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飛田穂洲の精神を受け継いで、

2011年07月29日 19時46分27秒 | 水戸の今と昔
飛田穂洲の精神を受け継いで、

高校野球茨城大会、代表は藤代高校に。


最近はサッカーの試合が面白いが、夏はやっぱり高校野球だ。
28日、水戸市民球場で行われ高校野球茨城大会の決勝戦、藤代が初優勝を目指した霞ケ浦を6―5で破り、6年ぶり2度目の優勝を果たした。
藤代は8月6日から阪神甲子園球場で始まる全国選手権に出場する。





たまたま、今年の三月に刊行された『熱球120年 水戸中学・水戸一校野球部の軌跡』と云う分厚い本を手にする機会が有った。
700頁に及ぶ大著だが、約60頁が『学生野球の父 飛田穂洲』関連の内容になっている。

飛田 穂洲[とびた すいしゅう、1886年(明治19年)-1965年(昭和40年)]は、東茨城郡大場村(現:水戸市)出身。
水戸中学(現・水戸一校)に入学し野球を始めた。早稲田大学に入学し野球部に入部、のちに野球部監督を務める。
大正15年、朝日新聞に入社。朝日新聞紙上に大学野球、中学野球の評論を掲載。
日本の学生野球の発展に多大な貢献をしたことから、学生野球の父と呼ばれる。

「学生野球は心の野球であり、単なる遊びごとであってはならない。野球から一つの人生をつかむ。そこに一球洗心とか一打入魂とかいう言葉が生まれる」と野球に取り組む姿勢を語り、その実践に生涯をかけた。

西洋伝来のスポーツであるベースボールを、日本発祥の武道に通じる「野球道」と捉え、試合よりも練習に取り組む姿勢を重要視し、学生野球は教育の一環であると説いた。







野球を人生修業の場とした『一球入魂』の言葉が知られている。

今の世の中、『知識は学問から、人格はスポーツから』とは言えない時代だが、学生スポーツの原点を忘れてはならないと思った。
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