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津川公治と『彼等自身』

2009年06月17日 23時27分13秒 | 彫刻家 後藤清一
『彼等自身』の編集に関わった水戸高等学校の学生であった、土方定一と小林剛については述べた。
両者と共に編集し発行所を兼ねた津川公治は水戸市荒神町(現・城東2丁目)に明治35年(1902)に生まれた。

水戸中学を卒業後、大正11年(1922)東洋大学宗教哲学科に入学するが,1年で中退し,大正12年「いはらき新聞』に入社し,学芸部に所属し活躍した。

『彼等自身』は大正14年11月から翌年3月まで5冊発行された。
それに先立つ大正10年3月、水戸市竹隈町の真宗会堂内の涅槃社から『無憂樹』というリーフレット版の雑誌が創刊された。主宰者は会堂の責任者、浄土真宗の僧侶・寺西恵然。この雑誌は6月、8月、11月と4号まで出た。この雑誌に津川は評論、詩、短歌等を発表している。



大正13年9月10日、暁烏敏講演会、真宗会堂。
中央・暁烏敏、脇の洋服姿・津川公治、前列右から2人め羽織姿・寺西恵然、暁烏敏の後の和服姿・後藤清一。


後藤清一は大正9年、美術学校研究科を中退し,水戸市外酒門の善重寺の竹薮の中の離れに移り,真宗会堂で寺西の法話を聴き生きる希望が湧いた。以後、足繁く会堂に通うようになった。津川は後藤より9歳若年だが、会堂の法友として付き合い始めた。

津川の家は元水戸藩士、神道のの家柄であったが、親鸞・山村暮鳥・小川芋銭を慕い,ミレーを愛した。
文学に対する素養がいはらき新聞入社後いかんなく発揮され、活躍の場が広がった。

記者としての文学評・美術評を紙上に発表したのは仕事として当然だが、取材を通じて知り合った地元の茨城や東京の文学者や美術家と幅広い交流が生まれた。それらを巧みに組み合わせ,プロジューサーの役割を果たした。中学時代から文才もあったが,編集者・出版に関しても興味を持っていたようだ。

津川と後藤の関係は真宗会堂での出会いと考える。
対人関係が不得手で、引っ込み思案の後藤を,何とか表に出したいと考え,多くの知人を紹介した。
山村暮鳥や小川芋銭を紹介したのも津川である。



山村暮鳥
1884年(明治17年)~1924年(大正3年)。本名、土田八九十(つちだ・はつくじゅう) 群馬県生れ、茨城県大洗町で永眠、享年41歳。


2004年,山村暮鳥生誕120年を記念して『発見・山村暮鳥』と云う記事が茨城大学教授・佐々木靖章によって地方紙に連載された。(茨城、群馬、詳細は調査中)その2004年8月23日、30日の記事の一部を引用しておく。

 「彼等自身」は発行所を津川の自宅に置き,水戸高等学校在学中の土方定一、小林剛の三人で編集した,水戸高の教師達が盛んに寄稿、芋銭は云うまでもなく、後藤清一、高橋元吉等応援し、草野心平も詩を載せた。
 創刊号の編集後記で津川は、もともと暮鳥と「桃源」という雑誌を雑誌を出すつもりでに芋銭に表紙絵を描いてもらっており、それを今回後藤が木版にして載せたといい、暮鳥の短詩については「思想を超脱した一種の悟得の美」があるという。(以下略)

山村暮鳥の顕彰と小川芋銭の信奉者であった津川公治は多くの関連図書を刊行している。
昭和18年に『画聖芋銭』(宮越太陽堂)を刊行した。そのなかに「牛久沼上の一日」と云う一章があり、後藤清一、森戸達夫、津川公治(この3人は真宗会堂での仲間、お互いに法友とよんだ)で牛久の小川芋銭を訪ね、後藤が自作の「弥勒菩薩像」を芋銭に贈り、その後「草汁庵」で愉しい1日を過ごした情景が綴られている。(この件に関しては後日改めて書きたい。)

新聞社を退職後は、水戸市厚生課長等を経て茨城県児童福祉協会を設立し、県下の子供会育成の仕事に携わった。
晩年、全ての蔵書は石岡市の「常陸郷土資料館」に「津川文庫」として寄贈された。
昭和33年(1958)に没す。

*佐々木靖章さんには一度もお会いしたことがない。機会があればお目にかかり、ご教授をお願いしたいと思っていおります。
*山村暮鳥はキリスト教日本聖公会の伝道師として秋田、仙台、水戸などで布教活動に携わった。(日本聖公会の水戸教会は、大町の「愛恩幼稚園」と云った方が分りやすい。)自然のあらゆるものに神を見いだす彼独特の神学は、しばしば熱狂的な信徒を怒らせ、異端として追放された事も数多くあったという。
* 明治大正期の新詩体から口語自由詩への変革期の中で、革新的な作風から人道主義的な作風まで、これほど短期間の間で己の詩質と詩風を何度 も変容させた詩人はまれであり、日本近代史に類例のない軌跡を描いている 。
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