるものではないが、その名前と花の形を見比べると「どんな人がどんな意図で命名したのだろう、などと花の向こう側への思いが募る。
それに、普通は花の名前や魚の名前などは、カタカナ表記をしたくなるし、その方が正しいという説が主流である。
そんななかで、この「ぼたんの花」だけは「ボタン」とカタカナ表記するより「牡丹」と漢字表記の方がぴったしくる感じがする。

漢字表記することで、別名を『富貴花』『百花の王』などと呼ばれ、日本古来の花として重宝され愛されてきたことがうなずける。
ときに漢字表記も、そのものの奥深さを呼び覚ます効果をもたらすものだ。
ちなみに、牡丹の花ことばは、「王者の風格」「富貴」「恥じらい」「高貴」などである。

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「故郷を取り戻す活動」

2016年03月31日 | 地域活動

   
        里山を覆うように咲く、見事なツツジ。               ふるさとの小川で石投げに興じる悠雅君

早くも弥生つごもり。今年もあっという間に3カ月を過ごした。
例年のこととはいえ、1月、2月、3月の逃げ足の速いこと。元々足に自信のない小生など、追いつく術を持たない。
特に今年の場合その感がより一層の気がしている。単に歳のせいばかりではないような。

明日から4月。桜の開花情報があちこちから聞こえてくる。
この時季は桜に限らず色んな花が開く。これぞまさしくわが世の春である。
それは、これまでの寒さや冷たさから解放された私たち人間の胸をも開かせてくれる思いがする。

故郷の小さな神社を祀る里山には、山一面を覆うほどの「山ツツジ」が咲き、山が赤紫色に包まれるスポットがある。
いい被写体を見つけたら、野良いぬの如く食らいつくカメラ愛好家が、密かに狙う一角でもある。
正確に言えば、かつてそれほどの見事な景色を持つ里山があった、というべきか。

その里山を中心に広がる集落は、かつて林業に慣れた多くの手があり、ひと声かければそんな小さな里山くらい2・3日で整備され除草されたものだ。ところが今や世帯数は半分以下、超高齢化の限界集落に近いほど寂びれてしまった。
里山に咲くツツジの競演も、雑草や蔦に覆われて見る影もなくなっていた。カメラを向ける人もほとんど見なくなった。

そこで、集落の支所に勤める女性が「故郷の山を守ろう」と立ち上がって、「里山保全グループ」を立ち上げた。
先ずは、当地出身者を洗い出し、「故郷の景色を取り戻そう」と呼びかけた。
整備する回数を増やすことで段々人手が集まり、数年ぶりにツツジの山が再現されたという。
こういった活動は、実効を上げるには意外に時間がかかる。それを、いろんな機会を通して呼びかけて実現した。

単にこの女性の情熱と手腕だけでは、実現は難しかったであろうが、故郷を離れた人に「故郷の現状」を訴え、「故郷を守ろう」という呼びかけが功を奏する原動力となったようだ。山も川も、故郷の大自然は必ずや人々の心を癒してくれる。
川では、孫君が平たい石を見つけては、サイドスローよろしく、水切り石投げに興じている。
この川も、川鵜の繁殖でハヤは全滅に近いほど食い尽くされたという。川鵜対策も必要となってくる。
『故郷を守る。』言うのはやさしいが実効は難しい。でも誰かがやらないと消滅してしまいそう。

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「付録」

2016年03月26日 | 地域活動

      
          中国山地のひなびた温泉宿             カタクリの里には大友家持の歌碑が

誘われるまま食指を動かした、地元の高齢者仲良しグループ「男性料理教室」入会。
実質的な教室はまだ3回。そのあと特別講習でキムチづくりが1回。トータルでもまだ4回の顔合わせでしかない。
回数こそ多くはないがそこは地元の人ばかり、何らかの形で顔はつながっている。まるっきり他人の中にポツンとひとりなどとはならない。

平成27年度の活動が一通り終わったことから、年間総仕上げの懇親会を持つことに。
「ひなびた温泉に浸かってイッパイとカラオケを」というお誘いに乗っかって、勇躍?出かけた。
島根県と山口県を、深さ80mの渓谷で仕切られている、かつては観光バスも通った「深谷大橋」のすぐ近く。
イノシシはよく見かけるという。「クマもたまに見るんですよ」まさに秘境、山奥の温泉宿。

そういえば思い出した。去年の夏休みに、孫の長男と次男が、無謀にも自転車で70kmを走り、お父さんの実家を訪ねたことがあった。
あの、肝を冷やすほどの貴重な体験をした実家のすぐそばである。
こちらは、温泉の送迎バスに揺られていくのだから、足の心配はない。
それにしても、物音一つしないという静けさの中、お酒の回りとともにテンションは徐々に上がっていく。

最高齢85歳、最若年64歳。平均年齢74歳という盛りの過ぎかけた男ばかり14人。
それでも、いざカラオケが始まると次々に希望の1曲がリクエストされる。尽きることはない。
温泉宿の約束の時間ぎりぎりまでカラオケ三昧。そしてバスに揺られて、小規模観光案内。
温泉宿の支配人がバスの運転手も兼ねており、私たちを送るついでに、「深谷大橋」「カタクリの里」や、太古の昔から繰り返されたという水路争奪戦争を物語る「分水嶺」跡の見学。

中でもカタクリの花が群生するという、小さな山肌を目指して、「もう3・4日後が最盛期ですね」という咲きかけのカタクリの花を見つけて大喜び。紫色で、清楚な花が下を向いて開く。日が高くなるころちょっとの間上を向く、そして夕方にはしぼむのだそうな。
そんな山肌の一角に、大伴家持の「歌碑」が建てられていた。
温泉旅行という名前の割には極めておとなしい田舎巡りではあったが、これはこれで実に楽しく有意義であった。

高齢グループと田舎のひなびた温泉。よく似合っている・・・などというと同行者のひんしゅくを買うかな?

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「和製キムチに挑戦」

2016年02月29日 | 地域活動

         

「男の料理教室」の予定日でもな本日。仲間に誘われるまま、特別メニューの「和製キムチづくり」に参加した。
例によって、簡単な作り方の説明が終わったらすぐに実践に取り掛かる。
新米のアタシは、簡単な説明だけではみんなについていけない。レシピをじっくり見直したいが、そんな余裕もない。

ここではみんな先輩ばかり。食生活改善推進協議会のおばちゃん先生を尻目に、先走るベテランも中にはいる。
それでも今日は、ルーティンの料理教室ではないのだから、と手慣れた先輩仲間に割って入る。
でもやっぱり、大量の白菜を5cm角に切るのは、包丁さばきのいいベテランが。

「ニンジンは、包丁の刃を直角に滑らせて薄く皮を剥いてね」「ピーラー使わないの?」「ウン、包丁よ」
前回の料理教室では確かにピーラー使ったのに・・・と思うが、必要ないと言われれば仕方がない。
「皮が剥けたら、3~4cmの長さで、できるだけ細い千切りに」。頑張るしかない。

そうこうするうちに白菜の塩漬けが出来上がり。これは約2時間放置して、白菜と塩が馴染むのを待つ。
その間、ニンジン・ネギ・ニラ・ニンニク・イカの塩辛などにトウガラシを混ぜ、真っ赤になったキムチの素みたいなのを作る。
「今日は4年に1度訪れるニンニクの日なんよ」とジョークを飛ばしてみるが、受けはイマイチ。そんな冗談など消し飛ぶほどみんな真剣。

おおよその原料が出来上がり、白菜の待ち時間を利用して、あらかじめ仕込んであった炊き込みご飯で、各自おにぎりを。
「今日のご飯は、トマトジュースで味付けしました。健康食品の一つでーす」と。
エー、ご飯もトマトで炊くのかと驚く。そうしているうちにすべてが完成。約1kgのお手製キムチを頂いて帰った。

それにしてもキムチ一つ作るのに、なんと多くの手間ひまをかけ、多くの材料を混ぜ、順番を間違えんように作り上げるものだ。
こっちは一箸付けただけで「甘いなー、辛いなー」などと勝手なことを言っているだけでいい。気楽なもんだ。
材料調達から調味料一式、しかも人数に合わせた分量を、ち密に頭の中で計算する。そして1円でも安いところを狙って。
そんな毎日を繰り返す主婦の底力。やっぱり「舐めたらあかんなー」

今さら気づいても遅いことは重々承知。それにしても、台所とは夢が広がる面白いところではある。

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「協という字」

2016年02月18日 | 地域活動

          

近頃色んな場でお目にかかることの多い「協」という字。
力という字が3つあって、それを足すと書かれている。字面を見ただけでなんとなくうなずけるような意味合いを感じる。
さらに、協商・協伸・協信・協進・協定・協同・協約など、協の字が使われている述語はたくさんある。

そんな中でも「協働」・「協育」という言葉が新鮮な感覚で耳に飛び込んでくる。
もともと「協働」という言葉は、「コラボレーション」という意味を持ち、異なる二つ以上のものが、同じ目的で協力し合うことのようである。
「今夜はトランペットと二胡のコラボレーションが楽しめる」などと用いる。

さらに進めると、立場の異なる人と人が、支え合い助け合って生活する「人間同士の触れ合い」にも協働という言葉が使われている。
「協働」は高齢化が進み、一人暮らしの高齢者が多くなった社会現象に欠かせない「互助・共助」の精神文化と言えようか。
突発的自然災害からの救助、ゴミ出しや買い物の支援など、どうかすると行政だけでは補えない部分を、民間有志が立ち上がって住みよい街づくりを考えようということのような。

今一つ「協育」とは、「今日行くところがあるか」という「きょういく」ではない。
学校を中心として、親も地域社会も、行政も一緒に協力して、地域の子どもたちを健全に育て上げようという取組である。
こちらも、学校や行政だけでは満足な施策が出来ない部分を、民間が協力するネットワークを作って学校教育をサポートするのである。
高齢化とは異なって、少子化なのだから、教育は十分行き届きそうなものだが、親の教育力の低下と、我が子の教育に時間をかけられない若い世代の生活様式の変化が見え隠れする。

「協働」も「協育」もこれからの社会生活に欠かせない重要性を帯びてくるのだろう。
では誰がどのような形で、何をするのか。これが問題であり、完全実施に至るまでには多くの課題がある。
でも、いつかは、どこかで、誰かが、やらなきゃならないことであることも理解できる。

「向こう三軒両隣」のお付き合いが希薄になり、小集団活動の基礎である自治会活動が弱体化した現在。
さてどうやって「協働」や「協育」の流れを作っていくのか。難しい世の中になったものだ。
さてどうする?誰がやるのが一番の適役なの? あまり声を上げると、天に向かったツバすることになり兼ねない。クワバラ、クワバラ。

 

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