ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

2006年歌舞伎俳優名鑑を読んで

2006-01-20 22:52:36 | 歌舞伎
(立ち読みです、スミマセンm(__)m)

今日、全然別の本を探しに書店へ立ち寄ったら、
演劇界の別冊で、2006年版の俳優名鑑が出ているのを目にしました。
購入しなかったので、今、演劇界のHPやAmazonに行ってみたけど
まだ、紹介されてないですね。出たばかりなのでしょうか?
(演劇界のサイトに出ている『最新歌舞伎俳優名鑑』は黒ベースが表紙の、
今回目撃したものの一世代?前のもののようです。)

その中で、猿之助さんについての記事もあり、
石山さん(?)という方だったかな、
―動揺してしまってウロ覚えです―が書かれていたのですが、
2004年1月31日、茅ヶ崎文化会館―の書き出しを目にした刹那
一気に心拍数が上がってしまい、
そして、目の淵には涙が溜まってきてしまいました。

あの辛かった巡業の事が(特に後半の東北~北海道は。当時は実際の舞台の
様子は報告できませんでした。“会場”についてはお伝えしたけれど…)
そして、何故その後大阪入りされたの!?
絶対に安静が必要なのに…と胸の中で絶叫しながら、
泣いて泣いて眠れず、降板が決定されて、
やっと僅かに安堵したことなどの記憶が鮮烈に甦り、
この2年ずっとずっと待ってはいたけれど
でも、もう二度とあのような悲しく不安な想いを味わいたくないと
だけど、それは、私個人の想いで、舞台を長く離れて猿之助さんご自身は
どう、その現実を受け止められているのだろうと…

舞台という接点がなければ、友人でも家族でも、もちろんスタッフでもない
私(たち)は、まったくの赤の他人で、すごく遠い距離にいて。

今は、猿之助さんが日々、辛いことがなく
穏やかに過ごして下さっていれば、それが一番嬉しい事なのですが
俳優名鑑の記事を書かれた方が、猿之助さんは、今まで、果敢に精力的に
(使われている文言は異なりますが)戦われてきたのだから、
少しゆっくりと、蝶が花を楽しむがごとく、
人生を楽しみ、休まれるのも良い、というような主旨の事を書かれていて、
本当に、いろんな想いが交錯して泣いた。

また、かつてはサーカスと揶揄された宙乗りだけれど
昨年、一体何人の役者が飛んだか?
また、十二夜で大評判を取った鏡の演出だけれど、これも
すでに、猿之助演出で使われた手法であることも、きっちりと明記されていて
猿之助さんが、孤軍奮闘してきた軌跡についても記述されている事が
私は嬉しかったです。
また、「猿之助のDNAは受け継がれている」という言葉を目にしたとき、
最初、お弟子さんについて言及されるのかと思ったのですが、
そうではなく、もっと広く歌舞伎界の中に、
猿之助さんが希求してきたものが浸透しつつある、
という意味のことを述べられていて…

なんか、支離滅裂な文章ですみません。

2006年の1月31日は、私は新潟に居ます、猿之助さん!!


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