ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

読売新聞 「時代の証言者」 (7)

2010-03-28 00:44:23 | 歌舞伎
3月27日(土) (7)

【「劇界の孤児」になった】

1963年5月、猿之助襲名の披露興行が始まる。
父、段四郎はすでに前年より闘病生活に入り、祖父は、この興行の一ヶ月前に倒れる。
祖父が踊る予定だった『黒塚』を代わって踊ることになった。
「うまくやれないかもしれないけれど、作品の心を伝える自身はあります」
はじめて、この演目を表から見た猿翁は
「何か足りないな。それが何かはお前が見つけてくれ」と呟いた。
その後、祖父、父と相次いで亡くし、劇界の孤児となる。

ワンクリックお願いします
↓↓ 
にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村

読売新聞 「時代の証言者」 (6)

2010-03-28 00:33:43 | 歌舞伎
3月25日(木) (6)

【幻の名跡「初代雪之丞」】

20歳を過ぎて名代昇進の話が持ち上がり、併せて襲名の話も持ち上がっていた。
当時上方の和事にあこがれて、二代目雁治郎さんの舞台を「追っかけ」のように観ていた。
「坂田藤十郎」を名乗りたいと祖父に告げたが、不遜だと怒られる。
どうせ名前を変えるなら少しでも人に知られている名前がいいと、芝居の「雪之丞変化」から
「雪之丞」を提案。「初代市川雪之丞」で襲名披露興行の準備が進んでいたが、
ある日祖父が、「死を予感させる夢を見た。お前が猿之助になれ。」と伝える。
演目も決まり、浅草寺で舞台の成功を祈願するお練りが行われた際、祖父が倒れた。

ワンクリックお願いします
↓↓ 
にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村

読売新聞 「時代の証言者」 (5)

2010-03-28 00:26:36 | 歌舞伎
3月24日(水) (5)

【感動を知る人であれ】

祖父(二代目:猿之助/後の猿翁)と父(三代目:段四郎)は正反対の性格だった。
祖父は、松竹を飛び出して「春秋座」を作ったり、日本新劇史の幕開けである
「自由劇場」に参加したり、反骨精神と行動力に富んだ、生活すべてが芝居漬けの人。
父は、家では芝居の話をしない。
高校入学後の8年間は祖父の家で暮らした。祖父から教わったのは「普段が勉強」ということ。
「役者は感動を与える仕事だから、自分が感動を知る人でなければいけない」



ワンクリックお願いします
↓↓ 
にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村

読売新聞 「時代の証言者」 (4)

2010-03-28 00:16:47 | 歌舞伎
3月23日(火) (4)

【学生時代に培った歌舞伎観】

大学時代は朝起きて学校に行って、歌舞伎座の夜の部に出て、深夜はテレビドラマの撮影があったり
その合間を縫ってデートしたり、マージャンをしたり。映画や新劇もよく観た。
一番の悪友は、アメリカでBENIHANAを成功させたロッキー青木さん。
世界が広がったことで、歌舞伎を外から客観的に見ることが出来た。
歌舞伎役者を仕事として意識し始めたのもこの頃。
市川染五郎さん(現:幸四郎さん)中村萬之助さん(現:吉右衛門さん)と「十代トリオ」と言われた。
大学の卒業論文は、「演劇史に於ける近松門左衛門の位置とその世話物作品の変遷」
ケレンを復活させ、スーパー歌舞伎を作った猿之助さんの歌舞伎観は
すでに、この論文の中に発芽していた。

ワンクリックお願いします
↓↓ 
にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村



ポイント募金