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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「汗を流して」

2017年07月17日 | 地域活動

         
        海の日、大切なみんなの海をきれいにしよう、と集まった人たち

今年もその季節がやってきた。夏休みを前にした国民の祝日「海の日」。
地域に根付いた社会福祉活動のメイン事業でもある、年に一度の瀬戸内海を守る海岸清掃ボランティア活動。
名付けて、海の日キャンペーン「瀬戸内海環境保全大作戦」。

海の日の潮の加減を睨みながら時間設定を。今年は午前7時の開会式。一人でも多くの参加を見込んで、開始は午前中の管長に合わせるようになる。
世話役は午前5時半集合。それでも決して早すぎないほどの準備作業がある。事前にありとあらゆる準備はしてある。それでもなお、当日でなければ出来ないことは山ほどある。なんせ1kmに及ぶ長~~い砂浜。給水所を設置するだけでも大変な労力である。

そんなウチワの苦労話はさておき、今年で11回目を数えたこの瀬戸内海環境保全大作戦も、幅広く認知されるに至った。
この6月には全国表彰という栄誉で、東京での表彰式に臨むという実績も残している。
参加者も年々増える傾向にあり、今年は総勢700人。但し回収した漂着物の量は、ここ数年で最低の約5トンであった。
というのが、これまでの雨の降り方や、台風の風向きによって漂着物の量は大きく異なる。そういう意味では、今年は海が荒れるほどの大事を迎えていないという有りがたい気象現象ではある。 

                      
            小学生も友達と参加して、一緒に汗を流す

今年は福田良彦岩国市長も、最初から最後まで清掃活動に付き合われた。これは初めてのことであり、主催者としては喜ばしいことであった。そんなお蔭もあってか、山口県内では最も大きな民間放送局がテレビ取材に来てくれていた。
そのほか、中学校からは教職員280人という学校上げての参加協力を頂いた。
もちろん、高校も校長先生のやる気が見えた。小学生も、気の合う仲間で参加してくれていた。

暑い夏の早朝作業ではあるが、ボランティ活動を通して連携の輪が広がっていくとすれば、これほど嬉しいことはない。

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「ちょこっと日の目を」

2017年07月11日 | 地域活動

                                 

少子・高齢化の波はとどまるところを知らず、まさに全国津々浦々に及んでいる。
我が住む町もご多聞に漏れず、子ども会はあちこちで機能しなくなり、惜しまれつつ消滅するところが多い。
そんな状況に反比例するように、高齢者による趣味の活動や、スポーツなどグループ活動は盛んになる一方である。

小学生などは、通学時の登校班を組むほどの人数はいなくてバラバラ登校になる。それは致し方ない現実だが、周囲に元気な高齢者がたくさんいて、児童生徒の安全見守りには力強い味方となって、その存在価値を発揮している。
そうした高齢者の元気な姿は、地域にとって貴重なパワー資源でもある。

そんなパワーをどのようにまとめて、どのように活用していくか、そこが問題である。リーダーの存在が求められる。
幸いにして我が住む町には偉大なるリーダーがおられ、精魂込めて立ち上げられたのが「地区社会福祉協議会」である。
組織作りから会則、既定基準作りその他諸々、立ち上げのパワーたるや目を見張るものがあった。
立ち上げから9年目。その方は亡くなられたがその精神は後輩に受け継がれ、13年目を迎えた今も発展しながら続いている。

活動費のほとんどを、地域に住む人たち、主に高齢者から個人賛助会費として年単位で浄財を拠出してもらっている。
言うなれば受益者負担制度である。賛助会費を出すからには、社協の行事には参加してみようという意欲を掻き立てる。
実に合理的でなんかしらやる気にさせられてしまう魔力を秘めたシステムとなっている。

そんな我が地区社協の年間最大の事業の一つが、瀬戸内海に面した約1kmに及ぶ白い砂浜の清掃活動である。
10年続けて来た海岸清掃活動が、いつしか全国的に認知されるに至った。
日本海岸協会から「平成29年度海岸功労者表彰」の推薦を受け、過日東京で表彰状を頂いて来た。
その様子を、販売部数60万部を擁するローカル新聞がローカル面に取り上げてくれた内容をチラリ!

このような地道な活動に報道関係が、ちょっとスポットを当てて日の目を見させてくれると、さらにみんなの意欲は高まる。
結束力も一段と上がる。そういう意味で有り難かったので、自慢話タラタラで恐縮ではあるが、敢えて書かせて頂いた。

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「エネルギー出し惜しみ」

2017年07月03日 | 地域活動

                             
            一斉あいさつ運動とともに、交通指導ボランティア

暦は早くも7月。今年も後半折り返しに入って来た。
半夏生という、7月の初めを象徴するような言葉がある。「半夏」という毒性を秘めた草花が咲き始めるころ。つまり、半夏が生え始めるころで「半夏生」なのだそうな。

そんな7月に入っても、身の周りでは数多くのボランティア活動が盛んである。
今朝も早くから地区内の「一斉あいさつ運動」が行われた。広報担当としては、カメラを抱えて走り回る。
校門に続く道路の分かれ道。交通量の多い交差点。通学自転車と歩行者が入り混じる狭い通路などなど。

要所に立つ社協や自治会の役員さんが「おはよう」と大きな声で呼びかける。たまに「おはようございます」の元気良い声が返ってくる。多くは、ややうつむき加減のボソボソ声である。そういった活動する大人に気恥ずかしさを感じるのだろうか。
「あいさつってなんじゃろう、なんで必要なんじゃろう」と思う児童生徒も少なくないのだろう。

先ずは言葉よりも実践で……。街頭に立って直接言葉を交わす、あいさつをする。これはこれで必要。
問題は、子どもたちにとって「あいさつが何故ひ必要か、どんな意味を持つのか」この基本的思考に答えてやらなければ、なんかしら空々しい空気を感じてしまう。もっとも、そんなことは小学低学年で教わったことである。
だから、成長とともにその必要性や「意義」みたいなものは忘れているのではないか、と感じさせられる。

あいさつが何故必要か??改めて聞かれると、ちょっと考えてみたくなるが、人間関係で必要不可欠な気持ちのふれあいのスタートである。あいさつをしたら人間同士のふれあいやつながりが成功するのか??そんなに生易しくない。
どうしたって相いれない人間関係や国家関係はある。それでもあいさつもしないよりはした方がよいに決まっている。

現場実戦指導はもちろん大切であるが、何かのチャンスを捉えて、実社会で体験してきた生きた話を聞かせながら、「やはり挨拶は大切な人間行為なのよ」と、話せる場所づくりも必要になって来るな~と勝手に思った次第である。

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「ひと仕事を・・・」

2017年05月18日 | 地域活動

          

年に一度の大仕事。所属する地元ボランティア活動「社会福祉協議会」の「通常総会」を終えた。
終わった・・・のではなく、終えた、というイメージが強い。
その分肩の荷を下ろした安堵感、開放感に浸っている、というのが取り敢えず今の心境である。
2・3日もすればもう次なる活動が待っていて、安全対策を中心とした素案作り、水面下の水かき作業が始まる。

運営資金の大半を、地区住民による賛助会費と言う名の寄付金で賄うボランティア団体。通称「地区社協」。
公共団体からの補助金、助成金といったものは、年間予算の5分の1程度。あとは世話をする理事と呼ばれる役員はじめ、みんなが出し合う浄財が運営資金に充てられる、営利も自己資金もない団体である。

そこに、「李下に冠を正さず」「瓜田に沓を直さず」という精神が頭をもたげて、地区住民の善意に恥じないよう、可能な限り地区住民にまんべんなく還元できるよう運営するのが、我々の仕事・・・という義務感みたいなものを背負っているのかな。
ついつい「完全ガラス張り資金運用」や「活動内容の充実」などと、肩に力が入るのだろうか。

「そこまで考えなくても」という声も確かにある。その声に同調して、ちょっと考えすぎかな?もっと気楽に出来ないか?と思う自分も確かにいる。そのかたわらで「そんなことでいいのか?」と、安きに流れそうになる自分を叱る気持ちも同居する。
なんのことはない、ご意見番的な事務局長という肩書を付けられて、必死になっているだけのことかもしれないね。

ただそんな気持ちが、ここにきて「少しきついな~」と思うことしきりである。
ということは「早く身を引いて好きなことだけを出来る自分に戻りたい」という欲がでてきているような。
でも今の組織では、長老に近い年齢になりつつあり、「多少嫌味の言える存在」も必要かな、などと自己満足に浸ったりする。
要するに融通の利かない、ボランティアバカみたいなものだな~と苦笑いを浮かべている。

活動を振り返る写真集4ページを含めて、42ページに及ぶ総会議案書作成。
理事79人のうち58人出席、17人の委任状で完全成立した総会。何はともあれひと仕事終えた今を愉しんでいる。

 

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「Refresh!!」

2017年01月24日 | 地域活動

  
        雪風が心地いい雪見露天風呂            今にも屋根から落ちそうな、槍のようなつらら 

見渡す限りの銀世界。昨夜来の粉雪が積み上げた、40cmを超える真っ白いバージンロードにタイヤを軋ませて駐車場へ着いた。
そこには、訪れる人もない、それでいて豪奢な建物が悠然と私たちを待っていてくれたような出迎えを。
一歩踏み入れると鼻に飛び込む温泉の香り。その名の通り、魅力的な雰囲気に惑わされそうな「吉和魅惑の里」。
二日前にも訪れたという、親しき友の「Oさん」に、暗に甘えて実現した今日の「雪見露天風呂」というプチ・贅沢。

岩国市街地から60km近く中国山地に向かう。ちょうど半分くらいのところでタイヤチェーン装着。
わざわざ電話を頂いた上に自らの運転。ただ乗せて行ってもらうだけでは能がない、とばかりにチェーン装着を手伝おうと思うのだが。
なんせ自分のクルマにはチェーンなどの準備もなく、自分一人で装着などしたことも無い。
それでも、リュックに忍ばせたゴム手袋のお蔭で、少しだけお手伝いできた。と、本人は思っている。

先ずは二人のためにあるような貸し切り状態の「雪見露天風呂」。
目の前に雪の山を見ながら、身体はぬくぬく。但し湯船から立ち上がるとそれだけで肌を刺すような冷たさ。
ゆうっくり堪能して、着替えた後はしばしスマホの機能自慢のやりとり。そして運ばれてきた山菜うどんに舌鼓。

係員の若い男性から、施設の色々や来客状況など、少し立ち入った話も聞かせてもらった。
その中でなんとも興味深かったのは「今日のような粉雪が降るときは『青い雪』が降るんです」というではないか。
この山奥では、空気中のチリやゴミが少なくて、澄んだ空気の中で雪の結晶ができるため「少し青みを帯びる」という。
なるほど、説得力はある。そういわれて今一度積もった雪野原を見渡すと、心なしか青白いように見える。

大寒のど真ん中、寒い寒いと震えるのも仕方ないが、それを逆手にとって一歩踏み出して雪の中へ飛び込んでみる。
言葉にならない充足感が身を包む。まさにリフレッシュとは、こういうことを言うのだ、と一人納得。

改めて、与謝野鉄幹の詩が浮かぶ。友を選ばば書を読みて・・・ そして持つべきものは・・・ 
最高の思いをさせていただいた心遣いに感謝!! なんだか枕を高く眠れそう。  

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「信頼と迂闊と」

2016年12月27日 | 地域活動

                            
                   超近代的な印刷機

師走も押し迫った今日、とんでもないハプニングが舞い込んで、顔面蒼白、「信頼のもろさと己の迂闊さ」に嫌気がさすような一日となった。

所属している地域活動で、事務局と広報を任せられている。誰かがやらなきゃ始まらないことは、誰かが引き受けなければならない。
そんな理屈を地で行くように、二足のワラジで結構忙しい思いをしている。
そんな中で広報部は、部員7人が足と時間と頭を使って、地域活動の様子を年3回、広報誌として発行している。
Aー4版4ページ。1面と4面がカラー刷りという豪華版である。

今回は平成29年1月1日発行第38号に向けて、8月以降11月末日までに、地区内で行われた事業や活動をまとめて編集と校正を重ねて来た。数回の校正を経ていよいよ原稿が完成した。各戸配布の開始に完全に間に合うタイミングで印刷屋へ発注した。
1回の発行に当たって、取材から写真編集、ゲラ刷り、校正に次ぐ校正。それはそれは素人にとっては大変な作業である。
……と、ここで暗に広報部員の労をねぎらっているわけである。

印刷屋さんは、約束通り5000部を印刷して、納入期限を守って、納入してしてくれた。ここまでは何の変化もないルーティンワーク。
いよいよ配布という段階で、大きな大きな印刷ミスに気付いた。考えられないようなミスであった。
1・4ページは今回の原稿通り完璧に仕上がっていた。ところが二つ折りにする2・3ページには、過去の発行済みページが印刷されているではないか。「なんとしたことだ!!」印刷屋に抗議して直ちに印刷やり直し。
しかし時すでに遅し、印刷やり直しのタイミングでは1月1日配布には間に合わない。結局1月15に配布ということになった。

な~んだ2週間遅れるだけじゃないか・・・というごとではあるが、我々担当者は「1月1日に配布」という使命感を持ってやったきた。
それが、このような形で水泡に帰すというのは辛いものがある。
冒してしまったミスを上げつらっても仕方がないが、そこには我々と印刷屋さんの深い信頼関係が成り立っていたということ。
その信頼が覆されたことにやりきれない思いが残る。

そして次は自らの迂闊を責めることになる。完成品が出来上がってきたとき、すぐに全ページの出来栄えを確認しなかった私自身の責任の重さは逃れられない。時は12月下旬、年賀状作成や諸々が重なって多忙を極め、完成品として持ってきた品物の受け取り直後の確認を怠った。言ってみればこれが致命傷だったのかもしれない。という自責の念はたぎる。ただその向こうには、「まさかこんな失態は印刷屋がしないだろう」という甘い信頼があったということ。

部員7人のせっかくの苦労が普通通りに報われなかった責任の半分は、部長という立場にある。
退任を迫られても仕方ないところだが、二度とこのようなことが起こらないよう、不測の事態に対応できる体制を立て直すことをもって、今回の責任の取り方としたい。 ” 懺悔の値打ちもないけれど・・・” リバイバルソングが耳に痛い。

 

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「これもお付き合い」

2016年12月18日 | 地域活動

         

我々の社会福祉協議会エリア内には、県立高校と市立中学が一校ずつあり、市立小学校が二校ある。
地域協育ネットとか、学校運営協議会、コミュニティスクール、などと色んな呼び方をされながら、地域住民挙げて学校の支援活動が活発に行われている。それはそれは、自分で言うのもおかしいが、「献身的」という言葉が当たっているほど、学校と地域が密着して健全育成に当たっている。

そんな中の活動の一環というか、お役目柄のお付き合いというか、高校吹奏楽部の定期演奏会への招待を受けた。
校長直々にチケットを渡され「生徒たちの頑張っている姿を見てやって下さい」とのこと。行かずばなるまい。
我が孫のこととなると、長距離運転も厭わず頑張るじいちゃん。今日の場合は我が家の孫とは縁のない話ではあるのだが。

行くと決めたらいそいそと。同じような年配ご夫婦も多く見られた。あれはお孫さんの応援に違いない。
客席を埋める多くは、初々しいセーラー服が目立つ。よく見ると、いろんな中学校から女生徒が集団で来ている様子だった。
かつては一緒に中学校吹奏学部で競い合った先輩の応援に来ているのだろう。

部員の人数こそ多くはないが、まとまりのある素敵な演奏と、彼女たちがプロデュースしたのであろう、入れ替わり立ち代わり順番に曲の紹介を兼ねて司会役を務める姿に、微笑みと苦笑を交えながら見守った。
最後のクリスマスメドレーでは、10数人のOBも演奏に加わり、それはそれは聴きごたえのある見事な演奏であった。

世の中は相変わらず、タチの悪いいじめが横行する学校という現場。
子どもたちが安心して通える学校にするためには、教職員や教育委員会の力量を過信してはよくない。
そのためにも、地域の人が徒党を組んで教職員と一体となって、生徒を見守り、陰湿ないじめの芽を感知する役には立たないだろうか。

などと大げさなことをチラッと考えてみるが、所詮地域住民はあくまでも地域住民。どこまで教育現場に踏み込めるのだろ。
そんなことを解っている中で、やはり健全な学校生活を送って欲しいと願う、小・中・高の孫を持つジジである。

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「秋晴れに集って」

2016年10月11日 | 地域活動

 

10月10日は体育の日。倅の誕生日でもある。
折よく、ハッピーマンデーが10月10日に重なった、しかも絶好の秋晴れに恵まれた体育の日となった。
岩国市でもこの日は市民みんなのスポーツの日と決めて、色んなイベントが開かれている。

我が住む地域もご多分に漏れず、「灘地区みんなでスポーツをしよう」の呼びかけがある。
午前9時出発で、地区内の山道を5キロと10キロコースに分けて、ノルディックウオーキングをする集い。
役目柄参加せざるを得ない。と言ってもイヤイヤの参加では決してない。
ちょっとだけ難しい顔をしがちな普段の会合とは、ひと味違う楽しい遊びの会。こちらの方が性に合っている。

ウオーキングに合わせて普段のデジタル一眼をやめて、コンパクトカメラを腰に下げて。
快晴で湿度は低く、吹く風も心地よい。10キロコースに汗を流そう……と意気込んで出かけた。
ザンネン!準備体操を終えたところで緊急連絡が。
「10キロコース途中にスズメバチの巣を発見。危険なので今年は全員5キロコース」という羽目に。

参加者およそ40人、いずれ劣らぬ高齢者。でも「脚に覚えあり」の健脚ぞろい。
遠く瀬戸内海を見降ろしながら、最も高い場所で記念撮影。そのわずかな時間の賑やかなこと。
やはり、スポーツが目的で集まる仲間。平均年齢に関係なく若やいでみえる。

今は年に1度、体育の日に限った行事。これからはこういった集いはもっと増やす必要がありそうな気がする。
となると、また一つお呼びの回数が増えそうだねー。

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「お手伝い」

2016年10月05日 | 地域活動

     

「岩国市水源の森植樹祭」のボランティア活動のお声が掛かった。
行きがかり上、断る理由もなく、植樹祭なるものを直に体験していないこともあって、引き受けることにした。
場所は、岩国市街地から約70kmの山間部。かつてはスキー場としても賑わった「らかん高原」。

今は雪不足からスキー場としては成り立たないが、オートキャンプ場は隠れた人気を誇っているようだ。
他にテニスコート、ミニゴルフなどスポーツや多目的レジャー施設として、夏場を中心にポツポツ訪れる人もあるようだ。
季節には水芭蕉が見事に咲く池が人気のようでもある。
バスから降りた小学生の中から「空気がおいしい」と声が漏れるほどの、山紫水明、なかなかの高原である。

市内大規模校の一つである麻里布小学校4年生131人を中心に、近隣の4小学校から合計160人が参加した。
彼らを小さな班に分けて、植樹場所への引率、植樹の手伝い、安全見守りなどがボランティアの仕事となる。
社会福祉協議会関係や一般参加で、21人のボランティアが集まった。

今回はヤマグリとコナラの苗600本を植えた。およそ1人が3本のノルマとなる。
杉を伐採した急斜面に、あらかじめ市職や県職の担当者が深さ30cmの穴を掘っている。
それに根っこを埋めて泥をかぶせ、周りを踏み固めていく作業。小学生とは言えやることは速いのに驚く。

小生の受け持ちは、麻里布小4年生男女11人の7班。開会式場から植樹場所まで遊歩道を約150m歩く。
そこで女の子一人が体調不良を訴えた。鼻血が止まらないという。さて困った、ボランティアの腕のみせどころ。
担任を探し出して、とりあえず彼女の植樹作業は中断。話を聞くと「彼女の持病で、時々こんなことがある」という。

10歳の幼さで、すでにこういった病気と闘いながら、みんなと行動を共にしようと必死である。
一休みした彼女の分をみんなで植えて、最後尾の班になったが全員集合の記念写真も撮った。
彼女にとっては、試練の植樹祭参加だったかもしれないが、生涯の記念となってくれれば幸いである。

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「夏休みのひと仕事」

2016年08月03日 | 地域活動

       
         小学校講堂で、希望者を集めた、夏休み竹細工教室

7月の海の日に行われる海岸清掃「瀬戸内海環境保全大作戦」に続いて、8月に入るとすぐに予定されている地域活動。
それが、夏休みの小学校生希望者を対象にした「竹細工教室」である。
地区内にある二つの小学校を受け持つので、参加者の合計は160人に及ぶ。

低学年は「竹笛」中学年は「ガリガリトンボ」そして高学年は「竹トンボ」を作ってもらう。
それぞれに見合った材料調達は、竹藪の持ち主と交渉して無償提供していただく。
ただその切り出しや、会場までの持ち運びもなかなか骨の折れる仕事ではある。

そして、我々教える側も1年に1回なので、案外作り方の基本を忘れていたりする。
そこで、我々指導に当たる20数人が、あらかじめ集まって指導の練習をする。
その時、大半の中間製品をこしらえておいて、当日ひとり一人に中間製品を渡し、一緒に仕上げる。
こういった段取りで、これまで8回実施してきた。

もちろん当日は、ノコギリを持たせたり、ナタを持たせたりして、実際に切る、割る、削る、穴をあける、磨く
という一連の動作を体験させたうえで、自分の作品仕上げに取り組ませている。
そんな一連の動作には、言葉ではなく態度で教えなければならない、仕草、身構え、体制などといったものがある。
一口で言うなら、「コツ」ということになろうか。それと刃物を使う上での危険性の排除。これは欠かせない。

今どきの子ども達に、切り出しナイフやキリ、ロウソクであぶるという作業をやらせるのだから、
学校の先生や親の立場とは異なる、優しさの中に厳しさと本質を、少しだけ解ってもらう努力は要るのだろう。
ただ集まって、竹トンボが出来た、竹笛がいい音色で鳴る、といった結果だけではつまらんな~と思う。

滅多にやらないことを体験させるチャンスなのだから、危険性も、道工具を扱うコツも合わせて教える。
その上で、オリジナルの作品の出来上がりを喜ばせ、思い出を残させるのがいいな、と思うのだが。
「それほど堅いことを言わんでも……」という意見の方が強い世の中に、ちょっとだけ寂しさを感じてしまう。

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