キム・ホヨン氏
ーーこの翻訳は「不便なコンビニ」の一部を紹介するものです。勉強と趣味を兼ねています。営利目的はありませんーー
不便なコンビニ(キムホヨン短編集)
著者 キム・ホヨン
経歴 1974年ソウル生まれ。
高麗大学人文学部国語文学科卒業。
「二重スパイ」が映画化され、シナリオライターに、
「実験人間地帯」で富川漫画ストリー公募展で大賞受賞、
2013年「望遠洞ブラザース」で2013年第9回世界文学賞優秀賞を受賞して小説家になる。
山海珍味弁当 1
ヨム・ヨンスク女史が鞄の中にポーチがないことに気づいた時、列車はピョンテク付近を通っていた。問題はどこでそれを失くしてしまったのか、全く記憶にないことだった。ポーチを失ったことより記憶力の衰えが彼女を一層不安にさせた。いつのまにか冷や汗を流しながら彼女は自分の行動を必死に思い浮かべた。
ソウル駅でKTXの切符を買った時までは明らかにポーチを持っていた。だから、ポーチに入っている財布からカードを取り出して切符を買うことができたはず。そして待合室のテレビの前に座って24時間ニュースチャンネルを見ながら30分余り列車を待った。乗車してから鞄を抱いたまましばらく眠り、目覚めて見るとすべてがそのままだった。ちょっと前に、携帯電話を取り出そうと鞄を開けた時、中にあるはずのポーチがないことにびっくり仰天したのだった。財布、通帳、手帳など自分の一番大事なものが入ったポーチがないことに彼女は息が詰まるほどだった。
ヨム女史は自分が乗っている列車の速力に遅れずに頭脳を稼働しなければならなかった。車窓の外に速く過ぎていく風景を逆に回すかのように記憶を巻き戻した。独り言に加えて足を震わせながら没頭している彼女の行動に、隣の席の中年男が空咳をした。
彼女の没頭を妨害したのは隣の席の男の空咳ではなく、鞄の中で鳴った携帯電話の着信音楽だった。アバの歌で曲名が浮かばなかった。「チキティタ」だったか「ダンシングクィーン」だったか・・・。あらまあズンヒや、お祖母さんが本当に痴呆になりそうだ。
ヨム女史は震える手で鞄の中の携帯電話を取り出して曲名が「サンキューフォーザミュージック」ということを思い出した。同時に見慣れない02番号で電話が来ていることを確かめた。彼女は深呼吸をしてから電話を受けた。
「もしもし?」
相手は返事をしなかった。ただ周辺の騒音から公共の場所であることが推測できた。
「どなたですか?」
「ヨム・・・・ヨンスク・・・ですか?」
人の声だというにはあまりに粗雑ではっきりしなかった。まるで冬眠を終えた熊が洞窟から出てきて初めて口を開けたら出るような声だった。
「はい、そうです。」
「財布・・・です。」
「そうです。拾ってくださった方ですか。どこでしょうか?」
「・・・ソウル。」
「ソウルのどこですか?もしかしてソウル駅じゃないですか?」
「そうです。ソウル・・・駅。」
彼女は携帯電話の横で安堵の息をしてから声の調子を整えた。
「財布を見つけてくださってありがとうございます。でも私、今列車のなかにいましてね。次の駅で下りてすぐに戻るつもりですから、少し預かってくださるか、どこか預けてくれませんか?お礼は私が行ったらすぐさしあげます。」
「ここにいますよ。・・・行く所も・・・ないです。」
「そうです? わかりました。ソウル駅のどこで会えますか?」
「く、空港鉄道行く道・・・GSコンビニ・・・です。」
「ありがとうございます。速く行きます。」
「ゆっくり・・・来てください。」
「わかりました。ありがとうございます。」
電話を終えるや気分が変だった。携帯電話の向こう側から聞こえる動物の音声のような訥弁の口調は彼がホームレスであることを確信させた。何よりも「行く所も・・・ないです」という言葉の意味で見ても、公衆電話が明らかな02番号を見ても、彼は明らかに携帯電話のないホームレスだった。ヨム女史はしばらく緊張せざるを得なかった。財布を渡すということも、何か不安で別のことを要求するだろうかと恐れが広がった。
しかし、電話までして財布をおとなしく渡すと好意を示す男が、あえて迷惑な振舞をするとは思わなかった。謝礼で財布の中の現金4万ウォンを渡したら、充分なようだった。ちょうど天安に停車するという案内放送があった。ヨム女史は携帯電話を鞄に入れて席から立った。
戻る汽車が水原を過ぎる頃、再び携帯電話が鳴った。「サンキューフォザミュージック」の歌詞を痴呆予防するように繰り返して、液晶を確認するとさっきと同じ番号だった。ヨム女史は不安な気分を抑えて電話を受けた。
「・・・あの。」
男の寒さですくんだような声が聞こえてきた。ヨム女史は言い訳する学生を相手する時のように声に力を込めた。
「お話しください。」
「あの・・・先生、お腹がすいたのです・・・。」
「それで?」
「コンビニ・・・弁当・・・だ、だめですか?」
その瞬間ヨム女史の胸が熱くなった。『先生』という呼び方と『弁当』という単語が彼女を一層寛大にさせることが感じられた。
「そうしてください。弁当を買ってさしあげますね。喉が渇くはずですから飲み物も一緒に買ってさしあげます。」
「あ、ありがとうございます。」
電話を終えていくらもたたずに携帯電話に決済の文字が浮かんだ。これはあたかもコンビニのレジの前で電話したのでないかと思うほど、短い時間だった。とても空腹なのを見て彼の正体はソウル駅の盟主、ハトの友、ホームレスであることは確実だった。詳しく調べてみると、「GSパクチャンホ ツーマッチ おかずの多い弁当4900ウォン」と浮かんでいた。「飲み物は買わず食べ物を見ると恥を知っているようだ。」
ヨム女史はひょっとしたら誰かを呼ばなければならないのかと悩む気持ちをしまって、彼を二人きりで会うことにした。
70で呆けの心配な症状があっても、相変わらず彼女は自分の威厳を信じた。教壇で定年を迎える時まで一度も卑屈に振舞わず、堂々とすべての生徒の相手をしていた自分を信じることにした。