( この写真は、東京目白の住宅街を撮影したものです。俗に高級住宅街というやつですが、人の気配というものがあ
まりありません。ちなみに、師匠のJ先生の家は、この場所からさほど遠くない所にありますのです・・・・・・
《 2014年、4月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その19
《 漫画家アシスタントが・・・・母親について想う・・・・!? 》
「 覚えてるよ、加川君( ※参照 )だろう! 」
「 先生、お久しぶりです! 」
1968年から69年にかけて、当時の○ン月影先生がアクション劇画を描いていた事は前回もお話しま
したが、その仕事場へ行った時に、○ン先生は加川さんを覚えてくれていました。
実は、加川さんは3年ほど前の中学生の時にファンとして○ン先生を訪ねていたのです。
中学生だった当時の加川さんが少し大人になった姿を嬉しそうに眺めながら、静かに話を聞いてく
れました・・・・・
「 近いうちに俺のアシスタントになるか・・・・ 」
仕事のない加川さんに、そう言ってくれたのです。
そして、別れ際に・・・・・
「 その時には、こちらから連絡するからな 」
確かに、そう言ってくれたのです・・・・・・・・
その言葉に期待して、加川さんは毎日、○ン先生からの連絡( 手紙 )を待つことになります・・・・
しかし、いつまで待っても・・・・・その手紙が来る気配もありません・・・・・・・・
何で連絡がないのか・・・・・・・・・・毎日、悶々として過ごすのですが・・・・・・・・・・
連絡してくれない理由が思い当たりません・・・・・・・・・・
しばらく経ったある日、加川さんは母親に・・・・・・・
「 ○ン月影って人から手紙か何か届かなかったかなぁ・・・・・? 」
・・・・・と、問いただすと・・・・・・・
「 ああ、来てたけどね 」
「 えッ!? 」
「 破いちまったよ! 」
母親のキッパリとした返事に茫然とする加川さんですが、同時にムラムラと怒りが込み上げて来ま
す・・・・・・・・
『 俺の人生をメチャメチャにするつもりなのかよ! 』
怒りと憎しみを爆発させ、怒鳴りあいの親子喧嘩が始まります・・・・・・・・
当時を振り返る加川さんは、真剣な表情で話してくれますが・・・・・ふと、表情を和らげると・・
・・・・
「 あん時は、腹が立ったけど・・・・・・その結果としてJ先生との出会いがあった
んだから、恵まれてたと思うよ・・・・・本当に 」
確かに、この事があって後に加川さんは、J先生の仕事場を訪ねる事になるわけです・・・・・・・
当時、水商売をしていた加川さんの母親は、自分の息子だけには堅気の仕事をしてもらいたいと、
漫画を描くこと自体に反対していたのです。
あの時代、漫画なんてバカの読むもの、漫画家なんて職業を誰も「 仕事 」とは認めていませんでし
た。
ただの「 道楽者 」とか「 遊び人 」としか見てはいませんでした・・・・・・・・そんな時代でし
たから、母親がわが子の将来を思って○ン先生の手紙を破いた事も無理のない・・・・・・・時代
だったのかも知れません。
私も子供の頃に、母親に怒られる時に、「 マンガなんか読んでるからバカになるんだ! 」と怒ら
れ、「 マンガ本なんか全部捨てちゃいなさい! 」と脅された事が何度もありました・・・・・・
ところで、加川さんの母親ですが、私は2,3度会った事があります。
確かに漫画や、漫画を描いている人間を嫌っている雰囲気があって、ちょっと怖い様な雰囲気が少々
・・・・・・・・
加川さんの母親について、後日談があるのですが・・・・・・・・・・それは、次回に!
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その20 」( 4月20日以降公開 ) へつづく・・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その」へ戻る 】
【 ※参照 】
・加川さん・・・・・・・・・・・中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
1969年にJ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
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★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
(ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん
★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」
★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」
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【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
たまには、J先生のお宅に、おじゃますることもあるのでしょうか。
先生の自宅へ呼ばれる事はもちろんですが、こちらから出かける
事もまったくありません。
ただ、5年に一度くらいは保険事務などの、具体的な事務手続き
で仕方なく出かける事はあっても、遊びに行く様な事はありま
せん。
昔から、うちの師匠は、弟子とプライベートに付き合う事をあま
りしないみたいです。
珍島というと、珍島物語を思い出しますが、この島が韓国の左南端のほうにあったとは、初めて知りました。
珍島物語(マリンAK)の中に、現場海域が撮影されており、とても暗礁の多い、波の荒れた海域です。
https://www.youtube.com/watch?v=jH0MIG5PMWU
海が割れるのよ 道ができるのよ
島と島とが つながるの
こちら珍島(チンド)から あちら芽島里(モドリ)まで
海の神様 カムサハムニダ
霊登(ヨンドン)サリの 願いはひとつ
散り散りになった 家族の出会い
ねえ わたしここで祈っているの
あなたとの 愛よふたたびと
海が割れて道ができ、島と島とがつながるという、大型客船にとっては、恐ろしい海域です。
おそらくは、濃霧の中、2時間の出航遅れを取り戻すべく、時速20ノットでひた走り、かつ、航行ラインを極力ショートカットしてぎりぎりを走ったとき、隠れ根に船底先を擦ったので、あわてて右旋回(面舵(おもかじ)いっぱい)したところ、積荷のトラックや車が左側にいっせいに傾いて、デッキ上のコンテナも傾いて、45度キールオーバーして、サイドから海水が浸水してきたのでしょう。
7000トンほどの客船が横倒しになって、浸水が始まったら、もうだれにも止められません。
船というのは、一度浸水が始まると、誰にもとめられないいのです。
それにしても、珍島物語の作詞者の中山大三郎は、1996年に、まるで今日を予測したような詞をよく書き上げたものだなあと、感心します。
高い技術力をもつ日本の海上保安庁の救助部隊(海猿)の救援の申し出を、頭から拒否して断ってくるというのも、韓国らしいやり方ですが、今日17日、一日中救助活動を行って誰一人助けられないというのも、だらしない話です。
あと1.2日は船内で100人程度は生きていると思いますが、早い救助が待たれます。
海外で慰安婦像を設置して、喜んでいる場合ではないということです。
{保護者アンケートで7万ウォンの飛行機代をケチって
費用の安い3万ウォンの船を選択
去年は中国人観光客を乗せた韓国フェリーが沈没したばかり
少し前には改装中の大型船が流され日本海で大炎上、他にも
韓国ご自慢のドクト艦が発電機の故障で日本海を漂流・・・
他にも韓国船による事故や油流出等のトラブルが後を絶たず、
船舶保険のロイズにも見放される始末。
http://hosyusokuhou.jp/archives/37606931.html
修学旅行の行き先が、抗日記念館というのも、驚きだが、17歳の子供たちを引率して、教頭が反日を先導し、とれそうもない〔謝罪と賠償〕のため、こぶしを振り上げ、日の丸に火をつけるというのも、分けのわからない話だ。
その引率した子供たち約3百人が水没の危機にあるときに、結果を見届ける前に、自ら自殺するという、この根性は何なのだろう。
国民全体が、競って「反日」のポーズを見せ合うことで、組織の中で、よりよい地位を得ようとして努力を続け、知識のない子供たちに「反日」思想の教育を附し、朝日新聞の一記者が捏造した「性奴隷」話(のちに本人の口から、捏造だったと表明した)をネタに、偽の慰安婦を集めて、ハト派の河野氏をだまし、とりあえず約250億円出せば解決すると持ちかけ、運よくパクッた金を、反日団体で山分けして、慰安婦と名乗り出たばあさん達には金を渡さなかった。
このときのうまみが忘れられず、今度は欧米に慰安婦像を設置して、また、金をパクろうとしているようだ。
そもそも、戦争関係者の大半は、年齢的に90歳以上に相当し、おおむね死亡している。
これは、韓国においても同様だ。
世界的に見て、侵略の歴史は、1600年台の大航海時代から始まり、スペイン・ポルトガルが南米を植民地化し、英国、仏国、アメリカも続いたもので、日本が最後にやってきたわけだが、
その日本のせいで、東南アジアの国々は、イギリス、オランダ、フランス等からの独立を勝ち得て、日本に感謝している。そういう国もある。
当時の韓国は、鉄道も、学校も、下水道もろくにない極貧の3等国で、経済破局して、日本に救いを求めてきたもので、中国の属国、または迫り来るソ連の侵略から、日本の投じた資金で、今日の1.5流国まで浮上することができたという経緯がある。
中国、韓国の「反日」は、時の政権が軍事政権のため、自分達の不当な金の溜め込みと、それに対する国民の批判をかわすため、という側面もある。
中国、ロシアの侵略的軍事行動も、やはり目くらましといえるだろう。
なかなか、大変な隣人が近所に住んでいるといわざるを得ない。
平和を口先でつぶやいているだけでは、安全は守りがたい今日この頃です。
朝日新聞の従軍慰安婦捏造
https://www.youtube.com/watch?v=MTzLZxPtvbQ
従軍慰安婦は大ウソ!池田信夫~バカでもわかる動画
https://www.youtube.com/watch?v=iOch_yQfTxU
この事故の映像を見た時に、誰もがイメージしたのが「タイタニッ
クの悲劇」だと思いますが・・・・・・
私が想起したのは、吉村明著「艦首切断」(実話を元にした小説)です。
敗戦前の話で・・・・・・強烈な嵐で駆逐艦が破壊されるのですが、分裂
した艦首部分だけが沈没せずに海上に浮遊した事件。
それを何日もかけて港に曳航して、解体したら、中から人が出てき
た話です・・・・・・残念ながら、生存者だったかどうかは覚えていません。
きっと、沈没した旅客船の中にも大勢の生存者がいるだろうと思い
ます。(確実にいる!)
>海上保安庁の救助部隊(海猿)の救援の申し出を、頭から拒否し
>て断ってくる・・・・・・
それが本当なら、政治的な問題と旅客船沈没とは関係ない事なのに、
バカげた話だと思いますが・・・・・・
今のこじれた関係を誰も越えられないのでしょうか・・・・・・・・・・
>Unknownさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の耳には、まだ、被災者の家族(高校生の親)が泣き叫ぶ声が聞こえ
ます・・・・・・・
・・・・・・・・・・そのため、今回の事故と並列して「抗日」だの「慰安婦」
だのといった事についてレスする気はありません。
まったく、いつになったら一緒に泣き、一緒に笑える日が来るのだ
ろう・・・・・・!
者にとっては住みやすくなりましたが・・
根本的には、吹き沈みの激しい不安定な仕事という
ことは忘れて欲しくないなと思います。
どうも、最近はいいイメージだけが先行しすぎて、
根本的なことを忘れて、ハングリー精神が足りない人が
多い気がします・・・。
ちなみに、横から失礼しますが、
>海上保安庁の救助部隊(海猿)の救援の申し出を、頭から拒否し
>て断ってくる・・・・・・
ですが、外交問題もあると思いますが、
災害が起きたとき、こういう受け入れという
のはコーディネートも必要で、さあ、勝手に救助して
くださいというわけにもいかないみたいです。
そして、コーディネートするのにも時間がかかり、
逆に混乱してよくないともいわれてます。
人がたくさんいれば、その人たちに指示をだして動かすって結構、大変なんですよ・・。最近しみじみ思ってます。
私は30年ほどダイビングをやっていますが、TVで「500人のダイバーをもぐらせて・・・」という報道の、そのダイバーたちを見ると、海難救助の専門家には見えません。
素人っぽいただの貝取り上がりの50歳前後の漁師風という感じです。
潮の流れが速いから、中に入れないだの、15分しかボンベのエアーが持たないから、キャビンの中まで入れないだの、窓から中を覗いたら、3人死んでいるのが見えただの、ボンベを背負ったただの野次馬老人たちです。
7000トンの船から、数百人の人々を救い出すのですから、
レインジャー部隊が出動する必要があります。
10年前に、柴又の川で、重さ5トンのクルーザーが4メートルの川底に沈没し、クレーンでもアームが届かず、私のところにマリン業者から、引き上げ依頼が来たことがありました。
私は大型トラックのタイヤチューブを10本もらってきて、潜水してワイヤロープでくくりつけ、予備タンクからエアーを入れて、6本で見事に水面すれすれまで浮上させ、自分の船で、浅瀬まで曳航して、干潮時に水抜きをして浮上させ修理を成功させたことがあります。
今回の救助でも、海面すれすれまで船を浮上させるなら、今回舳先に取り付けられた浮き袋が10トンの浮力がありそうですから、船の全周に100個の浮き袋を取り付ければ、1000トンの浮力になりますから、亀のように海面ぎりぎりまでは浮上します。(海中のフェリーの重さは、700トン程度)
船を見ると、1階の手すり部分の柱がたくさんありますから、ここに左右80個、スターン(尻)に小クレーンがありますから、10個、バウ(先)のクレーンに10個で、船は海面すれすれまで浮上してきます。
海中の船の重さは、浮力のため700トン程度に軽くなっています。
この状態なら、ダイバーは10メートル程度もぐればキャビンに入れますから、潜水可能時間は50分ありますから、作業は楽になります。
なお、救助船も100トン程度の大きめの船を10隻ほどフェリーの回りに配置して、大型の空気送入機で、どんどん船の下からエアーを送り込めば、中の人間のエアーも持ちますし、船の浮力も増します。
また、ボンベではなく、船からエアーを送る潜水士を投入すれば、一日5時間はもぐりっぱなしでも作業でき、水中溶接機も使えます。
レインジャー50人を投入すれば、5時間ほどで、フェリーは海面すれすれまで浮上すると思います。
さて、沈没の数時間後に日本に救助依頼すれば、長崎、佐世保の基地から、珍島までは300キロですから、保安庁の救助艇の速度が50ノット(80キロ)ですから、4時間で駆けつけることが出来ますし、辛坊次郎を救助したU2飛行艇なら、岩国から30分で現場水域に着水できますから、
当日の午後には、救助に入れます。
一刻を争う事故ですから、救助してもらえる国があるなら、人命第一で依頼すべきだったと思います。
韓国の救助作業を見ていると、7千トンの船のへさきを眺めて、うろうろしているだけで、俄か仕立てのダイバーが「潮が早くてだめ・・・」「流されちゃう・・・」などと、出来ない言い訳ばかりです。
まず船の周りを、16ミリのパイレーンのロープで、縦に10本ぐらい縛り付けて、このロープを手で探って下降していけば、潮に流されませんし、水中スクーターも強力です。
すぐに日本に救助依頼すれば、翌日には作業が始まったと思います。大型クレーン船なんかでは、2週間以上掛かりそうですから、人命はほぼ全滅となってしまいます。
「コーディネートも必要で」とありますが、全部日本と米国のレインジャーにお任せすれば、半分ぐらいは助かったのではないかと、思われます。つまり、事故の翌日には、船体浮上、翌々日に救助開始となった可能性があります。
>ラティさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>ハングリー精神が足りない人が多い気がします・・・・
そういえば、「ハングリー精神」という言葉自体を聞かなくなりまし
たね・・・・・・
「熱い」から「クール」へ、それから、「絶望の中の幸せ」・・・・そんな
時代なんでしょう。
気が付いた時には、身動きの取れないネズミの集団になっていて、笛の
音に操られているのかもしれません。
>さあ、勝手に救助してくださいというわけにもいかないみたいです・・・・
確かに現場の混乱を予想すれば、「救助要請がなかった」なんてすねてい
る場合じゃないかも・・・・ですね。
>海坊主さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>素人っぽいただの貝取り上がりの50歳前後の漁師風という感じです。
潮の流れ、視界の悪さ・・・・・・相当に困難な救助作業なのでしょうが・・・・・・・
今日は、二次被害のニュースもあった様です・・・・・・・・・
映像で見る、油の浮いた土色の海・・・・・・30センチ先しか見えない海の底・・
・・・・想像するだけでも恐ろしい話です。
>私のところにマリン業者から、引き上げ依頼が来たことがありました・・・・
今回のコメントで、「海坊主さん」のハンドルネームの意味がやっと分かっ
た気がします。
すごい仕事をしていたんですね・・・・・・・まるっきり泳ぎの苦手な私にとっては、
水そのものが怖いですが、濁った海に潜るって凄い勇気がいるんじゃないで
しょうか。
>大型の空気送入機で、どんどん船の下からエアーを送り込めば、中の人間
>のエアーも持ちますし、船の浮力も増します。
それって、凄いアイデアだと思うのですが・・・・・実際にやられているのでしょ
うか・・・・・・何かの理由で出来ないのでしょうか・・・・・・・・・まさか、そうした機
材が存在しないとか・・・・・・・・
>全部日本と米国のレインジャーにお任せすれば、半分ぐらいは助かった
>のではないかと・・・・
改めて思うのですが・・・・・・・そんなに日本と米国のレインジャーは優秀なので
しょうか・・・・・・・・なんか怪しげな気もするけど・・・・・・・・・・・・
つまり、不審船の臨検や掃海作業、対テロ作戦には力を発揮しても、沈没船
の引き揚げや船内に閉じ込められた人を救うとなると・・・・・・・・・・・・どうなの
かなと。
そうした機材は、「あります」、私も、これの小型を2台もっています。
90秒で10トン分のエアーを送り込める「エアーコンプレッサー」
バウアー社製「V180-15-5
1,480×830×1,520
http://www.bauer.co.jp/product/breathing.html
>実際にやられているのでしょうか
海洋土木工事の現場などで、ケーソン(堤防用)の設置で、日々使用されています。
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E5%A3%AB&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=qrJTU4b6Msre8AXI_YDoBg&sqi=2&ved=0CEkQsAQ&biw=1506&bih=850
http://www.wowkorea.jp/news/newsread_image.asp?imd=124562&numimg=1
「ソウェル号」で、私がもぐったら、5分でエアー送致システム設置完了です。上の図では、エアーを送り始めたようです。
視野不良ダイビングは、ダイバー免許の初歩条件です。
ダイバーは残量計と、海中コンパスを持っていますから、もぐる前に自分のゴムボートの位置から、セウォル号のコンパスコースをたとえば230度と計測すれば、あとは、海中で230度の方向に進めばいいのです。
セウォル号事故で、朴政権に向けられる怒りと韓国メディアの変化
http://blogos.com/article/84876/
朝鮮日報ーー旅客船沈没:09年に日本で同様の事故、死者はゼロ
フェリー「ありあけ」、荷崩れで沈没
セウォル号と同じ林兼造船が建造、船体が大きく傾くなど状況も類似
2009年11月13日、マルエーフェリー(鹿児島県)が運航するフェリー「ありあけ」が、東京から沖縄に向かう途中、三重県沖で沈没した。マルエーフェリーは「セウォル」号がかつて日本で「フェリー・なみのうえ」として運航されていた当時の運航会社でもある。「ありあけ」は、「なみのうえ」を建造した林兼造船が、同船と同時期に建造した。排水量は、セウォル号(6825トン)に比べやや大きい7910トン。旅客定員は426人だが、沈没当時は閑散期だったため、乗客はわずか7人だった。乗組員は21人で、コンテナ・自動車など3249トンの貨物を積んでいた。「ありあけ」は、09年11月13日午前5時ごろ、6.9メートルの高波を受けて船体が急激に傾いた。これで貨物の固定が解けてしまい、大型コンテナが荷崩れを起こした。最終的に「ありあけ」は90度近く傾いた状態で漂流、沈没した。最初に傾いた原因は異なっても、その後の経過はセウォル号の事故とよく似ている、というのが専門家らの見方だ。
しかし「ありあけ」の事故では人命被害は発生しなかった。船が傾くと、船長はマニュアルに従って海上保安庁に救助を要請した。乗組員は、衝撃で船体がゆがみ、客室のドアが開かなくなる恐れがあると考えて、乗客らを客室から避難させた。船が大きく傾いていたため脱出は容易ではなく、消防用のホースをロープ代わりにして乗客を甲板に引っ張り上げた。甲板に待機していた乗客らは、およそ2時間後、ヘリで救助された。乗客が救助された後、乗組員が順番にヘリに乗った。最後まで船を守った船長・1等航海士ら6人は、浸水が続いたため、救命ボートを降ろして海に飛び込んだ。この6人も全員救助され、死者は1人も出なかった。