( この写真は、お昼前に仕事場に到着した時に撮影したもので、目白通りを練馬方向に向いて写しました。 左側のドア
がわがJプロのドアになります・・・・・・《 2014年、4月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧下さい。 】
その20
《 漫画家アシスタントが・・・・母親に驚く・・・・!? 》
結局、○ン月影先生( ※参照 )からの手紙が母親によって破られてしまった事で、アシスタントになる
予定は完全に狂ってしまったわけです。
加川さん( ※参照 )の母親は、○森プロ( ※参照 )でアシスタントをやっていた頃から、息子が漫画の世
界で生きてい行く事には反対していました・・・・・・出来るものなら漫画と手を切らせたいと。
漫画家に成りたいとか、アシスタントに成りたいとか言っている息子が、まるで、覚醒剤を欲しがる
薬物中毒患者の様に見えていたのです。
息子に来た手紙をビリビリと引き裂く時の気持ちがどんなものだったかは、分かりませんが・・・・・
破られた側の気持ちでしたら、少しは分かります・・・・・・・・・・
もし、私の敬愛する漫画家からの、アシスタントの誘いがあったであろう手紙を破かれたら・・・・
・・・・・きっと、親子関係が崩壊していたかもしれません。
加川さんが絶望感に打ちのめされ、母親を憎んだとしても、無理からぬ事だったと思います・・・・。
弟子入りするつもりでいた○ン先生からの連絡を無視してしまった事で、他の先生への弟子入りを考
える加川さんでしたが・・・・・・・・・その先生こそ、J先生( ※参照 )だったのです。
J先生との出会いや、その経緯については、次回以降に書くつもりなのですが・・・・・・
今は、加川さんの母親のエピソードについて続けたいと思います・・・・・・。
1969年2月、加川さんは19歳でJプロに入ります。
ゴム製玩具の会社に就職後、レストラン、漫画家アシスタントと仕事を変えていた加川さんが、右耳
に赤鉛筆をはさみ、小脇に競馬新聞を持ってJ先生に面会した事は、Jプロでも伝説の様に語り継がれ
ています。
度胸だけは一人前、実力よりも自信重視の加川さんが、J先生から弟子入りを許されてから、しばら
くした頃の事です・・・・・・
「 マンガなんて、子供じゃあるまいし! 」と軽蔑していた母親が、突然、加川さんに・・・・
「 先生の仕事場って何処だい? 」
どうも、J先生に会いに行くつもりの様子・・・・・・急に不安になる( 寒気がしてくる )加川さんで
すが、先生の仕事場の住所を正直に教えます・・・・・・
その日、いつもの様に仕事をしていると、仕事場にこの母親がやって来たのです・・・・・・
加川さんは、不信と同時に、いったい先生の仕事場で何をやらかすつもりなのかとハラハラしたそう
です・・・・・・
母親は、普段とはまるで違う余所行きの着物を着こみ、先生のデスクの近くへ向かいます・・・・・
加川さんが「 あっ 」と驚いたのは、その瞬間でした・・・・・
母親は、突然、デスクに向かうJ先生に向かって床の上に土下座したのです!
加川さんだけではなく、他のスタッフも驚くのですが、なにより驚いたのはJ先生・・・・・・
母親は、深々と頭を下げ、床に額をこすりつけながら・・・・・・
「 先生ッ! 」
「 ・・・・・・・・・・・・!? 」
「 先生、息子を・・・・どうか息子をよろしくお願いいたしますッ! 」
J先生は、すぐに椅子から立ち上がると、拝む様に土下座する母親の両肩を抱えて立ち上がらせます。
そして、優しく、静かに、母親の話す言葉にジッと耳をかたむけていたそうです。
それにしても、何故、あれほどアシスタントになる事を嫌っていた母親が、J先生の所へあいさつに
来たのか・・・・・・?
「 俺がいろいろ言っちゃったんだよ 」
今では、結婚して、娘さんが社会人になる加川さんが複雑な表情を浮かべながら・・・・・・
「 オフクロから手紙を破いたって聞いた時に『 俺の人生だろ! 』って・・・・・・ 」
『 なんで俺の人生をぶち壊すんだよ! あんたの人生じゃね~だろッ! 』
厳しく母親に詰め寄った事で、母親がしばらくの間、悩み続けたのではないか・・・・・・そう加川
さんは話してくれました。
仕事場で、母親が帰った後でJ先生は小さな声でポツリと・・・・・・
「 おめィ~の母ちゃん・・・・イ~母ちゃんじゃね~か 」
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その21 」( 5月1日以降公開 ) へつづく・・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その19」へ戻る 】
【 ※参照 】
・○ン月影・・・・・・・・・・・1941年生まれ、官能時代劇画家、1969年当時は西部劇漫画などの
アクション漫画を描いていた。
・加川さん・・・・・・・・・・・中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
1969年にJ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
・○森プロ・・・・・・・・・・漫画界の大御所と言われた○ノ森章太郎先生の仕事場。1968年当時は
「幻魔大戦」などを制作していた。
・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2013年現在、70歳。1969年当時は26歳。
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「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
wikiより
私立初芝高等学校出身の二人組み「ゆでたまご」さんたちは、二人とも母子家庭で、高校を卒業したら、忙しくなるので、もう漫画家にはなれないからと、必死に作品を書いていたようですね。
出会いが中井氏が住之江小学校に転向してきたときで、同じ団地に住んでいた。
そして、「小学5年生の時中井氏が嶋田氏の家に遊びに行った際、嶋田氏の描いた『○肉マン』を気に入り意気投合した」
とのこと。
小学5年生で、もう『○肉マン』の形は出来上がっていたんですね。
中学も、同じ南稜中学校で、漫画を描くのが本格化し、中学2年で『ラーメン屋のトンやん』を初めてペンで描き、これが近鉄漫画賞に入賞。
16歳の時、赤塚賞に『ゴングですよ』、手塚賞に『マンモス』(共にプロレス漫画)を投稿し選外、この際に集英社の編集者に見い出され、読切のオファーもあった。
1978年、『キン肉マン』で第9回赤塚賞準入選、これが『週刊少年ジャンプ』1979年2号(1978年12月)に掲載されデビュー。編集部内では稚拙な作品と評判が良くなかったが、当時の編集長西村繁男は、低年齢向け漫画としての資質があることを見抜いており、大阪まで出向いて2人の親を説得、卒業を待ってプロの漫画家に仕立てた。この時2人は既に就職が決まっていたが、西村は「漫画が続かなかったら就職の世話をする」と約束し、東京にアパートまで用意したという。翌1979年5月、19歳で、『キン肉マン』を連載開始。
「中井義則」で検索 ↓
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%AD%E4%BA%95%E7%BE%A9%E5%89%87&rls=com.microsoft:ja:%7Breferrer:source?%7D&rlz=1I7RNQN_jaJP491&tbm=isch&imgil=jAUfwcHg5ji1HM%253A%253Bhttps%253A%252F%252Fencrypted-tbn3.gstatic.com%252Fimages%253Fq%253Dtbn%253AANd9GcSZNLeVO2fnBEH5-3Ct4SylFUSND8QN3DXOrkh0iwv4bGo8WBfu%253B400%253B300%253BCFeq94pqgNSpHM%253Bhttp%25253A%25252F%25252Fmidbreath.blog25.fc2.com%25252Fblog-entry-1065.html&source=iu&usg=__MKYYvl4byCP9NbPA5DMKMzEWoyM%3D&sa=X&ei=I2ZZU5n9DtSC8gWl7oKwBw&ved=0CCsQ9QEwAA#facrc=_&imgrc=jAUfwcHg5ji1HM%253A%3BCFeq94pqgNSpHM%3Bhttp%253A%252F%252Fblog-imgs-32-origin.fc2.com%252Fm%252Fi%252Fd%252Fmidbreath%252FDSCF0698_convert_20100222212344.jpg%3Bhttp%253A%252F%252Fmidbreath.blog25.fc2.com%252Fblog-entry-1065.html%3B400%3B300
「『キン肉マン』終了後は、格闘漫画以外のジャンルを模索しながらもこれといったヒットが出ない冬の時代が続き、1990年代半ばになると世間からは過去の人と扱われたが、1997年に『週刊プレイボーイ』誌上に『キン肉マン』の続編にあたる『キン肉マンII世』の読切32Pが掲載され、計5回にわたるシリーズ掲載を経た後、翌1998年より連載となる。二度目のヒットとなり、リバイバル漫画ブームの先駆けとなった。」
「作風」
ゆでたまご作品の最大の特徴として、物語や設定の整合性が取れず、数多くの矛盾点を含みながら進むストーリー展開が上げられる。
これは『キン肉マン』連載デビュー当時、作品作りのイロハを理解しておらず、右も左も分からない状態で執筆していたことが原因であるという。そのため周囲からは破綻が多い、いい加減な作品だと随分非難を受けて、ゆでたまご自身一時期大変落ち込んだことを明かしている。しかし読者からは高い支持を受けていたことと、当時は車田正美など同様の作風の作家がいたことなどを理由に自信を取り戻し、以後ゆでたまごの作風として定着させた。
その後はストーリーの統合性などは二の次として、読者の度肝を抜く展開を心がけ、毎週締め切り過ぎまでアイディアを粘るため、原稿が完成するのが連載作家の中で1、2を争うほど遅くなったという。
嶋田はインタビューなどで「細かい設定にこだわっていると、結果としてつまらなくなってしまう。
ツッコミ所が多い方が、読者が親近感を持ってくれる」と述べている。
また、誤植や作画のミスに関しても、ゆでたまご自身少年時代に読んだ漫画のあら捜しをして楽しんでいた思い出もあるので、指摘があってもあえて修正していない部分もあると語っている」
読者参加型の作画
代表作の『キン肉マン』を始め、ゆでたまごの作品では登場人物などを読者から募集するのが通例となっている。『キン肉マン』の主要キャラクターであるロビンマスクやラーメンマンなども読者応募によるものであり、中井はファンを「3人目のゆでたまご」であると語っている。
「壇蜜過激画像」が出てきてしまった。
壇蜜過激画像
http://www.youtube.com/watch?v=nDpNTnkZN4c
本物はこっちです。↓
サイエンスライター( 片瀬久美子)博士(理学)のブログ
「理化学研究所の石井俊輔上席研究員が責任著者となってる論文に疑義があるとして、匿名の方から相談されました。
なお、石井氏はSTAP細胞論文の調査委員会委員長をされている方です。
相談者から頂いた資料を公開し、他の方々にも検証して頂きたいと思います。」
http://d.hatena.ne.jp/warbler/20140424/1398320093
問題の切り貼り画像
http://d.hatena.ne.jp/warbler/files/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E4%BF%8A%E8%BC%94%E6%B0%8F%E3%81%8C%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E8%91%97%E8%80%85%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E8%AB%96%E6%96%87%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E7%96%91%E7%BE%A9%20-%20%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.pdf
小保方氏のことを「不正・捏造者」と激しく非難していた聖なる委員長様がお仲間だったとは、「ミイラ取りがミイラに」なって、お棺入りという、滑らない話でした。
たしか山中教授が国会で、「最近の若い連中には、教育が必要」といっていたが、今回の60才過ぎのおっさんは、誰が教育するんだろうと不安になります。
>あんのんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が忘年会で会った時のS氏は、大変に優しく、誰にでも笑顔で応え
る人の良さそうな方でした。(決して饒舌なタイプではないが)
一般に、気難しい作家的な雰囲気とは無縁な、小太り兄ちゃんってい
った感じ・・・・・。
また、彼は色々なパーティーに出席し、かつ、何処でも笑顔で色々な
人々と写真に納まっているほど人好きのする人物です。
あんのんさんのコメントを読みながら、あの日の事を想い出していま
す・・・・・。
19歳でジャンプに連載を持ってから、トップ一直線の人生・・・・・・
「演出論」も「技術論」もない、読者の意表をつく「意外性」を元に
した作風は、何処か本宮ひろし先生にも共通した鬼迫を感じます・・・・
・・・・・・・・。
>遅れてきたおっさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>壇蜜過激画像・・・・
過激といえば、過激なのかもしれませんが・・・・・・
皆さん、お好きですね・・・・・・
私は、イマイチかな・・・・・・・・ちょっと好みが違います。
しいて言えば・・・・・・・・黒木香なんかの方が好きです。
>ミイラ取りがミイラに・・・・
院生も教授も、日常的にコピーペーストをやっているとの話も聞いて
いますが・・・・・
学者といっても、重箱の隅をつつく様に調べたら、誰だって何かしら
出てくると思いますよ、きっと。
ところで・・・・・・
最近の若い学者先生は、壇蜜のDVDなんかで抜いたりしてるんでしょ
うか・・・・・・
私は、若い頃にはビニ本とか、ダイヤモンド映像だとかのお世話にな
ったものですが・・・・・・・・
本宮ひろし先生といえば、ゆでたまごと同じように編集担当 西村繁男が、周りの反対を押し切って育てた人物ですね。
若いときは、ぜんぜん生活費がなくて、西日の強い4畳半の2階で、必死に「男一匹○」を殴り書きしていた。
それを眺めていた下宿屋の女子中学生が、後日、級友に協力してもらって、ジャンプにせっせと推薦はがきを出しまくって後押しした。
これで、生き残れなければ、漫画家やめようと、とりあえず編集部に出来上がった作品を郵送して、バイクで山梨県に力仕事のバイトに出発したが、途中で西村から「連載決定」の連絡をもらって引き返した。
2週間で32ページ描けといわれて、むりやり続編を書き上げた所から、その後の人生が繋がっていった。
と、そんな感じです。(自伝--天然漫画家)
葛飾の中学を出た後、航空自衛隊の学校に入ってパイロットを目指したが、何故か中退、浦和高等学校(通信制)も中退、大阪の日の丸文庫に1965年、18歳で『遠い島影』を持込したが、絵はダメだったものの、野球が出来るかと、編集事務方の水島新司(野球チームを作ろうとメンバーを探していた)に聞かれて、出来ますと答えたため、それなら、採用と作品デビューとなった。
後で、日の丸の社長が編集部に来て、「本宮の作品なんて、誰が採用したんだ」と怒られたが、読者投票で人気がありますと、嘘をついて、編集担当がごまかしたため、その後18本も短編を載せ続けたが、日の丸の倒産により、失業。東京のジャンプに「男一匹」を投稿して、西村に見出されたわけです。
航空自衛隊時代の同期に武論尊がいて、先に自衛隊を辞め漫画家として成功を収めた本宮のところに、武論尊が居候状態で入り込んできた。
ただ飯食ってないで、お前もなんか手伝えといわれて、原作のプロットを提供するようになった。
本宮漫画の女性は、すべてもりたじゅんが描いていたが、なぜ日大芸術学部のもりたと知り合って結婚するようになったかは、おいおいということで・・・。
超ミニ、ボイン、ピンクの花柄パンティーの「もりたじゅん」
http://ameblo.jp/marukawa-gum/entry-10327875767.html
記者会見で謝罪する山中伸弥所長(28日午後5時25分、京都市左京区で)=宇那木健一撮影
京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授が2000年に発表した論文中の画像や図表に不正の疑いがあるとインターネット上で指摘があり、山中教授は28日、同研究所で記者会見して「論文の内容に一点の曇りもない」と不正を否定した。
一方で、当時の実験ノートから元データが見つからなかったことも明らかにし、「データ管理が不完全だった」と陳謝した。
論文は、マウスのES細胞(胚性幹細胞)で重要な役割を果たしている遺伝子の機能について、山中教授が大阪市立大助手時代に行った研究成果をまとめたもの。責任著者を山中教授が務め、00年10月に欧州分子生物学機構の機関誌に論文を発表した。
この論文について、インターネット上で昨春頃、〈1〉ES細胞の遺伝子解析に関する2か所の画像が酷似しており、切り貼りが疑われる〈2〉ES細胞に関する遺伝子の発現量を示す実験データの図表が不自然だ――との匿名の指摘があった。
http://www.yomiuri.co.jp/science/20140427-OYT1T50245.html?from=ytop_main3
記者会見で謝罪する山中伸弥所長(28日午後5時25分、京都市左京区で)=宇那木健一撮影
京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授が2000年に発表した論文中の画像や図表に不正の疑いがあるとインターネット上で指摘があり、山中教授は28日、同研究所で記者会見して「論文の内容に一点の曇りもない」と不正を否定した。
一方で、当時の実験ノートから元データが見つからなかったことも明らかにし、「データ管理が不完全だった」と陳謝した。
論文は、マウスのES細胞(胚性幹細胞)で重要な役割を果たしている遺伝子の機能について、山中教授が大阪市立大助手時代に行った研究成果をまとめたもの。責任著者を山中教授が務め、00年10月に欧州分子生物学機構の機関誌に論文を発表した。
この論文について、インターネット上で昨春頃、〈1〉ES細胞の遺伝子解析に関する2か所の画像が酷似しており、切り貼りが疑われる〈2〉ES細胞に関する遺伝子の発現量を示す実験データの図表が不自然だ――との匿名の指摘があった。
http://www.yomiuri.co.jp/science/20140427-OYT1T50245.html?from=ytop_main3
謝罪して、お詫びします。
>あんのんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本宮先生のお話、ありがとうございました。
S氏も本宮氏も西村編集長が見出したのですか・・・・・・!?
それは、知りませんでしたが・・・・・・・あの西村編集長って人も凄そう
な人ですね・・・・・・・!
ちなみに、デビュー時の漫画がほとんど評価されていなくても、実際
に連載が始まると爆発する様にヒットする事も稀にはあるわけです。
絵が下手クソだったり、ストーリーがバラバラだったり・・・・・・・・でも、
少年たちの目からは新鮮で魅力に満ちているわけです。
きっと、大人になるほど、この「少年の目」が無くなってしまうの
でしょう・・・・・・・・
>masaさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山中教授のお話を、ありがとうございました。
私は、論文のコピペ問題は、日常化しているので、こうした事態にな
っても不思議には思わないのですが・・・・・・・・
細かい事をほじくる様な事で、日本の科学や学術研究にプラスになる
のかどうか・・・・・・・
重箱の隅をつつく様な事してると、どんどん、せせこましくなってしま
うのではと・・・・・。
事なかれ主義や安全第一主義など、官僚的で形式的な人間だけが出世す
る世の中なんてつまらないですよ、いや、ホントに!
理研の小保方晴子研究ユニットリーダーの代理人、三木秀夫弁護士は3日、「(田賀氏のケースは)私どもが主張していることと同じ」とのコメントを報道各社に発表した。
三木氏はコメントの中で「STAP論文は許されず、田賀論文は許されるとすれば、画像の切り張りや引き伸ばしについて許される場合と許されない場合があることになる」と指摘。
(MSN産経ニュース『【STAP論文】小保方氏代理人が苦言「STAP論文許されず、委員の論文は許される」』より 2014/05/03 13:27)
小保方氏は、STAP論文の不正を認定した調査委の報告書は不十分として不服を申し立てている。調査委は再調査するか審査中だ。
田賀氏だけでなく、理研の調査委員である古関明彦グループディレクターと、真貝洋一主任研究員の論文にも画像の切り貼りの疑いが指摘されている。」
http://www.huffingtonpost.jp/2014/05/03/stap-miki-candid-advice_n_5258154.html
だんだん、収拾の付かない状況になってきました。
委員長は切り貼り発覚で逃亡するし、残った委員もやはり、切り貼屋さんで、火達磨。
ノーベル賞の山中氏も轟沈。
そういえば、早稲田大学で、小保方博士の博士論文コピペ疑惑で、博士号を取り消すか否か調査中って話はどうなったんだろう。
なんだか、この案件の審査員のなかから、大量のコピペおじさんが出てきそうで、はっきり言って「こわい」です。
世の中には、自費でブログを書くまくっている人もいるらしい。「.com」のブログがこれです。
http://blog.dogadyaga.com/?cat=18
総長選で、現在の鎌田総長が無風で当選かと思われていたところ(前回は鎌田氏1000票、対抗馬820票程度)、小保方の博士論文で、「何かを見逃したことは、けしからん」
といちゃもんが付いて、選挙の雲息が怪しいらしいです。
しかし、小保方に問題あり、と結論付けると、審査委員の多くが、自らの論文で、「後ろから弾が飛んできて戦死」という事態もありうるので、やはり、「なんだか、こわい」です。