漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 古い話で章 その17

2014年03月22日 17時51分11秒 | 漫画家アシスタント

 ( この写真は、東京の北千住から撮影したものです。 中央に見えるのがスカイツリーです。 この撮影現場の
  近くに加川さんから話を聞かせてもらった喫茶店があります・・・・・・《 2014年、3月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その17


   《 漫画家アシスタントが・・・・少年時代にテレビに出演する・・・・!? 》
 
 
 「 いいんだよ、失敗しても 」

やさしく、そっと声をかけてくれたのが、後に○井豪として漫画界の大御所になる人物。( この当時の
○井先生は、加川さんよりも5歳年上の23歳、数か月後に『 ○レンチ学園』でブレークする )

 「 あ・・・・そうですか・・・・・・ 」

と、18歳だった加川さん( ※参照 )は、猫の様におとなしい。

○井豪先輩は、ちらりと、いじわるな先輩を横目に見ながら・・・・・・・・

 「 あいつは、あんな事を言っているけど、気にするなよ 」

加川さんは、白髪の壮年になった現在でも、その時の話をすると若返った様に明るく微笑むのです。

 「 なんて、イイ人なんだと思ったよ、将来大物に成る人は違うよなァ! 」

それにしても、なぜ、加川さんは○森プロ( ※参照 )へ入ることが出来たのか・・・・・・また、その
前は何をやっていたのか・・・・・・・・?


中学校を卒業すると、タカラビニール( 60年代の『 ダッコちゃん 』で有名な会社 )に、デザイン部希
望で入社。しかし、高卒の人だけがデザイン部へ配属、中卒は全員製造部へ回され、ゴムと化学薬品
にむせぶ毎日を送る。
 
 「 ものすごいんだよ、臭いが・・・・気持ち悪くなっちゃって・・・・・・・我慢でき
   なくて・・・・・・中卒じゃダメなのかよ・・・・・って、辞めちゃったんだよ 」

 「 そもそも、漫画家に成ろうとしたのはいつ頃からだったんですか? 」

 「 子供の頃から○森さんが好きでさァ・・・・・・・それから中学の時にテレビに出た事
   があってね・・・・・・・・ 」

 「 テレビ・・・・・・? 」

 「 うん、NHKの『 まんが学校 』って番組、○なせたかし( ※参照 )と○川談志( ※参照 )
   なんかが司会してた番組 」

 「 凄いじゃないですか!? 」

 「 冗談半分で応募したら、NHKから学校に連絡があって、それから大騒ぎよ・・・・! 」

中学3年生の時に、クイズ形式で数人の中学生が漫画に関する質問に回答するという番組に出演する
事になったわけです。

その連絡が学校へ来たのですから、加川さんが通う学校で注目を集めてしまうのは当然です。

しかし・・・・・・

撮影日の当日、東京の地下鉄に慣れていない加川さんは、路線を間違え生放送の本番ギリギリにスタ
ジオ入りするという大失敗をやらかします。

それでも、生番組はそつなくこなして出演の記念品のバッジなどをもらって帰るのですが・・・・・

この時、とても印象に残っているのが、司会の○なせたかし先生と○川談志師匠の話だったそうです。

局の控室のソファに二人が座っている時に、加川さんが○なせ先生から質問されたのです・・・・・

 「 君、漫画家に成りたいのかい? 」

 「 はい 」

 「 でもねェ、漫画家に成るのは大変なんだよ・・・・・ 」

しみじみと○なせ先生からそう言われたそうです。もっとも、「大変だよ」とは、プロなら誰でも言
いそうな言葉です。

私は、そこで、○川談志師匠はその時に、何と言ったのか加川さんに質問しました。

 「 ○川談志も『 大変だよ 』って言ってた! 」(笑)

 「 二人とも『 大変だよ 』って? それで、結局『 止めた方がイイよ 』とか言われたんで
   すか? 」

 「 いや、そうじゃなくて『 頑張れよ 』みたいな・・・・・・ 」

 「 一応、励ましてくれたんですね! 」(笑)


中学生の頃から○森先生に憧れていた加川さんは、タカラビニールに就職して半年ほどで辞めて、日
比谷にあるレストランでボーイさんの仕事をするようになります。

この頃から、本格的に漫画家アシスタントに成ろうと活動を開始するわけです。

 「 ○森さんのアシスタントに成るのは難しかったんじゃないですか? 」

1960年代の○森先生は、まさに漫画界の大巨星・・・・・・そう簡単にアシスタントに入り込める
先生ではありません。

 「 どうやって入り込んだんですか? 」

 「 俺の原稿を○森さんに見せたら、『 面白い 』って言ってくれて・・・・・・ 」

 「 えええ~~~ッ、『 面白い 』ですって!? 」

 「 うん『 面白い 』って 」

 「 あの○森先生が!? 」
 
 
 
     「 漫画家アシスタント 古い話で章 その18 」( 4月1日以降公開 ) へつづく・・・・
 

           ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その16」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・加川さん・・・・・・・・・・・中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
  1969年にJ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
 ・○森プロ・・・・・・・・・・・あまりにも有名な漫画家の仕事場、桜台のプール付豪邸。1967~
  8年当時は、名作「○魔大戦」を制作していました。
 ・○なせたかし・・・・・・・「○んぱんマン」で有名な児童漫画界の巨星。
 ・○川談志・・・・・・・・・・・落語家の天才とか鬼才とか、云われている。
 
 
 
 

 
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 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
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   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

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【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
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11 コメント

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タカラビニール (海坊主)
2014-03-23 00:34:31
>中学校を卒業すると、タカラビニール( 60年代の『 ダッコちゃん 』で有名な会社 )に、デザイン部希望で入社。

タカラビニールって、確か「ダッコちゃん」の標章にありましたね。

ダッコちゃん

https://www.google.co.jp/search?q=ダッコちゃん&rls=com.microsoft:ja:%7Breferrer:source?%7D&rlz=1I7RNQN_jaJP491&tbm=isch&imgil=GI4SkHwgmZPurM%253A%253Bhttps%253A%252F%252Fencrypted-tbn2.gstatic.com%252Fimages%253Fq%253Dtbn%253AANd9GcTZtmLoLDQRUHcYe7ok1jT7nGBXsnzdZX65owPshbiYYQJOprtG%253B377%253B397%253BE1Tv2YnNzIO4wM%253Bhttp%25253A%25252F%25252F20century.blog2.fc2.com%25252Fblog-entry-62.html&source=iu&usg=__OsXE-2MjGqTXESHD0xkJeX5yQY4%3D&sa=X&ei=VqYtU4HCMM3KkwX66IDoAQ&ved=0CDAQ9QEwAg#facrc=_&imgdii=_&imgrc=GI4SkHwgmZPurM%253A%3BE1Tv2YnNzIO4wM%3Bhttp%253A%252F%252Fblog-imgs-27-origin.fc2.com%252F2%252F0%252Fc%252F20century%252F20050416235735.jpg%3Bhttp%253A%252F%252F20century.blog2.fc2.com%252Fblog-entry-62.html%3B377%3B397

いまは、筋肉マンや遷都くんのだっこちゃんも作っているみたいです。

でも現在、業績低迷中。

「タカラはヒット商品を相応に出してはいたが、ベイブレードブーム終了の反動で過剰な在庫を抱えることが多発した事や、別途展開していたチョロQ実車化によるミニカー事業や家電品事業がそれぞれ失敗したことで経営危機に陥り、廃業倒産の危機にあった。」

それで、同じく沈滞ぎみの「トミー」〔バブル崩壊後の経営危機(自社ブランドによるヒット商品に恵まれなかった事に起因する停滞〕と合併。

でもやっぱり少子化の中、うまくいかず、株価は6年で半減しています。(1000円⇒468円)

業績も、2012年は、36億の黒字が、去年は70億円の赤字。

http://kabuyoho.ifis.co.jp/index.php?action=tp1&sa=report_zim&bcode=7867

このため、リストラもバシバシ。

結局、タカラビニールにいても、あまりいいことなかったようです。

○森先生の最初のアシスタントは二人で、顔を○森先生が描いて、手足を17歳の水野英子先生、背景を赤塚不二夫先生が描いて、『赤い火と黒かみ』、『星はかなしく』、『くらやみの天使』などを合作していますね。
返信する
Unknown (Unknown)
2014-03-23 01:54:10
くらやみの天使 立ち読み

www.comicpark.net/readcomic/index.asp?content_id=COMC_ASG00143_007
返信する
訂正 (Unknown)
2014-03-23 01:55:38

http://www.comicpark.net/readcomic/index.asp?content_id=COMC_ASG00143_007
返信する
赤塚ギャグ漫画に、だっこちゃんが登場しています。 (海坊主)
2014-03-23 19:00:29
昭和30年代に爆発的にヒットした抱き人形のダッコちゃん。正式名称は、「木のぼりウィンキー」とのこと。

赤塚不二夫先生の処女作は「ナマちゃん」で、これの依頼はたまたまトキワ壮メンバーが、作品に穴を開けたので、トキワ壮をうろうろしていたを赤塚不二夫先生に急遽「描いてみないか」との以来があり、○森先生に相談した結果、戦後日本で始めてのギャグ漫画をかくことになり、○森先生が表題を「ナマちゃん」と命名したようです。

この「ナマちゃん」、主人公の顔は、後の「おそまつくん」の原型ですね。チビ太もすでにいます。

http://www.koredeiinoda.net/manga/namachan.html

http://www.koredeiinoda.net/manga/namachan_episode3.html

4こま目に「だっこちゃん」の画面も出ています。
返信する
海坊主さん、Unknownさん、コメントありがとうございした! (yes)
2014-03-23 23:59:25

 >海坊主さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「タカラビニール」についてのお知らせ、ありがとうございました。

 >結局、タカラビニールにいても・・・・

デザインや総合職だったらきっと今でもタカラビニールで働いていた
かも知れませんが・・・・・・・・

当時の製造部は、樹脂やゴム、それを加工する化学薬品の臭いや粉じ
んがひどく、すぐに気持ちが悪くなるといった状況だったらしいので、
相当に過酷だったのだと思います。(今だったら訴訟もの)

もっとも、○森プロもタコ部屋式の徹夜作業も相当にキビシかったみ
たいです。2~3ヶ月で夜逃げしたそうです。

 >昭和30年代に爆発的にヒットした抱き人形のダッコちゃん・・・・

凄かったですね。

そこら中にダッコちゃんがあった様な気がします・・・・誰でも持ってい
た様な(一家に一個状態)!

 >この「ナマちゃん」、主人公の顔は、後の「おそまつくん」の原型・・・

「ナマちゃん」といのは、知りませんでしたが(忘れているのか)、資料
画像を見ると、ホントに何だか懐かしい時代の雰囲気がプンプンします
ね。

海坊主さん、懐かしい画像をありがとうございました。

返信する
村野守美先生のこと (まーくん)
2014-03-25 23:20:42
そういえば、yesどんの昔のアシスタント先の村野守美先生は、3年前、69歳で心不全で亡くなっていますね。


http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011030801001031.html

20才ころ、虫プロダクションに入社し、手塚治虫に師事しながら『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』、『カムイの剣』などのアニメ作品に作画や演出として参加していたようです。
返信する
妖怪「ありゃまた、こりゃまた」 (適当放送)
2014-03-29 00:42:33
元青林堂「ガロ」副編集長だった白取千夏雄氏が、村野守美先生の追悼ブログを書いていますが、白取千夏雄氏の奥さんが、18才年上の漫画家「やまだ紫」

http://shiratorichikao.blog.fc2.com/blog-entry-884.html


白取特急検車場【闘病バージョン】

●元「ガロ」編集者。05年から「血液の癌」白血病(T-CLL)と共存中。09年に亡くなった漫画家・やまだ紫の夫。

やまだ紫氏は、若い夫と共に村野守美先生のファンでしたが、2009年5月5日満60歳で京都市内の病院にて脳内出血のため死去しています。

性悪猫(やまだ紫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4778031296/ref=rdr_ext_sb_ti_hist_1

その、やまだ紫のアシスタントをしていたのが、杉浦 日向子氏で、〈1958年11月30日 - 2005年、日本の漫画家、江戸風俗研究家、エッセイスト。下咽頭癌のため柏の癌系病院で死去--満46歳没)
当時、NHKの「コメディーお江戸でござる」の解説コーナーを担当していたが、早すぎる死が惜しまれると同時に、元夫は作家・博物学者の荒俣宏という、変わった経歴です。

荒俣宏氏は、水木しげる先生の妖怪「ありゃまた、こりゃまた」のモデルになりましたが、荒俣氏の自宅の引越しを手伝ったのが、たけくまメモの著者です。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/post_7.html

村野守美先生の生涯も69歳と早かったですが、そのファンであったやまだ紫氏は、満60歳とさらに早く、やまだ紫氏のアシスタントを務めた杉浦 日向子氏は満46歳没と、さらに若くして亡くなっています。


返信する
手塚大先生の『開かずの引き出し』から、未発表イラスト多数、発見される (オレンジB)
2014-03-30 15:07:55
ネットで見た、マンガ関連のオモシロ・ニュースの紹介です
手塚治虫「開かずの引き出し」から自筆の大量エロ絵を発掘!
「田中圭一(手塚マンガのパロディ)も真っ青」な中身にファン興味津々
http://www.j-cast.com/2014/03/28200516.html?p=1

漫画界の巨匠、手塚治虫さんが生前に使っていた書斎机の「開かずの引き出し」が
娘・るみ子さんの手によって初めて開けられた。
(引き出しのカギを紛失して、長年、開けられなかった)
(メーカーを探し出して、カギを取り寄せ、最近になって、ようやく開けられた、とのこと)

気になる中身の一部をツイッターで公開し、ファンは大興奮だ。
というのも、出てきたのは、アニメ原画や未完作のカット、食べかけのチョコレート(←25年前のモノ)のほかに、
エロさ際立つ直筆のイラストまで見つかったからだ。
(続きが気になる方は、上記のアドレスを参照してください)


●エロい絵を描くことが、上達する早道と聞いたことがある(誰もが、興味を持って取り組めるから…笑)
●ちなみに、手塚大先生のエロイラストは、当分、公開の予定はないそうです
返信する
まーくん、適当放送さん、オレンジBさん、コメントありがとうございした! (yes)
2014-03-31 07:50:25

 >まーくん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 >虫プロダクションに入社し、手塚治虫に師事しながら・・・・

その当時の話は、先生からよく聞いていました。

とにかく村野先生は存在感のある人(たぶん、その圧力は梶原一騎級だ
と思います)、面白い話が沢山あるのですが・・・・・・とても公開出来る様
な話ではないのが残念です。


 >適当放送さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

村野先生、そして、白取千夏雄氏、やまだ紫氏、杉浦日向子氏のお話、
ありがとうございました。

懐かしい名前・・・・・・バリバリの現役、そのまま完全燃焼する様に亡く
なられてしまった・・・・・

ガロ編集の白取氏がブログで村野先生の事を書いているのですね・・・・・
・・・・白取氏にフェイスブックで友達リクエストしようっかなァ~♪

適当放送さん、今回は、水木先生、荒俣宏氏、そして、たけくまメモ
の著者まで、いろいろお話し下さって、どうもありがとうございまし
た!


 >オレンジBさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「オモシロ・ニュースの紹介」をありがとうございました。

「大量エロ絵」といっても、これは、アニメのためのデッサン(習作)だ
と思います。もしくは、当時の漫画作品のための習作ですね。

通常は、全て捨ててしまうかと思うのですが・・・・・残していたところ
から察すると・・・・・・・・・・後で使用できるか、気に入っていたかしたので
しょうね。

それにしても、ごく一般的な習作の事を「大量エロ絵」とは・・・・・・・・!

そんな事よりも、「開かずの引き出し」とか「食べかけのチョコレート」
とかって話の方が、ドラマチックな話ですよね。

返信する
今週のお散歩 (灰色ねずみ)
2014-04-01 21:41:14
高田馬場に行ってきました。
消費税改定に伴い、養老院の経費が改定になるので、契約書の料金の関連部分だけ、新たに判子がいるためです。

管理士の指導に基づいて、あちこち名前を書き、母親との続柄を書き、緊急時の連絡先を書き、それぞれの日時を書き、紙と紙の綴じ代に割り印を押し、最後にめくら判や捨て印をべたべたと押して、間違いに訂正印を押して30分ほどで、儀式は終わりました。

終わってから母親のベッドを見に行くと、包帯をまいたミノムシのようにベッドに寝かされていました。
あごが上がって、両手は硬直してキョンシーのような感じで、空中の何かをつかむかのように、手首が漂っています。

担当の介護士の40歳ぐらいの女性がにっこりと笑いながら近寄ってきました。

「最近は、とてもお元気で、こうして脇に座ると、何か、一生懸命話すんですよ、もっとも何をおっしゃっているかはわかりませんけどね」

とのこと、確かに時々ぶつぶつと唇だけ動きます。

「何を言っているか、教えましょうか」
「えっ、分かるんですか」
「これはね、タスケテクダサイと言ってるんですよ」

3年前は、もうすこし元気で、人間的な意識は飛んでいましたが、「タスケテクダサイ」という言葉だけは、はっきりと聞き取れました。

その「タスケテ」が今は、かすかな心のつぶやきとなって、唇の上だけで、熱の足りないフライパンで炒っているポップコーンのように、いつまでも振動しているのです。

昔の仏教彫刻で、空也上人の仏像だったと思いますが、南無阿弥陀仏の6文字が上人の唇の前に飛び出しているものがありました。

http://www.kyotokanko.co.jp/butuzo/rokuhara_kuya.html

http://o-demae.net/blog/archives/623.html

https://www.google.co.jp/search?q=%E7%A9%BA%E4%B9%9F%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BB%8F%E5%83%8F&biw=1331&bih=697&tbm=isch&imgil=zjjf6ojYaRvxEM%253A%253Bhttps%253A%252F%252Fencrypted-tbn3.gstatic.com%252Fimages%253Fq%253Dtbn%253AANd9GcS4UJDFqrg1tk-cF-xHNmKrrwwQNVuTYnSzs3aA0mTtRWNQo1Y%253B400%253B285%253BND7Mp5Mx8LWaHM%253Bhttp%25253A%25252F%25252Fblog.livedoor.jp%25252Fschizou%25252Ftag%25252F%25252525E7%25252525A9%25252525BA%25252525E4%25252525B9%252525259F%25252525E4%25252525B8%252525258A%25252525E4%25252525BA%25252525BA&source=iu&usg=__IGj9sMfHoC4VrhNy0IjR-Gu3GP0%3D&sa=X&ei=zak6U_qlBY3ikAWVlYG4CA&ved=0CDEQ9QEwBA#facrc=_&imgdii=_&imgrc=zjjf6ojYaRvxEM%253A%3BND7Mp5Mx8LWaHM%3Bhttp%253A%252F%252Flivedoor.blogimg.jp%252Fschizou%252Fimgs%252F1%252F8%252F18a5cd18.jpg%3Bhttp%253A%252F%252Fblog.livedoor.jp%252Fschizou%252Ftag%252F%2525E7%2525A9%2525BA%2525E4%2525B9%25259F%2525E4%2525B8%25258A%2525E4%2525BA%2525BA%3B400%3B285

うちは、浄土真宗なので、白骨の歌しか知りませんが、もともと信仰心が薄い家系なので、本人が元気なころは
「私の葬儀はキリスト教式でやるように」
といっていました。

どうやら、戒名料の30-50万円を節約したい考えのようでした。

さて、78歳で親戚から「お宅のお母さん、ちょっと頭がおかしいから、診てもらったほうがいいわよ」
と、言われてから10年。
武蔵野病院の精神科の先生の勧めで、養老院に78歳で入居して以来、人間が死にいたる旅に向かってから、次第に深い井戸の階段を降り始めて、すでに7つの段階を降りたような感じがします。

それぞれのステージごとに、いろいろな思い出があります。
現在は、母の人生はもう終わっているのかもしれません。
しかし、肉体だけが、介護士の与えるスプーンに盛られた流動食のカロリーによって、とりあえず生き続けています。

この母の体を自宅で引き取ってしまうと、長くなく死んでしまうと思われます。

京都の中村医師の薦めるように、「生きる力がすっかり衰えたら、体から、エンドルフィンが出て気持ちよくなるので、そのまま餓死させるのが一番幸せなんです」という対処をする方法もありますが、そうすると、今度は私が刑法違反で逮捕され、新聞に載ってしまいます。

つまり、現代は死ぬに死ねない時代になったということです。
「死ぬことは許さん」ということです。

なにか考えなければならない、と思いつつ時だけが流されていく今日この頃です。
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