ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

誤ルビ訂正

2010-03-20 23:45:34 | 歌舞伎
猿之助四十八撰のひとつ、金門五三桐(きんもんござんのきり)と打鍵してしまいましたが
正確には(きんもんごさんのきり)です。「さ」に濁点はない。
ウチからコピペしたご様子の方のブログも、そのまま誤ルビ状態でアップ。
本日23時50分の時点では(今、この記事を私が打ってる段階)訂正されてない。
ご自身で新聞記事からまとめたと書かれているのに(新聞にはこの演目のルビはなし)
なぜ、拙宅と同じ間違いを犯しているのかしらね。
猿之助さんの功績については、広く多くの方に知って頂きたいし
どんどん、いろんな方がアップされると良いとは思うのだけど、
個人のブログからのまるまるコピペは、ご遠慮願います。
(ネチケ←懐かしい言葉、のひとつでは?)
自分で打つの面倒なので(苦笑)リンク貼らせて頂きました~とかなら、
事後承諾でも全然構わないけれどね。
ウチのオリジナルの方も、誤ルビのまま(妾宅の方も)上げときますわ。しばらく(笑)

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読売新聞 「時代の証言者」 (2)

2010-03-20 23:25:59 | 歌舞伎
3月20日(土) (2)

【茅ヶ崎で過ごした幼少時代】

お父様の段四郎さん、お母様の高杉早苗さん、お祖父さまの猿翁さんらに囲まれた
生後100日目の猿之助さん!!とても、幸福そうな家族の肖像です。
5歳で疎開した茅ヶ崎が故郷と言われて想う場所。「ふるさと」の歌詞に出てくるような
自然の豊かな場所だったそう。体が弱かったこともあり、
戦争が終わっても、この茅ヶ崎に小学校六年の三学期に番町小学校に編入するまで滞在。
ご両親は、お仕事の関係で東京に住まわれていた。月に数回様子を見に来るお母様が
帰られるときは泣いて困らせたそう(可愛い~
映画を見ることを覚えたのも茅ヶ崎時代で、将来は映画監督になる、と言ってらしたそう。
慶応に進学することになり東京へ。小学校の謝恩会では「アリババと40人の盗賊」を
脚色・演出し、お祖父さまの演じた、「敵討天下茶屋聚」の趣向を取り入れ、客席での
大立ち回りを入れたとか!!

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読売新聞 「時代の証言者」 (1)

2010-03-20 23:18:28 | 歌舞伎
読売新聞購読者に、記事送ってもらいました!!
すべては、転記出来ないので、概要のみアップ。

3月18日(木)(1)

【役者人生 「戦友」の支え】

紫さんとの出会いから死別まで。海田さんが軽井沢で撮ったお二人のツーショットが
掲載されています。すでに、入籍の時、各メディアで紹介された、12歳で猿之助さんが
宗家のお稽古へ上がった時が出会い。
後に、紫さんが猿之助さんの活動に助力するようになってからは
世事に疎い猿之助さんに代わって、世間のことや経済のことは紫さんに任せていたこと。
そして、紫さんとの最期のとき、ヤマトタケルの台詞を耳元で語り続けたお話。

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