良寛さんと後藤清一さん
「大和し美し」展の感想をいくつか書いた。
限られた時間では言い尽くせないことが沢山あった。
機会があるごとに書こう、と思っている。
幾かのコメントを頂いた。
改めて、この展覧会は自分にとって何が大切なのか。を考える場となった。
二人に共通していたのは、良寛に対する敬慕の念。
良寛は現代の風潮とは正反対の生き方をした人だ。
生涯、金などには無縁。名誉慾もなく、草庵住まいの乞食暮らし。
更に詩をつくり和歌を詠む。
書を能くするが書家の書では無かった。
本来、禪宗の僧侶なのに仏の道を説く訳でもない。
無所有を貫くと同じく知識の所有をまた所有として斥けた。
現代において同じ様に行動するのは無理にしても,気持ちの上では成し得る。
僕が尊敬していた彫刻家・後藤清一さんも良寛を尊敬し憧れた。
生活面でも、かなり近いものを感じた。
周囲の人から”今良寛のような”と言われたし,僕もそう思った。
古美術を身辺座辺に置いたが,決して高額なものではなかった。
川端や安田の様な売れっ子作家では無かったから、値の張るものは手が出なかった。
しかし、彫刻家としての美的審美眼で,佳いものが集まった。
僕もお宅にお邪魔しては,部屋にあるもの全てが素晴らしく感じた。
同様な品物を身辺に置きたく,買い求めた品は似て非なるものばかりだった。
簡素な生活は良寛の越後五合庵のよう。
6畳の居間と囲炉裏の付いた3畳間,そして2畳分の台所。農家の藁葺きの隠居所を借りた住まいは、まさしく草庵と呼ぶのがふさわしい。
生活用品も、飯茶碗、汁碗,更に少々の皿や鉢。
何れも住まいに合わせ古い品物であった。
モノを増やすのを嫌い,何か一つ買ったら何か一つ処分するという生活だった。
抹茶や煎茶を好んだが、茶人の茶は敬遠して自己流に毎朝の一服を楽しんだ。
酒は時折たしなんだ。
親鸞に帰依していたから、夜は仏教に関する本を始め哲学書などを大きな声を出しながら読んだ。
膨大な読書量だが、『宗教の話しは、みだりにするものでない』と自らを律していた。
床の間には常に一輪の山野草が生けられていた。
散歩の途中で摘んだものもあれば,自宅の庭の椿などであった。
『庭の手入れは、彫刻の作法と一緒』殆どは野山の芽生えの木を移植して自分で作り上げた。
庭師の庭と違って,風情のある庭だった。
蒐集した古美術品も,他人が褒めれば『どうぞ、お持ちなさって』と差し上げてしまう様な欲の無さだった。
お金も、『有ると落ち着かない』と執着は無かったが、好きな古美術品が買いたい時は困ったようだ。
多くの人と交わるのは苦手だったが、少人数の内輪の友人との交流を楽しまれた。
けして人嫌い、孤独を好んだ訳ではない。
むしろ、若い時は義太夫に張り込んだこともあるくらいで、話し上手。
面白可笑しい骨董蒐集談は、同じ話しを何度聞いても腹を抱えて笑った。
まるで落語のようだった。
水戸の古い方言?或は江戸言葉の名残?
独特な語り口は今でも耳に残る。
彫刻家・後藤清一さんについて調べて書くことも重要だし、人と作品を紹介することも大切だ。
と再確認、ブログはその意味も有って始めた。
後藤さんに興味の有る方、或は、知り合いが後藤さんと何らかの関連が有った。
という方是非ご連絡ください。
偶然に出会ったUYさんのお陰で、後藤さんについてもうひと頑張りするきっかけを得ました。有り難うございます。
「大和し美し」展の感想をいくつか書いた。
限られた時間では言い尽くせないことが沢山あった。
機会があるごとに書こう、と思っている。
幾かのコメントを頂いた。
改めて、この展覧会は自分にとって何が大切なのか。を考える場となった。
二人に共通していたのは、良寛に対する敬慕の念。
良寛は現代の風潮とは正反対の生き方をした人だ。
生涯、金などには無縁。名誉慾もなく、草庵住まいの乞食暮らし。
更に詩をつくり和歌を詠む。
書を能くするが書家の書では無かった。
本来、禪宗の僧侶なのに仏の道を説く訳でもない。
無所有を貫くと同じく知識の所有をまた所有として斥けた。
現代において同じ様に行動するのは無理にしても,気持ちの上では成し得る。
僕が尊敬していた彫刻家・後藤清一さんも良寛を尊敬し憧れた。
生活面でも、かなり近いものを感じた。
周囲の人から”今良寛のような”と言われたし,僕もそう思った。
古美術を身辺座辺に置いたが,決して高額なものではなかった。
川端や安田の様な売れっ子作家では無かったから、値の張るものは手が出なかった。
しかし、彫刻家としての美的審美眼で,佳いものが集まった。
僕もお宅にお邪魔しては,部屋にあるもの全てが素晴らしく感じた。
同様な品物を身辺に置きたく,買い求めた品は似て非なるものばかりだった。
簡素な生活は良寛の越後五合庵のよう。
6畳の居間と囲炉裏の付いた3畳間,そして2畳分の台所。農家の藁葺きの隠居所を借りた住まいは、まさしく草庵と呼ぶのがふさわしい。
生活用品も、飯茶碗、汁碗,更に少々の皿や鉢。
何れも住まいに合わせ古い品物であった。
モノを増やすのを嫌い,何か一つ買ったら何か一つ処分するという生活だった。
抹茶や煎茶を好んだが、茶人の茶は敬遠して自己流に毎朝の一服を楽しんだ。
酒は時折たしなんだ。
親鸞に帰依していたから、夜は仏教に関する本を始め哲学書などを大きな声を出しながら読んだ。
膨大な読書量だが、『宗教の話しは、みだりにするものでない』と自らを律していた。
床の間には常に一輪の山野草が生けられていた。
散歩の途中で摘んだものもあれば,自宅の庭の椿などであった。
『庭の手入れは、彫刻の作法と一緒』殆どは野山の芽生えの木を移植して自分で作り上げた。
庭師の庭と違って,風情のある庭だった。
蒐集した古美術品も,他人が褒めれば『どうぞ、お持ちなさって』と差し上げてしまう様な欲の無さだった。
お金も、『有ると落ち着かない』と執着は無かったが、好きな古美術品が買いたい時は困ったようだ。
多くの人と交わるのは苦手だったが、少人数の内輪の友人との交流を楽しまれた。
けして人嫌い、孤独を好んだ訳ではない。
むしろ、若い時は義太夫に張り込んだこともあるくらいで、話し上手。
面白可笑しい骨董蒐集談は、同じ話しを何度聞いても腹を抱えて笑った。
まるで落語のようだった。
水戸の古い方言?或は江戸言葉の名残?
独特な語り口は今でも耳に残る。
彫刻家・後藤清一さんについて調べて書くことも重要だし、人と作品を紹介することも大切だ。
と再確認、ブログはその意味も有って始めた。
後藤さんに興味の有る方、或は、知り合いが後藤さんと何らかの関連が有った。
という方是非ご連絡ください。
偶然に出会ったUYさんのお陰で、後藤さんについてもうひと頑張りするきっかけを得ました。有り難うございます。